頂門の一針
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日本を羨んだフルシチョフ
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渡部 亮次郎
私の学生時代(1954―58年)にスターリンが死に、替わって登場したのがフルシチョフ。如何にも田舎の爺さんに見えた。なるほど1894年4月17日、ロシア帝国のクルスク県カリノフカに生まれる。父親セルゲイ・フルシチョフは炭坑夫。祖父は農奴で帝政ロシアの陸軍に勤務していた。
アメリカのドワイト・D・アイゼンハワー大統領と会談したフルシチョフはアメリカ合衆国やフランスなどの資本主義諸国との平和共存外交をすすめ、冷戦下の世界に一時的な「雪どけ」をもたらした。
その一方で、U-2撃墜事件ではアメリカと激しく対立、さらにはキューバ危機ではアメリカとの戦争の瀬戸際まで進むことになる。
また、同じ社会主義国との関係では、ハンガリー動乱に軍事介入するなど東欧諸国の自由化要求に対しては厳しい態度で臨み、毛沢東率いる中華人民共和国とは社会主義の路線をめぐって論争となり(中ソ対立)、アルバニアとも1961年に断交し軍事衝突寸前まで行くこととなる。
フルシチョフは激情家として知られ、国際的な舞台で話題を呼ぶ事件をいくつも引き起こした。有名なもののひとつは、1956年11月18日にモスクワのポーランド大使館でのレセプションで、西側諸国の大使に向って「あんたらを葬ってやる」との暴言を吐いたことである。
他にも1960年10月12日の国連総会で、ソ連代表の提出した「植民地主義非難決議」に対し、フィリピン代表Lorenzo Sumulongが「ソ連の東欧諸国への関与こそ当に植民地主義であり非難されるべき」と逆襲した。
これに怒ったフルシチョフは、自分の靴を脱いでこれで机をバンバンと繰り返し叩いてSumulongの演説を妨害した事件がある。
集団指導体制を無視し自らへの権力の集中(第一書記と首相の兼任)、さらには同志に対する叱責や暴言や外国での粗野な振る舞いを繰り返したため、ひそかに追い落とし謀られた。
ニコライ・イグナトフ、アレクサンドル・シェレーピン、ウラジーミル・セミチャストヌイ、レオニード・ブレジネフらが中心となった反フルシチョフ・グループである。
フルシチョフの追い落としは着実に準備されていった。中でもブレジネフは暗殺をも企んだとも言われている。
宮廷クーデターの噂はひそかに広がっていて、一部のフルシチョフ信奉者はその情報をフルシチョフ本人に届けようとした。息子のセルゲイ・フルシチョフや娘のラーダ・アジュベイに接触した。
セルゲイは父と相談するものの、フルシチョフ本人は馬鹿げた話だとして取り合わなかった。
1964年10月、黒海沿岸のピツンダで休暇中のフルシチョフとアナスタス・ミコヤンは、ミハイル・スースロフからの突然の電話で呼び出された。
「火急の農業問題を話し合うための臨時の中央委員会総会」のためとされた。10月13日および14日に開かれた臨時の中央委員会総会で、ミコヤンを除く幹部会員全員がフルシチョフの更迭を要求した。
これに対してミコヤンはフルシチョフの第一書記からの解任と閣僚会議議長への留任を提案したが、否決された。
孤立無援となったフルシチョフは、年金生活に入るために「自発的に」党中央委員会第一書記と閣僚会議議長(首相)の両方を辞任することに同意した。
後任にはレオニード・ブレジネフとアレクセイ・コスイギンがそれぞれ選ばれた。1978年1月、園田直外相の秘書官として日ソ外相定期交渉に同行した際、ブレジネフは風邪で臥せっており、コスイギン首相が握手してくれた。
引退後のフルシチョフは、公式には1966年まで党中央委員会のメンバーとしての地位はあったものの、恩給と運転手つき自動車を与えられ、モスクワ郊外の国有ダーチャ(別荘)に住まわされた。
移動の制限は受けなかったが、ダーチャのいたるところに盗聴器が仕掛けられており、事実上軟禁状態にあった。
この間、フルシチョフは回想をテープに録音し、息子のセルゲイ・フルシチョフらがテープをタイプライターで書き起こした。この行動に対しキリレンコらソ連指導部はフルシチョフを呼び出して回想録の執筆の中止を要求した。
フルシチョフは当然この要求を拒絶した上、逆にブレジネフ指導部の政治をこきおろしてキリレンコらに説教をした。
この結果、息子のセルゲイ・フルシチョフや娘婿のアレクセイ・アジュベイは、当局から様々な嫌がらせを受けることになった。セルゲイはミサイルの専門家であったが、転職を余儀なくされた。
1970年7月には、フルシチョフの入院中に国家保安委員会 (KGB) が息子セルゲイを騙して回想録原稿とテープを押収することに成功するが、原稿のコピーはすでにアメリカのタイム社にひそかに送られており、セルゲイは西側での出版という形でKGBに報復した。
なお、セルゲイが西側に原稿を送るのを仲介したのは実はKGB自身であり、その代償としてフルシチョフ自身が回想録の内容の一部削除に応じたという。
回想録が西側で出版されると、激怒したソ連指導部はフルシチョフに新聞プラウダ紙上で「回想録はニセモノである」との声明を発表させた。
実際のところ、回想録がニセモノでないかどうか、すなわち仲介相手からニセモノを掴まされていないかをタイム社は非常に気を揉み、録音テープの声紋分析を徹底して行った。
少しでもテープが途切れた部分はそのつど鑑定しなおす必要があったことから、声紋分析の数は数千にも及んだ。本物と判断され、出版。
7年間の年金生活の後に、フルシチョフは1971年9月11日にモスクワの病院で死去した。歴代の要人が埋葬されている赤の広場脇には埋葬されず、モスクワにあるノヴォデヴィチ修道院の墓地に埋葬された。
当局との数年にわたる戦いの末に、家族らは墓地に記念碑を建てることを許されたが、その設計を請け負ったのはフルシチョフがマネージ展覧会ホールで罵倒した彫刻家エルンスト・ネイズヴェスヌイだった。
1984年に死去したフルシチョフの妻ニーナ・ペトロブナも、フルシチョフの脇に眠っている。
日本との関係ではフルシチョフは、鳩山一郎首相が日ソ交渉をしたときの最高指導者である。回想記の中で、は日本の戦後の発展を羨み、「ソ連がサンフランシスコ講和条約に調印しなかったことは大きな失策だった」「たとえ北方領土問題で譲歩してでも日本との関係改善に努めるべきであった」と述べていた。
フルシチョフは、日本との平和条約締結に失敗したのは、スターリンのプライドとモロトフの頑迷さにあったと指摘している。
このくだりは結局フルシチョフ本人の政治的配慮によって回想記からは削除されたが、ゴルバチョフ政権下のグラスノスチによって1989年になってはじめてその内容が公開された。出典:『ウィキペディア』2008・
10・14
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正しくは「国家テロ支援国家」
