今こそ「村山談話見直し」と「憲法第9条改正」論議を活性化すべきである。 (じじ放談) | 日本のお姉さん

今こそ「村山談話見直し」と「憲法第9条改正」論議を活性化すべきである。 (じじ放談)

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▼憂国の志士「田母神俊雄前空幕長」の自爆攻撃は戦果を上げるか?今こそ「村山談話見直し」と「憲法第9条改正」論議を活性化すべきである。
(じじ放談)
航空自衛隊田母神前空幕長が民間の懸賞論文に応募した件につき、11日の参院外交防衛委員会は田母神俊雄に対する参考人質疑を行った。以下は、11日付け日本経済新聞・夕刊が報じた田母神俊雄の応答要旨である。

1.懸賞論文には航空自衛隊94人が応募し、小松基地の第6航空団が組織としてまとめて投稿した。
2.田母神氏は質疑で論文について「(1995年に植民地支配と侵略を認めた)村山談話の見解と違うものを書いたとは思っていない」と強調。
2.集団的自衛権の行使に関しても「(憲法を)改正すべきだ。国を守ることでこれほど意見が割れることは直した方がいい」と主張。
3.退職前に懲戒手続きのための「審理」が開かれた場合は「自衛官にも言論の自由があると主張するつもりだった」と明かした。
4.「日本が侵略国家だったなどはぬれぎぬ」などとした論文を「いささかも間違っているとは思っていない。」と強調した。
(以下は「11日付け産経ニュースが報道した参院外交防衛委員会における田母神俊雄の応答要旨である)
5.「自衛官の言論を政府見解に沿って統制するのはおかしい」と述べた。
6.論文投稿を事前に届け出なかったことについて「別に自衛官の職務をやっていなくても書ける内容で職務に関係していないので通知していなかった」と説明した。
7.(戦争について)「悪いことを日本がやったというのであれば、じゃあ、やらなかった国はどこですか、と私は論文に書いてます。日本だけがそんなに悪いといわれる筋合いはない。
8.質問:「あなたは集団的自衛権も行使し、あるいは武器も堂々と使用したいというのが本音ですね。」 回答:「ええ、私はそうするべきだと思います」
ほほほほほ

第1:自衛官には言論の自由はないのか?

日本国憲法は第11条はけ国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。

第14条はけすべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない。

第19条はけ思想及び良心の自由は、これを侵害してはならない。

第21条はけ集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
以上の基本的人権は特別公務員たる自衛官を含むと解すべきであるから、自衛官個人がいかなる思想・信条を持とうが、そして如何なる手段で自己の意見を表明しようが「憲法で保障された権利」というべきである。田母神俊雄前空幕長が「自衛官の言論を政府見解で統制するのはおかしい」というのは正しい。民主党・社民党・共産党が主張するように「自衛官は政府見解に沿った考えを持ち発言すべきだ」という意見は憲法違反の暴論である。野党は「自衛官の言論を統制できるよう憲法改正すべきだ」と主張していることになる。野党が「言論統制したい」というのであれば、野党の主張通り「基本的人権」の部分について憲法改正しては如何であろうか。特に、中国共産党・北朝鮮労働党工作機関の下請け化し、我が国の後方撹乱作戦に励み「謀略情報を垂れ流しているメディアを統制する必要がある」から、野党が主張する「言論統制できるよう憲法改正すべき」との意見には首肯できる部分がある。自民党は「言論統制を要求する野党提案」に耳を傾けたら如何であろうか。このようなチャンスはなかなか巡ってくるものではない。


第2:日本だけが「戦争犯罪者」とみなされ、贖罪を求められる不合理さ
第二次世界大戦までの世界は、米英独仏蘭、ソビエト、日本が世界分割を巡って競い合う弱肉強食の帝国主義時代であった。力の強い大国が弱小国家を武力で制圧し植民地や保護領とするのが普通と見られた時代であった。大英帝国は世界中の国家・民族を武力で支配し、保護領や植民地とした。インド、ビルマ、シンガポール、マレーシア、中国・香港ほかを領有又は租借した。1945年までの世界は「勝てば官軍・負ければ賊軍」が当然とされる時代であった。後世、我が国の中国大陸侵攻作戦は「侵略」と喧伝されたが、我が国だけが特別な行為を行った訳ではない。仮に我が国を「侵略国家」というのであれば、米英独仏蘭ソすべてが「侵略国家」といわねばならない。東京軍事裁判において我が国の戦争指導者は事後立法の「人道に対する罪」で処刑された。トルーマンの米国が行った「東京・名古屋・大阪・神戸等大都市への無差別焼夷弾爆撃」と「広島・長崎への原爆投下」ほど「人道に対する罪」が大きなものはない。ヒットラーが生きていたなら「住民虐殺の規模ではとても米国にはかなわない」とため息をついたのではないか。だが、米国は自らの非人道的戦争犯罪を認めず正当化している。謝罪もしていない。

