コーランか、然らずんば剣(国民年金の花柳な生活)いつから憲法九条は日本人の聖典になったのですか? | 日本のお姉さん

コーランか、然らずんば剣(国民年金の花柳な生活)いつから憲法九条は日本人の聖典になったのですか?

国民年金の花柳な生活
附 昭和回顧録(時々)
2008/11/04 (火)
コーランか、然らずんば剣か

 宗教の教えは絶対的である。イスラム教徒が「コーラン」は現代にそぐわぬから改正しようなどと言い出す事はないし許されるものでもない。聖書の内容を変えたり、キリストの教えに背く行動を取れば当然糾弾される。その事に疑念を抱く者はいない。

 「日本国憲法」も「コーラン」の様な重みを持っているらしい。名付けて「九条教」とでも言おうか。この宗旨に少しでも逆らう者があると周囲は大騒ぎして違反者を血祭りに揚げる。「コーランか、然らずんば剣か」という言葉がある。イスラムが征服した土地では改宗するかさもなければ死を選ぶか二つに一つだ。

 その点では「九条教」もイスラム教とよく似ている。少しでも逆らう者があるとマスコミを総動員して叩きのめすのだ。
田母神空将も定年退職という形で一応決着が付いた。政府は論文の内容を検証するよりも規則に違反した事を問う極めて官僚的な処分を行った。メディアは論文を危険、誤りと決め付けるだけで個々の内容には触れていない。

 世論も田母神氏の論文についての賛否と氏の置かれた地位での発言に対する批判が錯綜する形であった。どちらも論文の一部を取り上げて問題にしている嫌いがある。私は難しい論文を読むのは苦手だが、新聞の記事から【あらすじ】だけ読んでいても本当の事は分からないから全文をDLして読んでみた。

 私は元々物事を深く考える性格ではなく、その上、戦中戦後の荒廃した時代にはロクに勉強していないから理解力に欠ける。更にこの頃の老化で能力はますます落ちている。本を読む時は何回も繰り返して読まないと理解できない事が多い。だから何時も心がけているのは「読書百遍」である。百回繰り返して読めば「意自ずから通ず」という訳だ。

 田母神俊雄氏の【日本は侵略国家であったのか】はそういう意味ではいささか拍子抜けする程の分かり易い論文であった。長さも400字詰め原稿用紙で40枚足らず、内容も特に新規なものはなく、失礼な言い方をすれば、「この程度の内容」で大騒ぎする方がどうかしている。

 騒ぐ人たちは憲法をコーランと勘違いしているのだ。憲法がコーランならば変更は許されないし、逆らってはならない事になる。

 田母神氏の思いは論文末尾の《私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。》に尽きるであろう。私も全く同感である。