頂門の一針 | 日本のお姉さん

頂門の一針

祝 ノーベル賞受賞
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MoMotarou

1974年(昭和49年)佐藤栄作元首相 ノーベル平和賞受賞。
受賞理由が思い出すことが出来ない受賞でした。其の後2000年に金大中元韓国大統領が受賞しました。これも今となっては、何の役に立っているのかわからない不思議な受賞でした。これに比べれば今回の日本人3人の選考理由は明確であります。ノーベル賞も一等二等三等があるようです。

■中国や朝鮮とは違う

やはり歴代日本の中でピカイチなのは1949年(昭和24年)の湯川秀樹博士でしょう。戦後間もなく、未だ日本が独立をしていない(サンフランシスコ条約・昭和26年)占領下のことですから素晴らしいです。

物理学の「中間子理論」で選ばれたわけですが、当時の日本の科学力が欧米に比べ劣っていなかった証拠でしょう。三千年の歴史を威張っておる中国が、未だにノーベル賞を1個も持っていないことに比べると、我国の凄さがわかります。

韓国のある学者が、日本が科学分野で受賞するのは日本語で勉強するからだと書いておりました。あちらの国では大学では英語で学習するそうです。効率が良いからとか。

■日本人に独自性がある

ノーベル賞は独創的な研究が評価されるのですから、日本人に独創性がないなどという、卑下する進歩的知識人・業界人達の言葉は誤りでしょう。1994年の大江健三郎の文学賞は、独創的自虐思想が評価されたのではないでしょうか。(笑)

■「黒い大きな波」

この度の3から4個の受賞は沈んだ気分を吹き飛ばす効果があったでしょうか。折りしも世界は米国発のサブプライム・ローン破綻で「底なし」の状況を見せてきました。

1853年、あの時の「黒い船」に見事対応した結果が、近代日本を作ったのでした。今回の「黒い大きな波(Big Wave)」も乗り越えましょう。

江戸や明治に出来たことが平成に出来ないわけがありません。

わが秋津島(日本国の異称)には、まだまだ凄い力が潜んでおります。目覚めよニッポン!さらば河野洋平!

どうも米国は北朝鮮の「テロ」指定を解除したようです「当て」にはなりませんな。

 *「外務官僚の背骨」渡部亮次郎 -ハンディキャップ国家論
  http://momotarou100.iza.ne.jp/blog/entry/485200

 *防衛省OB太田述正ブログ
 「アングロサクソン文明と軍事研究」
  http://blog.ohtan.net/

 お勧めサイト
 ・「日本外交の敗北 花岡信昭」 杜父魚(かじか)文庫ブログ
  http://blog.kajika.net/?eid=883120

 ・「国民自重の心」小泉信三
  http://momotarou100.iza.ne.jp/blog/entry/470460/

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「和」の心が世界を救う
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平井 修一

「平均年収4000万円を約束 リーマン社員慰留に躍起の野村」という記
事を興味深く読んだ。さすが「ハゲタカ」だ。堅気の商売ではない。
ハゲタカばかりでなく、米国の経営者の報酬は世界のトップクラスだろう。ヒト、モノ、カネが自由に羽ばたくのをよしとするのが米国式の資本主義で、優秀な経営者は引っ張りだこだから巨額の報酬で引き止めるしかないのだという。

<私たちが変えようようとしたのは上層部だ。会社を変えようとするなら、まず頭から変えないといけない。倒産寸前の会社で、ろくに仕事もせずに高い給料をもらっていた人たちが、ある日突然、会社をよくするために猛然と働き出すことはない。・・・

辞めていった経営幹部を補充するために、高額の報酬を用意した。1994年、ユナイテッド航空から魅力的な誘いがあったとき、コンチネンタルが私を引き止めるために大金を用意したのと同じである。・・・
来てもらった後は、もちろん逃がさないようにしなくてはいけない。コンチネンタルの経営幹部には毎日のようにヘッドハンターから電話がかかってくる。
ある管理職は、少なくとも週2回、引き抜きの打診があると打ち明けた。
しかし、甘い誘いに応じるものはいなかった。コンチネンタルで得ているものと同じものを与えてくれる会社など、どこにもありはしないからだ>(ゴードン・ベスーン「大逆転!」)
100億円の利益をあげてくれる人材なら年俸10億円プラス成功報酬で50億円出しましょうというのが米国式で、優秀な人は報酬次第でライバル会社へ移籍してしまう。日本とは異なる経営風土だ。

