頂門の一針「なんで墓作りに一生を奉げた末に、殺されなければいけないのか。悔しい。」
米軍志願して生き返る
━━━━━━━━━━
加藤 喬
実は、子供の頃は軍隊というものを恐れていました。かかり付けのお医者さんが旧帝国海軍の軍医だったので、よくお話を聞いていたのですが、先生はよく「部下に何の理由もなく鉄拳制裁をするような軍隊は駄目ですよ。恐怖で兵を操ろうとしたって、戦争になったら死ぬほうが怖いのだから。指揮官の人となりで動かさなくては」と穏やかな口調で話してくれました。
この逸話が、中学高校時代に味わった、体育会系部活の陰湿な「下級生いじめ」のイメージと重なって、軍隊アレルギーになっていたのです。
80年代初頭、ぼくは東京で目標を見失っていました。「いま何かをしなければならない」という切羽詰った気持ちと体力は有り余っていたのですが、その力のかけどころが見つからず、ひたすら空回りを続けていたのです。
そんな時、たまたま見たのが「愛と青春の旅立ち」という映画でした。若きリチャード ギア演ずるやや不良っぽい主人公は、大学を出たものの行き場所が見つからず、海軍士官候補生学校に入校します。
仲間が次々と脱落する辛い訓練や友人の死を乗り越え、海兵隊訓練下士官 (Marine
Corps drill instructor) に性根を叩きなおされた主人公は晴れて任官。
その日、純白の海軍礼服に身を包んだ主人公に、前日まで辛く当たっていた軍曹が言います「おめでとうございます、少尉殿」 (Congratulation,Ensign)
主人公に敬礼する軍曹の姿がスクリーンに現れた瞬間、自分の中で何かが音を立てて噛み合ったのです。ジグソーパズルの最後の駒がきれいに
はまったかのようでした。
「これだ!ぼくは、敬礼される人間になりたい。名誉ある仕事がほしい!士官になる!これこそぼくの目標だ!」
(This is it! I want to be someone to be saluted. I want an
honorable profession! I will become an officer! This is my
goal!)
映画館の灯りがつき、周りの観客が立ち去ってしまった後も、ぼくは席から動くことができませんでした。ふって湧いたような目的感と使命感に、身体がわなないていたからです。すべてはこの瞬間に始まりました。
ぼくの決心の背景には、軍事マニア的な興味も戦争に行って見たいという好奇心も、ましてや戦場で人を殺(あや)めたいなどという病的願望もありませんでした。
当時の自分が日本で得られなかった「尊敬」(respect) と「名誉」(honor) を手にすること。これがすべてだったのです。
ですから、フランス外人部隊 (French Foreign Legion) やその他の傭兵部隊
(mercenary forces)、海外の戦地に契約で赴く民間警備会社(civilian security
firms) は問題外でした。
自衛隊 (Self Defense Forces) も、当時は今ほど国民に認知も支持もされておらず、自分の目には名誉と尊敬の対象になる軍隊とは映りませんでした。そうなると、軍人の社会的地位が桁外れに高く尊敬の対象である米軍が最適の選択でした。
選択は間違っていませんでした。民主国家アメリカの軍隊では、新兵いじめはもちろんのこと、人種差別、性差別もありませんでした。
それどころか、強面(こわもて)の訓練下士官 (drill sergeant) たちも、自分たちにできないことを新兵に強いたりはしません。
腕立て伏せや腹筋、障害物コースにせよ、まず自分たちで手本を示した後でやらせるのです。
同じことは空挺学校 (Airborne School) でもありました。C130輸送機からの最初の降下の時、震え上がっている我々の前で最初にとび降りたのは大隊長 (Battalion commander) と従軍牧師 (chaplain)
でした。
まず指揮官とふだんは戦闘と関係のない心理カウンセラーが空中に舞ったのです。元気づけられた我々も、後に続きました。
また訓練中、士官は最後の兵隊が食事にありつくまで決して食べません。
飯の恨みは怖いと言いますが、空腹という一番根源的な苦痛の面でも、米軍士官は兵隊の面倒をまず見るという原則が徹底されているのです。
このような軍隊の伝統と知恵の積み重ねのなかで、自分勝手だったアメリカ人の若者が上官の命令に従うことを覚え、次第に世界最強の米軍兵
士に鍛えられていくのだと分かりました。米国社会で士官が尊敬されるのには、このような背景があるのです。
