頂門の一針 (煙草を掌で消した政治家) | 日本のお姉さん

頂門の一針 (煙草を掌で消した政治家)

煙草を掌で消した政治家
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加瀬 英明
昭和32(1957)年のある日、私は園田直(すなお)代議士と一緒に、

ニューヨークのウォルドーフ・アストリア・ホテルのエレベーターに

乗っていた。引退したマッカーサー元帥に会いに行くためである。

後に福田赳夫内閣、大平内閣、鈴木内閣で外務大臣を務めた

園田氏は、当時、外務政務次官だったが、私と個人的に親し

かった。首相特使として岸信介首相の訪米準備をするために

ニューヨークへ来ていたが、マッカーサーに会いたいというので、

私が仲介の労をとった。私は留学生だった。

ウォドルドーフ・アストリア・ホテルは、28階以上がアパートに

なっている。住人にはマッカーサーのほかにも、コール・ポーター

やウィンザー公(元イギリス国王)夫妻など錚々たるところがいた。

執事に案内されて、広い応接間に通されると、まず、その豪奢な

ことに驚いた。部屋の中は、椅子と絨毯を除けば、すべて日本の

古美術品だった。国宝級の金屏風が3,4双並び、金銀の飾物、

陶器、美術品がところ狭しと置かれている。

公職追放処分を免れようとした日本の有力者から贈られたもの

に違いなかった。

やがて、マッカーサー元帥が入ってきた。ダーク・グレイの

シングルの背広を着ていた。お濠端の連合国軍総司令部の玄関を

颯爽と出てくる姿に慣れている目には、77歳の元帥は年老いて、

一回り小さくなったように見えた。

元帥は座ると、シガレット・ボックスをとって、私たちにタバコをすす
めた。


・・・元帥は私たちの質問に答えて、話題は憲法9条から極東の

軍事情勢にまで及んだ。一旦話し出すと止まらなかったので、

質問を続ける必要はなかった。

・・・「その時、幣原(しではら首相)がやってきて、目に涙を浮か

べて、日本は平和国家として永久に軍備を放棄すべきだと言った。

私は今日でも、第9条は世界に誇るべき規定だと思っている。

日本は東洋のスイスでなければならない」。

私はテーブルの上で灰皿を探したが、目の前に置かれた銀の盃

(さかづき)の中に、先ほど元帥が擦ったマッチの燃えかすが

あったので、そこに灰を落とした。

盃の底に16弁の菊の御紋章があったので、私は咄嗟に、それが

天盃(てんぱい=天皇から賜る盃)である事がわかった。しかし、

テーブルには、シガレット・ボックスともう1つの天盃が置かれて

いるだけで、ほかには何もなかった。私はやむなくこの「灰皿」を

使い続けた。

「私が世界でもっとも尊敬する人物は、天皇陛下だ。私が東京に

進駐するとヒズ・マジェスティ(陛下)が会いにこられた。そこで

陛下は『大戦の責任は、みな自分1人にある。臣下は自分の

命を奉じたに過ぎない』

と厳然として言われ『連合国が責任を問おうとするなら、まず、

自分を処刑して欲しい』と述べられた。私はこのとき、真の君主の

姿を見たと思った。

あの瞬間から、天皇を深く敬愛するようになった」。

当時、アメリカやイギリス、オーストラリアの新聞は、天皇を

国際裁判にかけて死刑に処するべきだと主張していた。

私は突然、人間の脂肪の焼ける臭いをかいだ。ふと見ると、横に

いる園田氏が掌(てのひら)でタバコを消している。

その表情には何の変化もなかった。瞬きすらしないのだ。特攻

隊長として終戦を迎えた園田氏は剣道、居合道、合気道など

二十数段の猛者である。

数秒が過ぎた後は、何事もなかったようだった。

マッカーサー元帥は、まったく同じ調子で、遠くを見つめるような

目をして話し続けていた。

そのうちに元帥は、ソ連の脅威が募っていると警告した。日本が軍

備を拡張し、自由アジアの一大軍事勢力として、極東の平和に

寄与しなければならないと熱心に説いた。

・・・元帥がドアまで送ってくれた。客が(天盃を灰皿として使うにし
のびず)掌でタバコを消したことには気付いていないようであった。

それとも案外、知っていたのかもしれない。

帰りのエレベーターの中で、園田氏が私に言った。「君は、よく

あの天盃が使えたなぁ」。園田氏の掌には大きな水ぶくれがあった。

私は世代の差をそこに感じた・・・。

(渡部亮次郎註:畏友加瀬英明氏がこのたび

『昭和天皇 32の佳話(かわ)』

(実業之日本社 税込み800円)を上梓された。昭和天皇こそは

平成の日本人が失ってしまった日本人の美徳を体得されていたと

考える加瀬氏が経験から拾い集めた昭和天皇にかかわる

心温まるエピソードの集積で、興味が尽きない。

たまたま第1話にわが師園田直が、かつてマッカーサーが

灰皿として差し出した昭和天皇の天盃を使わず、掌で消した話

を書かれている。了承を得て再録した)。転載自由  2008・09・25

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我、初めて中国の土を踏む
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渡部亮次郎

