安心の街(1)(2)(国民年金の花柳な生活)
安心の街(1)(国民年金の花柳な生活)
http://www5.diary.ne.jp/i_log.cgi?user=514369&log=200810&start=3
貧富の差が日毎に鮮明になっていく今日この頃だが、とうとう安全を金で買う時代になってしまった様だ。新聞にはゲーッテド・コミュニティ(要塞の街)の様子を伝える記事が載っている。
《敷地は甲子園球場のグランドの1.5倍。外周は高さ約2メートルのフェンスと赤外線センサー、監視カメラ数十台に守られ、正面ゲートの脇では数人の警備員が24時間態勢で目を光らせている。(朝日)》
《「安全を買ったわけですよ。自分の身は自分で守る時代ですから」 訪ねた邸宅で、ソファに腰掛けた中年の男性はこう話し、窓の外に目をやった。》《ゲーテッドは富裕層だけのものではない。JR岐阜駅から車で5分ほどの長良川沿いにあるマザー・ヴィレッジ岐阜。高さ2~3メートルのフェンスと塀に囲まれ‥‥》
《言葉は悪いけど、少々高いことで住民がふるいにかけられ、それが街のクォリティーになる。5世帯程度なら孤立感もあるだろうけど、此処の規模なら大丈夫‥‥》
安全なのは良いが、そこまでしなければ、もう日本の安全は機能しないのだろうか。安全のコストによってそのグレードも違う訳だ。そうなると金持ちは安全だが貧乏人は絶えず危険に晒される構図が日本にも定着する事になる。
これで日本社会の安全面もようやく世界の国々と肩を並べられる様になる訳で、グローバル化のお好きな人は喜ぶかもしれないが大部分の国民はお断りだと思う。
安心の街(2)(国民年金の花柳な生活)
http://www5.diary.ne.jp/i_log.cgi?user=514369&log=200810&start=4
戦前、大都会には「貧民窟」と呼ばれる一角があった。難しい言葉を使っているがスラム街と言った方が分かり易いかも知れない。戦後も半世紀くらい前にはそういう所があちこちにあった。何しろ、新婚さんが4畳半一間のアパートに住めたら幸せと言われた時代である。
私も職業上そういう所に出張する機会が度々あり、最初はその狭さと汚さに辟易した。しかし、今考えるとそこで殺人事件はおろか傷害事件があったという話など聞いた事がなかった。私の職業はテレビのサービスマンで、ホンダドリーム号に乗っていたが、車は何時も路上にキーを着けたまま止めていた。
細い路地の奥のその又奥などという家が多いので、自然にそうなる。時には修理用具の一部を車に残しておく事もあったが、ただの一度も物を盗られた事はない。貧しかったが住民の品格は高かったのだ。
それから10年ばかり経って日本も世界第2の経済大国と呼ばれる様になった頃、今から40年ばかり前だが、会社の同僚と三方五湖を遊覧した事がある。私はカメラ一式を入れたバッグを持って行ったが、公園のベンチにそれを置いたまま遊覧船に乗ってしまった。首には標準レンズ付きのニコンFをぶら下げていたが、バッグにはもう一台のニコンFと交換レンズ2本が入っている。それだけで25,6万円(当時)の品物だったから流石にこの時は慌てた。
しかし2時間の遊覧を終えて帰って見るとバッグはそのままの姿でベンチの上にあった。こういう話は以前は寧ろ当たり前だった。それが当たり前でなくなったのは何時頃からだろうか。盗難どころか殺人さへ珍しくなくなってしまったのだ。
警備に金をかけてもそれを更に破る者が必ず出て来る。同じ金をかけるなら幼児の時代から道徳教育を徹底させる様に金を使った方が良い。時間は掛かるが子供の時から徹底した教育をしなければ根本的な解決にはならない。「囲い込み」方式は費用は際限なくエスカレートし、効果は上がらず、差別意識だけが強くなる。
又、人口減少の対策として安い労働力の移入が目論まれている様だが、差別を助長させるだけの愚かな施策だ。日本には手が余っているではないか。ネットカフェやビデオルームに行けばゴロゴロしている。彼等を人並みの待遇で雇用すれば埋もれた人材を掘り起こす事にもなる。
~~~~~~~~~~~
街を塀で囲むなんて、昔のヨーロッパや昔のチュウゴクみたい。
でも、三流国から移民を受け入れると、日本の安全も三流国
並みになるのが当たり前。