軍服を脱いでから長い年月が経ちましたが、いまでも米陸軍大尉として任務を全うできたことに名誉を感じています。「もしも、の英語会話入門 軍隊式英会話術 Vol 14』より転載(転載許諾済み)
追伸:入隊当時のことは「名誉除隊:星条旗が色褪せて見えた日」(並木書房 2005年)に詳しく書きました。興味があれば読んでみてください。
主宰者註:
並木書店営業部 はeigyo@namiki-shobo.co.jp
◆お知らせ
加藤さんの新刊『加藤大尉の英語ブートキャンプ』は好評発売中!定価は1470円(税込)、送料無料です。注文は、
http://namiki-shobo.co.jp/military/index.cgi
すでにお知らせしましたように、新刊『加藤大尉の英語ブートキャンプ』の全文の音声ファイルがアップされています。無料でダウンロードできます。ご活用ください。
http://www.namiki-shobo.co.jp/boot/top.html
さらに、講義の内容がわかる動画も、ユーチューブにアップしました。ぜひご覧ください。
「入隊」 前編
http://jp.youtube.com/watch?v=pSaetKZvkLY
「入隊」 後編
http://jp.youtube.com/watch?v=rut9caoYOFg
「射撃の安全ルール」編
http://jp.youtube.com/watch?v=4Fz8_XJ6VVg
「射撃」編
http://jp.youtube.com/watch?v=rY6xrVIPGME
「英語をやめたくなったら」編
http://jp.youtube.com/watch?v=LAa-U2ptP2w
━━━━━━━━━━
さあさ、下々の皆さん
━━━━━━━━━━
山堂コラム:236
麻生内閣発足以来の政府自民と野党民主党。総選挙に向けての凌ぎ合い。
今のところはどう贔屓目にみても民主が優勢。国会での代表質問の攻防など、政府自民党側は劣勢どころか痛々しくて見ておれず。
森内閣以来の自民党。劣化の勢い増すばかり。さすが連立の公明も、逃げ腰にじり腰夜這い腰。もっともその公明とは、早く手を切った方が自民のため、とオラずっと前から思ってた。
それにしても、支持率史上最低で、倒れた蜃気楼・森内閣。さっさと後進に道譲り、能登へ退くが筋なれど、その森あーたらこーたらと、いまなお御政道ひっかき回し、ごり押し指図する図々しさ。
「蜃気楼の居座り」と「公明党の深情け」―――、この2つのお邪魔虫。自民劣化の元凶で、いくら麻生がアガいても、前途は真っ暗、奈落の底。
おりしも世界は恐慌前夜。震源地たる米国の、「金融再生法案」審議する、上下両院のまずは下。下院否決の番狂わせ。「オーノー」今度は上からと、あの国の政治も出鱈目で、上よ下よの大騒動。
「さんざ儲けたウォール街。掏(す)ったら今度はオレたちの、税金で救ってやるのかよ?」この一言が効いたわなあ。
それでも米国のハゲタカ高利貸し。隠然たる力はたいしたもの。次期大統領の両候補、民主党のオバマにまで、「この件では政府に協力を」などと言わしめる。
我が国も一足先にバブル弾け、銀行に大量の公的資金(税金)。当時何のためらいもなく投入された。いまの米国よりもずっと甘ちゃん。大和民族のオラたちは、奥ゆかしくて大人しい。
「さんざん儲けた頭取・専務、食い逃げするなこの泥棒―――」などと「はしたない」こと決して言わず。ましてや金融界の大親分、日銀総裁そのひとが、ファンド博打やってても、笑って許す鷹揚さ。
しかれども、あの大量の公的資金。投入したるわが国の、未曽有の財政赤字もたらした、その引き金だったは確かにて、さらに拍車をかけたるが、メリケンかぶれの平蔵よ。
グロバリか市場主義か知らないが、怪しげなる理屈振翳(ふりかざ)し、弱肉強食のピロリ菌。貯金よりも証券へ、投資信託にドル買いや先物・ゴールド・黒ダイヤ。
さむらい債にオイチョカブ。日本列島の津々浦々、ジジイもババアもみな浮かれ、食糧自給放り投げ、1億総博打ホリエモン。猫騙し小泉内閣は、「金融立国日本へ。行政改革進めれば、歪みや痛み伴なうは、当たり前だのクラッカー・・・」
そんな露天の啖呵売(たんかばい)、どうせ横須賀のテキ屋だと、筑豊のヤマ師は言うけれど、ガセネタ掴まされた国民は、香具師の平蔵ともどもに、ようやく騙されたと気がついて、怒りの矛先向けようにも、赤城の忠治ともどもに、テキ屋も香具師もいなくなり、その怒りの塊(かたまり)は、筑豊ヤマ師内閣の、前途に不気味に横たわる、組閣の後の初閣議、その晴れ舞台待ち切れず、放言閣僚第1号。中山大臣放ちたる「教組は癌」の正論は、かえって日教組批判タブー化し、輿石喜ばしただけのお粗末さ。
