アジアの街角から☆ 大統領になり損ねた将軍~大政奉還の真実  | 日本のお姉さん

アジアの街角から☆ 大統領になり損ねた将軍~大政奉還の真実 

▼▽ 歴史再考 ▽▼
☆ 大統領になり損ねた将軍~大政奉還の真実 

 竹下義朗さん          原著:2000/03/07
慶応3(1867)年10月14日、徳川第15代将軍・慶喜は、自らの持つ政権の返上を朝廷に申し出、翌15日、朝廷がこれを受理しました。世にいう「大政奉還」です。

これによって、建久3(1192)年、源頼朝が征夷大将軍(一般的には単に将軍と呼ぶ)に任ぜられ、幕府を開いて以来、約700年続いてきた「幕府政治=武家政治」は終焉を迎えたのです。

しかし、最後の将軍・徳川慶喜が大政奉還の向こうに見据えていたもの、それは、彼なりの戦略に基づいた「新たな政権」への布石だったのです。

というわけで今回は、最後の将軍・慶喜が描き、そして潰え去った「新たな政権」について書いてみます。

まず、第一に知っておいて頂きたい事、それは、慶喜は「大政奉還」後も依然として政治の中心に居続けたということです。決して大政奉還によってお役御免=お払い箱にはなっていないのです。

それが証拠に、10月24日、慶喜が提出した「将軍職辞任の上表」は朝廷によって却下されているのです。----慶喜が実際に将軍職を辞任したのは12月9日の「王政復古」の大号令の時。

確かに朝廷は、「従来の旧習を改め、政権を朝廷に帰し奉り、広く天下の公議を尽くし、聖断を仰ぎ、同心協力、共に皇国を保護せば、必ず海外万国と並立するを得ん」と書かれた「大政奉還の上表」は受理しました。

しかし、朝廷が政権を武家=幕府体制)に委ねてから既に700年もの歳月が流れているのです。今更、将軍=幕府)から政権をヒョイと手渡されても政治の実務に全く関与してこなかった公卿達には、どうしたら良いのか、どこから手を付ければ良いのかすら分からなかった筈です。

つまり朝廷にとっては、ある意味で慶喜の提出した「大政奉還の上表」や「将軍職辞任の上表」は、甚だ迷惑な事だったのです。

さて「大政奉還」によって政権を朝廷に「返上」した筈の慶喜ですが、実は彼自身、何一つ失ってはいないのです。例えば当時の列強諸国の認識動向です。

慶喜は将軍に就任して以来、列強諸国から「日本の皇帝= Emperor」として承認されていました。その彼が、12月9日の王政復古の政変による幕府廃止に伴い、将軍職を辞任(というよりも更迭)させられた一週間後の12月16日、

大坂城(大阪城)に各国公使を引見した際、慶喜は引き続き「自分自身が日本の主権者である」旨を宣言しており、公使達もそれを支持していたという事実です。

更に重要な事は、「大政奉還」にしろ「王政復古」にしろ、朝廷=薩長主体の新政府には、発足当初、日本を統治する何らの実力もなかったという事です。

大政奉還を受理した朝廷は、国家の重要案件や外交問題の処理については「衆議を尽くす」事、その他の案件については「召しの諸侯上京の上、御決定これあるべく」として、諸大名に対して朝廷から上京命令が発せられたのですが、

譜代大名=徳川家直系家臣)の多くがこの命令を辞退(無視)し、朝廷より賜った官位を返上しようとした事実です。

つまり、彼ら譜代大名にとっては、徳川家こそが自分達の主権者であり、外様である薩長が主体の新政権=朝廷)に指図を受ける筋合いはない、と考えた訳です。ーーーだからこそ上京命令無視・官位返上という挙にでたわけです。

これが意味するものは、例え将軍職(列強諸国がいうところの「エンペラー」)を辞したとしても、慶喜が「日本の主権者」である事実に何ら変わりがなかったということです。

そして、その慶喜が最終的に目指したもの、それは将軍に代わる新たな地位、すわなち「日本国大統領」の座だったのです。

「日本国大統領」

慶喜は、自らの政治顧問である西周[にしあまね]に『議題腹稿』を起草させています。これはいうならば「憲法草案」といえるものでした。(以下、概要)

