頂門の一針
繰り返す歴史の中で
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古澤 襄
日本も”暗いトンネル”に入る・・・電通OBの竹中哲太さんが遊びにきたので、自然とそういう話になった。トンネルを怖がっていては前に進まない。入った以上は出来るだけ早くトンネルを出るということであ
ろう。
10年前の日本のトンネルはあまりにも長過ぎた。政治の無策がそうさせた。宮沢喜一さんは日本の政治家では、1930年代の世界恐慌について一番知見を備えていた。
世界恐慌とは1929年10月24日にニューヨーク株式市場(ウォール街)で株価が大暴落したことに端を発した世界規模の恐慌である。日本では1927年3月から昭和金融恐慌が発生していた。
宮沢さんはこの1927年経済恐慌に詳しかった。
当時の日本経済は第一次世界大戦時の好況から一転して不況に見舞われていたが、日本の特殊事情として関東大震災の処理のために発行した震災手形が膨大な不良債権と化していた。
そこにもってきて日本の金融システムの整備が完全ではなかったことがあげられる。発生した不良債権の処理が適切に為されず金融不安を起こした。大正期からこれらシステムの不備は認識されていたが、充分な手当てが為される前に恐慌が発生したといえる。
発端は1927年3月14日の衆議院予算委員会で片岡直温蔵相が「東京渡辺銀行がとうとう破綻を致しました」と実際には破綻していなかったにも拘わらず失言して、昭和金融恐慌の引き金となった。取り付け騒ぎが発生、若槻内閣は総辞職に追い込まれている。
蔵相失言もさることながら、根底には震災手形が膨大な不良債権と化していて、その処理が迅速に行われいなかったことにある。その意味では1990年代の不良債権処理や今回の米国におけるサブプライムローンの処理と相通ずるものがある。
この当時の野党は「いまだ経営している銀行について破綻を宣告し、混乱を招いた」と片岡蔵相の失言を追及するのに急で問題の根元を洗い出す姿勢がみられない。国会は紛糾して乱闘騒ぎまで起こっている。
迅速な処理とは何か。国民の税金である公的資金を投入してでも、早期に事態を解決する政治の決断であろう。このことを一番知っていた宮沢さんだったが、政治的な決断が遅れ、処理金額が膨らんで、しかも不況のトンネルが10年間も長引いた。
ブッシュ米大統領も同じ轍を踏もうとしている。
(ふるさわ のぼる 元共同通信社常務理事)
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国家独占資本主義のススメ
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平井 修一
小生は立派な右翼として昇天したいものと、言論の一番右端の隅っこから小さな声をあげている。理論的にはケインジアン・マルキストで、ケインズとマルクスのおいしいところ取り、文学でいえば山本夏彦と司馬遼太郎のおいしいところ取りである。
ふたつの極端を併せ持っているから、大変都合はよいが、自分は何か、単なる口舌の徒かといつも自分自身を不審に思っている。このいい加減さが他人様からばれないように、いつも用心している。
3週間ほど前に経済評論家リチャード・クー氏が「公共投資で景気を回復せよ」という論文を産経紙上に載せた。おやおや、彼は古典的なケインジアンなのだなあ、今どきそれはどうかなあ、と思っていた。
1週間前に有名なエコノミスト、5人ほどが日経平均株価の底を予想していた。皆9500円前後。今は8200円ほどだから全員が外した。
普通のエコノミストは学者だから「非常の時には役立たないなぁ、非常の時には非常の才が必要だなぁ、リチャード・クーの言うところを検証する意味はあるだろう」と思っていたら、13日の産経新聞にリチャード・クーが再びケインズ理論を展開している。曰く「国力を挙げて早急に金融機関に資金を投入して金融不安を払拭せよ」。
99人のエコノミストがおたおたしているなかで、毅然とリチャード・クーが孤高の声をあげている。テネシー・バレー開発公社のような「公共投資で経済運営」論は復活しそうだ(もっとも米国経済が回復したのは戦争特需だという説のほうが有力だが)。