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前田 正晶
今頃になって「テロ支援国家」を英語では何というのだろうと、調べてみました。
私は「テロ支援国家」とは「何処か余所の国がテロをすることを支援する国」というように聞こえるので、違和感を覚えていました。
アメリカは何故かここに来て、これまでその国家と指定してきた対北朝鮮の指定を解除しました。各方面で疑問の声が高くなっています。拉致被害者家族の方たちはこれを大いに憤慨しておられます。気持ちは良く解ります。
アメリカの関係高官(報道官?)はまたもや「拉致のことは忘れていない」と強調して見せましたが、聞こえた限りの音声では「だから次にどういうことをして支援する」かについては何も言っていませんでした。何も言わないことは何もしないことと同じです。
実はこの時報道官は「テロ支援国家」を"State-sponsored Terrorism"と言った。
これを普通に日本語にすれば「国家でテロを支援する」と言うことになり、今や日本語で戸籍を得ている「テロ支援国家」を正確に言いたければ「国家テロ支援国家」の方が据わりが良くなります。
英語の言葉通りに解釈して、似たような例を挙げればスポーツの世界におけるState amateur"=「ステート・アマチュア」=「国家養成選手}のようなものが出てきます。
北朝鮮の場合は文字通りに「国家ぐるみでテロを支援している国」ではありませんか?自国だけではなく他国に対してもしている様子。
英語を無理矢理に当たり障り無く日本語にすると"United Nations"が「国際連合」と何時の間にかありもしなかった“国際”が入り、"LibertyStatue"が「自由の女神」となって元の言葉よりも遙かに 綺麗なものに変わってきます。
「テロ支援国家」は何となく簡素化して日本語にしたために、本来の意味が薄れてきたのだと断定します。余所の国の言葉を自国語にするのは、このように厄介なものなのです。現に、こうやって私は揚げ足を取っているではありませんか! 以上
日本を羨んだフルシチョフ
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渡部 亮次郎
私の学生時代(1954―58年)にスターリンが死に、替わって登場したのがフルシチョフ。如何にも田舎の爺さんに見えた。なるほど1894年4月17日、ロシア帝国のクルスク県カリノフカに生まれる。父親セルゲイ・フルシチョフは炭坑夫。祖父は農奴で帝政ロシアの陸軍に勤務していた。
アメリカのドワイト・D・アイゼンハワー大統領と会談したフルシチョフはアメリカ合衆国やフランスなどの資本主義諸国との平和共存外交をすすめ、冷戦下の世界に一時的な「雪どけ」をもたらした。
その一方で、U-2撃墜事件ではアメリカと激しく対立、さらにはキューバ危機ではアメリカとの戦争の瀬戸際まで進むことになる。
また、同じ社会主義国との関係では、ハンガリー動乱に軍事介入するなど東欧諸国の自由化要求に対しては厳しい態度で臨み、毛沢東率いる中華人民共和国とは社会主義の路線をめぐって論争となり(中ソ対立)、アルバニアとも1961年に断交し軍事衝突寸前まで行くこととなる。
フルシチョフは激情家として知られ、国際的な舞台で話題を呼ぶ事件をいくつも引き起こした。有名なもののひとつは、1956年11月18日にモスクワのポーランド大使館でのレセプションで、西側諸国の大使に向って「あんたらを葬ってやる」との暴言を吐いたことである。
他にも1960年10月12日の国連総会で、ソ連代表の提出した「植民地主義非難決議」に対し、フィリピン代表Lorenzo Sumulongが「ソ連の東欧諸国への関与こそ当に植民地主義であり非難されるべき」と逆襲した。
これに怒ったフルシチョフは、自分の靴を脱いでこれで机をバンバンと繰り返し叩いてSumulongの演説を妨害した事件がある。
集団指導体制を無視し自らへの権力の集中(第一書記と首相の兼任)、さらには同志に対する叱責や暴言や外国での粗野な振る舞いを繰り返したため、ひそかに追い落とし謀られた。
ニコライ・イグナトフ、アレクサンドル・シェレーピン、ウラジーミル・セミチャストヌイ、レオニード・ブレジネフらが中心となった反フルシチョフ・グループである。
フルシチョフの追い落としは着実に準備されていった。中でもブレジネフは暗殺をも企んだとも言われている。
宮廷クーデターの噂はひそかに広がっていて、一部のフルシチョフ信奉者はその情報をフルシチョフ本人に届けようとした。息子のセルゲイ・フルシチョフや娘のラーダ・アジュベイに接触した。
セルゲイは父と相談するものの、フルシチョフ本人は馬鹿げた話だとして取り合わなかった。
1964年10月、黒海沿岸のピツンダで休暇中のフルシチョフとアナスタス・ミコヤンは、ミハイル・スースロフからの突然の電話で呼び出された。
「火急の農業問題を話し合うための臨時の中央委員会総会」のためとされた。10月13日および14日に開かれた臨時の中央委員会総会で、ミコヤンを除く幹部会員全員がフルシチョフの更迭を要求した。
これに対してミコヤンはフルシチョフの第一書記からの解任と閣僚会議議長への留任を提案したが、否決された。
孤立無援となったフルシチョフは、年金生活に入るために「自発的に」党中央委員会第一書記と閣僚会議議長(首相)の両方を辞任することに同意した。
後任にはレオニード・ブレジネフとアレクセイ・コスイギンがそれぞれ選ばれた。1978年1月、園田直外相の秘書官として日ソ外相定期交渉に同行した際、ブレジネフは風邪で臥せっており、コスイギン首相が握手してくれた。
引退後のフルシチョフは、公式には1966年まで党中央委員会のメンバーとしての地位はあったものの、恩給と運転手つき自動車を与えられ、モスクワ郊外の国有ダーチャ(別荘)に住まわされた。
移動の制限は受けなかったが、ダーチャのいたるところに盗聴器が仕掛けられており、事実上軟禁状態にあった。
この間、フルシチョフは回想をテープに録音し、息子のセルゲイ・フルシチョフらがテープをタイプライターで書き起こした。この行動に対しキリレンコらソ連指導部はフルシチョフを呼び出して回想録の執筆の中止を要求した。
フルシチョフは当然この要求を拒絶した上、逆にブレジネフ指導部の政治をこきおろしてキリレンコらに説教をした。
この結果、息子のセルゲイ・フルシチョフや娘婿のアレクセイ・アジュベイは、当局から様々な嫌がらせを受けることになった。セルゲイはミサイルの専門家であったが、転職を余儀なくされた。
1970年7月には、フルシチョフの入院中に国家保安委員会 (KGB) が息子セルゲイを騙して回想録原稿とテープを押収することに成功するが、原稿のコピーはすでにアメリカのタイム社にひそかに送られており、セルゲイは西側での出版という形でKGBに報復した。
