久々にうれしいニュース(佐藤守)歴史に学ぶ(佐藤守)
かってはホームレスのたまり場の感があった上野公園だが、漸くまばらになったようだ。
17世紀のオランダの画家・フェルメールは光の天才画家といわれるが、仲間のカレル・ファブリティウス作の「歩哨」が印象的だった。写真では表現できない何かが潜んでいる様に思えて考えさせられたのである。レンブラントが好きな私は、久々にフェルメールの作品に刺激を受けて、5年以上も放置している絵筆をとりたくなった。
主催はTBSと朝日新聞、第一生命だが、TBSも朝日も政治部、社会部の偏向報道に比べて「文化部」の活躍は大いに期待できそうである!
そんなわけで久しぶりに家内と芸術鑑賞して良い気分で帰宅したら、今度は「ノーベル賞受賞」が報じられていた。今朝の産経一面トップは、「ノーベル物理学賞・日本人3氏」と大きく報じている。高エネルギー加速器研究機構の小林誠名誉教授(64)、益川敏英京大名誉教授(68)、米シカゴ大の南部陽一郎名誉教授(87)の3氏である。
経済、政治、社会問題山積で、重苦しい雰囲気が蔓延して国民の気が滅入っている最中、何とも嬉しいニュースである。心からお祝い申し上げるとともに、国民の一人として感謝したい。
しかも南部教授は別として、小林、益川両教授は私より若い! この二人は昭和47年5月から名古屋大学理学部で研究を始め、その一ヵ月後の6月に「風呂から上がった瞬間に、ふっと」6元モデルが頭に浮かんだという。2ヶ月で理論を仕上げ、9月に学術誌に投稿、翌年掲載されたのだという。その頃戦闘機操縦教官であった私は、浜松基地で雫石事件後の『圧縮された教育期間』をこなすべく、土日なしで連日学生達と飛行訓練に明け暮れていたのだが、天才たちはお隣の名古屋で「高度な学術研究」をしていたのであった!
「小林君は頭脳明晰で繊細、私は細かな作業が苦手。全く違う性格の2人がコンビを組んだ」「大胆な着想で突破口を提示する益川さんと、緻密な検証でそれを磨き上げる小林さん。抜群の相性の良さが歴史的な快挙を生んだ」と産経は書いたが、それから30年、漸くその正しさが認められたのである。
名大研究室は「自由な議論を重んじる」所だそうで、それが影響したというが、“とっぴな議論”でも潰すことのない研究室の雰囲気が今回の成果を生んだのだろう。「名古屋大学物理学研究室は伝統があり、これからもその名に恥じないような研究を続け、小林・益川理論を越える新しい発見を目指したい」と飯島徹準教授(素粒子物理学)が語っているが、大いに期待したいものである。自由な発想とそれを許す空間こそが勝利の女神を招くのである。
ところで「全く違う性格のコンビ」という事例からも大いに考えさせられるものがある。人間にはそれぞれ特性があり、万人が「平等」ではないということである。その「特性」を如何に見つけ、導き出すか、が教師の勤めであり、横一列で「平等」だと考える日教組などの愚かさは速やかに撤廃する必要があろう。
労働組合活動に精力を注ぐ『労働者』には、『風呂から上がった瞬間にフット』浮かんだ高度な理論が理解できるような手合いはいない!そんなゆがんだ空間が、あたら貴重な発想や進歩を“封殺”するのである。
組織においても「金太郎飴」のように、どこを切っても同じ顔が出てくるようでは進歩・発展はない。「石橋を叩いて渡る」様な官庁組織はややもするとそうなりがちだから注意する必要がある。出る釘は打たれやすいのも官庁組織だからである。
軍事組織では特にその点に注意する必要がある。司令官が大胆な益川教授で、幕僚長が繊細な小林教授のような組織は、強靭な力を発揮するものだが、上から下まで「金太郎飴」では脆弱極まりない組織になりかねないものである。