どうせ放言をするのなら、てめえの担当の国交省、「道路公団こそ本当の癌―――」などと、嘘でも何でも言う方が、なんぼか気が利いてるというもので、心にもないゴタクをば並べるだけの小沢より、ずっと上行く壮大さ。
快挙国民大喝采。いつの間にやら我が国の、永田町や霞が関。本当のことが放言で、民主の言ってるマニフェスト。あんなインチキが真実と、通るご時世になり下がる。
だから純ちゃんの啖呵売、猫騙しの方が大受けの、300議席の大躍進。下々(しもじも)の皆さん!さあさ、お立会。このあと解散待たずして、筑豊のヤマ師の放言も、出るは時間の問題で、どうせやるなら純ちゃんや、小沢に負けぬ大虚言。
大妄想のメガトン級。神舟7号・テポドンやウォール街なぞ屁の河童、川筋仕込みのど根性。ぶっ放したる朝(あした)こそ、晴れて迎える総選挙。それより他にイチの民主党、抑えて勝てる道はなし。(了)
━━━━━━━━━━━
雅子妃の首相演説メモ
━━━━━━━━━━━
花岡 信昭
☆こんな首相演説は初めてだ
なにやら、このところの政治は「サプライズ」の連続である。福田康夫氏の首相退陣に始まって、麻生太郎新政権がばたばたと生まれ、小泉純一郎元首相が引退を表明し、中山成彬氏が「失言」で国土交通相をわずか5日で辞任、さらに引退表明した。
もっとも、政界は来るべき衆院解散、総選挙に向けてまっしぐらに突っ走っているから、新幹線の車窓から見る景色のように、あっという間に通り過ぎる。
だから、いちいち驚いてなどいられないのだが、麻生首相の所信表明演説にはうならされた。新聞社在勤時代を含め、政治ウオッチャーを30年ばかりやってきているから、施政方針、所信表明など首相の演説は(厳密に勘定したわけではないが)100本ぐらい扱ってきた。
本会議場で聞いたり、草稿を読んだり、テレビで見たりと形態はさまざまだが、最後まで「飽きなかった」のは麻生演説。初めての経験である。
政治には「言葉」が最も重要であると多くの人が指摘しているものの、国会から「名演説」が消えたといわれて久しい。そういう実態のなかで、今回の麻生首相の所信表明演説は日本政治に演説を復活させ、ディベートを根付かせるうえでも貴重である。
「畏(かしこ)くも、御名御璽をいただき、第92代内閣総理大臣に就任いたしました」
「118年になんなんとする、憲政の大河があります」
「日本人の、苦難と幸福、哀しみと喜び、あたかもあざなえる縄のごと
き、連綿たる集積があるのであります」
「この言葉よ、届けと念じます」
「日本は、強くあらねばなりません」
「日本は、明るくなければなりません」
冒頭部分からいくつか引用してみたが、これは役人の発想では出てこない表現である。しかも、この「就任にあたって」の次に「国会運営」に言及、民主党に対して、「政局を第一義とし、国民の生活を第二義、第三義とする姿勢に終始したのであります」と激しく攻撃し、対決姿勢を鮮明にした。
他の野党は全く出てこない。そこには、「自民 vs.民主」の2大政党時代を踏まえ、「麻生自民」と「小沢民主」が真っ向からぶつかる「政権選択選挙」をいや応なく国民に意識させようというねらいが込められていたと思える。
☆徒労感を感じた これまでの演説草稿
首相の演説はどういうプロセスで作成されるか。各省がそれぞれ言及してほしいことを提出し、これを首相秘書官(おおむね、財務省、外務省、経済産業省、警察庁から出ている)がまとめる。これに、首相の性格にもよるが、朱を入れて何度か往復があり、固められていく。
だから、できあがったものは、役人の文章の集大成になってしまう。内外課題を網羅しようとするから焦点が絞りきれない。最後のところに、秘書官が探し出してきた故事来歴のエピソードを一つ加える。
いかにも付け足しの印象を深めるだけに終わる。これが成功したのは最近では小泉政権の「コメ百俵」ぐらいだろう。
首相演説の解説記事もずいぶん書いてきたが、「総花的」と形容すれば、まず、こと足りた。あれもこれもと盛り込んでいるのだから、そうとでも言う以外にないケースがほとんどであった。
首相の演説草稿は、演説が行われる前日か前々日、在京各社の論説委員・解説委員(各社3人まで)が首相官邸に集められ、その席で初めて示される。内閣記者会への提示はその後である。
この会合には首相、官房長官以下、官邸の幹部がずらりと並ぶ。ここで首相が演説の趣旨やねらいを説明するのだが、その発言は完全オフレコ(記事にしてはいけない)の扱いになっている。演説の解説、論評の際の参考にするだけである。
以前は官邸の職員が全文を読み上げた。この役所的手法は効率的ではないとして、いつのころからか、会合の始まる30分ぐらい前に、演説草稿のコピーが席に置かれるようになった。