ケインジアン・マルキストとしては、ここではたと思うのである。ははん、市場原理主義ではなく、中国、ロシアの「国家独占(護送船団)資本主義」でしか、今の難局は乗り越えられないだろうなと。
国家主導での社会主義的計画経済を主張したのはナチスで、それは国家統制資本主義と瓜二つである。1929年の世界大恐慌を背景にナチスは「生活第一」と支持を集め、合法的に独裁強国を創り上げた。GDPは米国と並ぶほどだった。
今、日本も世界も、市場原理主義者を叩いている。市場原理主義の極端が「国家独占資本主義」であり、政府が力づくで経済を統制するものだ。口も出せば金も出す、政敵は皆殺しという、まあプーチン流(やりすぎだが)。
簡単に言えば金融機関や主要産業を「一時国有化」すること。国家経済運営のトップにトヨタ、キヤノンなどの優秀な経営者を迎えるのだ。「国家の一時民営化」「PFI民間活力導入」といってもいいだろう。
G7でにやにやしている白川日銀総裁のようなへなちょこの柔なエコノミストではなく、斬った張ったの歴戦の現役の愛国的ツワモノ経営者を迎えて、ゼロ(マイナス)金利政策、量的緩和政策などを断固として進めるのである。
国家としての方向性、目標を明確に設定することも必要だ。前回の大恐慌(1929年)からの回復には「満洲開拓」が奏功したと思う。そのような壮大な目標、例えばフランス並みに「年間7000万人外国人旅行者受け入れ大国」とか、「子育て大国」「高度医療・福祉大国」「エコ・エネルギー大国」「食の安心・安全大国」「世界の海洋警備大国」とか。
それくらいやらないと資本主義は立ち直らないし、やりようによっては日はまた昇るだろう。世界は日の出を待っている。
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読書に親しめない時
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渡部 亮次郎
最近の若者は読書をしない、新聞も読まないと老人は嘆くが、そういう老人だって若い頃そんなに読書家だった人は少ない。まして今は面白い物がたくさんある。読書に親しめなくて普通だ。
テレビがある、漫画がある。ゲーム機なんて昔は考えられなかったが、今はこうした物に一応気を配ると本を、活字を読む時間も気分的な余裕もなくなるのが本当だろう。
日本はアメリカ、イギリス、中国、オランダなどと戦争をして負けたことがある。1930~40年代のこと。私の家には謄写版というものがあった。旧式のコピー機である。だが間もなく材料が手に入らなくなって不要の物となった。
次にゴム長が無くなった。東南アジアで採れる生ゴムを運んでくる船がアメリカの潜水艦に撃沈されるからである。仕方なしに「再生ゴム」といって古いゴムを溶かして作った長靴が配給されたが、2~3日で穴があいた。
道路の舗装なんて田舎では皆無の時代である。雪国の子供たちは学校へ通うのに難儀した。
加えてこたえたのは紙である。製紙工場はみな鉄砲の弾やなんかを作る工場に変えられた為、習字をするにも紙がない。仕方がないから新聞紙に墨を全面塗って乾かし、その上に水で字を書いた。
だからと言って特に上手な字を書けるようになったわけではないが、今でもくずし字が読めるのはその成果だったと思っている。
その頃(いまでいう小学、中学)の先生は「本を読め」とは絶対言わなかった。本がどこにも無かったからである。図書館とか図書室と言うのは戦後の産物である。まして田舎では本棚の有る家さえ皆無だった。高校に入る頃、やっと本屋が目につくようになった。同級生には多くの文学書をすでに読んでいたり、ベートーヴェンをレコードで聞いている奴もいた。これはいかんとあせったものだ。
かなり読んだし書いたりもした。後に三島由紀夫と少年時代を語り合った時に思春期と小説書きの話になって楽しかった思い出がある。
そういう私だがある時期から活字を一切読まなくなった。大学を出てから忙しくなったし、取材して原稿を書く、番組を作るという職業が楽しくてたまらなかったせいである。とくに政治家の取材はどんな小説を読
むより面白かったから寝食を忘れて政治家を追っかけた。
今、二男や孫が代議士(衆議院議員)をしている故河野一郎氏は記者たちから恐がられていたが、私にとってこれほど親切な人はなかった。
だが、やがて本を読まなくてはいけないと思うようになった。30を過ぎようとしていた。何がきっかけだったか。評論家の大宅壮一の「テレビは1億(全国民)総白痴の道具」という言葉に反省したからだったかも知
