北朝鮮「市民団体を利用」(博士の独り言)
北朝鮮「市民団体を利用」(博士の独り言)http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-1938.html
北に利用される「市民」団体鹿児島の市民団体が訪朝 「すべてが感動的」
「鹿児島県出水市日朝友好協会」訪朝団(団長=小田原章会長)のメンバーら17人が朝鮮対外文化連絡協会(対文協)の招請により9月8~10日、朝鮮を訪問した。今回の訪朝は、朝鮮建国60周年を祝うとともに、日本メディアの影響により会員の中に残っている朝鮮に対するマイナスイメージを取り除き、真の日朝友好親善運動を展開するきっかけを作る目的で行われた。朝鮮新報 10月8日付記事より参照のため抜粋引用/写真は朝鮮新報の同記事より参照のため引用
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「市民」を利用する特定国
表題に引用する記事は、朝鮮総連の機関紙「朝鮮日報(10月8日付)」のものだ。「すべてが感動的」と訪朝者の言葉を伝えるこの記事を読むにつけ、以前(旧ソビエト時代)に、モスクワ大学に短期留学(語学留学)した、という学生諸兄から聞いた話を思い出す。筆者がまだ高校生の時であり、学園祭を訪問した時に、この学生諸氏と出会(くわ)し、「話をして行かないか」と誘われて聞いた話である。
その学生諸氏は、表題に登場する「市民」と同様に、こちらはモスクワの感想について、すべてが「感動的」と語っていた。また、「ソビエトほど完成度が高い国はなく、ソビエトほど平和を考えている国は他にはない」とまで断言していた。若年の筆者でさえ、ああ、この人達は洗脳されて来たのだな、と直感できた。興味深く話を聞いてみると、その「短期留学」はあらかじめ主催大学とモスクワ大学との打ち合わせの上で、ルーチン化されているものであることが分かった。表題記事(朝鮮新報)にも、云く、「同協会会員の訪朝は2002年4月、2005年8月、2007年8月についで今回で4回目。出水市からは6年間で延べ45人の協会会員らが訪朝した」とあるが、この行事もまたルーチン化されている、と認識して差し支えないだろう。
こうした「行事」を組む。その「行事」の中では、いわゆる、“良いところ”しか見せない。参加者の生年月日や趣向といった個人情報をあらかじめ掌握しておいて、記事中にあるような「誕生祝い」のサプライズで感動させる。あるいは、他人があまり知らないはずの「好物」を差し出して、サプライズで感動させる。これらは、特殊な国の行事ではごく「普通」に使う手法であることに気づくべきだろう。感動させて、「心」に隙(すき)が広がったところへ、併せて“良いところ”ばかりを見せ、都合勝手な美辞麗句や理屈を植え付けるのである。いわゆる、創価学会、統一教会などの信者「洗脳」と同じ方式であり、これらの手法の淵源をたどれば、同様に、これら特殊な国々の手法に行き着くのかもしれない。
これらの手法を何のために用いているか、と謂えば、「プロパガンダ」拡散のために違いない。いわば、「市民」を宣伝要員に造り替えるためだ。表題のケースは、北朝鮮の人間が直接宣伝するよりは、「日本人」の口を借りて宣伝する方が効果的だ、と。その目的性が露骨に表れた事例と指摘できる。記事の中には、参加した日本人「市民」の感想として、云く、「平壌を初めて訪問し、驚きと衝撃に頭を打たれる思いがした。日本の報道から得ていた朝鮮のイメージはすべて間違っていた。見る物や聞くこと、平壌の人々の対応などすべてが感動的だった。対文協の黄局長は私の仕事にも興味を示してくれて、さまざまな面で話ができた。私は、自分が見て聞いて感じたことを正確に世界に発信していきたい。そして日朝国交正常化の実現に寄与したいと思った」と力強く語った」と。
「自分が見て聞いて感じたこと」とはいえ、「見せられて」「聞かされて」「感じさせられた」ことであろう。2~3日の行程で、その国の何がお分かりになるのであろうか、との基本的な疑問も抱かざるを得ない「お話」に映るが。
「鹿児島県出水市日朝友好協会」訪朝団(団長=小田原章会長)のメンバーら17人が朝鮮対外文化連絡協会(対文協)の招請により9月8~10日、朝鮮を訪問した。今回の訪朝は、朝鮮建国60周年を祝うとともに、日本メディアの影響により会員の中に残っている朝鮮に対するマイナスイメージを取り除き、真の日朝友好親善運動を展開するきっかけを作る目的で行われた。朝鮮新報 10月8日付記事より参照のため抜粋引用/写真は朝鮮新報の同記事より参照のため引用