論説委員や解説委員は早めに来て、これを読むのである。読み終えて、なんともいえない徒労感のような空気が支配する。その雰囲気をいまだに覚えている。
そうしたことからすると、今回の演説原稿は、異色の出来栄えである。役人言葉がほとんど出てこない。麻生首相のナマの言葉が散りばめられている。
かねがね、首相官邸に米ホワイトハウスのようなスピーチライターが必要であると感じてきたのだが、今回の草稿をまとめた「アンカー」の力量はなかなかのものだ。
その点からも、この所信表明の作成過程が、官僚支配から「政治主導」への脱皮を意図したものであるのならば、これは大歓迎である。
☆竹下首相を驚かせた演説草稿の書き手
尤も官僚が作成した首相演説でも、出色の内容となった例がないわけではない。竹下登氏が首相時代、環境関係の国際会議に出て演説することになった。外務省と官邸の間で演説草稿がまとめられていった。
何度目かの原稿で新たに加えられた部分があり、竹下氏を驚かせた。
「ハス池のナゾ」というくだりである。こんな内容であった。
「ある池がありました。そこのハスは1日で倍に増えるのです。ある日、池の全面がハスで覆われ、小魚などは死滅してしまいました。それでは、この池の半分がハスに覆われていたのはいつごろだったでしょうか」
この答えは「前日」である。環境問題は放置しておくと取り返しのつかない事態になる、ということを象徴的に示したものだ。
竹下首相はだれがこの部分を付け加えたのか、調べさせた。「小和田事務官でございます」という回答があった。いまの皇太子妃、雅子さまである。
【日経BP社サイト「SAFETY JAPAN」連載コラム「我々の国家はどこに向かっているのか」128回・2日更新】再掲
★★花岡信昭メールマガジン★★627号[2008・10・4]転載
━━━━━━━━━━━
ドイツ・ミュンヘン空港
━━━━━━━━━━━
永冶ベックマン啓子
ミュンヘン市内から北へ30km、標高448mのエアディング モースに、別名 フランツ・ヨーゼフ・シュトラウス空港が今から16年前の1992年5月17日オープンした。市内から電車で40分、車だと30分で到着できる。
1939年から使用されていた古いリーム空港はミュンヘン郊外9!)に位置していたが、準備周到に1晩で大引越を上手くし、見事な組織力を示した。
この後、羽田飛行場から視察団が訪問、その時の通訳は筆者が担当した。
飛行場の名前は、保守政党キリスト教社会主義同盟(CSU)を結成し、バイエルンの父と言われた政治家、当時州首相であったシュトラウス(1915-1988)、から取られて命名された。
彼は肉屋の次男として、ミュンヘンで生まれ育っている。ギムナジウム卒業試験は成績は体育を除き全て優でトップの秀才、ミュンヘン大学でラテン語、ギリシャ語、歴史、文学、経済等を学んだ。
戦争時は西部、東部戦線、デンマーク、ルール地方と転戦し、バイエルンで高射砲部隊に配属され、終戦時の最終階級は国防軍上級中尉、(w.Oberleutnant),1949年ドイツ連邦共和国が発足、第1回連邦議会選挙で当選し、当選回数は 11回、CSUの幹事
長、議長となった。戦後国防大臣や大蔵大臣も務めた人物である。
1952年2月、当時のコンラード・アデナウアー首相(1876-1967)が連邦議会で答弁中に意識を失い倒れた際、シュトラウスは演壇に突進、アデナウアー(当時76歳)を抱きかかえ、頬を数回強く叩き、彼の腕の中でアデナウアーは意識を取り戻して、病院に運ばれ何事もなかった。
この時のシュトラウスの敏速で毅然とした態度と行動は、ドイツ人に強烈な印象を与えた。後CDU,CSUの統一首相として立候補したが、SPDヘルムート・シュミット首相に敗れた。
2003年には、第2ターミナルがオープンし、1618hの面積となった。4000mの滑走路が、2,3km離れて2本あり、ヨーロッパ内では7番目に大きな空港で世界250の都市に飛び立ち、地理的にはEUのほぼど真ん中に位置している。
飛行場建設当時、土地問題で工事が難航した時があった。農業が発達した地域で、飛行場建設予定地のほぼど真ん中に位置する大農家が「先祖代々農業を続け愛着有る土地を、簡単に譲るわけにはいかない」との理由で動きたくないと裁判にかけた。
困り果てた飛行場建設チームは、同じような土地問題が起きている成田空港の問題研究会を作り、メンバーが成田に飛び、その問題を調査して研究した。
帰国して出された結論は、簡単に言えば、農家の土地と州の土地を同面積で交換して、しかも農産物の価格を一般市場価格より高い値段で飛行場の2万人分のレストラン用に購入する。これで、訴訟問題の裁判は丸く終了した。