『議題腹稿』に見る徳川慶喜の新国家構想
┌----------
・政府の権=行政権:

政府の首長は「大君=大統領」と称し官僚の任命、全国の行政権を行使する。
また、藩政=地方自治体の政治については「議政院=国会」で議決された法律に抵触しない限り、各藩=地方自治体に任せる。

・朝廷の権=天皇権:

天皇は「議政院=国会」において議決された法律を追認する。朝廷警備軍=近衛師団)は「大君」直領及び各藩から石高に応じて一定人数を割り当てて編成し、士官以上は政府より派遣する。
また、武器携帯者は天皇の直領である山城国(京都府内)への入国を禁止する。

・大名の権=立法権:

立法機関として上下両院から成る「議政院=国会」を設置し、法律・予算の議定、外交・和戦等の重要案件を協議する。上院は大名、下院は各藩一名ずつの藩士によって構成する。
上院議長は「大君」の兼任とし、両院会議において決定しない案件の裁決権と下院の解散権を有する。

・軍事の権=軍事権:

軍事権は当面の期間、諸大名に任せる。ただし情勢が安定した後は政府が全国の軍事権を接収統轄し、軍事統帥権は「大君」に帰すものとする。
└----------

この中に謳われている「大君」こそ、慶喜が将軍職に代わって新たに狙っていた地位なのです。確かにその名称は将軍の対外的呼称であった大君=タイクーン:Tycoon)と同じです。

しかし『議題腹稿』に定義されている新たな大君職は行政府の長であり、立法府の長であり、尚かつ軍最高司令官をも兼任する強大な権限を有しており、それはさながら、古代ローマ皇帝(元首:Princepsプリンケプス)か、アメリカ合衆国大統領(President プレジデント)といったところでしょうか。

そして、それを可能にする素地が実際にあったからこそ、慶喜は「大政奉還」の挙に打って出、将軍職を辞任しても何ら臆することがなかったのではないでしょうか。

「列藩会議」

慶喜は、徳川宗家の持つ強大な軍事力、前将軍という知名度、そして列強諸国から依然として「日本の主権者」として認知されている事実を最大の武器に、

朝廷が諸大名を招集して開催するであろうこの列藩会議において、政治の主導権を掌握し、『議題腹稿』に則って「大君」=事実上の「日本国大統領」に推戴される事を狙っていたのでしょう。

しかし、歴史の歯車が狂い、戊辰戦争において朝敵の汚名を受け、遂に日本国初代大統領の座を掌中にする夢は潰え去ったのです。その後、日本は薩長土肥主体の明治新政府が成立、時をおいて内閣、そして議会が開設されていくのですが、

私は、慶喜の思惑通り事が進み、例え『議題腹稿』に沿った新国家が成立していたとしても、我々の知る歴史とそれ程違った体制になったとは思えないのです。

発足当初こそ大名主体だったとしても、時が経てば当然の事ながら民主化されたでしょうし、天皇も現在の地位である「日本国民統合の象徴」として定着した事でしょう。

要は、明治維新というある種の革命があったかなかったか、改革が急進的だったか漸進的だったかの違いでしかなかったのではないでしょうか。

もし歴史に「if」が許されるのであるならば・・・そう考える時、慶喜が目指した新国家の「その後」の歴史が実際にどのように推移していっただろうか?
と知りたくもあります。
= この稿おわり =68
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られます。―→
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「帝国電網省」の凄いところは、英語バージョンのページがあり「歴史再考」の記事で、外国人に知らせたほうがいいと思われるものについては、英文にして掲載していることです。たくさんの題目がありますが、卑近な例では「従軍慰安婦問題」や「南京大虐殺問題」などです。
我々は日本語では主張していますが、英語ではしておりません。しかし、世界中に訴えるべき主張は、やっぱり英語でやったほうが効果があるわけで、そのご努力には頭が下がります。
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▼▽ インド徒然 ▽▼
☆ 日本人に好評なインドの米料理~ドーサ、イドゥリー ― はぐれ雲さん
先日、インドから出張で東京に来たインドの友人と昼飯を食べる事になった。

