▼産経新聞はいつから「小沢民主党応援団」に堕ちたのか?(じじ放談) | 日本のお姉さん

▼産経新聞はいつから「小沢民主党応援団」に堕ちたのか?(じじ放談)

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▼産経新聞はいつから「小沢民主党応援団」に堕ちたのか?麻生太郎バッシングに狂奔するメディアは何を狙っているのか?(じじ放談)
これまで、読売と産経が保守系、朝日と毎日ほか地方紙が容共左派と見るのが一般的であった。そして、保守系が親米、容共左派が親中国、親北朝鮮、親韓国と見て大きな誤りはなかった。世間もおおむねそのように理解していた。最近、政界もマスコミ業界にも「静かな地殻変動」が起こっている。これまでの常識で見ると「おや」と思われる現象が度々出現する。

第1.自称「真正保守」の平沼赳夫は、親小沢に転向したのか?
真正保守を自称する筆頭は「平沼赳夫」であろう。平沼はかって、我が国を代表するバリバリの親米保守であった。だが、自民党を離党し、孤立無援の無所属議員となってから、民主党小沢一郎代表とのつながりを深めた。小沢一郎も平沼赳夫を籠絡すべく「次回衆議院選では平沼赳夫には対立候補を立てない」と配慮してみせた。一方、同志であったはずの安倍晋三、中川昭一とは微妙なる感情の齟齬が生まれた。安倍並びに中川昭一が「自民党に留まり、新党結成に消極的」なのも、平沼赳夫にとっては「何をしているのか。馬鹿どもが」と歯ぎしりする要因となる。人間「孤独」ほど辛いことはない。失意に陥った時「小沢一郎が猫なで声で近寄ってきた」とする。優しい言葉をかけ、「平沼さんの手腕は大したものだ。ぜひ御一緒して、政治改革をやり遂げたいものです」とおだてたとする。いかに慎重居士の堅物でも「これまで小沢は嫌いであったが、個人的に話してみるとそうでもないな」と感じる。そして「グラッ」とくる。危うく、その場で「誘いの言葉」に即答しそうになる。
かくして、中国共産党共青団閥(胡錦涛・李克強ほか)のポチである小沢一郎、韓国人の個人秘書を抱え「半島に特別な肩入れする」小沢一郎は、敵を味方に引き込むのに成功する。筆者は、「平沼赳夫が小沢一郎に誘惑され、親中・親韓に転向した」といっているのではない。危険な状態にあるのではと危惧しているのだ。安倍・中川昭一は「声をかけ、意を通じておくべきだ」と思うのだ。長年の同志だと安心していると「思いがけない結果が起こる」こともあると危惧しているのだ。諸業無常。何事も変化してやまないものはない。政治も経済も、そして人間関係も生々流転の中にある。従来の既成観念が崩壊する21世紀、米国発金融恐慌が世界大恐慌を誘発し世界中が大動乱の渦に巻き込まれる21世紀初頭。小泉純一郎がいうとおり「昨日の同志は明日の敵」「今日の敵は明日の友」になるかもしれないと覚悟すべき時代となる。何が起こっても驚くべきではない。「変化こそ正義」とされる時代となる。

第2.産経新聞は静かに「容共左派」に転向しているのか?
産経新聞はめったに読まないが、ネットで「産経ニュース」を、時々覗いている。1年ほど前だろうか、産経ニュースで「中国関係の記事が増えた」ように感じた。それも「中国共産党又は中国政府からの情報ではないか」と疑われる情報が頻繁に掲載されるようになった。筆者は「さては産経新聞は中国共産党指導部との人脈づくりに成功したのか?」と疑ったものである。又は「中国共産党指導部が、我が国の保守を代表する産経新聞に狙いを定め接近したのか?」と疑ったのであった。産経ニュースを見ると、中国共産党指導部・政府が嫌がる「中国における人権侵害に関する記事・・・福島香織記者だったか?」も掲載しているから、「中国ぞっこん」という訳ではない。保守の姿勢を堅持したまま、中国の取材が広範囲に認められているという不思議な風景なのだ。中国共産党指導部は周知のとおり「日本のマスコミは偏向報道が多い」と常に内政干渉を行っている。だから、一部とはいえ「中国の恥部」を報道してみせる産経新聞への中国共産党指導部の厚遇が理解しにくいのだ。彼らは「我が国保守を代表する産経新聞だから利用価値がある」と考えているのだろうか。中国共産党指導部は「産経新聞が容共左派新聞に転向してくれる」ことを期待してはいないだろう。「保守系新聞という看板を背負ったままで、密かに親中であればよい。時期が到来した時に、本音を見せてくれればよい。それまでは保守系新聞の仮面をかぶったままの方が都合がよい」と位置づけているのかもしれぬ

