▼「強い国」とは歴史の真実を堂々と明言できる国・さらば村山富市 ◎西村真悟通信 No.386
ようちゃん、おすすめ記事。↓
◎西村真悟通信 No.386 平成20年11月 1日(土)
▼「強い国」とは歴史の真実を堂々と明言できる国・さらば村山富市
西 村 眞 悟
本日十一月一日の朝刊は、歴史認識に関する二つの事件を報道している。一つは、沖縄の集団自決訴訟の控訴審判決であり、もう一つは田母神俊雄氏の航空幕僚長更迭である。この二つとも、我が国が未だにいわゆる自虐史観・日本悪玉論に縛られていることを示している。前者は司法が、後者は政界が、自虐史観のうんざりするほどの呪縛下にあることを示している。沖縄の集団自決訴訟とは、大江健三郎氏の書いた「沖縄ノート」(岩波書店)が、沖縄戦における住民の集団自決が梅沢裕陸軍少佐と赤松嘉次陸軍大尉の命令によって住民に強制されたとして両氏を厳しく非難しているのを受けて、両氏が住民に自決命令を発していないとして名誉の回復を求めた訴訟である。また、田母神航空幕僚長の更迭は、同氏が「日本は侵略国家ではない」旨の論文を公表したのを受けて、その歴史認識は「日本は侵略国家である」旨の歴史認識を示した村山富市談話を受け継いだ麻生内閣の歴史認識と異なる故に為されたものである。
では、歴史の真実は何か。集団自決訴訟に関しては、本件の大阪地裁判決に関して本欄で述べた通りである(平成20年3月29日、337号)。梅沢、赤松両氏の自決命令は無かった。大阪地裁は、判決で「書籍に記載された自決命令自体まで認定することはちゅうちょを禁じ得ない」と述べ、昨日の大阪高裁判決も、「直接的な隊長命令」に限れば「真実性の証明があったとはいえない」としている。つまり、原審と控訴審ともに、両氏の自決命令があったと認定できていない。しかし、この二つの裁判所は、梅沢、赤松両氏を自決命令をした極悪非道の人物と書いてある「沖縄ノート」という本がこの先も販売を続けられて広く読まれることを容認している。論理が破綻しているのだ。結局裁判所は、論理破綻を誤魔化して原告二人の真実に基づいた名誉というかけがえのない価値よりも、真実でないことを書いて売る出版社と著者の利益を優先したのである。梅沢、赤松両氏の自決命令が認定できない、即ち自決命令が無いならば、両人を自決命令をした極悪非道の人物であるとする本がこの先販売され続けることは社会正義に反する。裁判所は、これが何故分からないのか。
この二つの判決を書いた裁判官達は、戦後の自虐史観の中で学び、そして裁判官という閉鎖的官僚世界を歩み、その殻から抜け出ることができないのだ。
次に、田母神航空幕僚長の論文であるが、産経新聞に報道されていた論文要旨を読んだが、当たり前のことを述べておられる。同感である。
もちろん、田母神氏の論文要旨は、村山富市氏の「談話」とは内容も歴史観も異なる。しかし、そもそも、航空幕僚長たる者、村山富市氏と同じ認識であることこそ更迭に値するのである。何しろ、村山富市とは総理大臣になっても暫くの間は、「自衛隊は憲法違反」と認識していた社会党の御仁であるからだ。しかるに、この村山富市氏の歴史認識と反することを書いたという理由で航空幕僚長を更迭したのが現内閣である。逆ではないか。その理由は、野党が国会で幕僚長と内閣の歴史認識の違いを内閣攻撃の武器にするからであろう。何とも情けないではないか。そこまでしても、自虐史観の社会党的歴史認識に閉じこもらなければ国政が運営できないと思い込んでいるとは。また、自国を悪い国だという前提で内閣を攻撃しようとする野党質問の低次元さも目に見えるようだ。自虐史観で内閣を攻撃しようとする野党と自虐史観に閉じこもって攻撃をかわそうとする政府の閣僚。ともに、祖国への愛をもっているのであろうか。
以上、本日の朝刊が報ずる二つの事件から、「強い日本」、「明るい日本」そして「誇りある日本」への改革とは何かが具体的に明らかになったではないか。その第一は、歴史の回復、即ち、自虐史観からの脱却である。であるのに、「強い日本」、「明るい日本」を所信表明で語った総理の率いる内閣が自虐史観に閉じこもってどうする。もっとも、現在の政治情勢の中では、航空幕僚長たる者、軽々しく、野党に武器を与えるような論文を発表するとは何事かと、苦々しく思う内閣の気持ちもよく分かる。しかし、それを発表してしまったのだから苦々しく思っても仕方がない。私は、逃げるなと言っているのだ。犬と一本道で出くわしたことがある人なら分かるだろう。逃げれば弱い犬に限って追いかけてくる。何ともないと前進すれば道をあける。
