軍事情報
ようちゃん、おすすめ記事。↓軍事情報 (防衛省改革の決め手)
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●防衛省改革の決め手:隊員の質の向上
・・・一般隊員の質の低下及び募集政策の問題点・・・08.9.1: 高井三郎
防衛省改革会議の報告書案(08.7.15)によれば、不祥事が多発する組織の体質を抜本的に正すための主要な検討事項として、文民統制の徹底、厳格な情報保全体制の確立及び防衛調達の透明性の三点を挙げている。しかしながら、端的に述べると、不祥事多発の原因及び背景は、制服及び文民の質の低下にある。事故の態様を見るに、隊員募集、教育訓練、指揮官の統率、服務指導及び中央の人事管理の在り方に問題点が存在する。1950年に戦後の再軍備が始る頃に、旧軍出身幹部が懸念したバックボーンに欠ける軍隊の問題点が遂に表面化したのである。以下、筆者の現役時代の経験と照らし合わせながら、一般隊員の質とこれに関連する募集政策を焦点に現状及び問題点を認識し、今後、採るべき政策の一案を考えて見たい。--
筆者は、1952年12月に保安隊の第1連隊戦車中隊(練馬)に2等陸士(当時は2等保査と呼称)として入隊、1954年7月に保安隊から陸上自衛隊に改称・改編に伴い、新編された第1戦車大隊(習志野)に転属した。次いで、1958年春まで、大隊の本部管理中隊で一般隊員を勤めてから、陸上自衛隊幹部候補生学校の第23期U課程に入校、1年後に3尉に任官し、第9特科連隊第3大隊(高射、岩手)に配置された。 その後、第12特科連隊第6大隊(宇都宮)を経て、東部方面隊相馬原駐屯地派遣隊長を勤め、陸上自衛隊幹部学校の第13期指揮幕僚課程に入校した。1969年3月に幹部学校卒業後、主として幹部学校、幹部候補生学校、高射学校及び需品学校の教官・研究員を勤め、1988年12月に退役し、現在に至っている。以上の経歴に見るとおり、一般隊員を振出しに、経歴管理上、次等の傍系幹部の道を歩いて来た。
元を辿れば、居所を転々とし、世間が蔑む極貧家庭の出身で小学生時代は最劣等児であった。朝鮮戦争当時、3流高校を中退、豊島区椎名町の倉庫に住む家庭から新丸ビル工事現場事務所に家出、そこから保安隊第1連隊に入隊して、漸く人並みの権利義務を与えられた。最高学歴と言えば、一般幹部候補生の受験資格を得るために、先に触れた一般隊員当時、中央大学法学部の通信教育を4年間、受講した程度に過ぎない。要するに、筆者は、発展の可能性が薄い境遇から出発したので、性格がゆがみ、教養も不備であった。
1 したがって、青少年時代には多くの過ちを犯して上司、同僚を煩わし、性格が丸みを帯びるまでに永い年月を費やした次第である。然るに、想像を絶する難関を切り抜けて、曲がりなりにも軍事専門家に成長した事を誇りに感じている。それは、遠い祖先が与えた良いDNAが部隊勤務の間に蘇生した事によるものと思われる。 現状を見るに、筆者よりも恵まれた環境に育ちながら素性の悪い青少年が入隊し、非違行為を犯している。それは、不適格者を入れる募集体制及び社会的な背景にある。
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本年4月22日、深夜の2時頃に鹿児島姶良町で、第1普通科連隊(練馬)の1等陸士(19歳)が、タクシー運転手をナイフで刺し殺し、警察に逮捕された。本人は、3月19日から21日まで休暇を取って以来、帰隊しないので、捜索中であった。驚くべき事に本人は、縁もゆかりもない九州の果てまで足を伸ばし、確たる理由もなく見ず知らずの市民を殺すという異常な行為に及んでいる。19歳の頃に1等陸士として練馬の第1普通科連隊の戦車中隊に籍を置いていた筆者は、たまたま、この殺人犯の先輩隊員に当るので、大いに感ずるところがあった。筆者が入隊した当時、連隊に約600人、その中で戦車中隊に約50人の新隊員が所属していた。当然、並の若者から成る彼らは、全員が品行方正ではなく、赤線の顧客、泥酔と金銭浪費の常習者、窃盗、寸借り詐欺などの不届き者、あるいは警務隊の世話になる暴れ者は散見された。しかしながら、殺人、傷害などは見聞していない。したがって、現在の部隊では、凶悪犯罪が時折、起きていると聞いて、以前よりも素質の悪い隊員が増えたと直感した。6月5日17時半頃、第7普通科連隊(福知山)の陸士長(24歳)が、弾薬庫歩哨として立哨中に、89式小銃に弾薬を装填し、合計3発、発射した。当然、この事例も、練馬、習志野両駐屯地で何回も弾薬庫歩哨を体験した筆者の常識に照らせば、正に晴天の霹靂である。筆者が隊員当時の個人装備火器は、米国製M1騎銃で、弾薬庫立哨時には、15発入りの箱弾倉を渡された。駐屯地では営門、裏門、弾薬庫などに歩哨が配置されるが、その中で平時に弾薬を携行するのは、弾薬庫歩哨だけである。弾薬庫歩哨は、上番時に警衛司令から弾倉を受領し、歩哨係の引率を受け、弾薬庫の哨所に行く。この時に下番者は、歩哨係の立会いのもとで、上番者に任務を申し送り、携行弾薬の異常の有無を確かめる。次いで、歩哨係の引率を受け、警衛所に戻り、警衛司令に任務終了の旨報告し、弾倉を返納する。
