人権を無視するチュウゴクでは人権問題などは存在しないので、受賞者にチュゴク反発「サハロフ賞」
【明解要解】受賞者に中国反発「サハロフ賞」とは? (1/2ページ)
■「人権が平和保障」博士の遺志を継ぐ
優れた人権擁護活動を顕彰する欧州議会の第21回「サハロフ賞」が中国の人権活動家、胡佳氏=国家政権転覆扇動罪などで服役中=に授与されることになり、中国が「内政干渉だ」と反発している。旧ソ連の反体制核物理学者、アンドレイ・サハロフ博士(1921~89年)にちなんだこの賞は、博士のどんな志を継ごうとしているのか。(モスクワ 遠藤良介)
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胡氏は環境保護やエイズウイルス(HIV)感染者の権利擁護活動で知られ、昨年11月に欧州議会の公聴会に電話で証言したことから拘束された。中国は胡氏への授賞が「欧州連合(EU)との関係に重大な影響を与える」などと圧力をかけたものの、欧州議会は「胡氏への授賞は賞の精神そのものを反映している」と強い姿勢を示した。
サハロフ賞はソ連末期の88年、博士の同意を得たうえで創設された。これまでに南アフリカの黒人解放運動指導者、ネルソン・マンデラ氏(88年)▽ミャンマーの民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チーさん(90年)▽東ティモールの独立運動指導者、シャナナ・グスマン氏(99年)-らが受賞している。
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かつて、サハロフ氏の西側での代理人を務めたヤンケレビッチ氏(58)は「サハロフ・ドクトリン(教義)の中心にあったのは平和、国際安全保障と人権尊重が不可分であり、人権こそが平和を保障する共通の価値になり得るということだ。サハロフ氏は人権を尊重させるためには外国の圧力が必要だとも考えていた」と指摘。「サハロフ賞は人権の概念を世界に浸透させるのに大きな役割を果たしてきた」と話す。
サハロフ氏は若くして核兵器開発に大きな役割を果たし、旧ソ連で「水爆の父」と呼ばれた。他方、56年以降は大気汚染を懸念して核実験に反対する発言を始め、68年には地下出版で広がった論文が西側で公刊されて機密研究から外された。
当局の圧力下でも執筆活動を続けて75年にはノーベル平和賞を受けたが、80~86年には閉鎖都市、ゴーリキー(現ニジニノブゴロド)での追放生活を余儀なくされている。
ある時期からサハロフ氏が、核開発に携わった自らの責任を自覚し、核戦争の回避と東西世界の緊張緩和というテーマを自らに課したことは疑いがない。人権を尊重しない国がたやすく人や科学技術を戦争に投じうることを批判し、軍縮や、資本主義と社会主義との接近・融合を訴えた。
ただ、80年代後半のペレストロイカ(再建)でその主張の一部が実現するかに見えたのもつかの間、ソ連は一気に瓦解の道を歩み、ロシアにはサハロフ氏の理想からほど遠い社会が生まれた。
サハロフ氏が思い描いた社会の実現には、まだ相当の時間が必要なことも事実である。
http://sankei.jp.msn.com/world/china/081104/chn0811040758000-n1.htm