▼ 何かがおかしい「櫻田論文」(佐藤守)
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▼ 何かがおかしい「櫻田論文」(佐藤守)
七日産経「正論」の、櫻田論文を読んだか?という声が頻々と入った。「空幕長論文の正しさ・つたなさ」と云う題の櫻田淳・東洋学園大学準教授の論文である。要は「(この論文は)『正しい議論』と『賢明な議論』が自ずから別種のものであることを筆者に再確認させた」という書き出しで始まるのだが、「歴史認識の開陳は、政治(活動)家や歴史家、或いは思想家ならば手掛けるかも知れないけれども、航空軍事組織の総帥としての職務とは、全く関係のないもの」だから賢明さを欠くというのである。それぞれ専門分野があることは勿論否定しないが、個人が歴史的意見や信念を持つのは何も歴史家の専売特許ではなく、自由である。それを櫻田氏は「日本は侵略行為をしたのではない」と云う主張を「そもそも、貴官がそれを言って何の意味があるのか」と反問し、終戦時の陸軍大臣・阿南惟幾の言や「軍人勅諭」を挙げ、「武官としての『本分』からも疑義のあるものではなかったか」という。「(自衛官たる)貴官がそれを言って何の意味があるのか?」という言論専門家の驕り?は別にして、ここで私は、阿南陸相の逸話と「軍人勅諭」を持ち出して「何の意味があるのか?」と逆にお聞きしたい。つまり彼は“自衛隊内部でも”「武官としての本分」を身につけるためにも、「軍人勅諭に学べばよかった」といっているのである。ありがたいご指摘だが、これが状況が違えば、「今時軍人勅諭などという時代遅れの思想を、『軍事組織の総帥になる者のための教育の場で』教育しているとは驚いた!軍国主義、右翼主義思想の復活に驚きを禁じえない」と書くのではないか?
自衛官の身分は、ご承知のように、時たま“制服を着たサラリーマン!”と揶揄される様に「国家公務員・特別職」に過ぎず、軍人勅諭を「公的に教育する」、そんな「軍国主義」に凝り固まった組織では無い事を良く認識していただきたいと思う。勿論、自衛官といえども人間、「私的」には個人の“趣味”で十分勉強している。海軍兵学校の「五誓」が今でも生きているように。櫻田先生の折角の論文が、ご都合主義だと誤解されないように祈りたい。さて、11日の国会の議論が楽しみである。政治の世界に疎い田母神氏が、その“しきたり”や“独特の文化”に惑わされること無く、「武人」として率直な発言をすることを、多くの隊員はもちろん、OBも見つめている。麻生総理は、この場での対応いかんで、大きなダメージを受けることになるかもしれない。国会での「村山談話」と「集団的自衛権問題」についての総理の所信表明で、明らかに支持率は激減しただろうから…。しかし、ある意味で11日が起死回生のチャンスでもある。生かせるかどうか…今日は、元奉天特務機関員だった門脇氏から届いた「あけぼの」の中の、門脇翁の所見には考えさせられるので、2文引用しておくことにする。
【「自信喪失の日本」
内外情勢が逼迫する今日、日本の政界は内弁慶ばかりで、外国に押しの利く人物が、政財界にも見当たらない。内ゲバの闘士揃い。日本はある種のかなり長い衰亡期に入ったのではないのか。今の若い層から、その殻を破る気配が醸成されることも望み薄の感。これに戦後育ちが70歳になり80歳になったら、世界に通用する政治の運営はできないのではないか。中国は中華民国の始めから内はなっていなくても、個人的には大国の代表として勤まる人物を排出してきた。日本人は商才は利くが芸が細かい。一人一人の人間も。
「品性、徳性」
やっと涼しくなったと思う間もなく先が気になる今日の秋風である。人の心は自然のこの動きより激しく宛てにならない。その上落ちることはあっても好くなることは無い。個人がそうであるから、ましてや近代社会では物質万能、個人民族間にとっても、品格とか徳性というものが、人間界から姿を消した。人間の持つ価値観からなくなったと云えよう。アメリカはその冨を世界に誇ったが、その経済力にかげりが見えると、世界中から軽く見られ始め、今やアフガン、北鮮に手を焼いている。中共は威張っているが元々の唯物主義者。徳とは無縁。】そして次のような写真が紹介されている。「中国の新聞」からだそうだが、こんな写真を掲載する中国は「自由主義国?」と見紛うばかり・・・
ところで友人がコメント欄が「お祭り!」というので開けてみたが、トラックバックを消されたから「言論弾圧だ」とお怒りの方が居る。トラックバックには良く大陸からの奇妙な(読めない)文や、「アダルト」宣伝が入ってきていて、うっかり開けるといやだから、適宜機械的に消去している。勿論、題名だけでは判定できないものが多いのだが、「解散権」は私にある!冗談はさておき、多分そんなわけでこの日に入っていた変なものと共に機械的にチェックを入れて操作したからだろう。次回からは、変な文と一緒にならないように送っていただくとありがたい。「機械的操作」は操縦者としては危険操作なのだが、既に操縦桿を手放して11年余、ご了承あれ!
