頂門の一針 | 日本のお姉さん

頂門の一針

11・30総選挙がなければ越年か
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花岡 信昭

政治の世界の展開はなんとも速い。ちょっと前までは「10月3日解散、26日総選挙」が既成事実のように言われていた。その通りだったら、今ごろは選挙戦に突入していたことになるのだが、そんな予測など忘れ去られてしまった。
現憲法下の衆院解散は、1948年12月、吉田政権下の「馴れ合い解散」から2005年8月、小泉政権の「郵政解散」まで20回ある。60年間に20回だから、平均すれば3年ごとになる。
ということからしても、「解散近し」は確実なのだろうが、ここへきて事情はだいぶ変わってきたようだ。

麻生太郎首相が月刊誌「文藝春秋」11月号への寄稿で明らかにしたように、政権発足直後の解散を模索していたのは事実だった。この「文藝春秋」の発売は10月10日だが、原稿の最終締め切りは半月前の9月25日だから、政権発足(24日)の翌日段階での心境を踏まえたものだ。
だが、自民党総裁選での圧勝をテコに、ご祝儀感が残っているうちに解散、総選挙を断行するという当初のシナリオは修正を余儀なくされた。政権発足直後の世論調査の支持率が50%前後で、予期していたよりも10ポイントほど低かったのが最大の要因だ。

自民党側は解散の先送りをもくろみ、民主党側が早期解散を引き出すべく攻防戦を展開している。自民党にとっては「100年に1度」といわれる世界金融危機が解散先送りの「追い風」となった。
「世界経済に責任を持つべき日本が、国内事情で選挙をやり、政治空白を生み出すべきではない」というのは、格好の言い訳になる。
それでは、解散、総選挙はいつになるのか。解散は首相の専権事項であって、だれも予想しない段階で断行するのが与党側にとっては望ましいことになる。「死んだふり解散」などというのもあった。越年か、と思わせておいて一気に踏み出すというのも戦法のうちだ。

☆麻生政権の「正統性」を問う いくつかの主張

「安倍、福田、麻生と3代続けて国民の信を問うていない」という主張があるが、これは一見、民主主義的に見えるものの、必ずしもそうとはいえない。
現憲法の規定によれば、政権は衆院がつくるものだ。首相指名選挙は衆院の議決が優先される。したがって、衆院で多数を占めた勢力が政権を維持していくことに法的瑕疵はない。
55年体制以後、自民党総裁が首相になることがほとんどだったため、一般にはあまり意識されていないが、総裁の任期や選出方法は自民党の党則で決められている。首相の交代(つまり、総裁の交代)は自民党の内部事情によっていかようにも許される。
これは民主党でも同じだ。仮に次期総選挙で民主党が政権を奪取した場合、首相となる小沢一郎代表の任期は民主党の内規によって「2年後の9月まで」となっているから、党内事情によっては代表交代(首相交代)もあり得ない話ではない。
つまりは、日本の議院内閣制のシステムは、首相をだれが務めるか、政権党の内規が左右するのである。「3代続けて国民の信を得ていない」というのは、政治的な主張としては分かるが、日本の政治システムはそれを許容してきたのである。前回総選挙で有権者は自民党に政権を託したのであって、微妙な言い方になるが、そのときの総裁を政権担当者として選んだのではない。

民主党が勝った場合も、小沢氏ではなく別の党幹部が首相になるのではないかなどと言われた段階があった。現在では小沢氏自身が「オレがやる」と明言しているから、これで晴れて「自民が勝てば麻生政権継続、民主が勝てば小沢政権誕生」というかたちで、日本政治初の「政権選択選挙」と定義されるようになったのである。

「直近の民意は昨年の参院選にある」という言い方もされるが、これも、政治的主張であって、参院選の結果がどうであろうとも衆院の多数派が政権を維持するのは、なんらおかしなことではない。そうした意味では、衆参ねじれ構造が現出して以来、1年以上も自民党はよく踏ん張った、という見方もできないわけではない。

以上は日本の議会制民主主義の法的規定や実態を踏まえたうえでの(小沢氏の好む表現を借りれば)「原理原則」である。だから、麻生政権には「正統性」(レジティマシー)が欠けるといった議論は、一方に偏した政治的攻撃としては分かるものの、フェアーとはいえない