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「市民」を利用する特定国
表題に引用する記事は、朝鮮総連の機関紙「朝鮮日報(10月8日付)」のものだ。「すべてが感動的」と訪朝者の言葉を伝えるこの記事を読むにつけ、以前(旧ソビエト時代)に、モスクワ大学に短期留学(語学留学)した、という学生諸兄から聞いた話を思い出す。筆者がまだ高校生の時であり、学園祭を訪問した時に、この学生諸氏と出会(くわ)し、「話をして行かないか」と誘われて聞いた話である。
その学生諸氏は、表題に登場する「市民」と同様に、こちらはモスクワの感想について、すべてが「感動的」と語っていた。また、「ソビエトほど完成度が高い国はなく、ソビエトほど平和を考えている国は他にはない」とまで断言していた。若年の筆者でさえ、ああ、この人達は洗脳されて来たのだな、と直感できた。興味深く話を聞いてみると、その「短期留学」はあらかじめ主催大学とモスクワ大学との打ち合わせの上で、ルーチン化されているものであることが分かった。表題記事(朝鮮新報)にも、云く、「同協会会員の訪朝は2002年4月、2005年8月、2007年8月についで今回で4回目。出水市からは6年間で延べ45人の協会会員らが訪朝した」とあるが、この行事もまたルーチン化されている、と認識して差し支えないだろう。
こうした「行事」を組む。その「行事」の中では、いわゆる、“良いところ”しか見せない。参加者の生年月日や趣向といった個人情報をあらかじめ掌握しておいて、記事中にあるような「誕生祝い」のサプライズで感動させる。あるいは、他人があまり知らないはずの「好物」を差し出して、サプライズで感動させる。これらは、特殊な国の行事ではごく「普通」に使う手法であることに気づくべきだろう。感動させて、「心」に隙(すき)が広がったところへ、併せて“良いところ”ばかりを見せ、都合勝手な美辞麗句や理屈を植え付けるのである。いわゆる、創価学会、統一教会などの信者「洗脳」と同じ方式であり、これらの手法の淵源をたどれば、同様に、これら特殊な国々の手法に行き着くのかもしれない。
これらの手法を何のために用いているか、と謂えば、「プロパガンダ」拡散のために違いない。いわば、「市民」を宣伝要員に造り替えるためだ。表題のケースは、北朝鮮の人間が直接宣伝するよりは、「日本人」の口を借りて宣伝する方が効果的だ、と。その目的性が露骨に表れた事例と指摘できる。記事の中には、参加した日本人「市民」の感想として、云く、「平壌を初めて訪問し、驚きと衝撃に頭を打たれる思いがした。日本の報道から得ていた朝鮮のイメージはすべて間違っていた。見る物や聞くこと、平壌の人々の対応などすべてが感動的だった。対文協の黄局長は私の仕事にも興味を示してくれて、さまざまな面で話ができた。私は、自分が見て聞いて感じたことを正確に世界に発信していきたい。そして日朝国交正常化の実現に寄与したいと思った」と力強く語った」と。
「自分が見て聞いて感じたこと」とはいえ、「見せられて」「聞かされて」「感じさせられた」ことであろう。2~3日の行程で、その国の何がお分かりになるのであろうか、との基本的な疑問も抱かざるを得ない「お話」に映るが。
「イメージ」より事実が「問題」
この種のプロパガンダ記事やパンフレットの類には、たとえば、「イメージ」が変わった。間違った「イメージを持っていたことが分かった」(要旨)、の体験者の“感想”で論旨が綴(つづ)られるケースが実に多い。問題とすべきは、「イメージ」の類ではなく、その「事実」である。現実に、多数の日本人が北朝鮮に拉致されたまま「未解決」の状況にある。北朝鮮の宣伝「市民」となって、同国の「イメージ」をどう勝手に変えようとも、北朝鮮をどのように礼賛しようとも、現実の問題解決がなされ無い限り、拉致問題は解決できないのである。たとえば怪我をして、勝手に「治る」「治る」とイメージしても、適正な手当をしなければ治らない。むしろ悪化する場合がある。それと同じ理屈に他ならない。