9月18日付け産経ニュースは「(私もいいたい。)次の首相は誰?麻生氏は2位」と題する記事を掲載している。
同記事は、「次の首相はだれ?」という質問を発し、ネットで意見を募集した結果を報道する形式を踏んでいる。回答総数は1740人(男性1453、女性281)であったという。集計結果は「小沢一郎が38.5%で第1位、麻生太郎が32.6%で第2位。以下・・・」である。新聞各紙のアンケート結果では、麻生太郎がダントツの1位、小沢一郎は麻生の数分の1の支持しかない。各紙共通であるから、ほぼ世論の趨勢とみなしてよい。ところが、産経ニュースはあえて、「小沢一郎が第1位」という捏造記事をこしらえて報じている。健全なる国民大衆は「産経新聞はおかしな記事を書く」と感じるのではなかろうか。産経新聞は「ネットによるアンケート」という形式をとって「小沢一郎首相待望論」を打ち出したとみなすべきである。なぜ、産経新聞は「媚中派筆頭、半島べったりの小沢一郎後援会」に加わったのか?産経新聞が正気であるとすれば「転向した」とみなすほかはない。相変わらず「保守系新聞」を装っているが、「裏では中国共産党指導部や半島とつるんでいるのではないか?」と疑って見るべきだろう。

第3.朝日新聞は静かに「保守系新聞」に転向しているのか?
2チャンネル・ニュース速報「東アジア版」で「朝日新聞は保守系新聞に転向したのか?」という投稿者の声がある。筆者が同感できる指摘もあったから気になった。筆者は30年以上も前に朝日新聞の購読をやめた。現在は、月間10回ほど行くゴルフの打ち放し場で、お茶を飲みながら朝日新聞を眺めるだけである。だから朝日新聞の記事に精通しているとはいえない。ただ、アサヒ・コムは毎日に数回覗いている。朝日新聞は、産経新聞が中国関連記事を多く報道し始めた頃から、つまり昨年頃から時々「チベット騒乱、四川省大地震、市民が警察署襲撃事件などの出来事」を被抑圧人民大衆側の視点で取材し報道するようになった。朝日新聞が全体として「媚中派筆頭、人民日報日本支社」としての性格を失ったというのではないが、編集のスタンスが若干変化しつつある感じだ。戦後日本のメディアを代表したことがある朝日新聞。「知識人は朝日新聞の購読者」といわれるほどの権勢を誇った時期がある。朝日新聞は、なぜ知識人の信頼と支持を失ったのであろうか?
「人間は一度成功すると、その体験が忘れられない」ものだ。だから、情勢が変化しているにも関わらず、同じスタンスを続ける。進路を変更するのが難しい。西武やダイエーのオ-ナーが「インフレ経済下で成功しすぎた」結果、デフレ経済時代になって破綻したのは周知のとおりだ。環境の変化に適応できなかったのだ。現在、世界では「テレビ・新聞からネットへ」という大きな動きがある。詳細に検討すれば、同じ新聞でも「購読者を増やす会社」と「購読者を減らす会社」がある。我が国でいえば、日本経済新聞と産経新聞が前者、毎日新聞と朝日新聞が後者ということになる。「我が愛すべき日本女性」に対し「淫売婦」とのレッテルを張り世界中に謀略情報を垂れ流してきた毎日新聞はまもなく淘汰されるはずであるから議論の対象から除外する。問題は朝日新聞である。1961年。大学受験に失敗した筆者は、2週間ほど「大田区の朝日新聞販売所に住み込み配達のバイトに従事した」ことがある。配達区域内に「大銀行の社宅(マンション)」があった。周囲のみすぼらしい住宅を睥睨している感じを受けた。社宅の住人のうち80%が朝日新聞購読者であった。つまり「知識人・エリート階層」が好んで読む新聞が朝日新聞であった。

大学時代、筆者も無理なく朝日新聞を購読した。卒業後、就職して何年か過ぎた頃、日本経済新聞を読むようになった。動機は「株でひと山当てるか」または「小遣い銭でもひねりだすか」と考えたからだ。以来、習慣で日経の購読者となった。最近、朝日新聞を見て感じるのは「編集者や記者の知的水準が落ちているのではないか」ということである。分析が主観的で、論理的一貫性に欠ける論考が目につく。つまり、「事実から真実を発見する」という姿勢ではなく、「記者の主観的判断が先にあって、これに合わせて作文している」という感じだ。帰納的ではなく演繹的な押しつけ文が多い。朝日新聞の紙面が劣化したのは購読者減による経営が悪化したためであろう。つまり「優秀な人材を採用することができなくなった」ことと「膨大な経費を要する情報収集網の整備・充実を図ることが困難になった」ことで、朝日新聞の知的水準を維持することができなくなった。結果、「知識人の朝日新聞離れを加速した」のではないか。もう一つ。戦後の日本は「民主主義」がウリであった。舶来モノが好きな我が国民はこぞって「民主主義」を追い求めた。「共産主義・社会主義」も民主主義の一つと見なされていた時代である。