☆いざ総選挙となった場合の情勢は混沌

以上を踏まえて、現実の情勢に戻ろう。ここまできたら、年内解散があるとすれば、11月16、23、30日のいずれかというのが常識的な見方だ。16日は仏滅であり、23日は翌24日と連休になるのでどんなものか、といった話が永田町では飛び交っている。もっとも自民党や公明党にとっては、連休のほうが低投票率となるから好都合、という見方もある。
11月30日を逃してしまうと、来年度予算の年内編成が窮屈になる。金融危機に対応するためにも、予算の越年編成は避けたいところだ。そこまでいってしまうと、解散越年の可能性が高くなる。


公明党は来年7月の東京都議選との切り離しを求めている。全国規模の動員態勢を組むから、総選挙との間隔を空けないと都議選に集中できなくなるためだ。1月解散、総選挙なら、公明党もぎりぎりで許容するはずである。

麻生首相にとっては、年金記録の改ざん事件、事故米汚染問題、中山成彬国土交通相の「失言」による事実上の更迭、北朝鮮に対する米政府のテロ支援国家指定解除‥‥など、マイナス要因が続いている。いずれも、解散先送りを後押しするものだ。
民主党は攻勢一方なのかというと、実態はそうでもない。民主党側にもマイナス要因が相次いでいる。

政府提出の補正予算案への賛否を小沢一郎代表に一任し(本来は党の最高意思決定機関である常任幹事会が決めるべきものだ)、その鶴の一声であっさりと賛成に回った。あれほど大騒ぎしたガソリン税の暫定税率失効による地方財源の補てん策も容認した。

インド洋での海上自衛隊の補給支援継続も事実上、容認する。昨年は「憲法違反だ」と断じて徹底的に抵抗し、派遣期限切れ、補給艦の一時帰国という事態を招いたのだが、このひょう変ぶりを支持層はどう見るか。

解散に追い込むためにはなんでもあり、というのはいかにも小沢氏らしいところだが、衆参ねじれ構造をもっぱら「政略」に利用してきたこの1年余りの基本姿勢の延長として映りはしないか。麻生首相はそこをつついて、空席のままとなっている日銀副総裁人事まで持ち出し、決着をつけたい構えだ。

まさに「麻生自民 vs.小沢民主」の神経戦なのだが、いざ総選挙となった場合の情勢は混沌としている。各メディアの予測も民主圧勝から自民が踏ん張るという読みまで、さまざまだ。

以前のコラムでも書いたが、480議席のうち、公明30、共産・社民・国民新党そのほかで30と見れば、420議席を自民、民主で争うというのが基本構図だ。拮抗した場合、それぞれ210議席が基礎となる。
この構図になれば、自公与党はかろうじて過半数ラインに達する。これに平沼赳夫氏のグループ、国民新党、改革クラブなど、本来は自民寄りと見られている部分が加われば、自民優位はさらに確実なものとなる。自公与党も民主党も過半数に達しない場合、互いに相手側に手を突っ込んでの多数派工作が展開されるだろう。それが政界再編の序章となる。

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不況は1年以上にわたる
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
    平成20年(2008年)10月18日(土曜日) 
         通巻第2350号  

 景気回復を占う重要指標は米国の住宅ファクター
   それでも9秒に1人の新移民は住宅を欲しがる

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底値がまったく見えない。

おそらく2009年一杯、景気回復の兆候は見えないだろう。不況は1年以上にわたり、したがって対米輸出依存度が高い中国の経済破綻は、これから。対中輸出で潤った日本の優良企業の株価が、軒並み暴落気味な主因はこれである。
サブプライム危機は米国の住宅から始まった。

住宅ローンを支払えず、やむなく銀行に鍵を返し、トレーラー生活もしくは安いアパートへ移るかホームレスとなる。
 住宅地にズラーリ、「VACANT」の看板が目立つ。アリゾナ、フロリダ、カリフォルニア南部といった、アメリカン・ドリームの体現者達の別荘が建ち並ぶリゾート地でさえ、空室が顕著である。

一方で買い手の減少も顕著だ。

値下がりを狙って、いま、購入に走る人は少ない。極端に少ない。だからカリフォルニア南部のような移民のメッカですら、不動産関連企業、デベロッパーの倒産が続出している。

さらに悪い条件は、失業の増大、賃金カット、住宅ローンの金利高。だから、いまのところ9秒に1人の割合で需要に結びつく新移民の流入があるといっても、基本の収入が不足し、金利が高くなり過ぎ(6・06%から6・75%へ)、景気悪化は将来の収入予測が立たない。