トヨタの副社長が日産の社長になれば、「奴には愛社精神がなかった、金で転んだ」なんて言われ、業界のパーティで後ろ指をさされかねない。「立って一畳、寝て半畳。報酬よりも大事なものがあるんです」なんていう思いを日本の経営者は心のどこかにもっている。

暴力的で野蛮とは言わないが、いささか乱暴な米国式資本主義とは明らかに異なる日本式があり、GMの凋落を見ればどちらが正解だったかは明らかだろう。

税金投入で倒産を免れたAIGが代理店対象の豪遊旅行をして非難をあびた。インセンティブツアー(報奨旅行)というもので、毎年、優秀な成績をあげた人を招待し、名誉を表する。
トップクラスの人は高額の報酬、ファーストクラス、リムジン、スイートルームを用意され、それに続く人々は「来年こそ自分がスポットライトを浴びよう」と決意を新たにするのだ。
日本ではIBMやアムウェイなど外資系が定期的に実施しているが、日本企業にはどうも根付かなかったようだ。
アメリカンドリームを体現した勝ち組は雲上人のように我が世の春を誇り、負け組みはマイホームから追い出される式の格差社会は、「和」を大切にする日本人の体質に合わないのだろう。小生はそれを誇らしく思う。勝った人は奢らずに清廉に暮らし、負けた人、弱者もそれなりに楽しく過ごせるという日本式が世界の範、標準になれば、世界ははるかに暮らしやすくなりはしまいか。命懸けで欧米の植民地支配を粉砕した日本なら、それも可能だろうと期待したい。

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かくも面倒な外国語の習得
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前田 正晶

1970年に初めて韓国に行ってから、全く韓国語が分からないのでは何かと不便であり、何処に行っても看板も何も全てハングル表記ではどうにもならないと気が付きました。
その頃の取引先の人たちは全て日本統治時代の育ちで、日本語だけで十分こと足りていました。だが、それでは韓国人同士で韓国語で話されると話の流れの感触が掴めないと知りました。
それでは駄目だとばかりに、ハングルの読み方や「手洗いは何処ですか」等の簡単な表現を教えて貰いました。韓国語では最早漢字がほとんど使われなくなりましたが、当時は漢字交じり文も多く、ハングルも少しは読めるようになりました。換言すれば「漢字」の韓国語読みを覚えれば、かなり解る言葉が増えてくるのです。
1971年の2度目の出張の前には、簡単な「韓国語会話」の本も買って勉強してみました。結果として身に付いたのは、一方通行でこちらが言いたいことは言えるだけの能力でした。
それだけでも「お主やるではないか」などと韓国語で流れるように返事をされてはサッパリ何のことやらという程度の能力です。
だが、これでは4チャンネルの「笑点」の大喜利に出ている何とか言う独身の噺家の得意の台詞「それじゃ駄目じゃん」です。それでも私はめげずに片道会話の持ちネタを増やしていきました。
その理由は「韓国に行って何が何でも韓国で話そうとする努力を、韓国の人は予想以上に喜んで有り難がってくれて、好意的になってくれるからです。
特に買い物をする際には「解ること」を見せておくのは有効なのです。
これはアメリカ人が妙な片言の日本語というか、いわば単語を並べただけでも、話そうとすると日本側が「日本語がお上手ですね」等と言って持て囃すのと何処か似ているのです。
韓国人は言います。「韓国語を話そうとする日本人は非常に少ない。貴方は珍しい」と。何故か英語の習得には熱心でも、韓国語を勉強しようとする人の数は比較的には少ないようです。
私は何も好意を持って貰うことが狙いではありませんが、生来のおっちょこちょいで「英語の他にもう1つ少し解る外国語があっても良いかな」と考えた次第です。
確かに、タクシーや地下鉄に乗って思うところに行けるし、料理の注文や勘定を払うこともできるし、道や手洗いの場所を尋ねることも出来るし、買い物に行っても値段を聞き出して値切ることくらいは言えます。それ以上の「会話」は日本語世代としか成り立ちませんし、それ以外の世代とは英語が必要です。
だが、こういう外国語の習得法は、自分で常日頃英語を勉強したいと言われる方に絶対お勧めしないものでした。それを自分自身が実践してみて「如何に役に立たないか」を立証することはできましたが。良かった点はただ一つ。何度も何度も「発音が良いですね。韓国の先生について勉強しましたか」と褒めて貰えるような「発音」だけ。
であるからこそ、合計1970年から2004年までに5回行ってきても、何ら進歩することなく時が過ぎただけでした。外国語の習得というものは、かくも面倒なことのようです。以上