戦争中「大本営発表」を鵜呑みにして、国民大衆を戦争に駆り立てる先頭に立っていた朝日新聞は、敗戦直後に「民主主義・容共左派路線」に急旋回した。フォローの風を受け順風満帆の船出となった。朝日新聞はマスコミの雄といわれた。大衆紙の読売新聞は「知識人の感性を満足させるものではない」と馬鹿にされ相手にされなかった。朝日新聞は戦後の大転換期を見事泳ぎ切り大成功をおさめた。以来、数十年、朝日新聞は成功体験を引きずり、色褪せた「親中国共産党、親北朝鮮労働党等、容共左派路線」にしがみついてきた。社会主義が崩壊、共産主義独裁政権の人権侵害や悪事が次々に明らかになった後でも、朝日新聞は過去の姿勢に拘り続けた。国民大衆は、自然に朝日新聞から離れ、日本経済新聞や産経新聞に移った。新聞購読をやめネットに移動した者も少なくない。国民大衆は「いつまでも贖罪を強要する中国共産党や朝鮮半島に対し嫌悪感を抱いている。民族の自尊心と人間の誇りを回復したいと考えている。朝日新聞が最近「中国共産党の悪政で苦悩する民衆の声」を報道し始めたことは、マスコミ人としての自覚に目覚めたといえる。遅まきながら良心を回復しつつあると見ることができる。「ペンは剣より強し」というためには、人倫と正義を背負っていなければならない。それなくして「迫力ある文章」は書けない。その意味で、中国共産党の弾圧に屈せず「虐げられた13億人民大衆」の盾となって戦っている中国の人権派各位(弁護士・報道人・小説家など)には敬意を表したいと思うのである。産経新聞が中国共産党の「お気に入り」となり、朝日新聞が中国13億人民大衆の側に「転向した」としても不思議ではない。天変地異が相次ぐ昨今、何があっても驚くべきではない。中国共産党という独裁・弾圧会社の幹事新聞社が、朝日から産経に変わっただけの話だ。

(さいごに)
週刊誌による自民党バッシング、麻生太郎バッシングが激しい。週刊現代、週刊朝日並びにサンデー毎日が「反自民・反麻生」のネガティブキャンペーンを張るのは想定の範囲内だ。ところが、「保守を偽装して販売数を伸ばしてきた」週刊文春や週刊新潮が「安倍バッシング」に続いて、「麻生バッシング」に狂奔している。「本性が出た」と理解すべきである。もともと「販売数を増やすため」には何でも書く週刊誌が、週刊文春や週刊新潮であった。朝日ジャーナルが一世を風靡していた頃は、誰も文春や新潮を相手にしなかった。朝日ジャーナルが「時代錯誤の売国的記事を書き続ける」から大衆は、「保守的に見える文春や新潮を読んでいるに過ぎない。誤解してはならない。現在、文春と新潮は「保守の装い」を脱ぎ棄て「反自民・反麻生」のネガティブキャンキャンペーンを繰り返している。中国共産党や半島独裁政権の日本支部である朝鮮総連から「工作資金を受給しているのではないか?」と疑われる始末だ。国民大衆を馬鹿にしてはなるまい。「大衆はどのようにでも操作できる」と思いあがるべきではない。ネガティブキャンペーンに狂奔しているテレビ、新聞並びに週刊誌は、早晩、彼らの売国的本質が世間に知れ渡り、廃刊又は倒産に追い込まれるであろうことを覚悟すべきだ。朝日新聞が「反中国」になったとみなす段階ではない。しかし、朝日新聞が往年の輝きを取り戻すためには「日本国民の側に立つ報道姿勢」を確立すべきであろう。そして、中国共産党や北朝鮮カルト独裁政権下で弾圧されている多くの人民大衆への温かいまなざしを持って取材し報道すべきである。腐敗と汚職にまみれた共産党独裁政権の広報宣伝工作機関に堕落しているようでは朝日新聞に未来はない。じり貧となって廃刊に追い込まれる。断言してよい。時勢は時々刻々変化している。自然も、政治・経済・軍事も、そして人間も、メディアも時々刻々変化している。我々は「敵・味方」との固定観念を捨て、現象を冷静に観察し適正な判断を下すべきである。世の中では「偽装事件」が多発している。メディアや政治家の「偽装」を見抜き摘発できる目の冴えを磨きたい。騙されて「毒入り情報」を食わされないために。