れない。
1億の国民が同じ番組を見ていれば番組の言いなりになりやすい。毎日そんな事をしているとみな白痴になる、と言う警告だった。そのテレビ会社で働いているのが自分だ。
ところが本を読む、読み始めるというのはなかなか難しい。今の自分に必要そうな本を買って来るが、読み始めてすぐ厭になる、眠くなる。
要するに読書とは習慣なんですね。習慣とは時間をかけなければつくものじゃないが、長い時間読んでいられないのだから習慣はつかない。悪循環である。
一計を案じた。仕事に関係ないが推理小説ならどうだろう。謎解きだから読み始めたら終りまで読むしかない。あるいは途中で厭になったらそれは愚作だったとあきらめればいい。出ていたのはいずれも新書版である。
水上勉、松本清張その他を次々読んだ。読んでいるうちに、特に清張は人間の欲や弱みを書いていたから謎解きを忘れて人生を学んだ。
「砂の器」などは業病に取り憑かれてしまった男の懊悩、子も家も村も捨てなければならない人生の悲しみ、そのすべてを履歴の裏に押し込めて出世しようとする子の別の悲しみを教わって強く影響を受けた。
それで「ものを読む」という習慣がついたようだったので、出版社の友人がたまたま担当していた山本周五郎という小説家の作品を読んだ。驚くなかれ全作品を読んだ。次が司馬遼太郎、これも大体読んだ。
習慣がもう戻らなくなった。以後はもう濫読である。新幹線も外国行きもちっとも退屈ではなくなった。テレビを見ていれば感じる事があっても考える事は少ない。一応の結論をテレビは言ってくれるからである。
しかし自分自身の道筋で考え、ゆっくり結論を出せるのはやはり独りの世界にはまれる読書にまさるものはないように思う。何十年かにたまった本総てをあるところに寄贈してまた本を買っている。
人生は体積である。寿命と言う長さに経験という縦を掛け、それに付き合いという幅を掛けたのが人生である。問題は付き合いの幅である。その幅が広い人ほど味がある。
加えて本を読むことはいわば他人の人生を居ながらにして吸収するような物だから「つきあい」である。他人と会う事が人生なら他人の書いた本を読むことも立派な人生である。教科書以外に本を何冊読んだかに依ってその人の魅力は違ってくる。
とはいっても、もてようとして急に読書家になることは難しい。本人がその気にならなければ付け焼刃に終わる。2003.10.07執筆
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ミュンヘン・森の幼稚園
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永冶ベックマン啓子
ドイツのミュンヘンで現在、3~6歳までの就学前の子供達22人、2人の先生と1人の助手(今子供を通わしている親か、前通わしていた親)により運営されている。
園長先生 ブリギッテ ラオフ さん
開いている時間帯 ; 月,火,木曜日 8;00~14;00
水、金曜日 8;00~13;00
1日のスケジュール
08;00~8;30 登園
08;30~9;00 森の広場に移動
09;00~9;15 丸い輪になり 挨拶と歌 連絡など
09;15 ~10;15 自由遊び
10;15~ 11;00 全員でパンの時間、持参したおやつを手を洗って食べる
11;00~12;00 テーマを作り 遊ぶ
12;00~12;30 輪になり座り、全員で歌い終わりの会
12;30~13;00~14;00 お迎え
幼稚園は、2つのコンテナを持つ。1つは悪天候の場合の保護室、もう1つは 機材 着替え、道具などの保管室として使用。1年中ミュンヘン市から借りた、森の一画を使用している。隣には、大きな樹木がある公園が広がっている。
助手としてつく親の役割
*森での手洗い用に水と洗剤を運ぶ
*月曜日に スープを料理する
*コンテナ の清掃管理
*森の清掃管理
*冬は暖かい飲み物を用意する
*組織連絡 など
幼稚園の3つの大きな指針
*どの子供も、その子の出来る事とやりたい事が、実現可能な組
織とする
*自然を経験させ、自然に敬意を払い大切にする
*どの子も、体と精神で様々な経験をし、どの子にも体験させるように促す
