▼オバマよ、おまえはこの虐殺をどう思うのか?(江草乗) | 日本のお姉さん

▼オバマよ、おまえはこの虐殺をどう思うのか?(江草乗)

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▼オバマよ、おまえはこの虐殺をどう思うのか?(江草乗)
オバマ新大統領、あなたはアフガニスタンでの米軍の活動を強化したいと思ってるようだが、このような事実をどうとらえてるのか?一度その考えを聞かせてもらいたいものである。こんなひどい実態があることをどう思うのかと。毎日新聞の記事を引用しよう。

・アフガン:米軍空爆で子供ら37人死亡
【ニューデリー栗田慎一】アフガニスタンからの報道によると3日、南部カンダハル州で米軍機が民家を空爆。AP通信は、子供や女性を含む住民37人が死亡したと伝えた。カルザイ大統領は5日、「爆撃されたのは結婚式会場だった」と非難。「米国の新大統領にまず求めたいのは、空爆による住民の犠牲を終わらせることだ」と述べ、オバマ次期米大統領に攻撃の抑制を強く求めた。

アフガンでの対テロ戦重視を打ち出すオバマ氏に対しては、隣接するパキスタンでも、大統領就任で米軍による越境攻撃が激化するとの懸念が強まっている。オバマ氏はアフガン、パキスタンで対テロ戦を遂行しながら、失墜した両国民、政権の米国への信頼を取り戻すという、困難なかじ取りを迫られる。現地からの報道では、3日の空爆は、米軍の車列が武装組織タリバンとみられる集団の攻撃を受けた後に始まった。しかし、米軍機が現場に到着したのは武装集団が逃走した後で、現場近くの結婚式会場が爆撃された模様だ。これに対しアフガン駐留米軍報道官は「事実関係を調査しているが、もし一般住民が死亡したのなら、遺族とアフガン国民に謝罪し、弔意をお伝えする」と述べた。国際人権団体「ヒュウーマン・ライツ・ウオッチ」によると、米軍などの空爆による民間人の死者は06年に116人、07年には321人、今年は7月までに119人に上っている。住民の犠牲が国内の反米感情を高め、武装勢力タリバンの勢力回復を支えてきた面があり、カルザイ大統領は9月の国連総会での演説でも「市民の犠牲が増えることで、対テロ戦の正当性に傷が付く」と厳しく批判している。
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タリバンを攻撃するつもりが、実際は結婚式場を空爆して罪もない住民37名が死亡しているのだ。この死にはいったい何の意味があるのか。オバマよ、大統領のおまえならばこの死が意味あるものであり、アメリカ合衆国の栄光のために必要な死であり、偉大なるアメリカ軍にとってこの行為は正当であると説明できるだろう。どうか納得できないオレのために、そしてオレと同じように世界中にいるこの虐殺の正当性を疑問視ずる人たちのために、オバマには説明義務がある。こうして無辜の死を産み出し続けてる米軍のアフガン空爆がなぜ必要なのか。それをオレは教えてほしいのである。今回の虐殺事件に対してアフガン駐留米軍報道官は「事実関係を調査しているが、もし一般住民が死亡したのなら、遺族とアフガン国民に謝罪し、弔意をお伝えする」と答えているそうだ。ここで「賠償を行う」とは言っていない。あくまで「弔意」である。「弔意」なんてものにそもそも価値があるのか。オレに言わせればあまりにもふざけた発言である。人を殺したおっさんが法廷で一言、遺族に向かって「すまん!」と言ったところで殺された者たちの命がとり戻せるわけでもない。「弔意をお伝えする」というのはその程度の意味しかないのである。ここで必要なのはそんな目に見えないものではなくて、賠償のゼニだ。殺された人、一人当たりいくらの賠償金を払えるのかということだ。しかし、アメリカ軍は誤爆による死者に対して一切補償していないのではなかったか。そんなことが許されるのか?