経営破たんや事故連発の企業が、ワンマン経営であることが多いのはその弊害からきていると思われる。つまり「言論封殺」である。そこに抵抗する「内部告発」が生まれ、企業全体が蝕まれ、やがて破綻する。国もそうだ。言論封殺して「毒ミルク」や、「毒ギョーザ」事件を隠蔽しても、人の口に戸は立てられない。やがて反発が起きて体制は崩壊する。
今回、感心したのは産経31面の益川教授の言葉である。自分の受賞には触れず、まず「南部先生の受賞」を喜び、今年はある程度受賞を予測していたが、「『自分としては大して嬉しくない。社会のお祭り騒ぎだ』と科学者らしく冷静に“分析”」している点で、「最も嬉しかったのは平成14年に理論の正しさが実験で証明されたときで、それに比べればノーベル賞は『世俗的なこと』と照れた様に白髪に手をやった」とあることだ。
これこそ『専門家』の態度だと思う。まだ68歳、次の成果を大いに期待したいと思う。久々に嬉しいニュースであった。
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歴史に学ぶ(佐藤守)
金融危機で、東証株価はついに10000円を切った。「世界大恐慌か!」と世界中がやきもきしているのに、あれだけ総裁人事で“有名になった”わが「日本銀行」の動きがさっぱり見えないので、不思議に思っていたところ、今朝の産経一面下に「日銀よ、どこへ消えた」という記事が出た。やはり専門家も不思議に感じていたらしい。経済に疎い私には、この事態に効果的な手段があるのかどうか知らないが、せめて国民に「パニック」だけは起こさせないよう配慮する行動を取ってもらいたいものである。パニックは「戦争」につながりかねないからである。
ニューヨーク発の金融大恐慌!といえば、昭和4年(1929年)10月の「世界恐慌」を思い出す。この年は、前年に起きた張作霖爆殺事件の責任者処分が公表され、田中内閣が総辞職、濱口内閣が後を継ぎ、8月に「全国民に訴う」という緊縮政策を放送した。
10月15日には全国官吏の俸給1割カットを閣議決定したが、判事検事等の猛反対で政府はこれを撤回する。その直後の10月24日に恐慌は起きたのであった。
以降国内情勢は混乱を極めるが、翌年11月14日に、濱口首相は東京駅で暗殺される・・・。これは誰もが学んだ第二次大戦前夜の風景だが、現在も何と無くこれに似ている。
10月6日の「正論」欄に、渡辺利夫拓大学長が、自著の「『新脱亜論』で訴えたかったこと」と題して、「日本の歴史、特に開国維新に始まり第二次世界大戦敗北に至る近現代史については、これを十分に理解しておかなければ現代そのものが分からないという思いはかねて強く、時間を見つけては文献を漁っていた。しかし購入した研究書のほとんどは、いまなお自虐史観というのか東京裁判史観というのか、そういう立場から書かれたものがほとんどである。冷戦崩壊から十数年、日本の国際環境は全く変わってしまったのに、そんなことはまるでなかったかのような装いなのである」が「歴史は全て現代である」。「歴史学を学ぶものの問題意識はつねに現代でなければならない」と書いたが同感である。そして「新脱亜論(文春新書)」に書いたポイントは、
1、「現在の日本を取り巻く極東アジアの地政学的状況が、開国維新から日清・日露戦役開戦前夜のそれと酷似しているという観点」
2、「往時においても現在においても日本が独力で自国の安全保障を全うすることはできない。とすれば、日本はどういう国と手を組んだ時に成功し、どういう国に関与した時に失敗したのかを近現代史の経験から学んでおかなければならない。日本は誰を友としていたときに平穏を保ち、誰と付き合ったときに辛酸を舐めさせられたか」
3、「歴史的イフ」つまり「日本が日清・日露戦役に敗北していたらという『イフ』である。仮に日本がいずれかに敗れていたならばまずは清国、ついでロシアの『属邦』に陥っていた蓋然性はきわめて高い」