最後に、航空幕僚長は「軍人」の最高位であるとすれば、本件も、「政治と軍事」の関係と捉えておくことも必要である。政治は問題解決を外交の領域から軍事の領域に移すか否かを決める。これが、シビリアンコントロールの本質である。そして、政治から目的を与えられた軍は、その目的達成の為に指揮官の命令により行動を起こすことになる。(日本海軍の真珠湾攻撃に際して、ルーズベルト大統領は軍の最高指揮官を顧みて「君たちの領域に移す」といったといわれる。これがシビリアンコントロール発動の典型的情況である。)
この時、その軍事目的の達成のために部下将兵のもつべき歴史観はこれだと指揮官が確信するならば、指揮官は堂々とそれを部隊に示して周知徹底しなければならない。仮に指揮官が、内閣のもつ歴史観によれば、部下が任務を全うできないと思えば、内閣の歴史観に迎合してはならない。迎合するのは官僚であって軍人ではない。迎合すれば軍事目的が達成できず国家の存立を危うくするからである。本件更迭に即して言えば、航空幕僚長が、村山富市歴史観では部下は日本人としての誇りをもつことができず軍人としての任務を全うできないと確信すれば、それが内閣の歴史観であっても従う必要はない。従えば、任務を全うできず何のために日々訓練をしているのか分からなくなるからである。「日本は侵略戦争を続けて悪いことをした悪い国であった。従って日本に軍隊をもたせてはならない。だから自衛隊は軍隊ではない」この社会党的歴史観で部下に祖国を防衛させようと思っている指揮官こそ更迭に値する。何故なら、そもそもこの歴史観では祖国のために命を投げ出して戦えないからである。
この度の更迭であるが、航空幕僚長の思想傾向をチェックして内閣が決めた。ここで、ふと連想するのは、かつてのソビエト軍のなかの「政治将校」と言われる存在である。政治将校とは、部隊の指揮官達がスターリンの満足する思想を持っているか否かを監視するために政治から送り込まれる官僚のことである。部隊の指揮官達は、軍人としての能力ではなく、この政治将校のお眼鏡にかなうか否かで地位を得るか失うかがきまる。つまり、ごますりでなければ高級将校になれない。実に陰惨な組織を政治将校の思想チェックが作りあげていたのだ。
そこで、スターリンの政治将校と同様に、我が国では村山富市の政治将校が健在で、そのお眼鏡にかなうごますりでなければ高級自衛官を続けることができないとすれば、実に馬鹿馬鹿しい。これほどの国益喪失があろうか。我が国の「村山富市の政治将校」とは政党、マスコミ、文化人そしてむちゃくちゃな判決をする裁判官である。航空幕僚長更迭のニュースに接し、この通り憂慮する。 (了)
ーーーーーーーーーーーー
◎西村真悟通信 No.383 平成20年10月16日(木)
▼ これが「改革クラブ」、猶興の士を自負す
西 村 眞 悟
新しい政党である「改革クラブ」が立ち上がって二十二日が経った。麻生総理大臣を国会で首班指名した九月二十四日に誕生したのが「改革クラブ」だ。それから毎日、街頭でそして集会で、「改革クラブ」と私の目指すところについて、多くを語ってきた。今机の前に座る時間を得たので、次の通り、話した内容をまとめておきたい。まず、各所で話したことを項目別に要約すれば、次の通り。
(目的)
強く明るく活力ある、そして、誇り高き日本の再興を目指す
(その目的を達するために)
1、自主憲法の制定を目指す
2、自衛隊を改変して「国民の軍隊」(国軍)を創設する
3、北朝鮮に拉致された総ての国民を救出する
4、まじめに働く国民が報われる社会を建設する
5、家族を重んじ国民相互が助け合う福祉社会を建設する
6、日本人としての自信と誇りをもった青年を育てる為、教育を改革する
次に、昨日の集会で話したことを要約しておきたい。
1、今までの改革とは何を目指していたのか。