グループは、定期的に決められた森の一部に通い、そこでは様々な遊びや体験の可能性があり、楽しみながら遊び、学び、自分が出来る事を色々とどの子も試していく。
子供が出した遊びのアイデアは、それが可能になるように助けて補助する。
大切なことは、幼稚園の先生の遊びのアドバイスや指導と、子供のイニシアティブの間で バランスが取れることです。
子供達のおやつの時間、お弁当を覗くと(黒パン、チーズ、果物、人参、きゅうり、ナッツ、サラダ)添加物のない食品ばかりでした。
先生からの定期的な提案としては、お絵かき遊び、絵本を読む、歌う、踊る、その他積み木などの遊び、はさみ使い、道具と自然のものでの作業など。四季の変化に合わせて、謝肉祭、イースター、クリスマスを始めとする宗教的行事(カトリック)、夏祭りや収穫祭などお祭りを大切に行い、集中的に体験していく。
森の幼稚園に通う子供達が、学校生活の準備をいかにしているか?
哲学者でもあるペーター ヘフナー博士は、ハイデルベルグ大学で教育学を学び、森の幼稚園の子供の研究をして博士号を授与されました。
学校における森の幼稚園からの子供達の能力と他の幼稚園からの子供達の能力を6つの分類で比較研究し、論文を発表しました。
1 やる気、持続力、集中力
2 社会性
3 授業中の協力性
4 音楽性
5 認知力
6 運動性
この6つの領域で、比較したところ、わずか6の運動性では体は森の中でよく動かしているにもかかわらず、やや劣る以外は、1~5の領域では全て優れていた。
今、ドイツでは就学前の子供の教育に力が入れられ、この博士の研究には大変注目が集っています。ピサの成績では、ドイツの子供の学力低下(州により異なる)が問題とされ、様々な対策が考えられ始めている。
幼稚園の園長先生には、大学での教育を受けた資格が必要という新しい制度も導入された。また、必ず楽器を1つこなせる事も、追加されている。
ドイツ語のKinder Garten(子供達の庭園), キンダーガルテンは、今日世界中で使用されている言葉となりました。
元東ドイツのオーベルヴァイスバッハで生まれたフレーベル(1782~1799 Friedrich Wilhelm Augst Froebel )が、初めてキンダーガルテンを造りました。
一時忘れられていましたが、最近時代に合うと再認識され、世界会議が本年はドレスデンで開催されています。教育学の壮大な理念を持った人物です。
ミュンヘン在住 ナガヤ ベックマン ケイコ 12.10.2008
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話 の 福 袋
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◎金総書記写真、撮影は手術以前か=背景は「真夏」-韓国報道
【ソウル12日時事】韓国の聯合ニュースは12日、北朝鮮メディアが11日に公開した金正日労働党総書記の軍部隊視察の写真が最近ではなく夏に撮影された可能性が高いとの見方を報じた。
金総書記は8月中旬以降に手術を受けたとされるが、撮影はそれ以前とみられるという。
専門家らは北朝鮮は紅葉の時期にもかかわらず、写真には真夏の風景が写っており、7-8月ごろに撮られたものと推定。金総書記は2003年と04年夏にも同部隊を視察しており、当時撮影した写真を公開したとの見方もある。 10月12日15時54分配信 時事通信
◎<ふなずし盗難>1300パック 滋賀・水産会社の冷蔵庫
12日午前9時半ごろ、滋賀県東近江市上平木町の水産加工会社「村井水産」の冷蔵室から「ふなずし」の真空パック1300個(約300万円相当)が盗まれているのを社長(52)が発見した。
県警東近江署は販売目的とみて、窃盗容疑で捜査している。ふなずしは塩漬けしたフナにご飯を詰め、発酵させた県の特産品。
調べでは、冷蔵室には1万パック以上の在庫を種類ごとにケースに分けていたが、特に値段の高い「子持ちふなずし」がなくなっていた。
直売所兼事務所裏の窓の電動シャッターがこじ開けられるなどし、レジから現金約5万円も盗まれていた。店を閉めた11日午後5時ごろから翌12日朝までに盗まれたらしい。10月12日19時39分配信 毎日新聞
◎ビタミンの取りすぎにご用心
ビタミンは健康のためにいいし、食品の中に入っていて害のないものだからたくさん飲んでも大丈夫だと思っている方はいませんか?