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★【正論】東洋学園大学准教授 櫻田淳 空幕長論文の正しさ・つたなさ
≪現場職務と「歴史認識」≫
田母神(たもがみ)俊雄航空幕僚長が「日本は侵略国家であったのか」と題された論稿(以下、「田母神論稿」と略)を懸賞応募論文として発表し、更迭された一件は、「正しい議論」と「賢明な議論」が自(おの)ずから別種のものであることを筆者に再確認させた。たとえば、「田母神論稿」が訴えたように、集団的自衛権行使の許容、武器使用基準の緩和、攻撃的兵器(策源地攻撃能力)の保持が、日本の安全保障政策上、必要であるという主張は、日本の安全保障研究者には受け容(い)れられるものであろう。その点に関する限りは、「田母神論稿」は、「正しさ」を含んだものであろう。 しかし、「田母神論稿」は、2つの意味において「賢明さ」を備えてはいなかった。
第1には、こうした論稿を航空幕僚長が発表する「必然性」は、甚だ乏しいものであった。「田母神論稿」は、もし前述の安全保障体制に絡む不備を「現場の声」を代弁して訴える趣旨のものに留まっていたならば、「勇気ある問題提起」と解されたかもしれない。しかし、「田母神論稿」では、何故(なぜ)、歴史認識の開陳が行われたのであろうか。こうした歴史認識の開陳は、政治(活動)家や歴史家、あるいは思想家ならば手掛けるかもしれないけれども、航空軍事組織の総帥としての職務とは、全く関係のないものである。
≪政策の合意形成に支障≫
「日本は侵略行為をしたのではない」云々(うんぬん)という主張には、筆者は、「そもそも、貴官が、それを語って何の意味があるのか」と反問せざるを得ない。振り返れば、終戦時の陸軍大臣であった阿南惟幾には、二・二六事件の折、陸軍幼年学校校長として全校生徒を集め、「農民の救済を唱え政治の改革を叫ばんとする者は、先ず軍服を脱ぎ然る後に行え」と厳しく訓示したという挿話が伝えられている。『軍人勅諭』にも「世論に惑はす政治に拘らす只(ただ)々一途(いちず)に己か本分の忠節を守り…」という訓戒がある。「田母神論稿」は、武官としての「本分」からも疑義のあるものではなかったか。
第2には、「田母神論稿」が招いた騒動は、「軍事を語る人々=軍国主義者・右翼」といった従来からのステレオタイプを補強するものになるかもしれない。こうしたステレオタイプは、安全保障政策に絡む広範な合意を形成する上での最たる支障となってきた。筆者は、この論稿を内心、歓迎したのは、旧来の平和主義者層や「進歩・左翼」知識層ではなかったかと想像する。彼らが「それ見たことか…。軍人は所詮(しょせん)、こういうものだ…」と反応していたとしても何ら不思議ではない。実際、「田母神論稿」を批判する「進歩・左翼」知識層の所見には、「小学校から歴史を勉強し直せ」というものがあったけれども、この所見それ自体は、自説と認識を異にする意見への偏狭さの趣を漂わせたものであった。しかし、こうした所見を呼び込んだのは、「田母神論稿」の責任なのである。
≪実績の積み重ねに逆行≫
振り返れば、陸海空三自衛隊は、特に1990年代以降、内にあっては、このような旧来の平和主義者層や「進歩・左翼」知識層、外にあってはアジア近隣諸国の疑念の眼差(まなざ)しに晒(さら)されながら、慎重に「国際貢献」の実績を積み重ねてきた。たとえばイラク派遣自衛隊部隊の復興支援活動が象徴するように、過去十数年の「国際貢献」を軸とした海外での活動に際して留意されたのは、「日本の自衛隊は、往時の日本の軍隊とは違う」ということを内外に説明することであった。こうした実績の積み重ねは、日本に対する信頼と共感を担保してきたし、その上でこそ、現在でも自衛隊の活動の幅を広げる試みが一歩一歩、進められている。昨年来の政局の焦点であるインド洋での補給活動もまた、そうした試みの一環なのである。「田母神論稿」が、そうした過去十数年の活動の成果に裏付けられた日本への信頼と共感を揺るがせるならば、その代償は、誠に大きなものであろう。凡(およ)そ、「本分」を弁(わきま)えない論稿や発言は、それに共鳴する人々からは「正しい議論」と評されたとしても、決して「賢明な議論」とはなりえない。特に政治家や政府高官の発言は、それぞれの時局に際しての「必然性」の裏付けを伴ったものかどうかで評価されるべきである故に、「正しい議論」であることよりも「賢明な議論」であることが要請される。「田母神論稿」は、最高位の武官としての職務に伴う「賢明さ」よりも自らの「正しさ」を世に訴えるものであった。筆者は、そのことを何よりも残念に思う。(さくらだ じゅん)
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