なお、セルゲイが西側に原稿を送るのを仲介したのは実はKGB自身であり、その代償としてフルシチョフ自身が回想録の内容の一部削除に応じたという。
回想録が西側で出版されると、激怒したソ連指導部はフルシチョフに新聞プラウダ紙上で「回想録はニセモノである」との声明を発表させた。
実際のところ、回想録がニセモノでないかどうか、すなわち仲介相手からニセモノを掴まされていないかをタイム社は非常に気を揉み、録音テープの声紋分析を徹底して行った。
少しでもテープが途切れた部分はそのつど鑑定しなおす必要があったことから、声紋分析の数は数千にも及んだ。本物と判断され、出版。
7年間の年金生活の後に、フルシチョフは1971年9月11日にモスクワの病院で死去した。歴代の要人が埋葬されている赤の広場脇には埋葬されず、モスクワにあるノヴォデヴィチ修道院の墓地に埋葬された。
当局との数年にわたる戦いの末に、家族らは墓地に記念碑を建てることを許されたが、その設計を請け負ったのはフルシチョフがマネージ展覧会ホールで罵倒した彫刻家エルンスト・ネイズヴェスヌイだった。
1984年に死去したフルシチョフの妻ニーナ・ペトロブナも、フルシチョフの脇に眠っている。
日本との関係ではフルシチョフは、鳩山一郎首相が日ソ交渉をしたときの最高指導者である。回想記の中で、は日本の戦後の発展を羨み、「ソ連がサンフランシスコ講和条約に調印しなかったことは大きな失策だった」「たとえ北方領土問題で譲歩してでも日本との関係改善に努めるべきであった」と述べていた。
フルシチョフは、日本との平和条約締結に失敗したのは、スターリンのプライドとモロトフの頑迷さにあったと指摘している。
このくだりは結局フルシチョフ本人の政治的配慮によって回想記からは削除されたが、ゴルバチョフ政権下のグラスノスチによって1989年になってはじめてその内容が公開された。出典:『ウィキペディア』2008・
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正しくは「国家テロ支援国家」
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前田 正晶
今頃になって「テロ支援国家」を英語では何というのだろうと、調べてみました。
私は「テロ支援国家」とは「何処か余所の国がテロをすることを支援する国」というように聞こえるので、違和感を覚えていました。
アメリカは何故かここに来て、これまでその国家と指定してきた対北朝鮮の指定を解除しました。各方面で疑問の声が高くなっています。拉致被害者家族の方たちはこれを大いに憤慨しておられます。気持ちは良く解ります。
アメリカの関係高官(報道官?)はまたもや「拉致のことは忘れていない」と強調して見せましたが、聞こえた限りの音声では「だから次にどういうことをして支援する」かについては何も言っていませんでした。何も言わないことは何もしないことと同じです。
実はこの時報道官は「テロ支援国家」を"State-sponsored Terrorism"と言った。
これを普通に日本語にすれば「国家でテロを支援する」と言うことになり、今や日本語で戸籍を得ている「テロ支援国家」を正確に言いたければ「国家テロ支援国家」の方が据わりが良くなります。
英語の言葉通りに解釈して、似たような例を挙げればスポーツの世界におけるState amateur"=「ステート・アマチュア」=「国家養成選手}のようなものが出てきます。
北朝鮮の場合は文字通りに「国家ぐるみでテロを支援している国」ではありませんか?自国だけではなく他国に対してもしている様子。
英語を無理矢理に当たり障り無く日本語にすると"United Nations"が「国際連合」と何時の間にかありもしなかった“国際”が入り、"LibertyStatue"が「自由の女神」となって元の言葉よりも遙かに 綺麗なものに変わってきます。
「テロ支援国家」は何となく簡素化して日本語にしたために、本来の意味が薄れてきたのだと断定します。余所の国の言葉を自国語にするのは、このように厄介なものなのです。現に、こうやって私は揚げ足を取っているではありませんか! 以上
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八女茶(やめちゃ)を嗜む
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毛馬 一三
筆者の家では、食事の後や折を見て八女茶を毎日欠かさず10杯以上常飲している。祖母の実家が福岡県八女郡の八女茶(元は星野茶)の生産家だったのが縁で、子供の頃から八女茶の煎茶や玉露を嗜んできた。
その嗜みはいま猶継続しており、5月の一番茶の時期になると八女茶生産元の祖母の実家から、注文した1年分の八女茶の煎茶と玉露が送られてくる。
70度位に冷ましたお湯をゆっくりと茶葉を入れた急須に移し、3~4回ゆるりと左右に回したあと湯飲みに注いで飲み始めると、筆舌に尽くせないまろやかな風味と甘み、それに他所の茶より濃い味が口内に広がり、至福の瞬間がやってくる。
しかも茶に含まれるカテキンの成分が、ここ10年位の研究で抗ガン作用と抗微生物作用に効果があることが明らかになってきたことから、意識して健康維持のためこの八女茶嗜みの習慣を続けている。
八女茶以外に全国には下記のような有名な茶の生産地がある。
<愛知県(三河茶)、茨城県、(奥久慈茶、猿島茶)、鹿児島県(かごしま茶)、京都府(宇治茶)、岐阜県(美濃茶)、熊本県(肥後茶)、高知県(土佐茶)、埼玉県(狭山茶)佐賀県(嬉野茶)、滋賀県(近江茶)、静岡県(静岡茶)、長崎県(彼杵茶)、奈良県(大和茶)、三重県(伊勢茶)、宮崎県(日向茶)、がある>(日本茶博物館www.kaburagien.co.jp/museum/museum/index.php - 14k -)京都府(宇治茶)、佐賀県(嬉野茶)、静岡県(静岡茶)、長崎県(彼杵茶)、奈良県(大和茶)は過去に飲んだことがあるが、それなりに芳醇で美味な緑茶だったという印象と思い出がある。
ところで最近下記のような記事が出て、目を惹いた。
<緑茶を1日に7杯分ほど飲むことで、糖尿病になりかかっている人たちの血糖値が改善することが、静岡県立大などの研究でわかった。健康な人で緑茶をよく飲んでいると糖尿病になりにくいという報告はあるが、高血糖の人たちの値が下がることを確認した報告は珍しいという。
血糖値が高めで、糖尿病と診断される手前の「境界型」などに該当する会社員ら60人を対象に緑茶に含まれる渋み成分のカテキンの摂取量を一定にするため、いったんいれたお茶を乾燥させるなどして実験用の粉末を作製。これを毎日、湯に溶かして飲むグループと、飲まないグループに無作為に分け、2カ月後の血糖値を比べた。