実は、ビタミンにも取りすぎると体に悪い影響がでるものがあります。
ビタミンには、脂溶性ビタミンと水溶性ビタミンがあります。
脂溶性ビタミンは、ビタミンA,D,E,Kで、その他が水溶性ビタミンになります。
水溶性ビタミンは取りすぎたものは排泄されますが、脂溶性ビタミンは体内に蓄積され、過剰症が起こることがあります。
ビタミンAを取り過ぎると、頭痛、顔面紅潮、筋肉痛や食欲不振などの症状が現われます。
また、ビタミンDを取り過ぎると、食欲不振、吐き気、頭痛などが現われます。
脂溶性ビタミンとナイアシン、ビタミンB6、葉酸は1日に摂取してよい量が決められています。
通常の食生活でビタミンを取りすぎてしまうことはありませんが、ビタミン剤やサプリメントを飲んでいる方は注意が必要なので決められた量を守って飲むようにしましょう。(大阪厚生年金病院 薬剤部)
◎内閣支持率微減し46%「選挙より景気対策」7割…読売調査
読売新聞社が10~12日に実施した全国世論調査(電話方式)によると、麻生内閣の支持率は45・9%で、内閣発足直後の前回(9月24~25日実施)を3・6ポイント下回った。
不支持率は38・6%で5・2ポイント増えた。米国発の金融危機に関連しては、「今は衆院選より景気対策を優先するのがよい」と思う人は70%で、「衆院選後に景気対策に取り組むのがよい」の25%を上回った。
世界的な金融危機と株価急落が、今後の日本の景気に悪い影響を与えるという不安を感じる人は88%に達した。
衆院選はいつ行うのがよいかを聞いたところ、「来年9月の任期満了までに行えばよい」34%が最も多く、「来年春ごろ」23%と合わせると約6割が来春以降を望んでいた。
「今すぐ」は25%、「年末・年始」は12%だった。衆院比例選で投票しようと思う政党では、自民39%(前回比2ポイント増)、民主31%(同2ポイント増)で大きな変化はなかった。政党支持率は自民38・7%(同
1・3ポイント増)、民主24・3%(同1・5ポイント増)だった。
インド洋での海上自衛隊の給油活動継続については「賛成」47%が、「反対」40%を上回った。 10月12日22時5分配信 読売新聞
◎三菱UFJ、モルガン買収検討も=英紙報道
【ロンドン12日時事】12日付の日曜紙サンデー・タイムズとサンデー・テレグラフは、三菱UFJフィナンシャル・グループ <8306> が米金融大手モルガン・スタンレーの買収を検討していると報じた。
両紙によれば、モルガンは株価急落と米格付け大手ムーディズ・インベスターズ・サービスによる格下げ警告を受け、先行きが不透明になっており、三菱UFJはモルガンへの90億ドル(約9000億円)の出資計画を見直し中。 10月13日6時0分配信 時事通信
◎【本日の歴史の事件簿・豆知識】
1955年10月13日、左右両派に分裂していた日本社会党が再統一大会を開催(社会党再統一)。
社会党再統一とは左右に分裂していた日本社会党が、1955年10月13日に党大会で再統一した。これと後に行われた保守合同により55年体制が成立した。
日本社会党はその硬直的な教条主義から抜け出すことができなかったため、結局、時代の変化、世界情勢の変化、国民意識の変化などに対応することができず、全体的には長期低落傾向を示し衰退していった。
終局的には、社会党党首を首相とする村山内閣が政権を取ると同時に、現実を踏まえて、それまでの社会党の根幹となる政治主張(自衛隊を違憲とし、日米安保条約破棄を主張する)を支持者や党員との議論もなしに一方的に180度変更したことで、最後まで残っていた支持者の離反を招き、社会党は
崩壊した。
◎米国金融危機、外資が中国不動産売却の動き
【大紀元日本10月13日】米国の金融危機により、中国に不動産投資している外国の投資機関は保有の不動産を売却し始めている。