2 なお、法規に基き、弾薬の装填は、武器等防護の必要性がある場合を除き、禁止されている。更に武器の使用は、必要かつ合理的な限度にとどめ、正当防衛及び緊急避難の場合以外は人に危害を与えてはならない。筆者は、入隊から半年に満たない新隊員時代に、警衛勤務の規定(一般守則)及び弾薬庫等、各哨所の服務要領(特別守則)を学び、更に勤務に就く時には、中隊の当直幹部及び警衛司令から、指導を受けた。特に、弾薬を携行する弾薬庫歩哨に対する武器使用の教育は厳しかった。したがって、普通の能力と常識を持つ隊員であれば、初めて立哨しても、武器使用に関する間違いを犯す事は有り得ない。 陸士長と言えば、入隊から少なくとも1年半は経過しており、警衛勤務の体験を重ねているに違いない。それに加え、24歳になれば、一般隊員の中では分別を弁えた年長組である。この陸士長は、「弾薬庫歩哨は、下番時に携行弾薬を撃つ事になっている。」という同僚の冗談を真に受けたと言われている。そうなると、本人は、元々正常な性格の持ち主ではなく、入隊する資格がない。
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以上、紹介した練馬及び福知山の事故事例から察するに、筆者の隊員時代と異なり、かなりの数の隊員不適格者が入隊している。その要因の一つは5年前に防衛庁当局が出した地方連絡部(現在の地方協力本部)の適齢者情報の把握に制約を与える政策にある。 2003年4月24日に防衛庁は、地連(地方連絡部)に対し、隊員募集に当り、適齢者情報を住民基本台帳に載る「氏名」、「性別」、「生年月日」及び「住所」に限定する通達を出した。これが根拠になり、募集に協力する地方公共団体からの世帯主、保護者、続柄などの個人情報の収集が禁止された。2000年11月に石川地連が適齢者の健康状態、家庭環境などの個人情報を自治体に要求しているという地域住民の苦情があると2003年4月22日の毎日新聞が報道した。その翌日の衆議院特別委員会で野党ら指摘された石破防衛庁長官は、今後、地連が入手すべき適齢者の情報を住民基本台帳に載る4要素に限ると明言したのである。 実のところ、住民基本台帳に載る4要素だけでは志願者を選別する事ができない。国会の場で防衛庁当局は、採用試験の面接時に、本人に尋ねると説明したが、客観的な判断に役立つ情報も必要である。なお、治安機関資料の照合による入隊予定者の犯罪歴、思想動向及び本人、近親者等の政治団体との関係などを把握する入隊時の特別調査を禁止すれば、敵性工作員等に潜入の余地を与える。
3 既に1960年代当時、自治体による適齢者名簿の整備及び地連による高校生の資料の作成が、左翼から徴兵制復活の兆しと非難されて政治問題になり禁止された。ところが、今では個人情報保護の要求も重なり、正当な募集活動が妨げられて素質の悪い青少年が入隊する確率が高くなったようである。隊員が重大な事故を起すと、本人が所属する中隊長、付幹部、営内班長が、指導の責任を必ず問われる。筆者も、中隊付幹部の頃に、何人かの飲酒、帰隊遅延、借財、不服従などの常習者、あるいは能力が劣る低能児に直面した。今思うに彼等の大部分は、多少の指導では改善が不可能で本来、採用段階で排除すべき欠陥児であった。 当然、中隊長には、補充系統が与える隊員を訓練及び指導に最善を尽し、戦力化する責務がある。要するに中隊長は、事業主と異なり、隊員を自分の好みで採用したり、単に能力不足、指導が困難という理由だけで罷免する事ができない。懲戒免職は、先に紹介した練馬と福知山の事例のような明白な違法行為を犯した場合に限られる。両事例の隊員とも、常軌を逸した行動に出る前に、顕著な兆候があり、中隊長は、指導に努めたが改善の目途がなく、苦しんでいたと容易に想像する事ができる。既に述べた個人情報の把握を制限する募集政策では、不良青少年の入隊の阻止は不可能である。 本来、中隊は、不良少年の更生に必要な特別な手段を持ち合わせていない。むしろ所定の基準に適う青少年を受け入れて短期間、教育し、隊員として使えるようにに育て上げる組織である。要するに箸にも棒にもかからない劣等児の矯正施設ではない。