その現実への対処の一環として、麻生内閣は、この10月8日に全閣僚を集めてこの13日に期限が切れる北朝鮮に対する制裁措置について、云く、「(拉致被害者の再調査実施の)ボールは向こう側にあるが、返答が一切ない。拉致も核もミサイルの問題も進展が全くない状況で、経済制裁だけ解くことはなかなか難しい」と述べ、半年間延長する考えを示した」(「産経新聞(10月9日朝刊)とあった。また、この席で、「首相は自らが本部長を務め、全閣僚が参加する政府の拉致問題対策本部を近く開催する考えも示した」(同)とあった。職務が山積する中で、俊敏な対応に映る。
この10月3日に閣議決定した、「韓国の竹島への不法占拠は「わが国に対する主権の侵害」との認識を改めて示した政府答弁書といい、大きく報道されてはいないが、首相としての要所を締めた対応が続いている。拉致被害の疑いがある特定失踪者を含めれば、日本人被害者が100人も達しようとしているこの時節に、北朝鮮の宣伝「市民」の徘徊を見るほどに、麻生首相の毅然とした対応に期待を強める1人である。
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【付録】 拉致事件と闇政治議員
拉致犯辛光洙(シン・グァンス)を含む 「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」と題する韓国大統領(当時)宛の日本人拉致犯人の助命嘆願書(1989年)において、6名の公明党議員、ならびに社会民主連合(当時)の江田五月、管直人、田英夫の各氏と共に、旧社会党の(現・民主党を多数含む)の国会議員諸氏(当時)が大挙して芳名を連ねておられる。当時の新聞、テレビではまったく報じられなかった音柄である。度々の再掲で恐縮だが、はじめて訪問いただいた方のために、ここに芳名を転記する。
衆議院 - 阿部未喜男、五十嵐広三、池端清一、石橋大吉、石橋政嗣、伊藤茂、伊藤忠治、稲葉誠一、井上泉、井上一成、井上普方、岩垂寿喜男、上田哲、上田利正、上原康助、大原亨、大出俊、緒方克陽、岡田利春、小川国彦、奥野一雄、小澤克介、加藤万吉、角田堅次郎、河上民雄、河野正、川崎寛治、川俣健二郎、木間章、上坂昇、小林恒人、左近正男、佐藤観樹、佐藤敬治、佐藤徳雄、沢田広、沢藤礼次郎、渋沢利久、嶋崎譲、清水勇、城地豊司、新村勝雄、新盛辰雄、関山信之、高沢寅男、田口健二、竹内猛、田中恒利、田邊誠、田並胤明、辻一彦、土井たか子、戸田菊雄、永井孝信、中沢健次、中西績介、中村茂、中村正男、野口幸一、野坂浩賢、馬場昇、早川勝、広瀬秀吉、細谷治通、堀昌雄、前島秀行、松前仰、水田稔、三野優美、武藤山治、村山喜一、村山富市、安田雄三、山口鶴男、山下八洲夫、山花貞夫、吉原栄治、渡部行雄、
参議院 - 青木薪次、赤桐操、穐山篤、秋山長造、一井淳治、糸久八重子、稲村稔夫、及川一夫、大木正吾、大森昭、小川仁一、小野明、梶原敬義、粕谷照美、久保亘、久保田早苗、小山一平、佐藤三吾、志苫裕、菅野久光、鈴木和美、高杉延恵、千葉景子、対馬孝且、中村哲、野田哲、浜本万三、福間知之、渕上貞雄、松前達郎、松本英一、丸谷金保、村沢牧、本岡昭次、八百板正、安恒良一、安永英雄、矢田部理、山口哲夫、山本正和、渡辺四郎
「国民の安全と生命と財産とを守る」。その基本使命を有する国会議員が、よりにもよって、国民を拉致した北朝鮮の実行犯を擁護したのである。どこの国の国会議員か。どこの国の政党だろうか、と問わずにはおれない。これら国籍が疑われるその闇政治のについて、1人でもより方にご確認いただければ幸いである。
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辞職すべき政治家
一方、リベラルと称し、日本の政治家でありながら、北朝鮮の側に立った政治思考しかし得ない、加藤紘一氏、山崎拓氏らの存在もある。現在もなお、金正日直下の朝鮮総連を幇助する上記を含む民主党、社民党、公明党議員諸氏とともに、途轍もない国賊である。
この種のプロパガンダ記事やパンフレットの類には、たとえば、「イメージ」が変わった。間違った「イメージを持っていたことが分かった」(要旨)、の体験者の“感想”で論旨が綴(つづ)られるケースが実に多い。問題とすべきは、「イメージ」の類ではなく、その「事実」である。現実に、多数の日本人が北朝鮮に拉致されたまま「未解決」の状況にある。北朝鮮の宣伝「市民」となって、同国の「イメージ」をどう勝手に変えようとも、北朝鮮をどのように礼賛しようとも、現実の問題解決がなされ無い限り、拉致問題は解決できないのである。たとえば怪我をして、勝手に「治る」「治る」とイメージしても、適正な手当をしなければ治らない。むしろ悪化する場合がある。それと同じ理屈に他ならない。