「全米平均で08年6月の空室率は2・8%だったが、いまや10%である。この間、失業率は4・4%から6・1%に跳ね上がり、加えて原油高によるインフレが襲った」(ヘラルドトリビューン、10月17日付け)。
 
10月17日に発表された米国の住宅着工率は前年同期比で7%前後のダウンとなった。先行きは、まだまだ暗い。
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(読者の声1)貴誌昨日付けの「中国地方銀行に不良債権の荒波」に関してですが、このサブプタライム問題から始まる危機はユダヤ(国際金融資本家)問題抜きでは、全体像を理解出来ないと思っていますが? 私は此れは詐欺だと思います。
宮崎先生の、ユダヤ問題の見解をお聞きしたいと思っています。
   (KD生)

(宮崎正弘のコメント)詐欺というのも語彙のなかで比喩として適切か、どうかは別として、錬金術の一種がデリバティブであり、それはアメリカでは合法であり、そして、独創的思考に強いユダヤ人が得意の分野であった。
それらが「事実」です。

ですからウォール街は「金融工学」が発明した新・錬金術に振り回され、大げさに言えば町を挙げて「エンロン」詐欺を結果的にやっていたんじゃないの、といわれても理論的反論は難しいでしょう。
嘗てM&Aで、次々と新しい手段が発明されたときも、まっさきに挑戦した多くはユダヤ人でした。ジャンク債を発明してマイケル・ミルケンも、インサイダー取引で大もうけしたアイバン・ボウスキーも。
近年の金融工学で、デリバティブ商法を多く展開したリーマンも、ゴールドマンサックスも、前会長はユダヤ人でした。
が、これらは「事実」であっても、「点」と「点」の話であり、裏のつながりはありません。

リーマンは倒産しましたが、ゴールドマンは生き残り、ましてや後者と一緒になるモルガンは銀行の王者、WASPであって、ユダヤとは無縁です。

そもそも「ウォール街」の発足時、比喩された「ウォール(壁)」は、ユダヤ人を中へ入れないための「壁」だったのです。

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(読者の声2)昨日付けコメントですが、日本兵がたてた立派な建物は、ウズベキスタンのものほど豪華ではありませんが、タジキスタンにもあります。

http://www.tcp-ip.or.jp/~hatam/Tadjkistan/tadjkistan02.html
   (ST生、神奈川)

(宮崎正弘のコメント)どなたかのブログの写真ですね。ペンジケント(現地読みはペンジカットですか?)に小生は、サマルカンドからバスで入ったことがあります。

この写真の大半、タジキスタンへ行った折に見ました。ペンジケントでは拝火教の神殿跡が印象的な上、琥珀があまりにも安かったので(ロシア・ルーブルが暴落したときです)、数珠を買った記憶が甦りました。

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国民に毒米食わせる奴ばら
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山堂コラム 238

好物だった鰻を食べなくなって久しい。鰻が不味くなったからだ。市販の鰻が輸入ものになったころから。売ってるものも鰻屋で食う鰻も、形こそ蒲焼の鰻。だが味は支那のナマズか台湾のドンコ。いやいや、金魚に与える飼料用魚粉を練り固めたもの―――多分、飼料の塊そのものなのだ。以来、どんなに安くてもオラ鰻は食わない。

ピーナツも「南京豆」というくらいだから中国産が上かと思ったらこれが不味い。値段は千葉産の半分なので買って食ったが、南京豆どころか乾燥させた南京虫だで。

JTがチャンに作らせて輸入したギョーザに農薬が混入していた。新聞・テレビは大騒ぎ。「犯人はあっちかこっちか」「チャン政府は揉み手・捜査当局は居丈高」連日煽りたてる。

TVニュースも新聞紙面も「発足したばかりの福田康夫内閣最大の国際問題」「対中弱腰外交、屁っぴり腰」・・・「洞爺湖サミット・北京五輪のためご配慮」「中国からの情報握りつぶし」云々。挙句の果ては
「福田辞めろ、辞めろ」の大合唱。

康っさんそれで政権投げ出したが、そのあとも止まらぬ食品の、メラミン入りの牛乳や、農薬入りのインゲン豆。だいたいやり玉にあがるのは、中国産と決まってて、韓国・朝鮮の魚介類や米国産の果物は、ほとんど問題にせず、報道もせず。そう、北朝鮮ならば「拉致」以外のことはニュースにせず。

そもそも食品のほとんどを、外国からの輸入もの。穀物ならば米国産、野菜副食品なら中国産、その他も外国に依存して、やがては毒米食わされる。そのような日本の食卓を、つくったる元凶はわが国の、農政あずかる連中で、堕落したる政治家と腐敗したる役人ら。