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入隊志願者の質を向上する前提条件は、何と言っても国民全体の愛国心及び国防意識の高揚にある。このため、教育関係の法令を改正し、愛国心及び国防に関する教育を義務教育の段階から始めなければならない。更に、事あるごとに文民統制の強化を叫ぶ政官界各位の軍事素養を飛躍的に高める政策も不可欠である。適齢の青少年の入隊意欲を誘うため、隊員の給与、生活環境の整備など飛躍的な処遇改善も当然、軽視できない。しかしながら、愛国心も国防意識もなく、物的条件だけを満たす軍隊は、かっての西欧の傭兵に類似の存在になる。
筆者が退官する頃に、東部方面総監・増岡鼎陸将は、防衛庁が自衛隊の実情を積極的に広報していないから、国民から十分な理解協力を得られないとマスコミに説明して、加藤紘一防衛庁長官に罷免された。ところが、防衛省の対国民広報は、表面的な範囲に触れるにとどまり、情報公開も極めて誠意に欠けている。
4 今や、子供はもとより、親でさえ国防や軍事の認識及び自衛隊の中身を知らない向きが多い。当然の事ながら、元々知らない職業を希望する事ができない。1990年代からの統計によれば、小学一年生男子の「将来就きたい職業」とその親の「就かせたい職業」のベストテンに、運動選手、警察官、消防士は出て来るが、自衛官は全くない。一方、米国、韓国、台湾では学生、生徒の将来の希望に軍人、特に将校が上位にランクされている。顧みるに創隊直後の1950年代に比べると自衛隊は、国民にとり極めて疎遠な存在になった。このような社会的背景の中で18歳から25歳までの男性、約400万人のうちの約2万6千人が毎年、様々な動機で一般隊員を応募し、8000人前後が入隊しているのが現状である。すなわち、一時期には2万人を超えた採用数が著しく減っており、したがって、自衛隊は、国民が参画する軍隊でなく、特殊な職業と化した。台湾は、面積が九州程度で人口が日本の6分の1に過ぎず、18歳から25歳までの軍務適齢男性は約160万人である。それでも、常備役25万人、予備役160万人という日本を凌ぐ兵力を維持する。台湾の国防部が掲げる「全民国防」は、日本の政治の世界では、全く意識さえなく、ひたすら国民保護を訴える。
政官界のお歴々で、自分はもとより子弟に防衛大学校、一般幹部候補生、あるいは一般隊員を目指した事例は皆無に近い。僅かに小沢一郎民主党代表の子息が大学卒業後、海上自衛隊の幹部候補生学校を経て任官したが、2尉の時に依願退職した。なお、西村眞吾衆議院議員は、昨年春に子息を信太山の第37普通科連隊に一般隊員として入隊させた奇特な存在である。最近、御本人は、子息が厳しいレンジャー課程を無事終了した事に大変喜んでいた。 しかしながら、政治家も高級官僚の大部分も、保元平治の乱当時の役人のように自衛官を地下人程度にしか見ていない。この機会に南北朝時代に軍を率いて健闘し、戦場で散った若い公家、北畠顕家にあやかべきである。
一部の大学では安全保障・危機管理の課程を設けているが、いずれも、兵学兵術ないしは軍事原則に立脚していない。したがって、多くの学者の安全保障論及び国際政治論は、畳の上の水練に過ぎないと言われている。今年の7月に、スコットランドのグラスゴウ大学から軍事学修士1年課程の案内が来た。この軍事学課程は、昔から英国では名が通っており、別にロンドンのキングスカレッジにも類似の課程がある。
5 英国の政官界のリーダーの多くは、例え軍務に就かなくても、大学で軍事の素養を培っている。日本の政治家は、幕末維新当時の先輩のように、西側軍事先進国の制度を見習い、軍事を学んで厳しい国際社会に対応できる実力を身に付けるべきである。
先に、素質不良組の入隊傾向に触れたが、従前から優良組も入隊している事実も見落すべきでない。筆者が在籍又は教育を担当した新隊員教育隊及び陸曹候補生課程は、いずれも約50人の編成であった。その中には、能力が高く、統率力のある少数の隊員が必ず含まれていた。彼等は、直ぐに班長、分隊長が勤まる資質があった。更に通信電子、経理、スポーツ等、特殊な技能の持ち主も稀に存在した。然るに、これまでの制度は、資質の優れた隊員を抜擢する等、適切な処遇を与えていない傾向が認められた。このため、彼等が自衛隊勤務を見限り、別の道に向った例が多い。今後、折角、入隊して来た人材を最大限に活かし、自他ともに満足させる人事行政に意を用いるべきである。その結果は、最良の対外広報政策になり、自衛隊の評価を高める役割を果すに違いない。甲陽軍鑑が「人は城、人は石垣、人は堀」と教えるとおり、人の質の向上こそ、組織を立て直し、維持する決め手である。
■統率者、特に指揮官、管理者の具備すべき資質
『一軍の将たる者、陣中においては、例え井戸が掘られていても、決して喉が渇いたなどと言ってはならない。天幕が張られていても、未だ全軍に行き渡らないうちは、決して疲れたなどと言ってはならない。竈で飯が炊かれていても、未だ出来上らないうちは、決して腹が減ったなどと言ってはならない。また、冬でも外套を着ず、夏でも扇を手にしない。雨が降っても傘をささない。これが、将たる者の心得である。』(「三略:上略11」・・・黄石)