結果として400人の住民が、転居した。その地域に生息していた鹿、ウサギ、狐、穴熊、針ねずみ、かえる達の為に動物専用の獣の道・トンネルも作られている。
この飛行場は、昨年行われたヨーロッパの飛行場コンクールで、一番美しく魅力的な飛行場として1位に選ばれた。
日本の中部国際空港 セントレアと姉妹関係を結んで文化の交流も為されている。本年は日本女性達による“源氏物語をテーマとした大きなキルトとデコパージュの展示会”がなされ、かなり人気があった。
ドイツ国内では、フランクフルト/マイン国際航空についで2番目に利用客の多い空港である。ヨーロッパで一番利用客が多い空港は、ロンドンのヒースロー、2位がフランクフルト・マイン、3番目がパリのシャルルドゴール空港。
ガラスと白いパイプを使用し、ダイナミックな空間を作り、人間工学的にも時差が調整可能にデザインしてあり、掃除が行き届いてピカピカで無臭である。また 飛行場に到着してから、出発までを最短距離で移動できるようにと、駐車場も個人用乗用車、バス共に十分駐車場は細かく配慮され確保されている。
一番最初のミュンヘンの飛行場は、現在のオリンピック 公園で、1938年のミュンヘン会談のおり、英国のチェンバレン首相はそこに到着している。
本年トランス・ラピッド計画は中止となっているが、液体水素で飛行場内を走るクリーン・エネルギーのバスが増えている。通訳で試乗した事があるが、他のバスとの変化は感じられなかった。
ナガヤ ベックマン ケイコ (ミュンヘン在住) 3.10.2008
━━━━━━━━━━━
明(みん)の十三陵にて
━━━━━━━━━━━
渡部 亮次郎
明の十三陵(みんのじゅうさんりょう)は、中国の北京昌平区天寿山にある明代の皇帝、后妃の陵墓群である。成祖永楽帝以後の皇帝13代の皇帝の陵墓があるため、この通称がある。
このうち定陵は発掘され内部は地下宮殿として公開されている。ここを日本人として初めて見学したのは田中角栄総理である。中国との国交再開に出かけた昭和47(1972)年9月末のことである。同行記者だった私も後を追っかけて見学した。
流石のフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』でも殆ど、情報がない。
文化大革命(1966年―1977)中に発見された。北京郊外の小高い山を散策していた男性が道で石にけ躓いた。何の石か見たら、何か字が彫られている。
「俺は明日、殺される。このたび皇帝が逝去され、明日、ここに葬られる。同時に陵墓造営に一生携わった我々は皆殺しされる。陵墓の構造を知っていて、盗掘の方法を知っているからである」
「だが、悔しい。なんで墓作りに一生を奉げた末に、殺されなければいけないのか。悔しい。だからここに陵墓への入り方を刻んでおく」と刻んであり、正確に入り方と距離を指示してあったそうだ。
共産党政府は指示に基づいて発掘した。地下4階ぐらいの深さに墓があった。石室の入り口の扉は半開きにされていたが、盗掘はされてなかった。
副葬品は地上の会館に展示されていたが、私の目をひいたのは2点。
それは玉の飾り物と金むくの金盥だった。これは厚さ2センチはあった。皇帝はこれに湯を注いで顔を洗い、庶民は一生、皇帝の陵墓建造に携わった末、皇帝薨去と共に殺される。一時に2万人という記録があるそうだ。こんな国があってよいものか。毛沢東の共産革命の動機が分ったような気がした。
通訳の伯母さんに聞いたところでは、明の時代、帝王は甦ると信じられていた。キリストと同じだ。但し、甦る際に帝王[皇帝]は厖大な金銀財宝を娑婆への土産として携えて来なくてはいけない。
だから初めに死ぬときに厖大な金銀財宝が副葬品として埋葬されるわけだが、当然、それを盗む(盗掘)ものがあるから、陵墓の構造は秘密にされなければならないわけだ。
皇帝の跡継ぎが生まれた日から彼の陵墓の建造に村民は動員され、その死とともに皆殺しにされる意味はここにあったわけだ。
この思想は日本にも伝わったのか、天皇陵の盗掘も行われた。その事が明らかになる事の是非があるから、日本では天皇陵の発掘が宮内庁から簡単には許可が出ない、と聞いた事がある。
いずれ中国では皇帝のために庶民は死ぬという哲学。金持ちは飯を食い、貧乏人は餓死するのが当然という社会。そうではいけない、固いメシを粥に展ばしてみんなが等分に生きる社会を築こう、という毛沢東の思想が人口に膾炙した理由が、金の金盥を見て、なんとなく理解できた。
しかし、薄い粥をみんなで啜っているうちは近代国家には何時までも成長できないという考えを持っていたのが実は周恩来とトウ(!))小平。特にトウは毛沢東に睨まれながらも構想を滾らせていた。
それが毛の死とともに一気に「4つの現代化」の手段として開花したのが経済の改革開放化だったわけだが、あまりの急速な資本主義化の結果、様々な矛盾が表面化している。