その現実への対処の一環として、麻生内閣は、この10月8日に全閣僚を集めてこの13日に期限が切れる北朝鮮に対する制裁措置について、云く、「(拉致被害者の再調査実施の)ボールは向こう側にあるが、返答が一切ない。拉致も核もミサイルの問題も進展が全くない状況で、経済制裁だけ解くことはなかなか難しい」と述べ、半年間延長する考えを示した」(「産経新聞(10月9日朝刊)とあった。また、この席で、「首相は自らが本部長を務め、全閣僚が参加する政府の拉致問題対策本部を近く開催する考えも示した」(同)とあった。職務が山積する中で、俊敏な対応に映る。
この10月3日に閣議決定した、「韓国の竹島への不法占拠は「わが国に対する主権の侵害」との認識を改めて示した政府答弁書といい、大きく報道されてはいないが、首相としての要所を締めた対応が続いている。拉致被害の疑いがある特定失踪者を含めれば、日本人被害者が100人も達しようとしているこの時節に、北朝鮮の宣伝「市民」の徘徊を見るほどに、麻生首相の毅然とした対応に期待を強める1人である。
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【付録】 拉致事件と闇政治議員
拉致犯辛光洙(シン・グァンス)を含む 「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」と題する韓国大統領(当時)宛の日本人拉致犯人の助命嘆願書(1989年)において、6名の公明党議員、ならびに社会民主連合(当時)の江田五月、管直人、田英夫の各氏と共に、旧社会党の(現・民主党を多数含む)の国会議員諸氏(当時)が大挙して芳名を連ねておられる。当時の新聞、テレビではまったく報じられなかった音柄である。度々の再掲で恐縮だが、はじめて訪問いただいた方のために、ここに芳名を転記する。
衆議院 - 阿部未喜男、五十嵐広三、池端清一、石橋大吉、石橋政嗣、伊藤茂、伊藤忠治、稲葉誠一、井上泉、井上一成、井上普方、岩垂寿喜男、上田哲、上田利正、上原康助、大原亨、大出俊、緒方克陽、岡田利春、小川国彦、奥野一雄、小澤克介、加藤万吉、角田堅次郎、河上民雄、河野正、川崎寛治、川俣健二郎、木間章、上坂昇、小林恒人、左近正男、佐藤観樹、佐藤敬治、佐藤徳雄、沢田広、沢藤礼次郎、渋沢利久、嶋崎譲、清水勇、城地豊司、新村勝雄、新盛辰雄、関山信之、高沢寅男、田口健二、竹内猛、田中恒利、田邊誠、田並胤明、辻一彦、土井たか子、戸田菊雄、永井孝信、中沢健次、中西績介、中村茂、中村正男、野口幸一、野坂浩賢、馬場昇、早川勝、広瀬秀吉、細谷治通、堀昌雄、前島秀行、松前仰、水田稔、三野優美、武藤山治、村山喜一、村山富市、安田雄三、山口鶴男、山下八洲夫、山花貞夫、吉原栄治、渡部行雄、
参議院 - 青木薪次、赤桐操、穐山篤、秋山長造、一井淳治、糸久八重子、稲村稔夫、及川一夫、大木正吾、大森昭、小川仁一、小野明、梶原敬義、粕谷照美、久保亘、久保田早苗、小山一平、佐藤三吾、志苫裕、菅野久光、鈴木和美、高杉延恵、千葉景子、対馬孝且、中村哲、野田哲、浜本万三、福間知之、渕上貞雄、松前達郎、松本英一、丸谷金保、村沢牧、本岡昭次、八百板正、安恒良一、安永英雄、矢田部理、山口哲夫、山本正和、渡辺四郎
「国民の安全と生命と財産とを守る」。その基本使命を有する国会議員が、よりにもよって、国民を拉致した北朝鮮の実行犯を擁護したのである。どこの国の国会議員か。どこの国の政党だろうか、と問わずにはおれない。これら国籍が疑われるその闇政治のについて、1人でもより方にご確認いただければ幸いである。
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辞職すべき政治家
一方、リベラルと称し、日本の政治家でありながら、北朝鮮の側に立った政治思考しかし得ない、加藤紘一氏、山崎拓氏らの存在もある。現在もなお、金正日直下の朝鮮総連を幇助する上記を含む民主党、社民党、公明党議員諸氏とともに、途轍もない国賊である。