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話 の 福 袋
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 ◎「三好市」名乗れるか三好町 先行する徳島県の市長が反対

【愛知県】2010年1月の市制施行を目指す三好町は「三好市」と名乗ることを希望しているが昨年11月以降、徳島県三好市から反対を受けている。
「愛知県三好市」が誕生すれば、反対を押し切っての実現は先例がないだけに、今後の自治体の名称に大きな影響を及ぼすことになり、課題も多い。
反対は1970(昭和45)年の「既存の市の名称と同一とならないように十分配慮すること」という旧自治省の事務次官通達が根拠となっている。ただ総務省は「相手側の同意」と「十分な距離」という2つの条件を満たせば、同名の市も可能との見解を出している。
同意を得るため町幹部が同市を訪れたが、昨年11月16日、俵徹太郎市長名で「到底納得できない」と反対する文書が町に送付された。市議や経済団体には三好町を支持する動きもあるが、俵市長は9月議会であらためて拒否した。
俵市長は、反対理由に「先行自治体の努力」をあげる。同名の市は全国に2例のみで、多くの自治体は漢字の変更や平仮名化、旧国名を頭につけるなどして対応してきた。
俵市長は「どの自治体も神経を使ってきたはず」と強調し、全国の不満が、三好市に向けられる可能性を危惧する。

加えて、三好市誕生の経緯の混乱もある。同市は2006年、甲子園の強豪池田高校のある池田町など6町村の対等合併で誕生。地域経済の中心でもあった「池田」へのこだわりは強く、名称決定の投票では旧郡名の「三好」に対し、「阿波池田」が小差に迫った。
市内のある関係者は「三好町を支持する市議は池田にこだわる人が多い。三好町の申し入れを認めれば、『阿波池田市』への名称変更を迫る動きが活発化する可能性もある」と明かす。俵市長はそれを警戒しているというわけだ。
今の状況でも、「愛知県三好市」誕生の可能性はゼロではない。総務省の「相手側の同意」の解釈はあいまいなまま。三好市議会は9月末、全員協議会で「愛知県三好市」を認めるかどうかの議決をとり36人中32人が賛成するなど多数派を占め、経済団体も後押しする。
市議の代表は14日、総務省を訪れ見解を確認する予定で「同意者が(市長ではなく)市議会や市民でも良い」との見解になれば実現へ弾みがつく。

2つ目の可能性は同意を得ないままの申請。同市名を禁じる規定は法律にはなく「通達に強制力はない」(総務省)。町が相手の了解を得ないまま「愛知県三好市」として申請することは手続き上は可能で、新たな指針を引き出す可能性もある。
両市町に共通するのは総務省の態度への不満。「『三好市の了解』という条件を付けて、市に責任を押しつけている」(三好町議)という声も強い。
「最後まで可能性をさぐる」(久野知英町長)という町には、「愛知県三好市」の実現以外に、総務省の「丸投げ」姿勢を問いただす役割も期待されている。10月14日10時3分配信 中日新聞

 ◎<民主・前田雄吉議員>マルチ業者から講演料 国会で擁護?

民主党の前田雄吉衆院議員(比例東海)が代表を務める政治団体が05~06年の間、経済産業省が特定商取引法違反で業務停止処分にした東京都港区のマルチ商法業者から計80万円の講演料を受けていたことが14日、分かった。
前田議員は業界団体からも政治献金を受ける一方、国会で業界を擁護するような質問をしていた。前田議員は14日、講演料を返還する意向を表明した。
前田議員が代表を務める資金管理団体「未来政策研究会」と「民主党愛知県第6区総支部」の政治資金収支報告書によると、前田議員は東京都港区の「ドリーム・オブ・トータル・コミュニケーション」から「支部」が05年4月に50万円、「政策研究会」が06年12月に30万円の講演料を受け取っていた。
また、業界の政治団体「流通ビジネス推進政治連盟(現・ネットワークビジネス推進連盟)」から03年に100万円、05年8月に50万円の献金を受けていた。
トータル・コミュニケーションは化粧品や健康食品などのマルチ商法で、経産省が07年11月、勧誘の目的を隠したり、「絶対にもうかる」などとして誘っていたとして、3カ月間の業務停止命令処分にしていた。
ネットワークビジネス推進連盟のホームページによると、前田議員は同連盟のアドバイザー。前田議員は04年3月の衆院予算委第7分科会で、マルチ業界について
「ごく微々たる少しの悪質な業者がいる。これを厳格に取り締まって、このネットワークビジネスにまじめに汗している皆さんがばかを見ないようなな警察行政を行っていただきたい」などと質問するなど、計4回、業界に関する質問をしている。
前田議員は愛知県出身で、当選3回。前回の総選挙で愛知6区から出馬し、比例東海ブロックで当選した。現在は同党愛知県連副代表。
前田議員の愛知県春日井市の事務所は「本人とは連絡取れず、事務所ではコメント出来ない」と話している。
前田議員は自身のホームページで「業界に厳しい言葉も述べており、擁護をしているわけではありませんし、全マルチ業者を肯定しているわけではありません。しかし、業務停止命令を受けた会社からの講演料をいただいておりました。講演を行った時点では業務停止命令を受けていなかったとはいえ、
全額返金させていただきます」などとコメントした。 10月14日12時52分配信 毎日新聞