米国はヒロシマの原爆慰霊碑に「過ちは繰り返しませんから」という自虐的言葉を刻ませ平然としている。わが国民大衆は、米国の占領下における洗脳教育を受け「原爆投下されたのは、我が国の軍国主義者が悪かった」と勘違いさせられ今日に至っている。凶悪な犯罪者(米)が、日本軍に責任を押し付け「正義の味方」を装っている。社会主義者である村山富市の最大の問題は「村山談話を残した」ことにあるが、それだけではない。村山富市は、帝国主義戦争の本質を理解せず、我が国だけを「戦争犯罪者」と規定した連合国側の戦争史観を根づかせた。結果、歴代自民党内閣は米中韓を初めとする諸国から「村山談話を認めるかどうか」という踏み絵を踏まされることになった。社会主義者村山富市ほど、我が国の国益を損なった売国奴はいないというべきである。以下、河野洋平がこれに続いた。


第3:憲法第9条の改正を主張したこと
「敵の侵略」又は「敵の攻撃」を防止するために設立された自衛隊が、日米同盟に基づく集団的自衛権を行使できないというのはマンガである。さらに、現場指揮官が「武力の不保持と交戦する権利を剥奪している憲法第9条を改正すべし」「集団的自衛権行使や武力の行使を可能とすべく憲法改正すべし」というのは合理的見解である。素手では北朝鮮の工作員とも戦えない。田母神が「集団的自衛権を認めないで、かつ交戦する権利を認めないで、どうして敵の侵略から国を守れるのか?」と憤るのも正しい。

我が国の政党各派(民主党左派・公明党・共産党・社民党)は、「中国や北朝鮮の国益を第1とする」政党である。中国や北朝鮮・韓国が栄えるためには「日本は滅びてもよい」と考える売国奴である。だから、我が自衛隊が国防を担えないよう「腰縄・手錠をはめておきたい」と考えている。北朝鮮の武装工作員が我が国土に侵入して、日本の青少年や児童を誘拐し連れ去っても「日本が悪いから北朝鮮工作員が侵入する」というつもりであろう。又は金正日を免罪に付すべく「日本軍国主義者が悪いから日本人が拉致された」という倒錯した論理を展開するかもしれぬ。

田母神俊雄は1か月前まで航空自衛隊制服組のトップであった。彼が「憲法第9条は改正すべし」と主張した意義は低くない。懸賞論文で主張しただけではない。参議院外交防衛委員会の参考人として出廷し堂々と発言した。今後は「衆議院外交防衛委員会で参考人質疑」を行ったら如何であろう。参考人質疑のテレビ中継が中止された。次回、衆議院で参考人質疑を行う場合は、テレビ中継を行うべきである。NHKを初め報道各社が「彼らの裁量で取捨選択して放映する」ことは好ましくない。社会主義者と自虐主義者が牛耳るマスコミの自由裁量で報道することを許してはならない。


第4:自衛隊幹部の歴史認識は「時の政府」に合わせるべきか?
自衛隊幹部に対する歴史教育を行う時、時の政権が満足する内容に変更するとすれば、政権交代可能な二大政党制時代は「衆議院の解散周期3年前後」でくるくると異なる歴史観で教育されることになる。仮に、共産党が政権をとれば「共産主義に基づく歴史観」が自衛隊幹部教育の中心テーマとなる。また、ファシズム政党が誕生すれば「国家社会主義的民族主義の歴史観」が自衛隊幹部の教育指針となる。もし、時の政府が「自衛隊に歴史観を強要した」として、自衛隊幹部が「同意できない」として反抗した場合、政府は自衛隊幹部を更迭せざるをえない。そして政権が交代すれば、更迭された幹部が復帰し、前政権に忠実であった幹部が更迭される。