純粋のベジタリアン、食べられる物は限られており、従い、インド料理が一番無難である。東京のインド・レストランは老舗が多い。タージ、アショカ、マハラジャ…、沢山あるが、

日本人の味・日本ビジネスに慣れ過ぎたせいか、味はいまいち日本的で、料金は滅茶苦茶高い。昼飯でも飲み物が入れば一人当たり数千円になってしまう。
数人でも数百円で食べていたインド帰りには物足りない味、極めて高価な値段である。

最近インド・ブームのせいか、それとも在日インド人が増えたせいか、日本の会社員が気軽に行けるインド・レストランが増えている。

その日は、結局、赤坂のインド・レストランへ行った。名前は忘れたが、結構美味しい。それほど高くない。オーナーはITビジネスで成功したインド人。

日本でのインド・レストラン経営は儲かる、とよんで始めたらしい。料理人もウェーターもインド人。結構繁盛しているようで昼飯時は満員、ケータリングで女性がずらっと並んでいた。

二日酔いの昼飯、何を食べようか悩む事がある。軽い昼飯、ラーメンや蕎麦は月並みだが、インド料理も魅力的である。インド料理、重いと思われがちだが軽い料理もある。

インド料理は、体調や腹の調子に合わせて食べられるだけ食べれば良い。これが極意である。(残しても誰かが食べる)

インド人の主食は、白米(ご飯)、チャパティー(小麦粉を焼いた薄パン)、プーリー(チャパティーを揚げたもの。揚げたては風船のように膨らんでいる)、ナン(醗酵させた小麦粉をタンドーリで芳しく焼いたパン)、ローティー(ナンと生地は同じだが焼き方が違う。円盤のようにして焼く)等々多種多彩である。

北インドは小麦ベースの主食が多い。その他に数限りない混ぜご飯・インド版チャーハンがある。女性に好評なのは、南インドを代表する食べ物、ドーサやイドゥリーである。

南インドの主食は米飯、特徴は、北インドが乳製品を多く使うのと異なり、南インドでは、ココナッツミルク・果肉を多用する。もち米を使う料理も多い。

主食兼スナックであるドーサは、米粉とえんどう豆の親類である‘ケツルアズキ’の乾燥豆粉を水で溶き、半日ほど醗酵熟成させ、鉄板でクレープ状に薄く焼いたもの。

香辛料で味付けしたポテトや豆類のインド料理をドーサで包んだマサラ・ドーサなどは絶品である。

ドーサと同じ生地を蒸したものがイドゥリー、小さな蒸しパンである。南インド特有のサンバール(濃い野菜カレースープ?)に浸けて食べると美味である。

その他に、名前は忘れたが同じ生地の素材で、10cmほどの‘柔らかい煎餅’みたいなものもある。ココナッツの甘い味がする。これにカレー・エキスを付けて食べるのも良い。

軽食にはサモサ(三角形のジャガイモ・スナック)やパコーラ(インド風天ぷら)などある。魚のパコーラは結構いける。徹底的に火を通して調理してあるので雑菌の心配はない。

日本には米が余っている。米の値段は高い。若者の米離れが当たり前になっている。農業従事者にとっては深刻な問題である。インドの、米を使う料理を若者に流行らせたらどうだろうか。

様々な食材をドーサで包む料理、若者が好む味に仕立てたサンバールにイドゥリーを浸けて食べる料理。もち米を使った料理は南インドに沢山ある。精進料理が殆どである。

雑穀を使った料理も多い。健康食でもある。女性やメタボには受けるだろう。今や地方名物となっているキビ団子のキビは、実は南インド産が殆どである。

コメ問題、頭を使って高付加価値化すれば、色々な商品が出るのではないだろうか…。ドーサやイドゥリーなどは面白いと思うのだが…。

ところで以前、カレーとは日本の味噌汁みたいなお袋の味といったが、カレーの語源については諸説ある。

南インドのタミル語ではKARIという言葉がある。食事という意味である。イギリスは16世紀、香辛料を求めてインドに来た。インド国内の香辛料の主産地は南インド、その南インドの食事=料理をカレーと呼んだようだ。ーーーどうもこれが語源のような気がする。