資本主義を経験したことの無い現在の共産党幹部にとっては、化学工場が稼動すれば有毒な廃液や空気が排出し空気や飲料水を汚染するという単純な理すら分らなかった。
金儲け主義が野放図に進めば官僚の収賄が無限に行われ、肉まんに段ボールを詰めて売る奴や毒を薬だといって売る奴が出るという事も予想できなかった。
だから、そういう奴が出たときにどうすれば国際世論を納得させる方法があるのか、予め考えてもいなかった。仕方ないから中間管理職を死刑にすれば許してもらえると見た。だが駄目だった。メイファーズ。
石油や原子力などエネルギーの代替物は存在するが、飲み水の代替物は無い。飲み水を握った民族が世界を支配するという事をわかっていない。
おそらくそれを分かっても今の中国の様々な汚染を一挙に止められるのは胡錦濤といえども不可能である。あな、恐ろしや。2007・07・18
━━━━━━━
話 の 福 袋
━━━━━━━
◎たばこ1000円、死亡6万人減=500円でも禁煙支援で同等効果-厚労省研究班
たばこが1000円に値上げされたと仮定すると、その後20年間で死亡を約6万人減らせることが、厚生労働省研究班の試算で分かった。喫煙率の最新データがある2006年を基準に計算した。500円でも禁煙成功率が高ければ、同等以上の効果があったとしている。
研究班の片野田耕太国立がんセンター研究員は「値上げは禁煙のきっかけになるが、それだけでは依存に苦しむ人をより苦しめることになる。
楽にやめられるようサポートが必要」としている。
研究班は、たばこ1箱500円、700円、1000円と、禁煙成功率が「低」(全員が自力で試みた場合=13%)、「中」(現状=16%)、「高」(全員が禁煙治療を1回でも受けた場合=33%)、「最高」(全員が5回の禁煙治療を完了した場合=46%)を組み合わせた計12パターンを設定。喫煙ががん死亡に与える影響などから、20年間でどれだけ死者を減らせるか試算した。
この結果、禁煙成功率が現状の「中」で1000円に値上げした場合、死亡は5万9000人減少。700円で4万4000人、500円では2万人だった。
一方、500円でも成功率が「最高」なら6万5000人減らすことができ、1000円で「中」「低」の場合より効果が高かった。 10月4日5時38分配信
時事通信
◎若手議員「もう事務所借りた」 解散延期「資金もたぬ」
「3日濃厚」とみられていた衆院解散が米国金融危機の影響で流れた。麻生太郎首相が補正予算や消費者庁法案を重視する意向を示したことから、解散・総選挙のめどは一転して見えなくなった。
与党内には年明けも含めた「大幅先送り」論もあり、資金的に余裕のない若手候補からは「もう事務所を借りてしまった」「選挙の日程が決まらないといずれ財布が底をつく」と悲鳴があがっている。
「11月が限界。それ以上長引くようなら借金するしかない」。岡山4区から2期目を目指して出馬する民主党の柚木道義氏は自民党総裁選翌日の9月23日、地元に選挙事務所を開設。ポスターや選挙カーの手配なども終えたが、「早く選挙が始まらないと事務所の賃料など資金がもたない」。
東京5区からの返り咲きを狙う民主党の手塚仁雄氏も「いつでもよいから早く日程を決めてほしい。予定が立たない」と打ち明ける。夏から解散を見越して、ポスターやビラの準備などを進めてきた。解散と同時に町中に張られている約2000枚の個人ポスターを政党ポスターに貼り替えるため、ボランティアを確保する必要があるが、そのめども立たない。
集金力が弱いとされる自民党の“小泉チルドレン”も同様に頭を抱える。
静岡7区から出馬予定の片山さつき氏の事務所は福田康夫前首相の辞任を受け、新たに3つ目の事務所を開設することにしたばかり。事務所のスタッフは「臨戦態勢で進めてきたが一体どうなるのか。潤沢な資金があるわけではないので、この先長くなれば…」と表情を曇らせる。
一方、選挙区が決まったばかりのある自民党候補の陣営は「まだ知名度も低いので、少し時間ができるのは正直ありがたい」。総選挙まで時間がないと考え、ポスターなどは、党の機関誌用に撮影した写真を代用するつもりだったという。
「選挙前になると『あと1週間あれば』となるが、今がその状態だった」。解散の延期は、この陣営には、“朗報”という。10月4日8時3分配信 産経新聞
◎京樽、ファミレス事業撤退
吉野家ホールディングス(HD)子会社で持ち帰りずしチェーン「京樽」は3日、和食ファミリーレストラン「海鮮三崎港」「わのか」の23店舗すべてを閉鎖して、ファミレス事業から撤退すると発表した。