『炎天のもとでは日除けを張らせず、厳寒に際しても自分だけ暖衣しない。険路には車をおりて兵卒とともに歩み、宿営し水や食事の用意ができても兵卒が飲食するまで手をつけない。陣地が完成しないうちは休息せず、必ず兵卒と苦楽を共にして行動する。』
(「尉遼子:第4戦威編 7.将帥は率先して難局に当れ!」)(高井三郎)
【参考資料1】
■軍政、軍令両機能の整頓が必要
以下は、6.25「国民新聞」に掲載された高井さんのご高見を抜粋したものです。
1.制服トップから政治に直接連絡することを禁じる内規、そして、軍令の分野に官僚が権限を握る軍政が割り込んでいることが問題である
1.省改革の本質は軍令と軍政の分離にある。昭和42年時点で、当時の陸幕長 杉田一次さんは、庁の中央機構が将来に与える悪影響に危惧を抱いていた。
1.「内局官僚が制服の人事権を握っている現状」は、重大問題である。どこでもそうだが、人事権は組織の根幹を揺るがす問題である。
【参考資料2】
■内局問題解決の方向性(昭和五〇年代半ばにおこなわれた指摘)(H20.8.1『ざっくばらん』(*)による)
元統幕議長で退役陸将の栗栖さんは、昭和五〇年代半ばに、内局に関して概略以下のようなことを述べておられました。
1.米軍は当初、内局について、定員百名程度で長官に政務的助言を行なう組織として内局を考えていたようだ。ひとことでいえば内局は、長官を政治的に大綱面で補佐することが任務であり、自衛隊を管理する任務はない。
1.軍事専門家たる制服が、防衛局の責任ある地位にいなければ、長官を補佐する使命は達成されない。シビリアン(注:背広官僚のこと)から構成された部局が、軍事情勢判断、作戦計画、訓練計画を担当するのは非常識であり、諸外国に例がない。防衛局は廃止し、統幕がそれに代わるべきである。
1.人事局は、局長が制服になるか、シビリアンをどうしても置くのなら、次長を陸海空から入れるべきであり、少なくとも混交して人事にあたらねばならないなお、陸幕についてはこういうご指摘がされています。
1.陸上幕僚監部は防衛庁長官の幕僚組織であり、陸幕長は専門的助言者として長官を補佐する。
1.なるほど[陸幕長には]自衛隊の隊務、隊員の服務を監督する責任(通達発簡権もそのひとつの現れ)があり、長官命令を執行する立場でもあり、隊務全般の統一整合を図る地位にはあるが決して指揮官ではない。しかしいつのまにか「上級司令部」的な観念が醸成されてきた。その結果、内局をもって長官の補佐機関とし、陸幕はひとつの中間司令部であるとの無意識の慣行を生み出し、防衛庁内において長官の幕僚的性格が希薄となり、何事を行なうにもまず内局の意向を確かめ、内局の下風に立つ傾向が生じている
(エンリケより)
「幕が内局の顔色をうかがう」理由のひとつには「予算権と人事権を官僚に握られていること」もあるのが実態です。まずはこれらの権限の所在を統幕に持ってこない限り、いくら組織を変えてもこれまでどおり各幕の顔は内局を向くであろう、という現実的指摘もあります。
高井さんは、これにつき
<人事、予算は、現代国家では軍政機能に属する。日本の場合、栗栖陸将の言われるとおり、制服幹部の人事を文民が握って来た点に問題がある。どこの組織でも人事は、組織の構成員の心理動向に重大な影響を及ぼす。日本では、人事権を握る文民の前に制服の上級幹部が萎縮して、正論を説く傾向が、年を追うごとに後退してきた。各国軍の国防省と同様に人事局に制服を配置すべきである。この点は、栗栖陸将も主張されていた。かなり以前から、栗栖陸将のような正論を説く将官が極めて少なくなり、それが制度全般、隊務運営、統率に悪影響を及ぼしてきた。したがって、小生は、将官の言えない主張を、敢えてこの機会に披瀝したのです。軍令機能、例えば参謀本部に、参謀職の人事権を持たせといった案もある。>との見解を示されています。
(*)『ざっくばらん』
30年以上の歴史を持つ超有名ミニコミ誌です。主筆の奈須田敬さんが編集・製作・発行すべてを行なっている雑誌の原点ともいえる月刊誌です。聞くところによると、ペンネームで登場している執筆陣は有名人ばかりとの噂で、読者にも、一流人がわんさかいらっしゃるとか。弊マガジン読者の方でしたら、楽しめること間違いなしでしょう。詳細は並木書房さんでどうぞ。 http://www.namiki-shobo.co.jp/henshubu.htm
(画面の下のほうにあります。)弊マガジンでも、これまで内局のことや改革会議に絡んだ自衛隊の問題をいろいろお伝えしてきました。過去記事はサイトに置いてありますので、関心があればそちらもご覧下さい。(エンリケ)
