イスラエルからのニュース
2008年9月10日(水)
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*シャスのデリ元党首がエルサレム市長選に出馬表明。
ゲイドマーク氏は、勝ち目が無いと見て撤退を表明すると
見られている。(H,P,Y)
*新規移民者や再帰還者に、10年間は国外での所得に
課税しない特別減税案が国会を通過。高額所得者の
移民を推進へ。(H,P)
*レバノンで16日からヒズボラの武装部門の扱いを決める
会議。レバノン安定化のためにヒズボラの武装解除は
欠かせないが、ヒズボラが自ら武器を捨てる可能性は
ほとんど無いと見られている。(H)
*アイヒマン拘束作戦を指揮した元モサド職員エイタン氏が
インタビューに答え「ナチ追跡は終わった。今後はアフマ
ディネジャド大統領を誘拐して国際司法裁判所に引き渡す
可能性もある」と発言。(P,Y)
*アラブ紙のインタビューに答え「和平はイスラエルの安全を
増すことが条件」とリブニ外相。結局、安全が双方の益だと
語った。(Y)
*ラマダンの夕食会でペレス大統領が「パレスチナとの交渉で、
国境線に関する意見の食い違いは5%以下」と語った。(H)
*ヒズボラに誘拐される懸念があるとして、予備役兵士にイス
ラム教国への旅行をしないよう政府が呼びかけ。(H,P)
*イスラエルでの世論調査で、国防軍兵士のシャリート氏と
交換でバルグティを釈放することに8割近い賛成。しかし、
バルグティの釈放はファタハの強化と安定化には役立た
ないとの見方が強い。 (P)
*孫である4歳の女児を殺害したと証言していた男性が、
証言を撤回。遺体は未発見で、警察が引き続き捜査を
行なっている。(H,P,Y)
2008年9月11日(木)
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*国防軍のヘリコプターがエズレルの谷で墜落し、パイロット
2人が死亡。多くの目撃証言によると、回転翼が折れた
可能性が高い。国防軍のヘリコプター墜落事故は第二次
レバノン戦争以来。(H,P,Y)
*スイスとフランスの国境で世界最大の素粒子加速装置が
昨日から稼動 開始。イスラエル人の研究者40人が関わっ
ている。(H,P,Y)
*リブニ氏とモファズ氏のどちらが勝っても新政権は結成
不能で、すぐに総選挙になるとの見方を、シャスのイシャイ
党首が表明。宗教政党のシャスは連立政権の鍵を握ると
見られている。(H)
*エルサレム市長を目指すシャスのデリ元党首に右派が
反対を表明。「デリ氏の左傾化でオスロ合意が成立した」
のが反対の理由。(H,Y)
*ヒズボラによる国外でのイスラエル人誘拐事件を2件阻止
したと、バラク国防相が発表。引き続き注意を呼びかけた。
(P,Y)
*ガザと西岸地区の分離をイスラエルが進めていると人権
団体が非難。ガザ出身者の西岸地区での滞在は制限が
厳しくなっている。(P,Y)
*爆弾を満載した自動車をハマスがガザで発見し、運転手ら
を逮捕。イスラエルとハマスのどちらが攻撃目標だったかは
不明。(P,Y)
*レバノンで親シリア派のドルーズ人指導者が自動車爆弾に
より暗殺された。親シリア派の政治家が暗殺されるのは
珍しい。(Y)
*テルアビブ大学で犬と猫を仲良く育てる方法を研究。先に
猫を飼っておいて、あとで犬を入れ「お見合い期間」を経て
一緒にする。双方が1歳未満の段階で同居させるとうまく
行く確率が高いという。(H)
2008年9月12日(金)
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*行方不明の4歳の女児と見られる遺体が、容疑者の自供
どおりに川の水中から発見された。川は汚染で悪臭が漂い、
水中の視界は20センチ。2週間にわたるダイバーの捜索は
苦難の連続だった。(H,P,Y)
*17日の選挙で新党首が決まれば直ちに辞任すると、オル
マート首相。しかし、新党首が連立政権を組めない場合は、
総選挙となり、最長で来年3月までオルマート氏が首相に
留任する。(H,P,Y)
*米国のエルサレム駐在総領事が、エルサレムの帰属が
交渉の議題になっていると示唆。和平交渉の途中経過は
一切公表しないことになっているため、イスラエル政府は
「不適切な発言」と非難した。(P,H)
*年内の和平合意を米国が強力に推進する中、自治政府の
アッバス議長 が悲観的見通しを表明。主要項目で何も合意
は無いと語った。(H)
*来年1月9日にアッバス議長の任期が切れると、西岸地区