平均的な血糖値の変化を、「Hb(ヘモグロビン)A1c」という指標でみると、緑茶粉末を飲んだ人たちは当初の6・2%が、2カ月後に5・9%に下がった。飲まなかった人たちは変わらなかった。飲まなかった人たちに改めて飲んでもらうと、同じように2カ月間で6・1%から5・9%に下がった。
2グループで体格や摂取エネルギーなどに差はなく、緑茶からのカテキン摂取量が血糖値に影響したらしい。1日分の緑茶粉末は一般的な濃さの緑茶で湯飲み(約100ミリリットル)約5杯分のカテキンを含み、緑茶粉末を飲んだ人では普通に飲んだ緑茶と合わせ1日に約7杯分のカテキンをとっていた。
研究の中心で、今春に静岡県立大から移った吹野洋子常磐大教授(公衆栄養学)は「運動などの生活習慣改善とともに、食事の中で積極的に緑茶を取り入れてほしい」といっている>。(アサヒコム)
上記の様にカテキンが抗ガン作用に効果があったり、良質な緑茶から抽出されたポリフェノールはビタミンEの10倍、ビタミンCの80倍というすぐれた抗酸化力を持っているといわれているが、緑茶7杯の飲料で高血糖の人たちの値が下がることを確認した報告には驚かされた。
筆者の周りで糖尿病の一歩手前で悩んでいる先輩知人が最近多い。緑茶7杯で高血糖の人たちに効き目があるというなら、早速緑茶の常飲を勧めてみよう。お茶の嗜みは、心の安らぎも導いてくれる筈だから。(了)2008.10.13
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話 の 福 袋
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◎日本の四季
日本はおおむね温帯に位置し、春夏秋冬のいわゆる四季が明瞭に現れる。
冬は日本海側での降雪、太平洋側の晴天が比較的良く出現する。地上天気図では、日本の東海上に発達した低気圧、大陸上に優勢な高気圧がある。
このとき、大陸から吹き出す冷たく乾燥した空気は日本海上で水蒸気の補給を受け、日本海側の地方に降雪をもたらす。
一方、夏、特に真夏には全国的に晴天となり、日最高気温が30度をこえる。地上天気図では、日本付近は太平洋高気圧に覆われる。時として、積乱雲による雷雨が発生することがあるが、おおむね晴天が継続する。
春や秋には、低気圧や移動性高気圧が交互に通過していく。低気圧の通過前には南風が強まり気温が上昇し、通過後は北風が強まり気温が低下する。
このような寒暖を繰り返しながら、春から夏に向けて次第に気温が上昇し、夏から秋に向けて低下する。
春から夏への季節の変わり目には、梅雨と呼ばれる特徴的な時期がある。この期間は、西日本での多雨ばかりではなく、東日本での低温・寡照な
どの特徴がある。
梅雨前線の形成には、チベット高原と偏西風、太平洋高気圧の関係など地球規模の大気の循環が関係している。同様な前線は初秋にも現れ、秋雨(あきさめ)前線と呼ばれる。
夏から秋にかけては、南海上から北上してくる台風により日本付近の天気が大きく影響を受ける。(気象庁)
◎石鹸原料を食用油に、幼稚園でリンパ腺異常の集団発症=浙江省
【大紀元日本10月14日】中国浙江省慈渓市滸山鎮の私立・体芸幼稚園で、園児過の半数を占める200人以上が、リンパ腺の数値は正常値より遥かに高く、腸のリンパ腺が腫れているという同じ症状が診断された。
その後の検査により、同幼稚園の昼食の調理に使われているパーム油は融点40度のもので、石鹸製造の原料であることが判明した。
ある親の証言によると、たまたま調理場に入った親がドロドロで半分固まっている調理用油を発見した。また、調理場は非常に汚く、ゴキブリ、ハエが這い回っていた。
怒った親たちはわが子がこれまでに頻繁に腹痛したり、下痢したりしているのは偶然ではないと警戒して、こどもを病院に連れて診査してもらった。B超音波検査の結果、園児の過半数を占める200人以上が腸のリンパ腺が腫れていると診断された。
10月7、8日の2日間にわたり、数百人の親は幼稚園と市役所前に集まり、問題の調査・解決を求めた。地元メディアの記者が現場を取材したが、帰り道で正体不明のグループに尾行され、撮影映像が強制的に消された。地元メディアはその事件を一切報道しておらず、ネットの書き込みもほとんど消されている。
問題の解決を求め続けている親たちに対し、地元政府機関は責任を擦り付けて、誰一人対応に出てこなかった。8日夜になって、幹部の一人が親の代表数人と面会し、問題の解決を口頭で約束した。その後、地元政府の衛生・保健部門が疑惑の油を検査した結果、品質に問題がないとの結果を出していたが、その後、「浙江省糧油食品検察中心」の検査により、それは融点40度のパーム油であり、石鹸製造の原料にしか使われないものであるのが判明した。
10月11日、行政は同幼稚園に対し、3万元(約50万円)の罰金の処分を下した。12日夜、幼稚園が閉鎖された。
取材を受けたある親は、「一番の心配は、わが子の健康にどういう危害が生じるかだ」と語った。
◎個室ビデオ店放火事件で入院中の男性死亡 死者16人に
大阪市の個室ビデオ店「試写室キャッツなんば店」の放火事件で、煙を吸うなどして入院していた奈良県宇陀市の男性(47)が14日午前、死亡した。同事件での死者は16人となった。
10月14日10時32分配信 産経新聞
◎平均年収4000万円を約束 リーマン社員慰留に躍起の野村
リーマン・ブラザーズのアジア・太平洋部門の買収を決めた野村ホールディングスが、日本法人社員約1300人との正式な雇用契約交渉を開始した。
野村がリーマンを買収した狙いは、ずばり人材。野村に足りないとされる投資銀行部門やヘッジファンド向けセールス部門などを補強することが目的だった。
実際、投資銀行部門については総勢60~70人程度のうち、約50人をつなぎ止めたようだ。
株式部門でも、海外のヘッジファンド向けセールスで広く人脈を持つ外国人ヘッドに「かなりの報酬を提示した」(関係者)と見られ、部下を含め10人弱のチームがとどまる模様。
じつは、野村はこれらの部門を支援するバックオフィス人員も多数引き継ぐ。すでにインドにおいて、「野村よりはるかに高水準」(関係者)のIT技術者を擁するバックオフィス子会社の買収を決めており、連携を図るために日本の人材も必要と判断したのだろう。
このように現時点では、欲しい人材をうまく引きとめている。というのも、野村は買収を決めてすぐに日本法人の社員全員に対し、昨年と同水準の報酬を約束(平均年収は約4000万円)。
野村との簡易的な雇用契約の回答期限だった10月3日までに、多くの社員が応じたという。金融不況で「転職先が見つかりにくい」(関係者)環境であることも奏功した。
とはいえ、うまくいかなかったケースもある。株式のセールスや調査部門などの人員約60人が、同部門を持たない英証券バークレイズ・キャピタルへ転職。「ここは野村の得意とする部門で、自分たちは不要と察したのだろう」(リーマン関係者)という。