と、現在の東シナ海問題が抱えている危険性を挙げ、日清・日露戦役で日本が勝利したのは「指導者の徹底的に冷徹な状況認識と果敢な戦略にあったと見て間違いない。明治のリーダー達の戦略に学び、これを現代に生かす道を探るという知的営為が今ほど必要な時期もあるまい」と結んだ。
近現代史のほとんどが、いわゆる「自虐史観」に犯されているのであれば効果は少ないかもしれないが、私は、少なくとも高校で教える歴史は、縄文時代から現代へと辿るのではなく、昭和20年の「終戦」の日から順次遡って縄文時代に至るべきだと思っているから、渡辺学長の「歴史は全て現代である」に大賛成である。大学受験で制約されて、仮に奈良時代以前は「自学自習」になったとしても、影響は少ないと思うのだが、文科省の意見が聞きたいものである。
そして今朝の「正論」欄には、佐瀬昌盛・防大名誉教授が「新冷戦?いや『大戦前』的な発想」と題して、8月のロシアによるグルジア侵攻問題を取り上げ、これを「新冷戦」という文脈でとらえることに抵抗を感じる。「今回のロシアの行動はむしろ『第二次世界大戦的』であり」、今回ロシアが掲げた大義名分は「南オセチア内の『ロシア系住民の保護』だった」から、「瞬間、私は1938年のヒトラーのズデーデンドイツ人政策を想起した。両
者に共通するのは、『国外同胞の保護』なる発想である。第二次世界大戦前の発想だ」と書いた。オーストリー生まれのヒトラーが「祖国が第一次大戦に敗れ、両国とも領土を失うと、ドイツ国籍を取得。やがてドイツの『総統』となり、大ドイツ主義の実現を目指す」。そして「ヒトラーは、この『国外同胞』は住地ごと『祖国復帰』すべきだと主張した」のだが、その後の歴史は周知の通りである。
更に佐瀬教授は「『国外同胞の保護』行動から南オセチア、アブハジアの独立承認、友好協力相互援助条約締結(実質的属国化)までのロシアの措置は、ヒトラーに学んだのではないかとさえ思わせる。いずれ両地域は『住民の意思』で、ロシアに迎え入れられるだろう」と“予言”し、今や欧州各国、特に隣接諸国は、ロシアの行動を厳しく非難するとともに、領域防衛のためにもNATO加盟を考えようとする動きが起きているというが、「スェーデンのビルト外相も、ロシアの行動でヒトラーのズデーデン政策を連想したと語った。これも第二次大戦前の想起だ。冷戦の敗者たるソ連=ロシアに今や大ロシア主義が台頭する気配を、ロシア西方の諸隣国は70年前の大ドイツ主義の記憶をたどりながら、直感しているのだろう」と結んだがこの視点にも同感である。「新冷戦」という言葉に惑わされることなく、何らかのきっかけ次第では「熱戦」も不可避だと考えるべきだろう。
たまたま?とはいえ、これら両論文は、1929年のニューヨーク発世界大恐慌の再来か?といわれる今の時期にタイミングよく掲載された。
歴史に学ばない国は「手痛い目にあう」様な気がするが、わが国の指導者達の誰が気がついているのだろうか?
平穏無事そうに見える国内でも、沖縄や対馬、いや、関東周辺にも「国外同胞」が進出してきている地域が広がりつつあり、いずれ「住民の意思」で、周辺特定アジア諸国が進出して来るかも知れない、などと考えるのは、それこそ“右翼”老人の杞憂に過ぎないというのであろうか?杞憂であって欲しいものだが、歴史は経済危機から「世界戦争」に発展してきたことを忘れてはなるまい、と思うこのごろである。
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佐藤守さんは、68歳なのか。
こういう日本を愛する人の気持ちを
自分に取り入れていかないといけないんだ。
そう思って佐藤守さんのブログを読んでいます。
by日本のお姉さん