「9月25日」がその日である。いまから36年前(1972=昭和47年)の

ことである。

その前に政府発表があった。放送の記者だった私には、新聞記者

のような自分のスクラップ・ブックがなく、永らく不便をかこったが、

PC時代の今は、外部に簡単に求められる。

[文書名] 田中内閣総理大臣訪中に関する二階堂内閣官房

長官談話[年月日] 1972年9月21日
[出典] 外交青書17号,537頁.
[全文]

 1. 田中総理訪中の最も重要な目的は,中華人民共和国

政府首脳と会談することによって,長い間,不自然な状態にあつ

た日中関係を正常化するためである。

政府としては日中間に善き隣人としての平和で友好的な関係を

樹立したいと念願しているが,そのためにはまず,日中間の国交

を正常化しなければならないと考えている。

日中両国はともに,アジアひいては世界の平和に大きな責任を

有している。田中総理の訪中と日中首脳会談の結果,日中両国

間に善隣友好関係を樹立する基盤が確立されることとなれば,

アジアの緊張緩和,ひいては世界の平和にも役立つと考える。

 2. 日中国交正常化は,一衣帯水の間にあり,かつ歴史的に

も深い関係にあるわが国と中華人民共和国との関係を通常の

国と国との間の自然な関係にするための,いわば当然なすべき

措置である。

政府としては,日中国交正常化を進めるに当つては,わが国と

友好関係にある諸国との関係に十分配慮する考えである。

 3. 田中総理には,大平外務大臣,二階堂内閣官房長官の

ほか,49名が随行する。

田中総理は9月25日から29日まで北京に滞在し,29日北京

から上海に向い,29日夜上海に1泊,30日上海発帰国する。

出典:データベース『世界と日本』戦後日本政治・国際関係

データベース東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室

C:\Documents and Settings\Owner\My Documents\

二階堂発表.htm
以下も上記による。私は正直、詳しく読んだのははじめて。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/indices/JPCH/

田中総理・周恩来総理会談記録
日本外務省アジア局中国課 作成
第1回会談 9月25日 人民大会堂
(第2回会談 9月26日・第3回会談 9月27日・第4回会談 

9月28日)
第1回会談 双方の出席者
日本側  田中総理大臣 大平外務大臣 二階堂官房長官

      橋本中国課長
中国側  周恩来 総理大臣 姫鵬飛 外交部長 廖承志 

      外交部顧問 韓念龍 外交部副部長
(注: 本会談記録は国交正常化当時の記録を改めて

 昭和63年9月タイプしたものである。)

第1回首脳会談(9月25日)
田中総理: 日中国交正常化の機が熟した。

今回の訪中を是非とも成功させ、国交正常化を実現したい。
これまで国交正常化を阻んできたのは台湾との関係である。
日中国交正常化の結果、自動的に消滅する関係(日台外交