・結果、自衛隊内部に「自民党派」「民主党派」が生まれる。派閥闘争が激化し国防は二の次になる。軍隊内部における派閥闘争の激化は「亡国の兆し」である。自衛隊は徐々に政争に巻き込まれ又は政争に介入するようになる。情勢次第では「政争に明け暮れる政党を一掃すべき」と唱える青年将校が蜂起するかもしれぬ。軍上層部がクーデターを敢行し「戒厳令」を布告するかもしれぬ。

第5:シビリアンコントロールについて
シビリアンコントロールというのは、自衛隊幹部のささいな行状について国会が監視し統制することではない。軍備拡張や戦争等の経費を支出するかどうかの最終決定を議会と内閣が持つことである。目下、我が国では「シビリアンコントロール」が脅かされる状況にはない。軍が政治に干渉し、軍予算の拡大を強要し、戦争を独断で開始する危険は全くない。今回、自衛隊制服組最高幹部のささいな行状について、民主党ほか野党とマスコミは「選挙対策」に悪用すべく大騒ぎしている。このような大局を考慮しない政略本位の動きをしていると、「自分の首を絞める」のではないか。

インド洋給油問題、イラク・アフガンへの自衛隊派遣問題、海賊対策で自衛艦を派遣する問題など、自衛隊が政治の表舞台に踊り出てきた。国会の参考人に招致された。自衛隊制服組が政治問題に関与する機会が増えている。野党が「自衛隊幹部の不祥事を取り上げ政局に利用しよう」と画策する結果、自衛隊制服組は労せずして政治の表舞台に登場できる。タイ、パキスタン、トルコでは、軍が政党政治を管理するまでに力をつけている。いつでもクーデターを起こせると自信を持っている。北京五輪では解放軍十数万が厳戒態勢を敷いた。中国でも軍への依存が深まり、軍の政治介入が強まっている。我が自衛隊が、今すぐタイ、パキスタン、トルコ、中国の陸軍のようになるというのではない。我が国で唯一の合法的武装組織である自衛隊はすでに世界有数の装備を誇るまでに成長した。PKO活動やイラク・インド洋に派遣され国家を代表する活動を行っている。外国の正規軍とも交流を重ねている。世界の紛争地域への自衛官派遣が増えることは、政治が「自衛隊依存を深める」ことを意味する。自衛隊制服組の政治的発言力が徐々に強まる。後世「平安時代」といわれる藤原摂関政治下において、都の警護担当者に過ぎなかった源氏と平氏は徐々に政治に関与し力を貯えた。公家の派閥闘争にも積極的に参加し保元・平治の乱では主役に踊り出た。武家の台頭をもたらした要因は、公家が武家への依存を深めたためである。公家は武家の昇殿を認め、派閥闘争に勝ち抜く手段として武家を活用した。武家は活用されるたびに力を養い発言力を強めた。平氏が、次に源氏が武家政権を誕生させた。
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(まとめ)
現役自衛隊最高幹部が政府の方針である「村山談話継承路線」に異議を唱えるというのは、政府側に立つと「面白い話」とはいえない。「足を引っ張るつもりか?」と感じるのは自然の反応である。発覚直後、防衛省は田母神空幕長を更迭した。62歳未満であった田母神空幕長は更迭された結果、60歳定年を超えているという事態が発生したから、「定年退官」となった。手続きに瑕疵はない。