ガソリン価格の高騰で車での来店客が減少し、平成20年12月期の同事業の営業損失が前年の1億2000万円から、3億5000万円に拡大する見通しになったため。回転ずし業態の運営は継続する。
これを受けて、吉野家HDは21年2月期の通期業績予想を下方修正した。京樽の店舗閉鎖による特別損失にくわえて、8月に買収したステーキチェーン「どん」ののれん代4億円が発生したことから、最終利益は期初予想の25億円から前年比73・1%減の5000万円になる見通し。
ただ、売上高は「どん」が新たに連結対象に加わったことで、期初予想の1745億円から、前年比15・5%増の1800億円に膨らむ。
中間期については、19年10月に営業譲渡を受けたラーメン専門店運営会社、アール・ワンの業績回復の遅れなどで7億円の特別損失を計上。
最終損益を期初に予想した8億円の黒字から2億1100万円の赤字に修正した。
吉野家が中間期で最終赤字になるのは、BSE(牛海綿状脳症)問題で米国産牛肉の輸入が途絶え、牛丼の販売を全面的に見合わせた16年8月中間期以来となる。 10月4日8時3分配信 産経新聞
◎台湾の人は兵庫県が大好き? 外国人旅行者調査
兵庫県の外国人宿泊客は台湾から訪れた人が最も多く、大阪府は韓国、京都府は米国が最多-。国土交通省近畿運輸局が二〇〇七年、近畿二府四県の宿泊施設を対象に「宿泊旅行統計調査」を実施したところ、兵庫、大阪、京都の三府県に宿泊した外国人宿泊客は、国(地域)別順位が異なっており、それぞれの地域特性が浮き彫りになった。
■華僑の多さを反映? 京都は米、大阪は韓国1位
調査によると、昨年1年間に近畿へ宿泊旅行をした外国人は延べ419万人。大阪の250万人を筆頭に、京都、兵庫の上位3府県で8割以上を占めた。
兵庫には42人が宿泊し、国(地域)別では台湾が94,000人(22%)で1位。その次は韓国が17%で以下、米国14%、中国11%、香港7%と続いた。
大阪は韓国の25%を筆頭に、東アジアからの旅行客が全体の6割以上を占めた。
一方、96万人が宿泊した京都は、国際的な観光地にふさわしく、米国が26%で群を抜き、欧州が15%で続く。韓国は中国と並んで7%にとどまり、アジア中心の兵庫、大阪とは対照的な結果になった。
奈良県、滋賀県は台湾、和歌山県は香港がトップだった。
調査で台湾からの宿泊客が最多だったことについて、兵庫県観光交流課は「神戸を中心に華僑が多く暮らす地域性が表れたのでは」と分析。外国人観光客誘致も、中国をターゲットにした宣伝に力を入れている。
今後は「震災関連の防災施設など、兵庫らしい特色ある観光拠点のPRに工夫を凝らしたい」と話す。
調査は、国交省が初めて、従業員10人以上の宿泊事業所を対象に全国で実施。近畿運輸局が独自に統計をまとめた。
全国で外国人宿泊客が最も多いのは東京都の786万人。2位が大阪。京都は6位、兵庫は11位だった。 (10/4 09:13)神戸新聞
◎金正日総書記がサッカー観戦重病説の中、51日ぶりに動静報道
【ソウル=水沼啓子】北朝鮮の朝鮮中央通信は4日、金正日総書記が金日成総合大学の創立62周年で、学生によるサッカーの試合を観戦したと伝えた。観戦の日時は不明。
金総書記の動静が報じられたのは、北朝鮮メディアが8月14日に軍視察を伝えて以来51日ぶり。
金総書記は、9月9日の建国60周年の記念式典に姿を現さず、米国の複数のメディアが同日、脳卒中を起こした可能性を報じるなど、重病説が流れていた。韓国政府内でも、「脳血管疾患による脳卒中だが意識はあり、回復中」との報告がなされていた。 10月4日23時38分配信 産経新聞
━━━━━━━
反 響
━━━━━━━
1)自民党の「箸の上げ下ろし」にも我々は反対なのだ、田中角栄が睡眠5時間ならば我々は5時間未満で戦わなければならない――。
革命的共産主義者同盟全国委員会・マルクス主義学生同盟中核派横浜市立大学支部・横浜反戦青年委員会という、ジュゲムのような名称を得て、兵隊として這いずり回っていた小生は、直属の上司、全学連副委員長(石井光)のこの言葉を聞いたとき、「睡眠5時間なんて体を壊すだろうなあ」と思った。案の定、角栄は病に倒れてしまった。
無理をしても倒れたら、もう誰もついてこない。安倍前総理も無理がたたって倒れた。いい加減にやるのがいいとは言わないが、体と相談しながらぼちぼちやるほうがいいんではないか、という場面はある。
麻生総理もしばらくは解散風をかわして睡眠をしっかりとった方がいいのではないか。負けそうな戦争に前のめりになるよりも、しばらくはノンビリ、ジックリ、カクジツ、チャクジツ、シッカリ、日本丸を操縦したらいい。「箸の上げ下ろし」にもギャーギャー言う野党には、距離をもって対応してもいいのではないかと素人ながら思う。平井修一