 ◎東証1171円高 上昇率は過去最高14・15%

週明け14日の東京株式市場は、前週末の先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)が打ち出した金融危機対策への期待の高まりで13日のニューヨーク市場が過去最大の上げ幅を記録したことを受けて、急反発した。
日経平均株価の終値は前週末に比べて1171円14銭高の9447円57銭まで回復した。上昇率は14・15%に達し、終値で過去最大だった平成2年10月2日の13・24%を超えた。
東証1部全銘柄の値動きを示す東証株価指数(TOPIX)も115・44ポイント高の956・30だった。
G7が金融機関への資本注入などを盛り込んだ「行動計画」を表明。これを受け、米国で資本注入に向けた動きが出たことで、市場に安心感が広がった。為替もドルを買い戻す動きが広がり、前週末に比べて大幅な円安になったことも買い材料となった。10月14日15時25分配信 産経新聞

 ◎アルコール、飲むほどに脳が縮小=米研究

[ワシントン 13日 ロイター] アルコールを飲めば飲むほど脳が縮小するという研究結果が13日、明らかになった。米マサチューセッツ州のウェルズリー大学のキャロル・アン・ポール氏が率いる研究チームが、神経学の専門誌「Archives of Neurology」で発表した。
研究チームでは、適量のアルコールにより加齢によって進む脳容積の減少を食い止めることが可能かを検証しようとしたが、結果は不可能だったという。
同研究によると、生涯にわたって酒を飲まなかった人々が最も脳容積の減少が少なかった。続いて、過去に飲酒していたが今は飲まない人々、現在適度な飲酒をする人々、現在大量に飲酒する人々の順で、脳容量の減少の割合が少なかった。
これまで、多くの研究によって適度の飲酒は心臓に良いとされてきた。 10月14日12時15分配信 ロイター

 ◎上海市警官殺傷事件・控訴審:市民ら、再び警官隊と衝突

【大紀元日本10月15日】中国上海市で警察6人を刺殺し、一審で死刑判決を下された楊佳・容疑者の控訴審は10月13日、上海市高等裁判所で開かれた。全国各地から大勢の市民が裁判所付近に集まり、中国古代の人食い虎(とら)を制する英雄・武松に喩えられている同容疑者を支持した。
一時は警察と支援者が小競り合い場面もあり、大勢が身柄拘束された。
楊容疑者は昨年、無登録の自転車を乗っていた際に、警官に連行され取調べを受けた。そのときに、虐待を受け性器を強く殴られ大けがをした。その精神的損害賠償を求めるため、同容疑者が公安局を提訴したが裁判に負けてしまった。7月1日、同容疑者はこの公安局にて刃物で警官を次々と刺し殺し、6人が死亡、4人が負傷した。
9月1日に公表された一審判決では死刑が下され、同容疑者は不服として上訴した。
上海市高等法院(日本の高等裁判所に相当)では10月13日午前9時半、その控訴審が開かれた。二審の代理弁護人は、被告は犯行当時心身喪失の状態にあると主張し、再度の司法鑑定を要求したが、却下された。判決は当日に言い渡されなかった。
裁判の結果を聞きつけた市民と支援者約千人が、裁判所の周辺に集まった。
複数の参加者から大紀元に寄せられた情報によると、当時、約60人の警官が現場に配置された。私服警官が一部の支援者らに激しい暴力を振るったため、現場は騒然となり、数百人が「共産党を打倒」「ファッショを打倒」などのスローガンを叫び続けるシーンもあった。
警察は現場をビデオ撮影し、その直後、100人あまりを強制連行した。国内外のメディアも複数現場にいたが、支援者への取材は私服警官に阻止されたという。
支援者の一人、中央政府に陳情し続けている上海市民の張翠平さんは大紀元の電話取材で、「楊佳さんがやったことは、我々の心の叫びである。私たちはあまりにも多くの迫害を受けてきた。彼のような勇気がない。その勇気があれば、私も人を殺してしまうかもしれない。彼は私たちの心の中の英雄であり、長年蓄積してきた鬱憤を晴らしてくれた」と話した。
法廷では弁護士の問いに、同容疑者は「犯行を後悔していない」と答えたという。