防衛省は「田母神空幕長が懲戒手続を拒否したから、長引くのはマズイと考えた。協力を得られないから速やかな審理ができないという理由で懲戒処分を断念し、定年退職させた」と弁明している。田母神前空幕長は「懲戒手続で堂々と意見を述べるつもりだった」と述べ、双方の見解が食い違っている。田母神前空幕長の行動は信念を披瀝したものであるから、「徹底抗戦するつもり」であったろう。「懸賞論文に応募した程度で懲戒免職になる」とは想定していないはずだ。政府にとっては不都合な発言であっても、「自衛隊最高幹部として、著しい非行があった」とはいえない。国家公務員は、簡単には首切りできないよう保護されている。難癖をつけ又は濡れ衣を着せて「懲戒免職処分に付す」ことはできない。仮に、防衛省が「政府に迷惑をかけた」「政府の方針に反する発言をした」ということで懲戒免職処分とした場合、舞台は司法の場に移る。地方裁判所だけで終わることはない。高等裁判所を経て、最高裁判所で「憲法判断を争う」ことになろう。田母神前空幕長は「徹底抗戦する」するつもりであったから、裁判所で争い、問題の本質を世間に喧伝できると考えていたのかもしれぬ。危険を察知した防衛省が「幕引き」を図るため、定年退職に追い込んだと考えてよい。それにしても、浜田靖一防衛相のだらしない態度を見ていると「これでもハマコーの息子か?」と疑いたくなる。親父はテキヤのバリバリであったが、2代目になると意気地がなくなると見える。野党各党から追及され、しどろもどろの答弁に終始した。先日は「退職金を自主返納してもらいたい」等とくだらないことを発言していた。それとも浜田靖一は食わせ者なのか?「韓信の股くぐり」を自作自演しているつもりなのか?本心であれば、麻生首相の任命ミスといわねばならぬ。

(田母神前空幕長について)
中国共産党や北朝鮮労働党諜報機関の手先と同じ役割をはたしている野党各党とマスコミは、なぜ「懸賞論文」という些細な問題を取り上げ大騒ぎするのか?を検討しておく必要がある。「麻生内閣の足を引っ張る」という選挙対策もあろうが、それだけではない。我が国における「民族意識の高まり」を恐れているのだ。売国勢力にとって最大の危機は「我が国民が民族意識に目覚めること」なのだ。民族意識に目覚めた国民は、売国政党や売国マディアを排斥する。彼らも命がかかっているから必死である。田母神俊雄は定年退職し一民間人になった。マスコミや野党から罵詈雑言の非難を浴びたから著名人になった。これを奇貨として「自らの信念で行動し、意見を発信したら」如何であろうか。刑事被告人に貶めされた外務事務官佐藤優やムネオの前例もある。堂々と、信を世間に問い続けるべきである。田母神俊雄が懸賞論文への投稿という形で自己の信条を披瀝したのは、やむにやまれぬ存念があったというべきである。政府は米国をはじめ近隣諸国との友好を第一として「村山談話の継承」を謳っている。我が民族の誇りを投げ捨て、「商い一途」に励んでいる。このような醜悪な政治に対し「一言申し上げておく」と考えたのではないか。いな、長年抑圧してきた田母神俊雄の情念が噴き出したのではあるまいか。吉田松陰の辞世の句「たとえ身は、武蔵野野辺に朽ちぬとも、やむにやまれぬ、大和魂」という情念と同じだ。理性では「殺される」と想定できても、情念に殉じようと覚悟を決めた。

明治維新は、尊王攘夷を唱えた志士の屍累々の上に築かれた。明治維新という大革命が多くの血を求めたと言い換えることもできる。何事も犠牲なくして実現されることはない。討ち死に覚悟の「尊王攘夷の情念」が燃え出づる時、時代は大きく転換する。田母神前空幕長が「自爆覚悟で意見を表明した」意味は軽くない。「民族意識に目覚めた国民の意識変化」がこれを支えている。田母神は孤立していない。今後も第2・第3の田母神が現れる。そして屍の山を築く。時代の転換を準備する。三島由紀生が自衛隊本庁舎で「決起を呼びかけて割腹自殺」して何年たったかはっきりしない。30年以上前の出来事であった。当時は三島の決死の演説が「時代錯誤の狂信者」のように見えた。自衛隊諸君も三島を「やじり倒していた」ように思う。現在、三島由紀生と同じ行為を行った場合、自衛隊諸君は「やじり倒す」であろうか。世間は「狂信者のたわごと」とみなすだろうか。自衛隊諸君が決起するとは思えないが、「緊張して、檄文に耳を傾ける」のではなかろうか。これが時代の流れである。「決起してクーデターを起こす」までには至らないが、「なるほど、そうかもしれぬ」と共感する隊員は少なからず出るはずだ。自衛隊は我が国で唯一の合法的武装組織である。自衛隊を便利屋として粗末に扱ってはならない。国防を担うとの誇りを持った軍隊として、国民と共にある軍隊として育てなければならない。
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