実質休業状態の社員の人件費はすでに発生している。「やることもなく暇」(元リーマン社員)な状況を早く解消しなければ、結局は高い買い物になりかねない。
(『週刊ダイヤモンド』編集部 池田光史 )ダイヤモンド・オンライン10月14日(火) 9時 0分配信
◎ 「拉致解決して国交正常化」=首相、対北方針を強調-参院予算委
参院予算委員会は14日午前、麻生太郎首相と全閣僚が出席し、総合経済対策を盛り込んだ2008年度補正予算案の質疑に入った。
首相は、米国による北朝鮮のテロ支援国指定解除を受けた日朝関係について「拉致、核、ミサイルといった懸案を包括的に解決した上で、不幸な過去を清算し、国交正常化を図る基本方針は引き続き堅持したい」と強調した。自民党の吉村剛太郎参院政審会長に対する答弁。
吉村氏は「指定解除で拉致問題解決に向けた交渉のてこを失うのではないか」と指摘。河村建夫官房長官は「拉致問題を含む日朝関係が前進するよう、関係国と6カ国協議の中で一層緊密に連携を取りながら、最大の努力を払いたい」と表明、その上で8月の日朝協議で合意した拉致被害者の再調査を早急に実施するよう北朝鮮に求めていく考えを示した。
10月14日10時18分配信 時事通信
◎守屋前次官が謝罪 防衛汚職公判が結審
防衛装備品納入をめぐる汚職事件で、収賄と議院証言法違反(偽証)の罪に問われた前防衛事務次官守屋武昌被告(64)と、贈賄罪などに問われた防衛商社「山田洋行」の元専務宮崎元伸被告(70)ら4人の公判が14日、東京地裁(植村稔裁判長)であり、弁護側が寛大な判決を求めた。この日で結審し、判決は11月5日の予定。
守屋被告は最終意見陳述で「浅はかな行為から国民の信頼を裏切り、深くおわびする」とあらためて謝罪した。守屋被告の弁護側は「頻繁にゴルフ接待を受けたことに弁解の余地はな
い。罪を逃れる意図は全くないが、国益を損ね、職を曲げる意図で便宜供与をしていない。在職中の数々の功績を、量刑判断の際に考慮してほしい」と訴えた。
4被告は起訴事実を大筋で認めていた。
検察側は9月の論告で「わいろの見返りに日常的に便宜を図り、防衛行政の根幹を揺るがせた」とし、守屋被告に懲役3年6月、約1250万円の追徴金を、宮崎被告に懲役3年をそれぞれ求刑した。
ほかの2人は、贈賄罪などに問われた山田洋行の米国子会社の元社長秋山収被告(71)、有印私文書偽造・同行使罪の元山田洋行執行役員今治友成被告(58)で、求刑は懲役2-1年。2008/10/14 12:42 【共同通信】
◎首相がポスター撮影=解散間近?憶測も
麻生太郎首相(自民党総裁)は13日午後、自民党本部で広報用の写真ポスターやテレビCMを撮影した。党関係者は「総裁に就任してから広報用の写真を撮っていなかったため」としているが、時期が時期だけに「衆院解散近し」との憶測も呼びそうだ。
撮影には古屋圭司広報本部長や河村建夫官房長官らが同席。ただ、撮影現場では解散・総選挙は一切話題に上らなかったという。 10月13日20時56分配信 時事通信
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反 響
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1)「三丁目の夕陽」世代の小生は「子どもの遊び」のほとんどすべてを経験しています。やっぱり豊かな世代だったのでしょう。味噌の握り飯かサツマイモでしたが、おやつはまあありましたし。
<テレビを見ていれば感じる事があっても考える事は少ない。一応の結論をテレビは言ってくれるからである。
しかし自分自身の道筋で考え、ゆっくり結論を出せるのはやはり独りの世界にはまれる読書にまさるものはないように思う。
人生は体積である。寿命と言う長さに経験という縦を掛け、それに付き合いという幅を掛けたのが人生である。問題は付き合いの幅である。その幅が広い人ほど味がある。
加えて本を読むことはいわば他人の人生を居ながらにして吸収するような物だから「つきあい」である。他人と会う事が人生なら他人の書いた本を読むことも立派な人生である。教科書以外に本を何冊読んだかに依ってその人の魅力は違ってくる。>
主宰者の文章。余計なものをそぎ落とした、歯切れのいい、リズム感あふれる、理路整然とした文章は「理想型」です。5年前の論のようですが、本質を突いた論は普遍性をもって、人を感動させます。いい文章に出会うことは財産、お宝を得たようなものです。平井
八女茶(やめちゃ)を嗜む
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毛馬 一三
筆者の家では、食事の後や折を見て八女茶を毎日欠かさず10杯以上常飲している。祖母の実家が福岡県八女郡の八女茶(元は星野茶)の生産家だったのが縁で、子供の頃から八女茶の煎茶や玉露を嗜んできた。
その嗜みはいま猶継続しており、5月の一番茶の時期になると八女茶生産元の祖母の実家から、注文した1年分の八女茶の煎茶と玉露が送られてくる。
70度位に冷ましたお湯をゆっくりと茶葉を入れた急須に移し、3~4回ゆるりと左右に回したあと湯飲みに注いで飲み始めると、筆舌に尽くせないまろやかな風味と甘み、それに他所の茶より濃い味が口内に広がり、至福の瞬間がやってくる。
しかも茶に含まれるカテキンの成分が、ここ10年位の研究で抗ガン作用と抗微生物作用に効果があることが明らかになってきたことから、意識して健康維持のためこの八女茶嗜みの習慣を続けている。
八女茶以外に全国には下記のような有名な茶の生産地がある。
<愛知県(三河茶)、茨城県、(奥久慈茶、猿島茶)、鹿児島県(かごしま茶)、京都府(宇治茶)、岐阜県(美濃茶)、熊本県(肥後茶)、高知県(土佐茶)、埼玉県(狭山茶)佐賀県(嬉野茶)、滋賀県(近江茶)、静岡県(静岡茶)、長崎県(彼杵茶)、奈良県(大和茶)、三重県(伊勢茶)、宮崎県(日向茶)、がある>(日本茶博物館www.kaburagien.co.jp/museum/museum/index.php - 14k -)京都府(宇治茶)、佐賀県(嬉野茶)、静岡県(静岡茶)、長崎県(彼杵茶)、奈良県(大和茶)は過去に飲んだことがあるが、それなりに芳醇で美味な緑茶だったという印象と思い出がある。
ところで最近下記のような記事が出て、目を惹いた。
<緑茶を1日に7杯分ほど飲むことで、糖尿病になりかかっている人たちの血糖値が改善することが、静岡県立大などの研究でわかった。健康な人で緑茶をよく飲んでいると糖尿病になりにくいという報告はあるが、高血糖の人たちの値が下がることを確認した報告は珍しいという。
血糖値が高めで、糖尿病と診断される手前の「境界型」などに該当する会社員ら60人を対象に緑茶に含まれる渋み成分のカテキンの摂取量を一定にするため、いったんいれたお茶を乾燥させるなどして実験用の粉末を作製。これを毎日、湯に溶かして飲むグループと、飲まないグループに無作為に分け、2カ月後の血糖値を比べた。