 ◎禁漁区の関西空港島で釣り、4人摘発

禁漁区となっている関西空港島で釣りをしたとして、大阪府警生活環境課と関西空港署が、府漁業調整規則違反(禁止区域)容疑で府内の会社員の男ら4人(27~35歳)を書類送検していたことが15日、分かった。関空島での釣り行為の摘発は平成6年に関空が開港して以来初めて。
同課などによると、4人は、9月1日午前2時20分ごろ、関空島北側のポートターミナル岸壁で、禁漁区と知りながら釣りを行い、カサゴ1匹を釣った疑い。
4人は8月31日夜、大阪市内に集合して釣りに出発。貝塚や泉佐野市などで釣りをしていたが、釣果が上がらなかったため、1人の提案で関空島で釣りをしたという。
関空島で釣りをしていたところ、パトロール中の警察官に「何が釣れるのか」と問いかけられたが、警備員と思い込み、無視して釣りを続けたため、犯行が発覚した。調べに対し、4人は「釣果が上がらず、とにかく釣りたかった」と話したという。 10月15日10時40分配信 産経新聞

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反     響
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 1)1348号、巻末の主宰者の「連合国を国連と意識的に誤訳したのは日本政府。民主党はその国連を世界警察と尊敬するという。民主党は何故、連合国を尊敬するのか。世界中の笑いものになるぞ。
民主党が笑われるのは構わないが日本政府が笑われるのは耐え難い」と言われたこの鋭いご指摘、全くその通りであると思います。民主党で誰かがこの1348号を読んで、早速悔い改めて貰いたいもの、もしも選挙があった時に勝ちたいのならば。以上前田正晶