中国紙「中国証券報」によると、これまでに中国の不動産市場に積極的に投資してきた外資は最近変化をみせ、その手持ちの物件を売却しようとする情報が流れ、市場に憶測を呼んでいる。影響は限定的だが、市場の信頼性に水を差すといわれている。
その報道は、米国大手投資銀行及び証券会社のリーマン・ブラザーズ社は事実上破綻したのを受け、外国の投資機構は相次ぎ中国国内の不動産の売却を計画している、と報じた。
同社の破綻が公表されてから、保有している上海市の一等地にある高級デパート「福海商厦」の売却が囁かれている。
モルガン・スタンレー社も保有不動産の一斉売りを計画していると伝えられた。
モルガン・スタンレー社は2003年から2006年にかけて、ホテル風の高級賃貸マンションを多く購入した。例えば、上海市中心部の「錦麟天地」、上海市陸家嘴地区の「中央公寓」など、最近では、それらを値段交渉次第で売却する計画で、保有している「上海環球金融中心」の9%の株式にも興味が薄れていると囁かれた。また、同社の傘下の不動産ファンドも、香港の不動産を売却し始めているという。
業界の専門家は、外国の投資機関にとって、手持ちの不動産を売却して資金を回収するのは、将来の投資機会を探るための急務であると指摘し、国外の投資機関による一斉売りの動きは、市場の信頼性をさらに影響し、悪循環を招き、その撤退もいよいよ非常に難しくなる、と分析した。
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反 響
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2)1345号拝読。
>少年時代は思い出したくもない。少年時代を十分遊びながら京都大学法
学部を軽く卒業した馬場さん。羨ましくて仕方が無い。<
あるHPより
(国民学校6年生の夏)いよいよ引き揚げとなって父と荷馬車に乗り母と別れた。母は別れてから暫くして「こんな体に成って」と知人に言い残して自殺した。(妹の)百合子が如何成ったかは定かでない。
(満州引き揚げ後)
何しろ父の給料が安かったので貧乏を絵に描いた様な生活だった。昼飯がたった2枚の薩摩揚げだった事もある。
運動会には誰も応援に来ないし貧しい弁当を人に隠れて木陰で食べた。
そんな境遇は相当に寂しかった筈だが能く覚えていない。ガードが掛かっているか、生まれつき鈍いんだろう。
冬には長靴にネジを使って締め付ける方式の雪スケートで本町迄往復して遊んだ。何時も腹が減ってる癖に能く走れたものだ。
太い孟宗竹を四半分に割り長靴より少し長く切り先端から数センチの所を火に炙って内側に折り曲げた物で竹スキー滑りもした。長靴で只乗っかる丈の竹スキーで坂の天辺から下迄を転ばずに降りるには相当の技術を要した。当時の本物の山スキーは皆カンダハーだったと思う。
工業高校に行きたかったのだが授業料を払える身分ではなかったので、給料が貰えて勉強が出来る養成所に入る事に成った。
現在の所感
島倉千代子や小泉じゃないけれど、人生色々ですね。(北海道)
3)ミュンヘンの熊谷さん、無知でした。勉強します。これからも教えてください。(平井修一)
4)三浦和義元社長の自殺で、あの彼がずっとかぶっていた帽子に書かれていた"Peace pot microdot"とは何かとの疑問が湧いてきました。
産経をはじめとする多くのマスコミの解説は「お幸せに、さようなら」という若者に俗語(=スラング)とありました。だが、何となく腑に落ちなかった私は「ひょっとして?」と、検索してみました。