海の幸豊かな諫早湾。膨大な税金投入して、ギロチン堤防でぶっ潰し、「ムツゴロウ殺したこの干拓地でコメつくる」だと・・・舌の根も乾かぬその口で、秋田や岩手の農民には「減反減反、コメつくるな。農地潰せ」―――

オラの田舎の田圃には、水田切り裂く4車線。高速ハイウェイ顔負けの「農道」ドーンと完成し、ゼネコンたっぷり儲けたる。その「農道」を1日に、行き交う車は疎(まば)らにて、咥えたばこのジッちゃんが、
耕運機でトコトコ走ってる。
ジッちゃんばかりの農村の、年ごとの農業後継者。その数よりも農水省、出先含めた数ならば、役人の方が多いという。こんなアホな国世界中、どこかにもしもあるならば、ぜひご教示を願いたい。

農村どんどん疲弊して、自民党支えた保守層が、だんだん萎(しぼ)む現実は、農業の危機であるにせよ、攻める野党には好都合。
食糧の確保や国土保全、そんな本質ご本尊。見て見ぬふりの度外視で、農政めぐる国会の、論争は農水大臣の、揚げ足取りかスキャンダル。
もっぱら還元水に絆創膏、「やかましい」発言などの重箱を、楊枝で突つくみみっちさ。いくら大臣イビッたり、その首級をあげたとて、農村豊かになる当ての、まったくキャンノット国民の、腹の足しにもなりは
せぬ。不味い鰻もそのまんま。(了)

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毛沢東の銃口「八路軍」
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渡部 亮次郎

「革命は銃口から生まれる」といった毛沢東。彼が共産中国を実現するためには「軍」が不可欠だった。今や列強を脅かす中華人民共和国。その先頭に立つ人民解放軍だが、その始まりは毛沢東の尖兵としてのゲリラ隊「八路軍」(はちろぐん[パーロとも呼んだ])だった。

正確には現在の人民解放軍の前身のひとつ。中国工農紅軍を改変した軍隊組織であったというのが正確だろう。
毛が戦う相手は政府としての蒋介石の「国民党軍」と蒋にとっての「侵略者」としての日本陸軍。そのための「銃口」としてはどうしても「軍」を組織する必要に迫られていた。
だから共通の敵たる日本軍に対して国民党と共産党が一時的にしろ手を
結ぶ国共合作が時々出来たわけ。

毛沢東は自らの人民戦争理論にしたがい「点化した敵軍を、人民の海の中に埋葬させる」戦術を考えた。「人海戦術」がそれである。

共産党は積極的に各地に共産党を広める浸透工作を行なった。共産党に好意的、または恐怖で屈服する村落、都市を増加させるのである。その結果共産党勢力は草の根的に増殖し、遊撃兵力を各地に展開させるのも容易になった。

実際、八路軍の活躍はめざましく、攻めて来た日本軍の将兵にとって大きな脅威となった。但し、戦後多くの人々に信じられた「八路軍によって日本軍が敗れ去った」という話は嘘である。

あれは共産中国を無条件に礼賛していたいわゆる左翼文化人の過大な宣伝によるもので、実際に日本軍師団長に「敵(八路軍)より味方の方が被害が多い」と証言しており、国民党軍による被害が大きかった。

八路軍のゲリラ活動は、むしろ日本軍撤退後の国共内戦において国民党軍を撃破する際には更に大きな力を発揮した。

当初組織された共産党軍(紅軍)は、秋収蜂起を戦った毛沢東指揮下の中国工農紅軍と南昌蜂起で決起した朱徳翼下の紅軍が井崗山で合流し、中国工農革命紅軍第四軍となり、後に中国工農紅軍第四軍となった。第四軍はその後江西省瑞金の中華ソビエト解放区に本拠を置いたが、5回にわたる国民党軍の包囲攻撃にあい、根拠地を放棄する(長征)。

この結果、根拠地を江西省から陝西省に移動した中国工農紅軍は、西北紅軍と共同戦線を展開し、東進して山西省を伺う情勢にあった。

このような情勢下、西安事件(1936年12月12日に西安で起きた、張学良・楊虎城らによる蒋介石監禁事件)を受けて第2次国共合作が実現するや、1937年8月25日に中国工農紅軍と西北紅軍はともに解散し、新たに中国国民革命軍第八路軍と改組され、一般に「八路軍」と呼ばれることになる。