平均的な血糖値の変化を、「Hb(ヘモグロビン)A1c」という指標でみると、緑茶粉末を飲んだ人たちは当初の6・2%が、2カ月後に5・9%に下がった。飲まなかった人たちは変わらなかった。飲まなかった人たちに改めて飲んでもらうと、同じように2カ月間で6・1%から5・9%に下がった。
2グループで体格や摂取エネルギーなどに差はなく、緑茶からのカテキン摂取量が血糖値に影響したらしい。1日分の緑茶粉末は一般的な濃さの緑茶で湯飲み(約100ミリリットル)約5杯分のカテキンを含み、緑茶粉末を飲んだ人では普通に飲んだ緑茶と合わせ1日に約7杯分のカテキンをとっていた。
研究の中心で、今春に静岡県立大から移った吹野洋子常磐大教授(公衆栄養学)は「運動などの生活習慣改善とともに、食事の中で積極的に緑茶を取り入れてほしい」といっている>。(アサヒコム)
上記の様にカテキンが抗ガン作用に効果があったり、良質な緑茶から抽出されたポリフェノールはビタミンEの10倍、ビタミンCの80倍というすぐれた抗酸化力を持っているといわれているが、緑茶7杯の飲料で高血糖の人たちの値が下がることを確認した報告には驚かされた。
筆者の周りで糖尿病の一歩手前で悩んでいる先輩知人が最近多い。緑茶7杯で高血糖の人たちに効き目があるというなら、早速緑茶の常飲を勧めてみよう。お茶の嗜みは、心の安らぎも導いてくれる筈だから。(了)2008.10.13
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話 の 福 袋
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◎日本の四季
日本はおおむね温帯に位置し、春夏秋冬のいわゆる四季が明瞭に現れる。
冬は日本海側での降雪、太平洋側の晴天が比較的良く出現する。地上天気図では、日本の東海上に発達した低気圧、大陸上に優勢な高気圧がある。
このとき、大陸から吹き出す冷たく乾燥した空気は日本海上で水蒸気の補給を受け、日本海側の地方に降雪をもたらす。
一方、夏、特に真夏には全国的に晴天となり、日最高気温が30度をこえる。地上天気図では、日本付近は太平洋高気圧に覆われる。時として、積乱雲による雷雨が発生することがあるが、おおむね晴天が継続する。
春や秋には、低気圧や移動性高気圧が交互に通過していく。低気圧の通過前には南風が強まり気温が上昇し、通過後は北風が強まり気温が低下する。
このような寒暖を繰り返しながら、春から夏に向けて次第に気温が上昇し、夏から秋に向けて低下する。
春から夏への季節の変わり目には、梅雨と呼ばれる特徴的な時期がある。この期間は、西日本での多雨ばかりではなく、東日本での低温・寡照な
どの特徴がある。
梅雨前線の形成には、チベット高原と偏西風、太平洋高気圧の関係など地球規模の大気の循環が関係している。同様な前線は初秋にも現れ、秋雨(あきさめ)前線と呼ばれる。
夏から秋にかけては、南海上から北上してくる台風により日本付近の天気が大きく影響を受ける。(気象庁)
◎石鹸原料を食用油に、幼稚園でリンパ腺異常の集団発症=浙江省
【大紀元日本10月14日】中国浙江省慈渓市滸山鎮の私立・体芸幼稚園で、園児過の半数を占める200人以上が、リンパ腺の数値は正常値より遥かに高く、腸のリンパ腺が腫れているという同じ症状が診断された。
その後の検査により、同幼稚園の昼食の調理に使われているパーム油は融点40度のもので、石鹸製造の原料であることが判明した。
ある親の証言によると、たまたま調理場に入った親がドロドロで半分固まっている調理用油を発見した。また、調理場は非常に汚く、ゴキブリ、ハエが這い回っていた。
怒った親たちはわが子がこれまでに頻繁に腹痛したり、下痢したりしているのは偶然ではないと警戒して、こどもを病院に連れて診査してもらった。B超音波検査の結果、園児の過半数を占める200人以上が腸のリンパ腺が腫れていると診断された。
10月7、8日の2日間にわたり、数百人の親は幼稚園と市役所前に集まり、問題の調査・解決を求めた。地元メディアの記者が現場を取材したが、帰り道で正体不明のグループに尾行され、撮影映像が強制的に消された。地元メディアはその事件を一切報道しておらず、ネットの書き込みもほとんど消されている。
問題の解決を求め続けている親たちに対し、地元政府機関は責任を擦り付けて、誰一人対応に出てこなかった。8日夜になって、幹部の一人が親の代表数人と面会し、問題の解決を口頭で約束した。その後、地元政府の衛生・保健部門が疑惑の油を検査した結果、品質に問題がないとの結果を出していたが、その後、「浙江省糧油食品検察中心」の検査により、それは融点40度のパーム油であり、石鹸製造の原料にしか使われないものであるのが判明した。
10月11日、行政は同幼稚園に対し、3万元(約50万円)の罰金の処分を下した。12日夜、幼稚園が閉鎖された。
取材を受けたある親は、「一番の心配は、わが子の健康にどういう危害が生じるかだ」と語った。
◎個室ビデオ店放火事件で入院中の男性死亡 死者16人に
大阪市の個室ビデオ店「試写室キャッツなんば店」の放火事件で、煙を吸うなどして入院していた奈良県宇陀市の男性(47)が14日午前、死亡した。同事件での死者は16人となった。
10月14日10時32分配信 産経新聞
◎平均年収4000万円を約束 リーマン社員慰留に躍起の野村
リーマン・ブラザーズのアジア・太平洋部門の買収を決めた野村ホールディングスが、日本法人社員約1300人との正式な雇用契約交渉を開始した。
野村がリーマンを買収した狙いは、ずばり人材。野村に足りないとされる投資銀行部門やヘッジファンド向けセールス部門などを補強することが目的だった。
実際、投資銀行部門については総勢60~70人程度のうち、約50人をつなぎ止めたようだ。
株式部門でも、海外のヘッジファンド向けセールスで広く人脈を持つ外国人ヘッドに「かなりの報酬を提示した」(関係者)と見られ、部下を含め10人弱のチームがとどまる模様。
じつは、野村はこれらの部門を支援するバックオフィス人員も多数引き継ぐ。すでにインドにおいて、「野村よりはるかに高水準」(関係者)のIT技術者を擁するバックオフィス子会社の買収を決めており、連携を図るために日本の人材も必要と判断したのだろう。
このように現時点では、欲しい人材をうまく引きとめている。というのも、野村は買収を決めてすぐに日本法人の社員全員に対し、昨年と同水準の報酬を約束(平均年収は約4000万円)。
野村との簡易的な雇用契約の回答期限だった10月3日までに、多くの社員が応じたという。金融不況で「転職先が見つかりにくい」(関係者)環境であることも奏功した。
とはいえ、うまくいかなかったケースもある。株式のセールスや調査部門などの人員約60人が、同部門を持たない英証券バークレイズ・キャピタルへ転職。「ここは野村の得意とする部門で、自分たちは不要と察したのだろう」(リーマン関係者)という。
