「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」  いずれ滅び行くドルと運命をともにすることを決めた日本政府 | 日本のお姉さん

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」  いずれ滅び行くドルと運命をともにすることを決めた日本政府

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
   平成20年(2008年)11月15日(土曜日) 弐
         通巻第2388号  

 いずれ滅び行くドルと運命をともにすることを決めた日本政府
  ドル基軸体制の強化、IMFテコ入れ、麻生政権は米国通貨と心中する気らしい
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世界的な金融危機と経済システムの安定化策を協議するためのG20(緊急首脳会合=金融サミット)は11月14日、首都ワシントンで開幕した。

 直前に日本は矢継ぎ早の日本案を提示した。
 第一に外貨準備から1000億ドルも拠金してIMF増資に応じる。
 第二に世界銀行と共同で、途上国の金融機関の資本増強に30億ドル(約3000億円)の基金を創設する。ウォール街発の金融危機が途上国の金融システムに打撃を与えていることから世界銀行が資本注入するためだ。

第三にアジア開発銀行(ADB)の資本を現行500億ドルから倍増させる提案を日本がおこなう。これら三つの主軸からなる日本の金融危機対応を主唱する。
 
G20直前、ワシントンで中川昭一財務・金融担当相はゼーリック世界銀行総裁と会談し、新基金「途上国銀行資本増強ファンド」の共同設立で合意した。

前日にブッシュ米大統領はニューヨークで演説し、サミット議題は「危機の原因究明、各国の対策の点検、改革に向けた原則の確立」など5つを示した。
 IMF改革は「新興国の発言権を拡大すべきだ」とし、資金面での貢献を条件にIMFの運営体制見直しを支持したが、危機の原因は「新興国からの巨額の資金流入が金利低下と重なり、ずさんな融資につながった」と説明して、規制緩和を主因とみる欧州との違いを鮮明にした

 ▲欧州の反応はワシントンの思惑とは離れている

 一方、欧州中央銀行(ECB)のトリシェ総裁は同日、ドイツのフランクフルトで講演「金融システム不安を防ぐためには、大西洋の両側で政府が防衛線を築くことが必要」とした。
ヨオロッパ各国の中央銀行による巨額資金供給は「第1次防衛線にすぎない。信用不安の解消には公的資金の投入や銀行間取引の政府保証などによる政府介入が不可欠」とした。
 私見をのべるなら「ユーロ」がたとえ統一通貨であっても、加盟各国に中央銀行があって金利を決めており、通貨がある日突然弱体化しても満足に対応できない脆弱性がある。
 またウォール街のCDS(くれじっとデフォルトスワップ)を大量に買い込んで、悲鳴を上げたのは、じつはヨーロッパ各国の銀行なのである。
 
FRBのベン・バーナンキ議長は14日、同会議席上で、「危機克服へ各国金融当局が緊密に連携し、必要があれば追加的な措置を講じる準備はできており、各国中銀は電話で頻繁に連絡している」ことを強調するにとどめた。

 こうして欧州は米国との差違を明瞭にし、一方「同盟国」の日本は、ただひたすら米国の通貨を守り抜くための犠牲を惜しまないと誓約して世界に、その主従関係を明らかにした。各国は日本の立場を「ドルと心中仕掛けない国」と認識することであろう。
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(読者の声1)貴誌2387号GMの記事ですが、小生のビジネス体験・経営研究から言えば、GMの再生は絶対にありえない!
GMのサビは、支援や補強で再生できる限度を超えている。
Too big to fail ではなく too far away to come back というところ。小生GM の某プラントで講演したことがある(1988年ごろだったか・・・)。「トヨタに比べて何が劣るか?」というタイトルでしたが。。
(TK生、世田谷)

(宮崎正弘のコメント)復活するには距離があまりに遠い、ですか。
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(読者の声2)中国で労働者が都会からどっと田舎へ帰省を始めているようですが? あれほど飛ぶ鳥を落とす勢いにあった中国経済がそこまでの不況ですか? 
ところで貴誌2383号、11月12日付けに「マカオの異変」が書かれていました。今朝(15日)の日本経済新聞の国際経済欄の片隅に、そのマカオの「サンズ・グループが経営危機」という報道があり、貴誌の速報性に今更ながら感服しています。
いったいニュース・ソウスは何でしょうか。
あやかりたいほどです。
   (HY生、茨城)

(宮崎正弘のコメント)早読みならぬ「早すぎ」とよく言われます。
 華南からの労働者の大量移動は、あらゆる駅を満員にさせております。先月の小生の経験でも朝から長距離バスターミナル、鉄道駅はごった返し、午前7時に行って切符を買うと、驚くなかれ午後弐時頃しか乗れません。小生はダフ屋から買って臨時便に潜り込めたので助かりましたが。ダフ屋(せいぜいが一割高いだけ)からも買えない労働者は、ひがな一日、ターミナルに屯していました。