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●防衛省改革の決め手:隊員の質の向上
・・・一般隊員の質の低下及び募集政策の問題点・・・08.9.1: 高井三郎
防衛省改革会議の報告書案(08.7.15)によれば、不祥事が多発する組織の体質を抜本的に正すための主要な検討事項として、文民統制の徹底、厳格な情報保全体制の確立及び防衛調達の透明性の三点を挙げている。しかしながら、端的に述べると、不祥事多発の原因及び背景は、制服及び文民の質の低下にある。事故の態様を見るに、隊員募集、教育訓練、指揮官の統率、服務指導及び中央の人事管理の在り方に問題点が存在する。1950年に戦後の再軍備が始る頃に、旧軍出身幹部が懸念したバックボーンに欠ける軍隊の問題点が遂に表面化したのである。以下、筆者の現役時代の経験と照らし合わせながら、一般隊員の質とこれに関連する募集政策を焦点に現状及び問題点を認識し、今後、採るべき政策の一案を考えて見たい。--
筆者は、1952年12月に保安隊の第1連隊戦車中隊(練馬)に2等陸士(当時は2等保査と呼称)として入隊、1954年7月に保安隊から陸上自衛隊に改称・改編に伴い、新編された第1戦車大隊(習志野)に転属した。次いで、1958年春まで、大隊の本部管理中隊で一般隊員を勤めてから、陸上自衛隊幹部候補生学校の第23期U課程に入校、1年後に3尉に任官し、第9特科連隊第3大隊(高射、岩手)に配置された。 その後、第12特科連隊第6大隊(宇都宮)を経て、東部方面隊相馬原駐屯地派遣隊長を勤め、陸上自衛隊幹部学校の第13期指揮幕僚課程に入校した。1969年3月に幹部学校卒業後、主として幹部学校、幹部候補生学校、高射学校及び需品学校の教官・研究員を勤め、1988年12月に退役し、現在に至っている。以上の経歴に見るとおり、一般隊員を振出しに、経歴管理上、次等の傍系幹部の道を歩いて来た。
元を辿れば、居所を転々とし、世間が蔑む極貧家庭の出身で小学生時代は最劣等児であった。朝鮮戦争当時、3流高校を中退、豊島区椎名町の倉庫に住む家庭から新丸ビル工事現場事務所に家出、そこから保安隊第1連隊に入隊して、漸く人並みの権利義務を与えられた。最高学歴と言えば、一般幹部候補生の受験資格を得るために、先に触れた一般隊員当時、中央大学法学部の通信教育を4年間、受講した程度に過ぎない。要するに、筆者は、発展の可能性が薄い境遇から出発したので、性格がゆがみ、教養も不備であった。
1 したがって、青少年時代には多くの過ちを犯して上司、同僚を煩わし、性格が丸みを帯びるまでに永い年月を費やした次第である。然るに、想像を絶する難関を切り抜けて、曲がりなりにも軍事専門家に成長した事を誇りに感じている。それは、遠い祖先が与えた良いDNAが部隊勤務の間に蘇生した事によるものと思われる。 現状を見るに、筆者よりも恵まれた環境に育ちながら素性の悪い青少年が入隊し、非違行為を犯している。それは、不適格者を入れる募集体制及び社会的な背景にある。
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本年4月22日、深夜の2時頃に鹿児島姶良町で、第1普通科連隊(練馬)の1等陸士(19歳)が、タクシー運転手をナイフで刺し殺し、警察に逮捕された。本人は、3月19日から21日まで休暇を取って以来、帰隊しないので、捜索中であった。驚くべき事に本人は、縁もゆかりもない九州の果てまで足を伸ばし、確たる理由もなく見ず知らずの市民を殺すという異常な行為に及んでいる。19歳の頃に1等陸士として練馬の第1普通科連隊の戦車中隊に籍を置いていた筆者は、たまたま、この殺人犯の先輩隊員に当るので、大いに感ずるところがあった。筆者が入隊した当時、連隊に約600人、その中で戦車中隊に約50人の新隊員が所属していた。当然、並の若者から成る彼らは、全員が品行方正ではなく、赤線の顧客、泥酔と金銭浪費の常習者、窃盗、寸借り詐欺などの不届き者、あるいは警務隊の世話になる暴れ者は散見された。しかしながら、殺人、傷害などは見聞していない。したがって、現在の部隊では、凶悪犯罪が時折、起きていると聞いて、以前よりも素質の悪い隊員が増えたと直感した。6月5日17時半頃、第7普通科連隊(福知山)の陸士長(24歳)が、弾薬庫歩哨として立哨中に、89式小銃に弾薬を装填し、合計3発、発射した。当然、この事例も、練馬、習志野両駐屯地で何回も弾薬庫歩哨を体験した筆者の常識に照らせば、正に晴天の霹靂である。筆者が隊員当時の個人装備火器は、米国製M1騎銃で、弾薬庫立哨時には、15発入りの箱弾倉を渡された。駐屯地では営門、裏門、弾薬庫などに歩哨が配置されるが、その中で平時に弾薬を携行するのは、弾薬庫歩哨だけである。弾薬庫歩哨は、上番時に警衛司令から弾倉を受領し、歩哨係の引率を受け、弾薬庫の哨所に行く。この時に下番者は、歩哨係の立会いのもとで、上番者に任務を申し送り、携行弾薬の異常の有無を確かめる。次いで、歩哨係の引率を受け、警衛所に戻り、警衛司令に任務終了の旨報告し、弾倉を返納する。