アフガニスタンでのこの度重なる誤爆の結果、現地では新たなタリバン支持層が増えているのである。家族や親戚を無惨に殺された一般民衆にとって、タリバンこそが自分たちの復讐の気持ちを実現してくれる頼もしい存在だ。ここにきてタリバンは民衆の支持を取り戻せたのである。タリバンが立派だったからではない。現在の支配者のはずのアメリカ軍による非人道的な虐殺の結果である。オバマ新大統領、あなたはアフガニスタン戦略を重視するという。その重視というのはこのような誤爆をこれからも「必要悪」として続けることなんだろうか。少なくとも「重視」というのは全面撤退や一部撤兵ではないだろう。それどころか大幅に増やす可能性が高い。そんなことをして本当に効果があるのかね。今アフガニスタンを統治する上で一番必要なこととは何か。それをちゃんと考えてから政策を立ててもらいたいぜ。タリバンはヘロインなどの麻薬の原料となるケシの栽培を禁止した。供給量が減ったために世界の裏経済は大混乱に陥った。その混乱の収拾をはかるためにアメリカはタリバンを排除して麻薬を支配するルートを確保したかったのではないか。麻薬は実はアメリカ経済を裏で動かす潤滑油であり、タリバンのせいでその確保ができなくなったことが戦争の遠因だったとオレは勝手に憶測している。
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▼長期的には、われわれはみんな死んでいるか(池田信夫)
『文藝春秋』12月号(10日発売)に、「世界同時不況 日本は甦るか」と題して、高橋洋一、榊原英資、竹森俊平、水野和夫氏などの座談会が出ている。議論が未整理だが、論点として重要なのは今後、日本がどう対応すべきかで意見がわかれていることだ。

バラマキ財政には全員が反対だが、高橋氏と竹森氏は日銀が「ゼロ金利・量的緩和」に戻すべきだといい、榊原氏と水野氏は反対している。前者は「世界各国が極端な金融緩和政策をとっているのに、日銀だけが利下げしないから円高が進む」というのに対して、後者は「国内に資金需要がないのに資金を供給しても海外に資本が流出するだけで、円の水準は今ぐらいが妥当だ」という。高橋氏や竹森氏の主張するのは経済政策の目標は短期の安定化だというケインズ政策であり、榊原氏や水野氏が主張するのは経済が長期的に適正な水準にあれば政府は介入する必要はないという新古典派的な政策だ。また前者がマクロ経済が重要だとするのに対し、後者は産業のグローバル化などのミクロ的な改革が重要だという。このように短期/長期、マクロ/ミクロという区別を設けたのは、ケインズである。彼が『貨幣改革論』で次のようにのべたのは有名だ:
Long run is a misleading guide to current affairs. In the long run we are all dead.

しかし現代の経済学には、こういう区別はない。「マクロ経済学」と呼ばれるDSGEの内容は、動学的なミクロ経済学である。Neo-Wicksellianは長期を自然率の成立する状況と考え、そこから短期的に乖離した状況を安定化するために金融政策が必要だと考えるが、ここでも金融政策で自然率と異なる状態を持続させることはできない。かつては長期は投資水準の変わる(数年以上の)期間と考えられたが、現代の理論では価格調整の行なわれる期間なので数ヶ月だ。長期的には、われわれはみんな死んではいないのである。

もちろん実際に長期均衡が実現するとは限らないが、この長期は政策目標として重要であり、misleading guideではない。伝統的なケインズ政策では、経済を安定化することは無条件に望ましいと考えられているが、Prescottなども指摘するように、名目賃金を安定化することは相対価格をゆがめ、失業を長期化させるとともに成長率も低下させる。これによる安定性の利益と効率性の損失のどっちが大きいかは、先験的にはわからないが、重要なのはそこにトレード・オフがあるのを認識することだ。

ヴィクセル(およびオーストリア学派)が警告したように、自然率から乖離した政策金利はバブルを引き起こし、かえって経済を不安定化させる。2000年以降、ゼロ金利・量的緩和・ドル買い介入によって預金者から輸出産業に所得を移転して日本経済を支えたことが、トヨタ・バブルともいうべき事態をまねいた。またNeo-Wicksellianが指摘するように、裁量的な金融政策はインフレ・バイアスをもつ。金融緩和は、政治家も労働組合も好むので、その政治的圧力を中央銀行が拒むことはむずかしい。1989年に日銀が公定歩合を引き上げたとき、橋本蔵相(当時)は「利上げを撤回させる」と怒り、日経新聞は「自分勝手な利上げ競争は回避せよ」と批判した。

このように動学的な効果を考えると、とるべき政策は単純ではなく、短期的なマクロ政策が長期的な効率性を低下させるトレード・オフの中から国民が何を選択するかという問題になる。かつてのような円キャリーが起こるとは考えられないが、0.3%の金利をゼロにすることによる「サプライズ」はなく、deleveragingの進んでいる中では量的緩和の効果も限定的だ。むしろ竹森氏も水野氏もいうように、今回の金融危機が「歴史的な転換点」だという認識に立ち、日本経済の非効率な部門を整理して「自然成長率」を高める政策が必要なのではないか。
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