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(読者の声4)貴誌が配信にならない日は寂しいと誰かが投書されていましたが、貴誌の魅力は早い解析もそうなのですが、そのバックグランドにある、確かな歴史観ではないかと思うのです。
たとえばGMは倒産した方が良いとか、米国債権デフォルトなら、空母を差し押さえろとか、ヒラリーの復活にしても、その近未来の読み方を、幾つかのシナリオを並記して目の前に提示してくれる。考えるヒントをたくさん与えてくれる。
おまけに貴誌の魅力は、そのユニークな、突出した異見ぶりです。週刊新潮の毒舌コラム「変見自在」もじつにユニークですが、なるほどあのコラムニストの高山正之さんと宮崎さんがお親しいと仄聞しナルホドと思いました。
   (ES生、栃木)
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(読者の声5)貴誌に紹介のあった『青嵐会 憂国と血判の論理』という本ですが、これは1973年の御本ですね。Amazonで探しましたが品切れでした。
都内の図書館にないかとあちこちネット検索してもヒットせずでしたが、ようやく横浜市立図書館に蔵されていることを突き止めました。
 これから貸し出しに出かけます。感想は後日に。
    (HN生、有楽町)
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(読者の声6)貴メルマガを楽しみにしています。購読開始当初は、内容の大半が中国情報ばかりでしたので少々食傷気味だったのですが、このところ主催者様の論調は冴え渡っています。
特に金融危機以後の的確な分析は大いに参考になり、筆者の考えと一致した時は、わが意を得たりと嬉しくなってしまいます。
さて本論に入りますが、目下のところ田母神前空幕長の論文発表(内容も含め)の是非論が沸騰しています。そろそろ決着して欲しいところですが、未だに尾を引いています。

某メルマガの某氏は、次のように述べています。
自衛隊員は国家に忠誠を誓って任官している。従って国家の方針に反する論文発表は間違いである。異論を発表するならば、退官してからにすべきであったと言う見解。
また別の論氏は、民間の募集論文に応じたのだから、職務の一環で意見を発表したのではないので職務違反には当らないと言う見解。
 なかにはその延長で懲戒解雇にすべきであったとか、退職金は返上すべきとの些かはみ出した意見もあり見受けられます。
 筆者は次の事例に当て嵌めて考えれば、前空幕長の更迭は勇み足ではなかったかと考える。
全国の小中高の卒業式で一部の学校の一部の先生が造反し、国旗の掲揚、国歌の斉唱に反対し、卒業生に起立もさせない実力行使が毎年問題となり、文部科学省の悩みの種でありながら、最近は諦めたかのように見てみぬ振りのようでニュースにもなっていない。
この問題に照らして考えますと扇動した先生が懲罰を受けた例は聞きますが、懲戒解雇処分になった例はないと思う。
小中高の先生が、国家に忠誠を誓って就任しているとは思えないが、少なくとも同じ公務員(国家公務員、地方公務員)であるにも拘らず、先生は勝手のし放題、言い放題である。日本は、教育現場に国家が全面介入できず、特に教科書の問題は治外法権のような感じである。この点の問題にはマスコミは全く正反対の教育委員会よりの姿勢を変えようとはしない。
 この二つの問題を比較して考えたとき、教育は日本国憲法に則って実施されているにも拘らず、一部であるとしても治外法権がまかり通っている。
片や日本国憲法とも他の六法とも直接関わりのない”村山談話”が恰も最優先の超法規であるかのように語られることは、日本国民の一人としては笑止千万なことであり、大上段に論じる者の考えが理解できない。靖国参拝に対する反対は単なる感情論の反対であるが、村山談話は、その内容において真偽が論じられていないばかりではなく、全く検証が為されていない。
 従って田母神前空幕長の論文は一個人の意見であり、その意見が正しいのか、誤りなのかを先ず検証することである。
日本には有識者が溢れているのだから、一単産の労組上がりの村山総理の一人勝手な談話を憲法の如く遵守する事こそ誤りである。勝手な意見ですが論文問題は基本に返って終止符を打つ時期、先ず検証ありきである。
    (KH生)
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(読者の声)貴誌2387号の「読者の声3」の貴解説で、私なりに理解したことは、進出→侵出の方がベター。
ただし侵攻の不適に関してですが、挑発されたか、されなかったかは主観的な解釈にもよりますから、むしろこの際、侵出の大規模なものは侵攻とすれば、侵出も侵攻も、同じ感じで使えますし、すっきりします。
挑発されたから行動したということは、行動の言い訳にも使われてしまいます。日本軍擁護のお気持ちは分かりますが、ここはもう少し、クールに行ったほうがよい。
結局、主観的と見なされかねない要素を交えて厳密に定義付けしようとすると、逆に複雑になって混乱します。実際的ではなくなってしまうのです。
それだったら、挑発されての侵攻は擬侵攻(侵攻もどき)としたほうがよいでしょう。たとえば南京擬侵攻事件と。
しかしそこまで厳密にする必要はないと思いますが。
また侵出は、納得ですが、馴染みにくい。普遍的ではなく専門用語のように思えます。
侵入と侵出の厳密な言葉の差異に関してST生さんの解説も分かりますが、入と出の差異は、結局、相対論で、侵入させた、侵出されたという逆の表現世界から考えると、この2語の言葉に本質的な差異はないでしょう。
私としては誰にも伝わりやすい侵入の方が、ベターと思います。ただ学者の専門用語として、侵出が定義されているならそれを専門の論文で使用されることに異議を唱えるものではありません。
(W生)