2 なお、法規に基き、弾薬の装填は、武器等防護の必要性がある場合を除き、禁止されている。更に武器の使用は、必要かつ合理的な限度にとどめ、正当防衛及び緊急避難の場合以外は人に危害を与えてはならない。筆者は、入隊から半年に満たない新隊員時代に、警衛勤務の規定(一般守則)及び弾薬庫等、各哨所の服務要領(特別守則)を学び、更に勤務に就く時には、中隊の当直幹部及び警衛司令から、指導を受けた。特に、弾薬を携行する弾薬庫歩哨に対する武器使用の教育は厳しかった。したがって、普通の能力と常識を持つ隊員であれば、初めて立哨しても、武器使用に関する間違いを犯す事は有り得ない。 陸士長と言えば、入隊から少なくとも1年半は経過しており、警衛勤務の体験を重ねているに違いない。それに加え、24歳になれば、一般隊員の中では分別を弁えた年長組である。この陸士長は、「弾薬庫歩哨は、下番時に携行弾薬を撃つ事になっている。」という同僚の冗談を真に受けたと言われている。そうなると、本人は、元々正常な性格の持ち主ではなく、入隊する資格がない。
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以上、紹介した練馬及び福知山の事故事例から察するに、筆者の隊員時代と異なり、かなりの数の隊員不適格者が入隊している。その要因の一つは5年前に防衛庁当局が出した地方連絡部(現在の地方協力本部)の適齢者情報の把握に制約を与える政策にある。 2003年4月24日に防衛庁は、地連(地方連絡部)に対し、隊員募集に当り、適齢者情報を住民基本台帳に載る「氏名」、「性別」、「生年月日」及び「住所」に限定する通達を出した。これが根拠になり、募集に協力する地方公共団体からの世帯主、保護者、続柄などの個人情報の収集が禁止された。2000年11月に石川地連が適齢者の健康状態、家庭環境などの個人情報を自治体に要求しているという地域住民の苦情があると2003年4月22日の毎日新聞が報道した。その翌日の衆議院特別委員会で野党ら指摘された石破防衛庁長官は、今後、地連が入手すべき適齢者の情報を住民基本台帳に載る4要素に限ると明言したのである。 実のところ、住民基本台帳に載る4要素だけでは志願者を選別する事ができない。国会の場で防衛庁当局は、採用試験の面接時に、本人に尋ねると説明したが、客観的な判断に役立つ情報も必要である。なお、治安機関資料の照合による入隊予定者の犯罪歴、思想動向及び本人、近親者等の政治団体との関係などを把握する入隊時の特別調査を禁止すれば、敵性工作員等に潜入の余地を与える。
3 既に1960年代当時、自治体による適齢者名簿の整備及び地連による高校生の資料の作成が、左翼から徴兵制復活の兆しと非難されて政治問題になり禁止された。ところが、今では個人情報保護の要求も重なり、正当な募集活動が妨げられて素質の悪い青少年が入隊する確率が高くなったようである。隊員が重大な事故を起すと、本人が所属する中隊長、付幹部、営内班長が、指導の責任を必ず問われる。筆者も、中隊付幹部の頃に、何人かの飲酒、帰隊遅延、借財、不服従などの常習者、あるいは能力が劣る低能児に直面した。今思うに彼等の大部分は、多少の指導では改善が不可能で本来、採用段階で排除すべき欠陥児であった。 当然、中隊長には、補充系統が与える隊員を訓練及び指導に最善を尽し、戦力化する責務がある。要するに中隊長は、事業主と異なり、隊員を自分の好みで採用したり、単に能力不足、指導が困難という理由だけで罷免する事ができない。懲戒免職は、先に紹介した練馬と福知山の事例のような明白な違法行為を犯した場合に限られる。両事例の隊員とも、常軌を逸した行動に出る前に、顕著な兆候があり、中隊長は、指導に努めたが改善の目途がなく、苦しんでいたと容易に想像する事ができる。既に述べた個人情報の把握を制限する募集政策では、不良青少年の入隊の阻止は不可能である。 本来、中隊は、不良少年の更生に必要な特別な手段を持ち合わせていない。むしろ所定の基準に適う青少年を受け入れて短期間、教育し、隊員として使えるようにに育て上げる組織である。要するに箸にも棒にもかからない劣等児の矯正施設ではない。