すると「出るは出るは」でいささか驚きましたと同時に、自らの不明を悟りました。すなわち、この3つの言葉は全て麻薬等を表す隠語で「俗語でPeaceは禁止薬物の錠剤、Potは大麻、Microdotは合成麻薬・LSDのカプセルのことを意味する」とありました。
ヒッピーたちはこれを別れの挨拶に使うそうです。 Potが大麻というか"marijuan"=「マリファナ」を指すくらいは聞いて知っていましたが、他は初耳。「俺の英語の知識は時代遅れか」と思わぬところで反省させられて次第です。
しかし、三浦元社長があの帽子がそういう言外の意味を表していると承知して買ったのか、あるいは持っていたのか?あるいはそのような帽子を麗々しくかぶっていたことが何かを意味するのか、またまたマスコミの興味を惹くのではないでしょうか?以上 前田正晶
5) 平成20(2008)年9月28日(日)本誌1330号「特刊」に掲載されました拙文「門前天満宮の例祭・注連練り」の中の本文66行の一部を訂正します。【誤】「玉串を奉天し」【正】「玉串を奉奠し」WP漢字変換
間違いのためです。馬場伯明
6)12日(日)のTBSの早朝番組「時事放談」に野中広務氏が半藤一利氏とともに登場しました。司会者が御厨氏。
全部見たわけではありませんが、確かに麻生総理を貶すことを言っていたのは間違いないでしょう。「私は彼を好きではないが」と振ってから入っていきました。
私が聞いている間には、文藝春秋に掲載された総理自身の論文が槍玉に挙がっていました。他のマスコミの論調よりも遙かに厳しく批判していました。半藤氏も「自分が文春にいたら、あのような企画を採り上げただろうか?」と同調していました。
私の感覚では「野中広務、老いたり」で、嘗てのような毒が消えかかり、ただ単に老政治家が好意的ではない論調で麻生総理を批判していただけのように聞こえました。
私は高名な半藤という人物が何処を向いているのか知りませんが、野中氏に同調すると言うよりも、何処か阿ってる感すらあったのが、ジャーナリズム出身の人としては意外に感じました。
私は麻生氏がどれほどの立派な識見と「総理に就任したら是非これだけは成し遂げたい」といった旗を掲げていたとも思えないのです。また、総理として期待するよりも何よりも、何に期待したらよい人かが未だに不明なのです。
であれば、50%に満たなかった世論調査の支持率は、私と同様に「支持すべきか否か」が解らない人が半数近くいたことを示していたのではないかと、妙に納得しました。以上 前田正晶
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身 辺 雑 記
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東京湾岸に気持ちのいい秋が来たと思ったら、14日はもう雨だという。一雨ごとに秋は深まり、要するに寒くなって行く。四季とはそういうことなのだ。仕方がない。
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日本のお姉さんの意見。↓
満州から帰ってjきた人が、運動会でも家の人が来ないし貧乏でお弁当も隠れて食べたという部分が印象に残った。満州帰りの人たちは、みんなそんな風に貧乏だったのだと思う。たぶん、今は70歳を過ぎている人だと思うが、お年寄りの方々の思い出話は聞いておくものだ。お年寄りの経験を聞いた人たちが、次の世代に彼らの経験を伝えていく。そうやって日本の歴史を共有していくのが人間なんだと思う。イスラエル人が、出エジプトの記念の祭りを今でも行っているのと同じだ。自分たちの歴史を子孫に伝えていくために行っているのだ。
渡辺亮次郎おじいさんの記事では、戦争中にゴムや紙が無かったことや、今で言う図書館が無かったことなども、初めて知った。本当に物が無かったのですね。