インドカレー、正しくインド料理である。
 = この稿おわり =

「インド事報・インド徒然」 ▼ 収載ページはこちら!
http://chinachips.fc2web.com/repoas/06haguregumo.html
▼▽ ぽんずの蘇州生活 ▽▼
☆ 今週は国慶節のお休みです ――――― ぽんずさん
10月1日が国慶節ということもあり、中国では今週がお休みとなりました。
振替出勤日を作ってまとめて1週間、ドン!と休みます。
このタイプの1週間お休み、いわゆる黄金週(中国語の漢字では黄金周)は昨年まで、春節=旧正月)、労働節=メーデー)、国慶節と年に3回あったのですが、休日法が改正され、1週間のお休みは、春節、国慶節のみとなりました。
労働節のお休みが短縮されたことで、伝統的なお墓参りの日の清明節=4月5日頃)と、旧暦の端午節と中秋節がお休みとなりました。これらのお休みは、土日と組み合わせて3連休としてもよいそうです。
今年は運よく土日にかかっていたので、振替休日をつくって3連休となっていました。
それに加えて、今年から国慶節のお休みがちょっと変わりました。
今までは10月1日から1週間だったのですが、今年は10月1日の週の月曜日から日曜日まで。つまり9月29日から10月5日までと、週をまたがないように工夫されています。
ちなみにその前の土日(27日、28日)は振替出勤日で週日扱いとなります。
今年の祝祭日のお休みについては、昨年末に発表になっていたのですが、国慶節は休みが減らなかったこともあり、例年のように1日から7日で旅行の日程を立ててしまい、
先月、国慶節のお休みについて正式発表があった時に、大慌てをした人たちもいたようです。
なぜ黄金週が2回に減らされたのかというと、交通手段や観光地に人が集中するのを避けるため、休日の分散化が目的だそうです。これについては、あまり効果がなかったという報道を読んだことがあります。労働節の黄金週は短くなったものの、3日の連休が3回と増え、遠出はしなくても近場での旅行などが増えたためだそうです。それにしても、国慶節の人出は大変なもののようです。
国慶節の朝の天安門前の国旗掲揚に19万人が集まったとか…
朝早くから、すごい人数です。
(国旗掲揚は日の出の時刻にあわせて行われ、今は大体6時10分過ぎ頃)
ちなみに中国、この国慶節のお休みの次は元旦です。
集中しているのがよいのか、分散しているのがよいのか…お休みになるたびに考えてしまいます。
= この稿おわり =

│★│「汚染粉ミルクよりも問題?!」お寄せいただきましたご意見や感想。
「すぎやんさん」60台@男性@近畿
けっして自分の非は認めず、黒を白と言い募る事がDNAに刷り込まれているシナ人は、輸入食品だけは大丈夫という気持を裏切られたから騒いでいる訳ではありません。
メタミドホス入りの餃子事件で、心ならずも自国の非を認めざるを得なかった悔しさをここで晴らしているつもりなのです。
元々その事故米はシナのもので因果応報というものですが、材料の悉くが汚染されているシナ人にとって、この程度の濃度で健康に被害などある訳がない。
それより、自国産の老酒(ラオチュウ)の汚染のほうが、百倍も危ないっちゅうのッ!!
┌──────────「ぽんずさんから」
すぎやんさま、
だいぶ前から、老酒などのお酒も危ないと言われていますが、あまり表には出ないようです。
それにしても、被害が拡大していますね。
先日ふと思ったのですが、店頭から撤去された商品はどうなるのでしょうか..
どこかで流通していたりして、‥‥と不安に思うのは私だけでしょうか。
「ぽんずと中国と日本と」収載ページは ▼ こちら!
http://chinachips.fc2web.com/repo1/011000pengzi.html
┃▼▽ 読者の広場 ▽▼
┌──────────「ユダさん」