それは、政策新人類といわれた人達が脚光を浴び、続いて、小泉構造改革といわれた時代の改革である。その改革とは、グローバリゼイションを目指す改革であった。グローバリゼイションとは具体的にはアメリカ化である。つまりマネーゲーム大国アメリカの要求を受け入れることがこの時代の「改革」だった。郵政の民営化は、アメリカが張るマネーゲームの賭博場に我が国の郵貯の金を投げ入れることであった。また、この時代は、市場原理主義が支配して、国家ではなく市場が決めることが正しいとする時代である。国家の関与は悪であるとする風潮の時代である。従って、この時代に流行ったスローガンは、次の通りで、総て「国家」を否定するか敬遠する内容ではないか。例えば、「官から民」、「民営化」、「地方分権」そして「国から地方」など。これらは総て「国家」を疎んじて「国家」を否定するところを目指しているスローガンである。そして、このグローバル化と称する改革の時代は、アメリカの一極支配が終わると同時に過去のものとなった。しかし、この時代が我が国に遺した惨害は計り知れない。それ故か、その象徴的人物はさっさと引退するという。まさに、時流を観るに敏、あっぱれと言うべきか。
2、では、これから為すべき改革とは何か。
それはグローバル化の反対、つまり日本化への改革、日本再興への改革である。従って、我が国は、自主憲法を創設しなければならない。
また、国民の軍隊を保持しなければならない。同時に、教育を改革し、我が国の歴史と伝統に誇りと自信を持つ青年を育てねばならない。マネーゲーム的風潮から脱却して、農業を含むものつくりを基盤としたまじめに働くものが報われる明るい日本を目指さねばならない。この為に「改革クラブ」は誕生した。さらに、この「日本再興」への改革は、厳しさを増した世界情勢のなかで、今直ちに突き進まねばならない改革である。その世界情勢とは、アメリカの一国支配の終焉である。世界は多極化に向かっている。その中で、我が国は自立した一極を形成し自主独立の国家として存続しなければならない。
3、ソビエト崩壊後のアメリカの一極支配は、既に崩壊が明らかになった。サブプライムローンの破綻から来る現在の金融危機は、アメリカの依って立つカジノ経済の崩壊と自由市場主義というアメリカの理念の失墜という結果を見せつけている。さらにグルジアにおけるロシア軍の居座りは、二十世紀初頭の満州におけるロシア軍の居座りと同じであり、これにアメリカは手も足も出ない。これらは、経済的のみならず、軍事的、政治的にアメリカの一極支配の崩壊を見せつけている。さらに我々日本人は、同盟国の裏切りという形でアメリカ一極支配の終焉を見せつけられた。即ち、ブッシュ大統領による北朝鮮テロ国家指定解除である。北朝鮮は、日本人を数百名拉致して抑留している。それは、被害者を解放しない限り現在進行中のテロである。五年前、ブッシュ大統領は拉致をテロと認めた。しかし、この度、アメリカの同じ大統領は、同盟国日本の国民を拉致抑留している北朝鮮をテロ国家ではないと認定した。つまり、日本人を見捨てたのである。
4、小泉改革は、アメリカの一極支配を前提にした改革である。従って、日本のアメリカ化であった。しかし、世界が多極化へ動き始めた今、従来の惰性は許されない。我々は自信を持って日本という国家に立ち返らねばならない。本年に入り、韓国でも台湾でも新しい指導者が国民の多くの支持を集めて誕生した。しかし彼らが当選した直後から国民の期待は失望に変わって支持率は、選ばれた時の三分の一以下に落ちている。つまり、韓国と台湾の八割近い国民は自ら生み出した政治に失望して選挙における自らの行動を悔いている。台湾に続いて、我が国までもが、後で悔いが残る選挙結果を出せば、最も喜ぶのは、東アジアのヘゲモニーを握れる独裁国家中国である。「改革クラブ」は、このような結果を回避するために、国民への選択肢として第三極を目指して立ち上がった。今の二大政党制は一種の偽装であり幻想である。この偽装と幻想の元に煽られて二者択一の選挙をすれば、終わってから八割の国民に悔いが残る選挙となる。これは過渡期の一歩である。多くの同志は必ずいる。
王陽明 「抜本塞源論」末尾と「猶興の士」について
「夫の豪傑の士、待つところ無くして興る者に非ずんば、吾誰と與にか望まんや」
「彼の豪傑の士のごときは、文王出でずんと言えども猶興る」
(我が国の現状に当てはめての意訳)
大勢の仲間が集まったときに始めるのは誰でもする。その大勢が集まるのを待たない少数の時にでも猶興る者でなければ、ともに難局に当たることはできない) (了)