が無政府状態になる可能性が高いと見て、国防軍が対策を
検討中。(P)
*オーストリアの裁判所が、パレスチナ系テロ組織「アブ・ニ
ダル」の口座にある1千万ドルの凍結を解除。この組織は
1990年頃に多くのテロを実行したが、現在は休眠状態に
あるもよう。(H)
*ブレア元英首相の義姉妹の左翼活動家は、ガザで足止め
されたたまま。 「ガザは世界最大の収容所」とイスラエル
を非難した。(Y)
*ガリラヤ湖畔で福音派クリスチャンが開催した集会に、
エスキモーやアメリカ原住民など少数民族の代表450人が
集結。彼らは、福音派の信仰と共に、民族の文化を保存する
ことを目指している。(H)
[情報源略号表]
P=エルサレム・ポスト http://www.jpost.co.il/
H=ハアレツ http://www.haaretz.com/
7=アルツ7 http://www.israelnationalnews.com/
I=イスラエル・トゥデイ http://www.harvesttime.tv/israel_today/
Y=イディオット・アハロノット http://www.ynetnews.com/
( )内の記号が情報源。メディアにより掲載日が異なる場合もあり。
[転載・引用・再配布について]
教会活動等の非営利目的ならばOKです。ユダヤ人および
各宗教教派に批判的な文脈での引用はしないで下さい。
発行:「シオンとの架け橋」 http://www.zion-jpn.or.jp/
編集:石井田直二 naoji@zion-jpn.or.jp
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ブレア元英首相の義姉妹は、 「ガザは世界最大の収容所」と
言うが、パレスチナ人だけ集まっても何も仕事がないので、
ガザにいると貧乏になるばかりだ。彼らは水も電気もすべて
イスラエルから無償で提供してもらっているのだ。外国から
巨額の援助金をもらっても、トップがポケットに入れてしまい、
武器の購入やテロ活動に使ってしまう。市民に使われること
は、あまりないのだ。ガザのパレスチナ人はハマスの
人質みたいなものだ。
イスラエル人と共存する方法を考えた方が、よりよい生活を
送ることができるはずなのに、彼らはあえて、ガザで産業を
発展させたり、インフラを整えることなどは考えずに、
イスラエルに水や電力を供給してもらいながら、イスラエルを
攻撃することを選んでいるのだ。それでは、
パレスチナ人の生活が向上するわけがない。ハマスが
最新鋭の武器を購入して、イスラエルを攻撃することを
ガザの住民が望んでいるのだから、外国人のブレア
元英首相の義姉妹は、イスラエルを非難する必要がない。
パレスチナ人がイスラエルと全く妥協しないで、自爆テロを
続けることを望んだから、イスラエルがガザを切り離したのだ。
おかげで、イスラエル国内ではテロが減ったそうです。
第二次世界大戦の時に、パレスチナ人やクルド人に国を
与えないで国境をくぎったのはイギリスではなかったのか。
イスラエルやサウジアラビアは、イギリスとの約束の下に
国を与えられて独立できたのだ。
でも、当時、クルド人は、自分たちの国持つということに
関して積極的ではなかったそうです。
国という定義も持たない民族で、部族ごとにバラバラになって
いて、これといった代表者がいなかったのでしょうね。
パレスチナ人も羊飼いや農民がパラパラと荒れ地に離れて
住んでいるだけで、国という意識を持った指導者が誰も
いなかったのでしょう。イスラエル人は、最初、パレスチナ人
から土地を購入して住んでいたそうです。第二次世界大戦後
に、国連でイスラエルという国が建国されることを世界中の
国が認めたから、いまさらイスラエルという国を潰すことなど
できない。
ここから日本が学ぶべきことは、
ビジョンがある国は生き残る。
代表者がいる国は国と認められる。
自分の住む場所の土地を売るといずれ
その人たちが増えて、その人たちの国になる。
妥協をしないなら戦争と貧困。妥協をするなら
二等市民。どちらかしか選べない。
国連をうまく使った方が勝ち。
強い国を利用した方が勝ち。
自分の国を守るという強い意志を持った国は
小さくても、存在感が大きい。
多くの国に嫌われても滅亡はしない。
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時間がある方は、お読みください。↓
読まなくてもいいです。どちらかというと
パレスチナ寄りの説明文なので。
1)パレスチナってどこ?