同時に中国南方地域では「紅軍」は中国革命軍新篇第四軍、或いは陸軍新篇第四軍と呼ばれる組織に改変され、一般に「新四軍」と呼ばれることになる。

1947年に第2次国共合作が崩壊すると、八路軍は新四軍とともに中国人民解放軍に編入された。

八路軍は主に日本陸軍占領地域の後方攪乱とゲリラ戦を担当した。1940年8月から華北において百団大戦という鉄道や炭鉱に対する大規模なゲリラ攻勢を行い、日本軍を一時的に混乱させたが、日本軍の本格的な攻勢が始まると忽ち一掃された。

八路軍はゲリラ戦を主に担当していたことから、正確な戦果は把握できないが、1944年までの戦果報告によると作戦行動は7万4000回、敵兵(日本兵及び満州国軍兵)79万人を殲滅したと主張している。

しかし日本軍の記録によれば日本側の損害はこれよりは少ないが八路軍より味方(日本軍)の損害の方が多いとある。また、兵力は1945年8月段階で80万を超える規模に達していた。

総指揮官:朱徳  副総指揮官:彭徳懐  正規師団:第115師団・第120師団・第129師団が存在したが、民兵組織も多数参加したらしい。

民衆に根ざした八路軍は兵站の確保も容易であると共に、一般市民に紛れ、攻撃は神出鬼没のゲリラ戦を行った。しかし、八路軍に戦況を左右するだけの力はなかった。また、日本軍と同盟関係にあった南京政府側の民衆組織「新民会」等が同様の民衆工作に取り組み、八路軍に対抗し
ていた。

国民党軍(重慶政府軍)はアメリカからの援助により装備は優れていたものの、兵力温存を図り日本軍との正面決戦を避ける傾向があり、弱兵として日本軍に侮られた。背中に傘を背負っていた。

一方、地域によっては国民党軍がむしろ八路軍を弾圧、あるいは八路軍に対して積極攻勢に出る場合もあった(百団大戦直後の1940年10月にも重慶政府軍は八路・新四軍へ大規模な攻撃を行っている)。

国民党軍が兵力温存を図ったのは、抗日戦勝利後の共産党との決戦に備えたものであるが、この戦略は完全に裏目に出てしまう。

抗日戦で果敢に日本軍と戦った八路軍が特に華北を中心に民衆の支持を集めたのに対し、国民党軍は民衆と完全に乖離してしまった。

また国民党を援助していたアメリカも、国民党の態度に不審を覚え、むしろ八路軍に好意を抱く事となった(アメリカ陸軍から派遣されていたジョセフ・スチルウェル中将の解任もこれが原因)。

結果的に八路軍(=人民解放軍)はその後の中国革命戦争(国共内戦)において大衆の支持を集め、中華人民共和国政府の樹立に貢献した。

八路軍に降った日本軍将兵はソ連赤軍に降った将兵と比較すると内地帰還・収容所待遇などに厚遇を受けたため、八路軍に対しては好意的な意識を持つ旧日本軍将兵は少なくない。

但し特殊技能を持つ旧日本軍将兵(航空機・戦車等の機動兵器、医療関係)は永く留め置かれ、帰国が遅れた者も少なくない。
八路軍将兵に対しては「三大紀律八項注意」という規則があったが実際に守られていたかは疑義が残る。
また占領地で「富農」と認定した、地主をはじめある程度の土地や家畜を持つ自作農を人民裁判にかけ、処刑を行った。
これは八路軍の力を見せつけて住民に恐怖心を抱かせるものであり、国共内戦時には、中国住民の虐殺事件を起こしており、八路軍に対する否定的側面として語られるものである。
ただし、このような残虐行為は地域内の貧者の嫉妬心・復讐心を満たす事になり、かえって大衆の支持を集める事に貢献した。

第2次世界大戦後、八路軍に拘束された日本人軍人が、逆さ吊りの上に4斗(72リットル)程度の水を飲ませる水責め、600発以上を超える全身殴打などに遭った。
坐らせて足と手を一緒にして縛って、これに太い梶棒を入れて吊るし上げる等の拷問を約15日加えられた上、「民主裁判」にかけて死刑宣告を受け、八路軍への協力を強要された事件
も、被害者自身の口から衆議院で生々しく語られた[昭和25年3月31日の衆議院海外同胞引揚に関する特別委員会における山田勝治参考人の証言]。2008・09・30
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』