2)昨日漸く思い立ってこの地区で信頼するカイロプラクテイックの林先生に治療して頂きに行った。この先生の治療法はよくある骨をポキポキ鳴らすような何となく痛みを想像させる方法ではなく、仙骨(脊柱の最も下部にある三角形の骨)を調整して「整体」を行うのである。
「何だ、もう終わりですか?」と問いかけたいほどあっさりと終わって、台から降りるとそれまでの苦痛が嘘のように消えているやり方である。
今回は此処2ヶ月ほど全身の疲労感と言うか倦怠感、気力低下、集中力低下、眼精疲労、精神状態不安定で家人をすぐ怒鳴り挙げるような状況が続いて、自分でも「これはいかん」と解っていた。
しかも、その精神状態は去る85年10月にアメリカで交通事故の被害者となって、肋骨2本を折られ、頸椎2ヶ所を損傷して、自律神経失調症から神経性下痢を併発していた。
それが86年には家人どころか、その状態をおして無理に出社しては社内どころか客先まで怒鳴りつける始末で、秘書を苦況に追い込んでいた(そうである)。だが、このことは当人は正常と思っているから、全く知らなかったのだ。今回はその時にほんの少し似ているのかな?とさえ感じ始めた。
ところが、実際には86年には「自分は正常」と信じていた時が異常で、「自分は何処か狂ってきたか」と危うく思っていた時は正常であったと、後に家人と秘書に教えられていた。だか、今回はその時との対比では未だ遙かに安全圏内にあると解っていた。
だが、このように何処か異常が生じてくると、私の場合に何をすれば治して貰えるかを思い出せなくなって苦しむのである。これは自分でも理解できない現象で、一人悶々としているのである。そして、昨日漸く「カイロプラクテイックの林先生に診ていただけばよいのだ」と天啓のように閃くに至ったのである。
そこで早速行ってみた。先生の診断は何時もの通りで「頸骨がずれて顔が正面を向いておらず、背骨もかなり湾曲している」とのことだった。そこで先生は暫く仙骨を指で長押しされた。するとその間にどうやら体内の血流が勢いを増したかのようで全身が温まってくる。
その後は上向いて寝ながら腰骨を両側から器具で数分間矯正して終わりである。台から降りて真っ先に感じるのが世界が明るくなって目が良く見えることと、身体の重心が変わって楽に歩けることである。
約15分ほど歩いて帰宅すると、それまで何処かに蓄積されていた疲労がドッと出てきて、猛烈な眠気に襲われて昼寝をしてしまった。それから覚めて午後3時過ぎ。気分爽快までには至らないが、常人になった感覚であった。
だが、それだけで完全に治ったわけではなく、ここからは先生に解放に向けて頂けた身体を自力で元のように戻すことをせねばならない。これには多分に自分の気の持ちようが影響するので、すぐ怒ったりしないよう、自戒せねばならないのである。
それでも、漸く2ヶ月ほど悩まされたモヤモヤから解放された本日は、天候も回復したことでもあり、先ほど暫く歩いていなかった高田馬場方面に散歩に出て、1時間ほど町の変化を眺めてきた。
因みに"Chiropractic"=カイロプラクティックは「脊柱指圧療法」と辞書にある。86年に廃人の手前まで行っていた交通事故の被害の後遺症である自律神経失調症から出た神経性下痢を、たった1回の治療で治して下さったのはこの先生とは別人の野路秀樹先生である。野路先生に診て頂きに行くのは最後の最後の手段であると考えている考えている名手である。以上前田正晶 (つづく)
━━━━━━━
身 辺 雑 記
━━━━━━━
Chiropractic"=カイロプラクティック(手技)を知る人と知らない人では幸福度において雲泥の差がある。特に交通事故の後遺症、腰痛には覿面だ。
ただし偽物も多いので前もって確かめる事。カイロ40年の経験者は語る、である。
4日13時ごろの東京湾岸。東西南北、空のどこを見ても雲がなかった。
これで5日の夜にはまた雨だという。天気は儚いね。人生はもっと儚いが。
雅子妃は官僚が天職だったのだ。外務省は惜しい人材を失ったものだ。それにしても妃になることを説得したのはどなただろう。皇室にとってもご本人にとっても向かないのが妃だったのではないだろうか。
4日夜はひさしぶり向島の洋食屋。相変わらずハンバーグで焼酎。5日の東京湾岸は、予報に反して快晴。空気はひんやり。深まり行く秋か。
不思議な事もあるものだ。4日は12時間にわたりメールが1件もなかった。
~~~~~~
庶民は一生、皇帝の陵墓建造に携わった末、皇帝薨去と共に殺される。一時に2万人という記録があるそうだ。
所詮、チュウゴクは、昔から
権力を握った者が好き勝手を行える国で、
国民は虫けらと同じ。だから、チュウゴク人は
外国に移住したがる。