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入隊志願者の質を向上する前提条件は、何と言っても国民全体の愛国心及び国防意識の高揚にある。このため、教育関係の法令を改正し、愛国心及び国防に関する教育を義務教育の段階から始めなければならない。更に、事あるごとに文民統制の強化を叫ぶ政官界各位の軍事素養を飛躍的に高める政策も不可欠である。適齢の青少年の入隊意欲を誘うため、隊員の給与、生活環境の整備など飛躍的な処遇改善も当然、軽視できない。しかしながら、愛国心も国防意識もなく、物的条件だけを満たす軍隊は、かっての西欧の傭兵に類似の存在になる。
筆者が退官する頃に、東部方面総監・増岡鼎陸将は、防衛庁が自衛隊の実情を積極的に広報していないから、国民から十分な理解協力を得られないとマスコミに説明して、加藤紘一防衛庁長官に罷免された。ところが、防衛省の対国民広報は、表面的な範囲に触れるにとどまり、情報公開も極めて誠意に欠けている。
4 今や、子供はもとより、親でさえ国防や軍事の認識及び自衛隊の中身を知らない向きが多い。当然の事ながら、元々知らない職業を希望する事ができない。1990年代からの統計によれば、小学一年生男子の「将来就きたい職業」とその親の「就かせたい職業」のベストテンに、運動選手、警察官、消防士は出て来るが、自衛官は全くない。一方、米国、韓国、台湾では学生、生徒の将来の希望に軍人、特に将校が上位にランクされている。顧みるに創隊直後の1950年代に比べると自衛隊は、国民にとり極めて疎遠な存在になった。このような社会的背景の中で18歳から25歳までの男性、約400万人のうちの約2万6千人が毎年、様々な動機で一般隊員を応募し、8000人前後が入隊しているのが現状である。すなわち、一時期には2万人を超えた採用数が著しく減っており、したがって、自衛隊は、国民が参画する軍隊でなく、特殊な職業と化した。台湾は、面積が九州程度で人口が日本の6分の1に過ぎず、18歳から25歳までの軍務適齢男性は約160万人である。それでも、常備役25万人、予備役160万人という日本を凌ぐ兵力を維持する。台湾の国防部が掲げる「全民国防」は、日本の政治の世界では、全く意識さえなく、ひたすら国民保護を訴える。
政官界のお歴々で、自分はもとより子弟に防衛大学校、一般幹部候補生、あるいは一般隊員を目指した事例は皆無に近い。僅かに小沢一郎民主党代表の子息が大学卒業後、海上自衛隊の幹部候補生学校を経て任官したが、2尉の時に依願退職した。なお、西村眞吾衆議院議員は、昨年春に子息を信太山の第37普通科連隊に一般隊員として入隊させた奇特な存在である。最近、御本人は、子息が厳しいレンジャー課程を無事終了した事に大変喜んでいた。 しかしながら、政治家も高級官僚の大部分も、保元平治の乱当時の役人のように自衛官を地下人程度にしか見ていない。この機会に南北朝時代に軍を率いて健闘し、戦場で散った若い公家、北畠顕家にあやかべきである。
一部の大学では安全保障・危機管理の課程を設けているが、いずれも、兵学兵術ないしは軍事原則に立脚していない。したがって、多くの学者の安全保障論及び国際政治論は、畳の上の水練に過ぎないと言われている。今年の7月に、スコットランドのグラスゴウ大学から軍事学修士1年課程の案内が来た。この軍事学課程は、昔から英国では名が通っており、別にロンドンのキングスカレッジにも類似の課程がある。
5 英国の政官界のリーダーの多くは、例え軍務に就かなくても、大学で軍事の素養を培っている。日本の政治家は、幕末維新当時の先輩のように、西側軍事先進国の制度を見習い、軍事を学んで厳しい国際社会に対応できる実力を身に付けるべきである。
先に、素質不良組の入隊傾向に触れたが、従前から優良組も入隊している事実も見落すべきでない。筆者が在籍又は教育を担当した新隊員教育隊及び陸曹候補生課程は、いずれも約50人の編成であった。その中には、能力が高く、統率力のある少数の隊員が必ず含まれていた。彼等は、直ぐに班長、分隊長が勤まる資質があった。更に通信電子、経理、スポーツ等、特殊な技能の持ち主も稀に存在した。然るに、これまでの制度は、資質の優れた隊員を抜擢する等、適切な処遇を与えていない傾向が認められた。このため、彼等が自衛隊勤務を見限り、別の道に向った例が多い。今後、折角、入隊して来た人材を最大限に活かし、自他ともに満足させる人事行政に意を用いるべきである。その結果は、最良の対外広報政策になり、自衛隊の評価を高める役割を果すに違いない。甲陽軍鑑が「人は城、人は石垣、人は堀」と教えるとおり、人の質の向上こそ、組織を立て直し、維持する決め手である。
■統率者、特に指揮官、管理者の具備すべき資質
『一軍の将たる者、陣中においては、例え井戸が掘られていても、決して喉が渇いたなどと言ってはならない。天幕が張られていても、未だ全軍に行き渡らないうちは、決して疲れたなどと言ってはならない。竈で飯が炊かれていても、未だ出来上らないうちは、決して腹が減ったなどと言ってはならない。また、冬でも外套を着ず、夏でも扇を手にしない。雨が降っても傘をささない。これが、将たる者の心得である。』(「三略:上略11」・・・黄石)