実質休業状態の社員の人件費はすでに発生している。「やることもなく暇」(元リーマン社員)な状況を早く解消しなければ、結局は高い買い物になりかねない。
(『週刊ダイヤモンド』編集部 池田光史 )ダイヤモンド・オンライン10月14日(火) 9時 0分配信
◎ 「拉致解決して国交正常化」=首相、対北方針を強調-参院予算委
参院予算委員会は14日午前、麻生太郎首相と全閣僚が出席し、総合経済対策を盛り込んだ2008年度補正予算案の質疑に入った。
首相は、米国による北朝鮮のテロ支援国指定解除を受けた日朝関係について「拉致、核、ミサイルといった懸案を包括的に解決した上で、不幸な過去を清算し、国交正常化を図る基本方針は引き続き堅持したい」と強調した。自民党の吉村剛太郎参院政審会長に対する答弁。
吉村氏は「指定解除で拉致問題解決に向けた交渉のてこを失うのではないか」と指摘。河村建夫官房長官は「拉致問題を含む日朝関係が前進するよう、関係国と6カ国協議の中で一層緊密に連携を取りながら、最大の努力を払いたい」と表明、その上で8月の日朝協議で合意した拉致被害者の再調査を早急に実施するよう北朝鮮に求めていく考えを示した。
10月14日10時18分配信 時事通信
◎守屋前次官が謝罪 防衛汚職公判が結審
防衛装備品納入をめぐる汚職事件で、収賄と議院証言法違反(偽証)の罪に問われた前防衛事務次官守屋武昌被告(64)と、贈賄罪などに問われた防衛商社「山田洋行」の元専務宮崎元伸被告(70)ら4人の公判が14日、東京地裁(植村稔裁判長)であり、弁護側が寛大な判決を求めた。この日で結審し、判決は11月5日の予定。
守屋被告は最終意見陳述で「浅はかな行為から国民の信頼を裏切り、深くおわびする」とあらためて謝罪した。守屋被告の弁護側は「頻繁にゴルフ接待を受けたことに弁解の余地はな
い。罪を逃れる意図は全くないが、国益を損ね、職を曲げる意図で便宜供与をしていない。在職中の数々の功績を、量刑判断の際に考慮してほしい」と訴えた。
4被告は起訴事実を大筋で認めていた。
検察側は9月の論告で「わいろの見返りに日常的に便宜を図り、防衛行政の根幹を揺るがせた」とし、守屋被告に懲役3年6月、約1250万円の追徴金を、宮崎被告に懲役3年をそれぞれ求刑した。
ほかの2人は、贈賄罪などに問われた山田洋行の米国子会社の元社長秋山収被告(71)、有印私文書偽造・同行使罪の元山田洋行執行役員今治友成被告(58)で、求刑は懲役2-1年。2008/10/14 12:42 【共同通信】
◎首相がポスター撮影=解散間近?憶測も
麻生太郎首相(自民党総裁)は13日午後、自民党本部で広報用の写真ポスターやテレビCMを撮影した。党関係者は「総裁に就任してから広報用の写真を撮っていなかったため」としているが、時期が時期だけに「衆院解散近し」との憶測も呼びそうだ。
撮影には古屋圭司広報本部長や河村建夫官房長官らが同席。ただ、撮影現場では解散・総選挙は一切話題に上らなかったという。 10月13日20時56分配信 時事通信
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反 響
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1)「三丁目の夕陽」世代の小生は「子どもの遊び」のほとんどすべてを経験しています。やっぱり豊かな世代だったのでしょう。味噌の握り飯かサツマイモでしたが、おやつはまあありましたし。
<テレビを見ていれば感じる事があっても考える事は少ない。一応の結論をテレビは言ってくれるからである。
しかし自分自身の道筋で考え、ゆっくり結論を出せるのはやはり独りの世界にはまれる読書にまさるものはないように思う。
人生は体積である。寿命と言う長さに経験という縦を掛け、それに付き合いという幅を掛けたのが人生である。問題は付き合いの幅である。その幅が広い人ほど味がある。
加えて本を読むことはいわば他人の人生を居ながらにして吸収するような物だから「つきあい」である。他人と会う事が人生なら他人の書いた本を読むことも立派な人生である。教科書以外に本を何冊読んだかに依ってその人の魅力は違ってくる。>
主宰者の文章。余計なものをそぎ落とした、歯切れのいい、リズム感あふれる、理路整然とした文章は「理想型」です。5年前の論のようですが、本質を突いた論は普遍性をもって、人を感動させます。いい文章に出会うことは財産、お宝を得たようなものです。平井
主宰者より:平井さんこそ。
2)実はたった1度だけ故・三浦和義氏を東京で見かけたことがあります。2005年か2006年の何れだったか。
夜の9時近くに日本橋の大日本インク(現DIC)のビルから外に出た時でした。その瞬間何か私の背後が騒がしくなり、何故か急に雰囲気がガラッと変わった気がしました。
何事かと思って振り向けば、そこには一種独特の異様な服装をした背が高い男が立っていました。その男を取り囲むように数人の女性が群がって何かを呼びかけていたのです。
彼の周囲に漂っていたものは、これがよく言われる「オーラ」というものかと感じさせてくれるものでした。兎に角異様な男でした。その時は頭髪を金色に染めていたようです。
やがて、私にもその女性群から頭一つ抜け出した長身の男性が、かの三浦和義氏だと解りました。女性たちの呼びかけに答えている声に特徴があったからです。「なるほど、世間を騒がせた男だけあって何とも言いようがない雰囲気を醸し出している」といった印象でした。サイパン島で拘束されて以降の彼のテレビの画像を何気なく見ていた限りでは、私にはあの瞬間に感じた一種独特の異様さは消え、オーラも見えなかったのですが。ただそれだけのことですが。 以上 前田正晶
3)プレジデント誌の11.3号の「私が好きな日本人19」で、石原慎太郎君が「感性おける真の師 奥野肇」前編と題して、湘南高校時代の絵画の先生のことを書いていた。
その冒頭というか、104頁の写真に見る彼は、私が言う「神経質で青白き秀才」そのもので、現在の言いたい放題の東京都知事を想像させる何ものもない。
彼の右側に立っているのがその奥野先生だが、何でも不勉強だった私には前任のデッサンと渾名されていた田中先生(石原君は文中Tと書いていたが)すら余り記憶がない。
但し、このTには一度職員室の前の廊下を数名の仲間と土足で駆け抜けた時に、私だけが運悪く!捕まってそこに立たされてしまった。通り過ぎる教師全員に絞られたという忌まわしい記憶がある。正直なところ、私にはこの彼が褒める奥野先生に教わった記憶がないので、彼が此処まで称えているのは意外を通り越して、何処か別の学校のことのように感じた。
石原君は高校1年になった頃から左手で絵を描くようなったのは覚えているし、社会研究班だったかを作ってマル経の勉強をしていたことも記憶がある。