パレスチナとは地中海の東岸に面するレバノン・シリア・ヨルダン・エジプトさらにシナイ半島に囲まれた地域のこと。ただしその地域の大部分にはイスラエルが建国され、現在はガザ地区(種子島より小さい)とヨルダン川西岸(三重県と同じぐらい)でパレスチナ自治政府が展開されているます。
ユ-ラシア大陸とアフリカ大陸を結ぶ「文明の十字路」であったパレスチナは、太古の昔から、さまざまな文化を持った人間集団の出会いの場でした。このような、異なる人々の間の交易、協同、紛争が織りなす独特の歴史のなかから、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3大宗教も生まれたのです。
16世紀初頭から400 年にわたり、パレスチナは「オスマン帝国」というイスラ-ム国家の支配下にありましたが、第1次世界大戦後はイギリスに占領されました。
2)パレスチナ問題~その始まり
今日にいたる問題の発端は、中東での覇権をめざしたイギリスの態度です。イギリスは第一次世界大戦で、オスマントルコとたたかい、戦争を有利に進めるために「三枚舌」外交を行います。フランスとの間では、戦後の中東を両国で分割する密約(サイクス=ピコ協定)を結びながら、アラブ人にはパレスチナを含むアラブ国家の独立を認め(フセイン=マクマホン書簡)、ユダヤ人に対してもパレスチナでの「民族的郷土」の建設を支援する約束をします(バルフォア宣言)。
紀元1世紀にユダヤ王国がローマ軍に滅ぼされ、世界に離散していたユダヤ人は、19世紀末以降、特にヨーロッパにおける反ユダヤ主義の高まりの中、自分たちの国の建国を目指してパレスチナへの移住を開始します(シオニズム運動)。1930年代以後のナチスによるユダヤ人の迫害がこの移住に拍車をかけます。600万人のユダヤ人が虐殺されたホロコーストの悲劇がもう一つのパレスチナ問題の背景です。
3)パレスチナ問題~その対立の経過
第二次世界大戦が終わる頃、パレスチナのユダヤ人人口は60万人に達していました(人口の1/3)。パレスチナ人とユダヤ人の衝突とイギリスを標的とするテロの頻発に手を焼いたイギリスは1947年、問題解決を国連に委ねます。同年11月、国連はパレスチナをパレスチナ人とユダヤ人の国家に分割し、エルサレムを国際管理下におくというパレスチナ分割決議を採択します。
人口で1/3、土地所有面積で6%弱のユダヤ人に57%の地域を割り当てる決議をユダヤ人は受入れ、アラブ人は拒否。1947年5月14日、イギリス軍が撤退するとユダヤ人は当事者間の合意がないまま、イスラエルの建国を一方的に宣言、分割決議に反対するアラブ諸国がイスラエルに攻め込み第一次中東戦争が始まります。戦争の結果、イスラエルは国連の決めたユダヤ人の領土をはるかに超えて侵略、追い出されたパレスチナ人70万人(100万人とも)が難民となりました。イスラエルが侵入しなかった東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区をとガザ地区はそれぞれヨルダンとエジプトが占領しました。
以後、計3回の中東戦争がたたかわれ、67年の第三次中東戦争でイスラエルは全パレスチナを支配、シリア領ゴラン高原とエジプトのシナイ半島も占領しました。国連安保理は占領地からの撤退をうたった決議242号を採択しますが、イスラエルは受け入れず、1982年にシナイ半島は返還されたものの、基本的に占領状態を続けています。