『炎天のもとでは日除けを張らせず、厳寒に際しても自分だけ暖衣しない。険路には車をおりて兵卒とともに歩み、宿営し水や食事の用意ができても兵卒が飲食するまで手をつけない。陣地が完成しないうちは休息せず、必ず兵卒と苦楽を共にして行動する。』
(「尉遼子:第4戦威編 7.将帥は率先して難局に当れ!」)(高井三郎)
【参考資料1】
■軍政、軍令両機能の整頓が必要
以下は、6.25「国民新聞」に掲載された高井さんのご高見を抜粋したものです。
1.制服トップから政治に直接連絡することを禁じる内規、そして、軍令の分野に官僚が権限を握る軍政が割り込んでいることが問題である
1.省改革の本質は軍令と軍政の分離にある。昭和42年時点で、当時の陸幕長 杉田一次さんは、庁の中央機構が将来に与える悪影響に危惧を抱いていた。
1.「内局官僚が制服の人事権を握っている現状」は、重大問題である。どこでもそうだが、人事権は組織の根幹を揺るがす問題である。
【参考資料2】
■内局問題解決の方向性(昭和五〇年代半ばにおこなわれた指摘)(H20.8.1『ざっくばらん』(*)による)
元統幕議長で退役陸将の栗栖さんは、昭和五〇年代半ばに、内局に関して概略以下のようなことを述べておられました。
1.米軍は当初、内局について、定員百名程度で長官に政務的助言を行なう組織として内局を考えていたようだ。ひとことでいえば内局は、長官を政治的に大綱面で補佐することが任務であり、自衛隊を管理する任務はない。
1.軍事専門家たる制服が、防衛局の責任ある地位にいなければ、長官を補佐する使命は達成されない。シビリアン(注:背広官僚のこと)から構成された部局が、軍事情勢判断、作戦計画、訓練計画を担当するのは非常識であり、諸外国に例がない。防衛局は廃止し、統幕がそれに代わるべきである。
1.人事局は、局長が制服になるか、シビリアンをどうしても置くのなら、次長を陸海空から入れるべきであり、少なくとも混交して人事にあたらねばならないなお、陸幕についてはこういうご指摘がされています。
1.陸上幕僚監部は防衛庁長官の幕僚組織であり、陸幕長は専門的助言者として長官を補佐する。
1.なるほど[陸幕長には]自衛隊の隊務、隊員の服務を監督する責任(通達発簡権もそのひとつの現れ)があり、長官命令を執行する立場でもあり、隊務全般の統一整合を図る地位にはあるが決して指揮官ではない。しかしいつのまにか「上級司令部」的な観念が醸成されてきた。その結果、内局をもって長官の補佐機関とし、陸幕はひとつの中間司令部であるとの無意識の慣行を生み出し、防衛庁内において長官の幕僚的性格が希薄となり、何事を行なうにもまず内局の意向を確かめ、内局の下風に立つ傾向が生じている
(エンリケより)
「幕が内局の顔色をうかがう」理由のひとつには「予算権と人事権を官僚に握られていること」もあるのが実態です。まずはこれらの権限の所在を統幕に持ってこない限り、いくら組織を変えてもこれまでどおり各幕の顔は内局を向くであろう、という現実的指摘もあります。
高井さんは、これにつき
<人事、予算は、現代国家では軍政機能に属する。日本の場合、栗栖陸将の言われるとおり、制服幹部の人事を文民が握って来た点に問題がある。どこの組織でも人事は、組織の構成員の心理動向に重大な影響を及ぼす。日本では、人事権を握る文民の前に制服の上級幹部が萎縮して、正論を説く傾向が、年を追うごとに後退してきた。各国軍の国防省と同様に人事局に制服を配置すべきである。この点は、栗栖陸将も主張されていた。かなり以前から、栗栖陸将のような正論を説く将官が極めて少なくなり、それが制度全般、隊務運営、統率に悪影響を及ぼしてきた。したがって、小生は、将官の言えない主張を、敢えてこの機会に披瀝したのです。軍令機能、例えば参謀本部に、参謀職の人事権を持たせといった案もある。>との見解を示されています。
(*)『ざっくばらん』
30年以上の歴史を持つ超有名ミニコミ誌です。主筆の奈須田敬さんが編集・製作・発行すべてを行なっている雑誌の原点ともいえる月刊誌です。聞くところによると、ペンネームで登場している執筆陣は有名人ばかりとの噂で、読者にも、一流人がわんさかいらっしゃるとか。弊マガジン読者の方でしたら、楽しめること間違いなしでしょう。詳細は並木書房さんでどうぞ。 http://
(画面の下のほうにあります。)弊マガジンでも、これまで内局のことや改革会議に絡んだ自衛隊の問題をいろいろお伝えしてきました。過去記事はサイトに置いてありますので、関心があればそちらもご覧下さい。(エンリケ)
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