 2)ロス疑惑の三浦和義氏が自殺した。当初は、不可解な言動が多かった三浦氏のことだから、あまりの意外な行動に、狂言自殺?のように思われた人もいるだろう。
ただ、私は推理する。
三浦氏の自殺は、サイパンにいた時には普通にできた読書も、ロスの仮の留置場ということで許されないというロス移送による物心両面での環境の激変に、一種のエアポケットに入ったような状況になり、読書によってかろうじて不安や動揺を解消していた精神状況が崩れ、一時的に緊張感が緩和したこと。
その時に用意された、孤独に隔絶された何も無い仮獄舎のあまりに殺伐した空間が、一時的な緊張感の緩和から来るそれまで押し殺して来た三浦氏の耐え難い精神状況からの解放感と手を携えて、瞬間的に電撃的な相乗作用を起こし、恐怖に何重にも覆われた先行き不透明な状況から来ると思われる恐怖感が彼を一挙に追い詰め、緊張緩和からの解放感から来る、生とは逆方向の死への逃避願望の軽さが、その恐怖感と連携することで、発作的に自殺衝動に駆られて自殺したと思われる。
恐怖感からだけでは、人間は凍結するだけで自殺という行動には移れな
い。恐怖感を自殺に進化させるには、自死本能とも言うべき自殺願望が顕在化された形で介在しなければならないと私は思う。
ショーペンハウエルという哲学者が、生への盲目的な意志と喝破したように、人間には、生への執拗な願望が存在するが、反面、自分を滅したいという死への願望が潜んでいると、ある仏教的な素養の深い教育者が自らの体験に基づいて書かれた本の内容が思い出されるからである。
今日のテレビでかつての週刊文春の安部隆典編集長が、三浦氏が、マスコミにいじめられたと言って、泣きながら、彼の弁護士たちに訴えたというエピソードを語っていたが、このような子供っぽい性癖が、今回の自殺にどのように結びつくかは分からない。彼を襲った恐怖感の中身は、本人しか分からないものだろうが、おそらく虚しさから来る恐怖感だったと思われる。虚偽の虚しさが彼自身を告発する声を聞いてしまったのだろう。彼自身に潜んでいた正義の刃が、自らを許せぬ人間として断罪したと考えた方が、やはり自然ではなかろうか。
普通に考えて、真に彼が無実を自覚していたのであれば、日本国で無罪を勝ち得た本人が、アメリカで自殺するわけがないからである。
 だが、わが国では無罪になった三浦氏を犯罪者と規定するわけにはいかないから、あくまで私の勝手な憶測に基づく仮定の話にすぎないとお断りしなければならないが。
ともかく、日米に跨った三浦事件はこれで一応の結末を迎えたが、2つの遺族が残されてしまった。とりわけ、一美さんのお母さんの無念は、察して余りあるものがある。
ただ、あまり語られてこなかったから知りようもないが、三浦氏と先の妻、一美さんの間に、事件の起こる前に、どのような問題があったのか。多額の保険金が必要なほど三浦氏の会社は多くの借金を抱えていたのか。それらの詳細は依然不明のままではないのか。
すなわち、事件の特異性にばかり注目が集まり、客観的な事件の背景があまり伝えられてこなかったようにも思われる。ただ某女優への殺人依頼という罪だけでも決定的な状況証拠になると思われるが、当日の殺人事件としての客観的な根拠には成らないから、無罪とする日本の判決は、事件当日の共謀者が特定できないことが、殺人犯罪に関与したと推量される本人の犯罪事実性の立証を不能にするという、客観的な証拠の有無を審議する刑事論理性に基づく判決として、否定できない結果であることも事実であろう。
そこに、共謀罪を適用して刑事事件としての立件に自信を持っていたロス市警は、日本の裁判の論理性の死角である、事件現場の状況的証拠を盾に、裁判の実を取ることができると、確信していたのだろう。たとえば、殺害現場にしても、木々に覆われ鬱そうとした暗い場所で、夫婦の記念写真の撮影をする場所に選ばれるような所ではなかったこと。
そも最初から、この事件は、このような不自然な設定の下で起こったのである。
つまり、一美さん殺害に決定的な新証拠がなくても、某女優に殺人依頼をした事実に基づき、その事実の背景、原因を追求し、三浦夫妻の不和の内実、あるいは、三浦氏の妻への殺害動機を暴くことで、和美さん殺害の客観的な状況証拠に繋がると考えていたと思われる。
だから、殺人罪として立件するのではなく、女優への和美さん殺害依頼の前科の内容を精査することで、和美さん殺害事件までの三浦氏の和美さん殺害への用意周到なエスカレートされた計画性を明らかにすることで、その他の事件前後の状況も加味し、決定的な共謀動機の必然性によって、共謀罪適用の状況証拠とできると判断したのだろう。(これは、私の勝手な憶測にすぎない。今後の捜査当局の報告が待たれる。)
女優に依頼して多額の保険金を掛けた妻をハンマーで殺すことに失敗した人間は、次に、より完全な銃による殺害を計画することは自然な成り行きであるし、銃社会のアメリカにおける銃による殺人依頼は、十分根拠を持てるからだ。

つまり、ロス市警にとっては、保険金詐取目的の殺人事件として、見え見えの事件ではなかったか。だから、日本での無罪判決が逆に、ロス市警を刺激し今回の逮捕に至る捜査網の万全を期したということだろう。そして、まんまと三浦氏本人がその網にかかってしまったというわけだ。
結局、日米双方の捜査によって、三浦氏は追い詰められ、自殺をもって、自ら終止符を打ってしまった。それは、三浦氏が自らの真実によって自らを裁いたと言えるのではないか。
ロス市警も、三浦氏の内なる真実の刃には、目が届かなかったようである。
結果論だが、日米2つの捜査によって、三浦氏自身の真実追及の意志が促され、共謀者という本来、無関係な第三者が不明のまま、真実がそれとなく、分かるものには分かるという形で提示された、…。そんな風に私には思われるのだ。
日米安保は今日、日米両国家間で結ばれた条約にしては、不透明な要素の多い安全保障条約のように思えるが、日米両国に跨った個人の刑事事件の真実を明らかにするための、少なくとも有効な機能を提供する下地に、今回ばかりは、なったと言うべきだろうか。(埼玉)

 3)「政治を興行にしてはならない」(加瀬英明) おっしゃる趣旨はよく分かります。この問題は、戦前の国民乖離の主権思想と戦後の民主主義思想がまったく異なるもので国家と国民は別次元の存在であるというGHQや左翼的思想家たちの方便が国民に浸透した結果であると思われます。

これが何をもたらしたか?