非食料バイオエタノール原料~ヤトロファが急浮上 2008/06/04
   
http://chinachips.fc2web.com/syoku/0806041.html

コメントで、現在ベトナムでヤトロファの栽培をしておられる方がおいでとの事、私もバイオ燃料について関心を持っておる者です。一度連絡を取りたいと思っておりますので、メール返信宜しくお願いします。

└──────────

┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」
「第二の人生」さんのメルアドは、中国に戻らないと分かりませんので、もう
チョコッとお待ちくださいませ~~~
└──────────
┃▼▽ あとがき ▽▼
ーーー OJIN は現在無職でございます。

仕事をしないで暮らしていけるほどの身分ではございませんので、何かしなければといろいろ模索しております――――。
その中の一つが「中国や東南アジアの若者を研修生として日本へ派遣」です。
今回日本に戻りまして目の当りにしたのは、どこもかしこも中高年だらけ!という状況。
中国も一人っ子政策ということで若者の割合は多くないはずなのですが、それでもレストランのウエイトレスは若い娘ばかりで、中高年のオバサンなんて見たことがありません。
日本の若い娘はどこで働いているんだろう?ーーー郵便局や銀行にはおりました・・・デパートにも・・・でも、スーパーとなると中年の割合が多くなる。
では夜の巷は?ーーーたまたまそういう店ばかりに当たったのかもしれません
が、ウチはフィリピンばかりで..ん?日本娘が一人います!とか、ウチは全員
中国人で~~す♪とか、私は中国、あの娘はフィリピン、あの娘はブラジルで
この娘はロシアなんていう民族混合店があったり。
日本娘だけの店はないのかな??ーーーという状況でした。
では一方、工場の状況は如何に?
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あそこは日本人従業員が2人いたんだけど、一人はもうかなりの歳だったんだけど亡くなって、もう一人は辞めちゃって、やっていかれなくなっちゃうんでウチが業務を丸請けして人を送り込んでなんとか保っているんだわ。
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この「ウチから人を」の工場も、主力は中国人研修生と実習生で、日本人従業員は僅か、業務を請けて送り込んでいる人員も中国人研修生と実習生・・・・
通りすがりに目にする何かの工事現場で働いている人たちも、大概は中年以上の年齢層です。

で、
若年労働力としての外国人研修生を日本に!を開始することにいたしました。
・・・といっても飲み屋のおねーちゃんをということではございません‥‥。
それ以外で、工業商業農林漁業‥法が認めているあらゆる分野で、当面はまず中国からということになりますが、当メルマガ上でも常々書いておりますように、中国人でも良い人もいれば悪い奴もいる。
その言葉を納得してもらうためにも、派遣人員の選抜にあたっては縁故採用‥というか、現在その人間が暮らしている地域や組織の中での評判や足跡を調べてフルイにかける、そういうやり方でいこうと考えています。そうすれば----またどなたかから怒られるかもしれませんが----ゴミを送り込む懸念は殆どなくなります。そうして、順次東南アジアの国々からもと拡大させていくようにするつもりです。
外国人がこれ以上増えたら困る、とお考えの方もおられると思いますが、しかし、少子化・高齢化・工場は海外に移転して産業は空洞化、国内に残っている産業も3Kの現場は人手が集まらず四苦八苦、、、どうしますか?
困る、嫌だ、だけで何のアクションもしなければ、ズルズルズルと地盤沈下して、抜き差しならなくなっていくと思います。キチンと選択した良い人材を入れていく、ーーー政策や法律が変わらなければ今はこれ以上のことはできませんが、法の許容範囲内で、考え得る限りの最善の方法で実行していくべきじゃ
ないかと思うんです。読者の皆様ご自身が、或いは周囲の方の中にでも、研修生受け入れを希望され
る会社や個人事業者、農林漁業関係の方がおられましたら、お問い合わせいただけますようお待ちいたしております。→
asiadesu@hotmail.com
また、こうしてはどうか、などのご助言やご意見もいただけますと大変幸甚でございます。
日本の連絡拠点を直ちに設けることはできませんが、遠からぬ時期に開設してよりきめ細かな対応ができる体制にしていくつもりです。読者の皆様には、ご理解とご支援のほどを、よろしくお願い申し上げます。
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