尤も、あの頃の湘南高校は、進駐軍の教育担当官の好みだったらしく、昭和23年(=1948年)から週5日制であった。それに、湘南だけのことかも知れないが授業は全て選択制で、その科目毎に好きな先生を選んで登録する仕組みだった。
だから、もしかすると私は絵画を選択しなかったのかも知れない。だから、奥野先生がおられたという程度の記憶なのだろう。
石原君は機会がある度に湘南中学→高校が好きではなかったと書いているが、今回もそのような趣旨で奥野先生を紹介する傍ら、何故好きではなかったかを解説している。
私は中学3年まで蹴球部に在籍した石原君とは寧ろ親しくしていたので、所謂「良い奴」の彼に含むところはないが、このように湘南を貶すようなことを書く彼には好感が持てない。
彼は東京都知事に就任して、学校群制度とやらですっかり弱体化した東京の旧府立中学で現在は高校となっている往年の有名校を再建すべく、その悪い制度を廃止した。
神奈川県でも革新派の長洲知事が地域性だったかを導入して湘南を含めて県下の県立の有名校をまるで駄目にしてしまった。石原君がこの神奈川県と湘南の状態を知っていればこそ、東京の制度を改革したと思っているのだ。だが、今日またもやプレジデント誌にあのような書き方。後編がどうなるかを期待すべきか否か悩ましいのだが。以上 前田正晶
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身 辺 雑 記
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正しくは「国家テロ支援国家」と前田正晶さんご指摘のように日本のメディアの日本語訳がおかしい。金融法案も「救済」が「安定」に誤訳されていると平井さんが指摘したが直らない。
昔、レーガン大統領も初めはリーガンと呼ばれた。足並みをそろえて直したが、そろってもそろわなくても誤りは直ちに正さなければおかしい。
しかも多すぎる、誤りが。
連合国を国連と意識的に誤訳したのは日本政府。民主党はその国連を世界警察と尊敬するという。民主党は何故、連合国を尊敬するのか。世界中の笑いものになるぞ。民主党が笑われるのは構わないが日本政府が笑われるのは耐え難い。
西から雨がやって来た。予報どおり、東京湾岸は14日、ヒル頃から雨になった。しゅうりん、と打っても漢字が出ない。パソコンに教養は搭載されていない。漢字制限大反対。秋霖。秋の長雨。
夜の9時近くに日本橋の大日本インク(現DIC)のビルから外に出た時でした。その瞬間何か私の背後が騒がしくなり、何故か急に雰囲気がガラッと変わった気がしました。
何事かと思って振り向けば、そこには一種独特の異様な服装をした背が高い男が立っていました。その男を取り囲むように数人の女性が群がって何かを呼びかけていたのです。
彼の周囲に漂っていたものは、これがよく言われる「オーラ」というものかと感じさせてくれるものでした。兎に角異様な男でした。その時は頭髪を金色に染めていたようです。
やがて、私にもその女性群から頭一つ抜け出した長身の男性が、かの三浦和義氏だと解りました。女性たちの呼びかけに答えている声に特徴があったからです。「なるほど、世間を騒がせた男だけあって何とも言いようがない雰囲気を醸し出している」といった印象でした。サイパン島で拘束されて以降の彼のテレビの画像を何気なく見ていた限りでは、私にはあの瞬間に感じた一種独特の異様さは消え、オーラも見えなかったのですが。ただそれだけのことですが。 以上 前田正晶
3)プレジデント誌の11.3号の「私が好きな日本人19」で、石原慎太郎君が「感性おける真の師 奥野肇」前編と題して、湘南高校時代の絵画の先生のことを書いていた。
その冒頭というか、104頁の写真に見る彼は、私が言う「神経質で青白き秀才」そのもので、現在の言いたい放題の東京都知事を想像させる何ものもない。
彼の右側に立っているのがその奥野先生だが、何でも不勉強だった私には前任のデッサンと渾名されていた田中先生(石原君は文中Tと書いていたが)すら余り記憶がない。
但し、このTには一度職員室の前の廊下を数名の仲間と土足で駆け抜けた時に、私だけが運悪く!捕まってそこに立たされてしまった。通り過ぎる教師全員に絞られたという忌まわしい記憶がある。正直なところ、私にはこの彼が褒める奥野先生に教わった記憶がないので、彼が此処まで称えているのは意外を通り越して、何処か別の学校のことのように感じた。
石原君は高校1年になった頃から左手で絵を描くようなったのは覚えているし、社会研究班だったかを作ってマル経の勉強をしていたことも記憶がある。
尤も、あの頃の湘南高校は、進駐軍の教育担当官の好みだったらしく、昭和23年(=1948年)から週5日制であった。それに、湘南だけのことかも知れないが授業は全て選択制で、その科目毎に好きな先生を選んで登録する仕組みだった。
だから、もしかすると私は絵画を選択しなかったのかも知れない。だから、奥野先生がおられたという程度の記憶なのだろう。
石原君は機会がある度に湘南中学→高校が好きではなかったと書いているが、今回もそのような趣旨で奥野先生を紹介する傍ら、何故好きではなかったかを解説している。
私は中学3年まで蹴球部に在籍した石原君とは寧ろ親しくしていたので、所謂「良い奴」の彼に含むところはないが、このように湘南を貶すようなことを書く彼には好感が持てない。
彼は東京都知事に就任して、学校群制度とやらですっかり弱体化した東京の旧府立中学で現在は高校となっている往年の有名校を再建すべく、その悪い制度を廃止した。
神奈川県でも革新派の長洲知事が地域性だったかを導入して湘南を含めて県下の県立の有名校をまるで駄目にしてしまった。石原君がこの神奈川県と湘南の状態を知っていればこそ、東京の制度を改革したと思っているのだ。だが、今日またもやプレジデント誌にあのような書き方。後編がどうなるかを期待すべきか否か悩ましいのだが。以上 前田正晶
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身 辺 雑 記
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正しくは「国家テロ支援国家」と前田正晶さんご指摘のように日本のメディアの日本語訳がおかしい。金融法案も「救済」が「安定」に誤訳されていると平井さんが指摘したが直らない。
昔、レーガン大統領も初めはリーガンと呼ばれた。足並みをそろえて直したが、そろってもそろわなくても誤りは直ちに正さなければおかしい。
しかも多すぎる、誤りが。
連合国を国連と意識的に誤訳したのは日本政府。民主党はその国連を世界警察と尊敬するという。民主党は何故、連合国を尊敬するのか。世界中の笑いものになるぞ。民主党が笑われるのは構わないが日本政府が笑われるのは耐え難い。
西から雨がやって来た。予報どおり、東京湾岸は14日、ヒル頃から雨になった。しゅうりん、と打っても漢字が出ない。パソコンに教養は搭載されていない。漢字制限大反対。秋霖。秋の長雨。