国家と国民が別物とすると、国民は要求のみに終始して自由放任とも思える自己主張の産物が生まれます。今日、各方面にモンスターなる怪物が生まれて、種々なる弊害を生じておりますが、これとて必然の帰結であり自己の範疇に属さないものはすべて障害になる思想でありましょう。
そうした中で、先の小泉改革なるものはその閉塞感を払拭するような名芝居振りで登場しました。最初の「私は自民党をぶっ壊す」までの名セリフはよかったのですが、さすがに抵抗勢力は黙っていません。
とくに問題は米・中の諸外国です。これまでおとなしく意のままにしていた日本がこのままにしていると、危ないとばかり反日騒動は起こるわ、米国からは闇の金融勢力がこの時とばかりハイエナの如く、不良債権の買いあさりと国民資産を手中にすべく日米経済協議なる形で外国資本(実際にはハゲタカファンド)への改革開放を促したものです。今にして見れば、あのサブプライム問題を目にしてのとおり、郵政民営化や各種規制緩和が大々的に先行していれば、どれだけの犠牲者が出たことか、空恐ろしい結果となっていたでしょう。

ここでやっと目が覚めた国民ではあります。改革という言葉に酔いしれるのは結構ですが本物の覚悟がないのが国民ともども政治家諸氏であり、何事も中途半端なのが我が国です。
小泉元総理にしても、5年間の芝居を何とか演じきれたものの客の反応がおかしくなるのを見切ると同時に退場し、その後の顛末は後の総理が次から次へと討ち死にする位の大きな傷を生む始末になっています。ご本人は、最初の勢いはどこへやら改革も消えうせて自分の息子を名演技で送り出す始末です。ああ、国民はもっと利口にならなければ、国家は国民が創るのです。 なみお

 4)「嫉妬が言わせる世襲はダメ」(平井修一)この意見に一言。

おっしゃる通り、嫉妬もあるだろう。しかし、地盤・看板・金といい、新たに政治を志す者との違いは歴然としています。それだけ、我が国は「長いものには巻かれろ」人間が多いのです。
味噌も糞も一緒にして考えるべきではなく、本物を見極める国民がでれば、世襲も良しとしましょう。多くは惰性に流れ、利権屋に担がれている人物が多いのも世襲の弊害です。 なみお

 5)先の自民党総裁選挙で、景気優先を主張してきた麻生氏と小池氏を前面に立てた小泉元総理の仲間とも言うべき中川氏を中心とする上げ潮派、財政建て直しを基調とする与謝野氏とほぼこれら3つに分かれての総裁選だったと思います。
結果は、圧倒的な勝利で麻生氏が勝利して麻生政権が誕生しました。このことは何を意味するのか?
京都大学の佐伯啓思教授が示唆に富む談話をされているので紹介します。
小泉改革がもたらしたものとして、所得格差の拡大・フリーターの増加・資源エネルギーの高騰・食料不安など、勿論、中には小泉改革に直結するとは思われない関係ないこともありますが、さらには医療崩壊・年金問題・官僚バッシングと社会保険庁の出鱈目ぶりなど、これまで国民が信頼を置いていた行政機構の中身に大きな問題があり、将来の社会不安を増大して人生設計に狂いが生じて来ました。そこへ追い討ちが来たのが今回の米国発サブプライムローン問題です。
(主宰者註:センテンスの長い文章は息つく暇が無い)。

アメリカ型の市場中心主義、個人主義、能力主義ともいえる名のグローバル問題は金融を中心に世界経済を飲み込んで行きました。小泉改革の真っ只中には、これらを象徴するホリエモン、村上ファンドなどが一世を風靡して乱舞する時勢で、国民も大いに浮かれて支持を表明したものです。

(主宰者註:平等の見地を主張する学者は市場中心主義に陥る。アメリカで勉強したといっても、和歌山の下駄屋の倅が描いた小泉経済。初めから間違っていた)。

しかし、こうしたことは予測されていたことで、少数派ではあったでしょうが、将来の危惧を感じていたはずです。案の定、ホリエモンや村上ファンドの暗躍した裏には金融処理の事後処理が上手く利用され、被害者も出ました。

あの熱狂的な小泉人気の熱気は去り、残ったのは風に舞うはずれ馬券のような殺伐たる不景気風だけで、それはさらに米国からより寒い木枯らしとして吹いてくる恐れも出て来ました。
大海に小船で乗り出すような、グローバルな金融市場への規制緩和日本が海外の投機筋に弄ばれ、実体経済が崩壊する危機に直面するこの「新自由主義」なる経済行為は日本の「構造改革」としていかにも本物らしく見えたのもうでした。
そのひずみを修正して、出直しを図るべく誕生したのが麻生政権かも知れません。民主党もポプュリズムに便乗して、今になって「生活第一」などと自民党の失政を逆手に取っていますが当時の小泉政権と同罪であり、先を見通す能力はない小泉政治の二番煎じを踏襲しているだけと言えます。 岡目八目