関係)とは別に、現実に起こる問題に対処しなければならぬ。

これをうまく処理しないと、国内にゴタゴタが起こる。

日中国交正常化を実現するときには、台湾に対する影響を

十分考えてやるべきだ。
国交正常化は、まず共同声明でスタートし、国会の議決を

要する問題はあとまわしにしたい。

大平大臣: 国交正常化をなしとげ、これをもって、日中両国の

今後長きにわたる友好の第1歩としたい。
また国交正常化が、わが国の内政の安定に寄与するよう願って

いる。この観点から2つの問題がある。
ひとつは日華平和条約の問題であり、中国側がこの条約を不法

にして無効であるとの立場をとっていることも十分理解できる。

しかし、この条約は国会の議決を得て政府が批准したものであり、

日本政府が中国側の見解に同意した場合、日本政府は過去20年

にわたって、国民と国会をだまし続けたという汚名をうけねば

ならない。
そこで、日華平和条約は国交正常化の瞬間において、その任務

を終了したということで、中国側の御理解を得たい。

第2点は第3国との関係である。とくに日米関係は日本の存立に

とり極めて重大である。また、米国が世界に多くの関係をもって

いるが、日本の政策によって、米国の政策に悪影響が及ぶことが

ないよう注意しなければならないと考える。つまり、日中国交正常

化をわが国としては対米関係を損ねないようにして実現したい。
日中国交正常化後の日台関係については、日台の外交関係が

切れた後の現実的な関係を、やることと、やらないこととのケジメ

をはっきりさせて処理したい。

周総理: 田中総理の言うとおり、国交正常化は一気呵成に

やりたい。
国交正常化の基礎の上に、日中両国は世々代々、友好・平和

関係をもつべきである。日中国交回復は両国民の利益である

ばかりか、アジアの緊張緩和、世界平和に寄与するものである。

また、日中関係改善は排他的なものであってはならない。

田中・大平両首脳は、中国側の提示した「3原則」を十分理解できる

と言った。これは友好的な態度である。
今回の日中首脳会談の後、共同声明で国交正常化を行い、条約の

形をとらぬという方式に賛成する。平和友好条約は国交樹立の後

に締結したい。これには、平和五原則に基づく長期の平和友好

関係、相互不可侵、相互の信義を尊重する項目を入れたい。
日中友好は排他的でないようにやりたい。

戦争状態終結の問題は日本にとって面倒だとは思うが、大平大臣

の提案に、完全に同意することはできない。桑港条約以後今日

まで戦争状態がないということになると、中国は当事者であるにも

かかわらず、その中に含まれていない。
私は、この問題を2人の外相に任せ、日中双方の同意できる方式

を発見したいと思う。
「3原則」についても、この精神を反映させたいが、方式は2人の

外相に任せたい。
日中は大同を求め小異を克服すべきであり、共通点をコミュニケ

にもりたい。
日米関係にはふれない。これは日本の問題である。台湾海峡の

事態は変ってきているから、条約(日米安保、米華相互防衛条約)

そのものの効果も変ってきている。
台湾問題にソ連の介入を許さないという点で、日米中3国の共通

点がある。中国側としては、今日は日米安保条約にも米華相互

防衛条約にも、ふれずにゆきたい。日米関係については皆様方

にお任せする。中国は内政干渉はしない。(会談の2回目は26日)

当時、現地でも会談内容は一切発表されなかった。発表に来る

二階堂長官は「真剣に」とか「率直に」とか言うだけで、外交に

素人の小生にはチンプンカンプンだった。後に島会長の下で

専務理事になる尾畑雅美外務省担当キャップは上手に

繋いでいた。

田中総理が恥ずかしげもなく「日中国交正常化の結果、

自動的に消滅する関係(日台外交関係)とは別に、現実に

起こる問題に対処しなければならぬ。これをうまく処理

しないと、国内にゴタゴタが起こる」と冒頭で述べているのは

総裁選で唯一のライバルだった福田赳夫ら台湾支持派
による妨害?を意識したものである。

そこで「国交正常化は、まず共同声明でスタートし、国会の議決を

要する問題はあとまわしにしたい」と提案し、中国側も了承したの

である。また、周恩来がそれまで口を開けば必ず非難していた

日米安保条約について「触れない」と断言した。

この点は、田中訪中の瀬踏み訪中をした公明党の竹入委員長に

予め約束していたことではあったが、極秘とされていたので、

共同声明の発表まで、我々は知らなかった。

周恩来が「日米安保条約にも米華相互防衛条約にも、ふれずに

ゆきたい。
日米関係については皆様方にお任せする。中国は内政干渉は

しない」と言い切ったのは、中国も対日関係の正常化を急いで

いた最大の証拠ではないか。

60年代に入ってからの佐藤(栄作)内閣は歴代自民党政権同様、

一貫して中国敵視政策を止めなかった。また70年に入って

アメリカが日本の頭越しに密かに中国と野関係打開のための

秘密工作を開始していることを見抜く能力も、もともと

持たなかった。

こうしたことから、就任僅か3ヶ月足らずのうちの田中訪中は、

アメリカの対中方針に沿ったものではあったが、結局は

アメリカの先を越すこと6年という早技。アメリカ追随が、

ややフライング、とキッシンジャーは立腹したと聞いた。

(文中敬称略)2006・09・25
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毒菜チャイナ・フリー!を
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 平井 修一

中共の商道徳は「儲かればいい、ばれなければいい、騙される

ほうがアホ」というものだが、今回の毒ミルク騒動で分かったのは

日本の大手食品企業のとてつもない間抜けさである。

冷凍ギョーザ事件で中共のひどさを十分理解したはずなのに、

丸大食品、サントリー、森永乳業、江崎グリコ、日清食品は

まだ中共と付き合っていた。


アンビリーバボーだ。

江崎グリコは上海に上海江崎格力高食品などを経営しているが、

リスクマネジメントはどうなっているのか。有害物質メラミンは

発見できなかったのか。

<近年、社会では、食の信頼を揺るがす事件や事故が多数

発生しています。食品表示偽装や残留農薬問題、

重金属汚染や毒物混入事件など、その問題は多岐にわたり、

複雑化しております。

このような状況に確実に対応し、食品メーカーにとって最も

重要な「安全・安心」を徹底するために、グリコグループ4社は

2008年4月1日、「グリコ食品安全センター」を開設いたしました。

品質保証にかかわる分析業務を一元化し、迅速かつ的確な

対応を行い、危機管理対応力を強化いたします>

(平成19年度報告書)

最新の機器と頭脳をもってしてもメラミンは想定外だったと

いうことか。
それなら「触らぬ神にたたりなし」で、中共産食材ときっぱり

縁を切るしかリスク対策はない。

安全・安心のためにはそれが最善の策である。