 6)麻生総理は一国の首相として少し不用意であり、首相としての自覚に欠けているのではないでしょうか?今回のアメリカの北朝鮮に対する「国家テロ支援国指定」の解除通告を韓国よりも1日遅れで受けた際に浜松でJCの会合に出ていたというのは不用意だと思います。
一国の首相であればいわば常在戦場の心掛けであるべきで、この全世界的に不安定で何時何が起きても不思議ではない時期に、何ものにも優先して出掛けるほど優先順位が高かったとは思えません。これは許されることでしょうか?
ゴルフの練習場に出掛けたところもテレビに流されてしまいましたが、これも国事行為よりも優先順位が高くはないでしょう。余裕を見せようとしたとしても不用意でしょう。
首相の行動計画は然るべき秘書が首相と十分に連絡しあって管理するものではないでしょうか?優先順位の付け方に疑問を感じました。実際にはどのように管理されているのでしょうか?
マスコミは日本のように2年間に3人も総理が替われば、アメリカの信頼感を失うと言いますが、それほど簡単に二国間の戦後数十年間の関係が変わってしまうものでしょうか?
麻生総理は首相とはどういう地位かに対する信念と観念を築き上げないで就任したのではないかと懸念します。

一方、執念深く「解散総選挙」を迫る民主党の小澤代表にも限りない不
信感があります。心臓に問題を抱えて議会出席もままならぬ人が風邪で
入院しました。かと思えば今度は微熱があるにも拘わらず退院して、そ
れを公表して現場に復帰しました。あの代表質問の後も議場から消えて
いました。

その勇敢さと責任感を売り物にしようとするならば大間違いです。一国
の総理に、イヤ第一党に病気持ちを選ぶほど我が国民は小澤氏と民主党
を信頼しているのでしょうか?

ましてや、自らの病気を公にする指導者などあり得ないと思います。私は公務中の交通事故の被害からの復帰が遅れた際に「それなら辞めさせるか」という論が出たようなのがアメリカです。
かの国では「自分健康に問題があるなどと上司に訴えて出るな」と仲間から忠告されました。それは「クビにされても文句は言いません」という自主申告と同じだからだそうです。
小澤氏にも一国をリードしていこうとの自覚が不足しているのではないかと敢えて問いかけたい思いです。それに、私はアメリカ政府に拉致問題に関する援助を訴えても同情はされるでしょうが、正式に交渉を依頼しない限り「忘れない」か「無視しない」で終わってしまうと言ってきました。今回もそこまでに止まっているのではありませんか。
此処でも麻生総理自身の具体的な北に対する働きかけが必要だと言いたいところです。 以上 前田正晶

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身 辺 雑 記
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総理大臣の健康状態で思い起こせば、東京オリンピックが開かれた昭和39(1964)年10月10日に先立って、時の首相池田勇人(はやと)さんが東大病院で喉の検査を受け、翌日から築地の国立がんセンターに入院した。
発表は喉の前癌症状という聞きなれない病気。今は癌ではないが放置すれば癌になるという状態、とのこと。誰も信ぜず、政治記者は直ちに医学記者になって医学界への夜討ち、朝駆けが始まった。日中はオリンピックの取材。死ぬかと思うほどの過労だった。
しかし、遂に私は特ダネを掴んだ。治療陣の1人が「記者さん、癌はイエスかノーであって前癌症状なんてないんですよ」つまり既に癌だと教えてくれたのだ。舞い上がってデスクに報告したが、「没」になった。新聞読みを禁じられている総理はNHK-TVを見ているのだという。特ダネを放送することは「告知」と一緒なわけだ。「没」は当然だった。総理は翌年の夏,亡くなった。死ぬ前、伊藤昌哉首席秘書官の掌に指で2文字を書いた。伊藤さん、向かい合ってのことだから、その時は解せなかったが、後でわかった。「ガ」「ン」の2文字だった。池田さん、最期は真相を知って別れを告げたのであった。
亡くなった昭和40(1965)年は7月に担当の河野一郎大臣を腹部大動脈瘤破裂で見送ったばかり。政治記者として一本立ちしないうちに医学知識を大分、蓄える結果となった。