頂門の一針 | 日本のお姉さん

頂門の一針

ようちゃん、おすすめ記事。↓*メイル・マガジン「頂門の一針」 9月16日(火)
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ハラが減った北の人民軍?
━━━━━━━━━━━━ 古澤 襄
韓国の朝鮮日報は北朝鮮の建国60周年記念行事に正規軍が参加しなかったのは、別の理由があると推論している。北朝鮮における食糧危機は、正規軍にまで及んでいる。「人民軍の部隊に大量の餓死者が出るかもしれない」という噂も出ているという。正規軍の内部で不満が高まれば、1996年の将官級と佐官級軍人数十人が関与した大規模な反政府グループ事件(第六軍団事件)の再発の懸念もある。さらには軍内部の不満を押さえるために政権が冒険的な挙にでることだってあり得る。金正日総書記の病状とともに北朝鮮人民軍の動きも注意しておく必要がある。<北朝鮮当局は9日、建国60周年記念行事を開催したが、主人公であるはずの金正日(キム・ジョンイル)総書記が参加することはなかった。正規軍が参加する大規模な軍事パレードは午前に行われることが通例だったが、今年は午後の遅い時間に、正規軍ではなく労農赤衛隊と赤い青年近衛隊、そして平壌市民のパレードだけが行われ、金総書記の健康悪化説が現実のものとなった。今回の行事に北朝鮮の正規軍が登場しなかったのは、金総書記の健康悪化のためか。有力な北朝鮮内部の消息通によると、正規軍の平壌集結が中止されたこと、午前に行うべき行事を午後の遅い時間に移したのには、ほかの理由もあるという。北朝鮮は今年4月から、人民武力部傘下の軍官学校生徒と各軍団から差し出された数万人の兵士を動員し、大規模な軍事パレードを準備してきたとのことだ。最近中国を訪れた北朝鮮のある政府関係者は、「当時の北朝鮮当局は、田植えの季節であったにも拘わらず、軍人を1人たりとも農村に送らず訓練させ、各地域で民間の支援を督励したこともあった」と語った。これまで閲兵式に参加した軍人たちは、米飯に肉のスープはもちろん、さまざまな土産物を下賜され、最高の待遇を受けてきた。閲兵式への参加が、軍人としては最高の栄誉だと考えられていたほどだ。しかし今回イベントに動員された軍人たちに対しては、トウモロコシすらきちんと支給できないほどに状況が劣悪で、軍人たちの不満は爆発前だった。そのため軍の情報機関である保衛司令部の内部決定により、正規軍のパレードが中止させられた可能性も排除できない、というわけだ。現在では軍内部に、「今年下半期に人民軍の食糧倉庫である“2号倉庫”の備蓄が底を尽き、人民軍の部隊に大量の餓死者が出るかもしれない」という恐ろしい噂が広まり、軍内部の動揺も大きくなっている。最近国境を越えた元軍人の脱北者は、「軍用食糧のコメは主要な穀倉地帯の黄海道でまかなわれるが、そこの農地が昨年の水害で台無しになった上、国際穀物価格の上昇で中国当局が今春に北朝鮮向け食糧輸出を抑えたことが決定な打撃となった」と語った。この脱北者は、米国による初の北朝鮮向け食糧支援として送られた小麦が、軍の中でも最も状態が劣悪な海軍司令部傘下の部隊に集中して配給された、と語った。食糧分配に対する監視の目をごまかすため、海軍所属の軍人は皆民間人の服装をして食糧を受け取り、そのほとんどは後で海軍に送られたという。軍隊の祭りと言うべき閲兵式が飢えのせいで中止となり、不満が危険なレベルに達して今回のイベントが迷走したという可能性が提起されるのは、まさにこうした状況ゆえだ。1995年に金総書記が「先軍政治」を実施してから、金総書記のあらゆる権力は軍部に集中した。しかし急激な経済悪化と食糧難で、人民軍を「栄失軍(栄養失調の軍隊)」や「強栄失(強い栄養失調の軍隊)」と呼ぶ事態にまで至っている。こうした雰囲気の中で、軍隊の内部には「反金正日」の兆しも見られ始めた。93年に旧ソ連軍事アカデミー出身の将官11人をクーデターの疑いで摘発・処刑したのに続き、96年には咸鏡南道に駐屯する第6軍団で事件が起こり、多くの幹部将校が命を落とした。北朝鮮内で高い地位にあったある脱北者によると、「第6軍団事件は、軍団政治委員の傘下にいた将官級の軍人らと大佐級の軍人数十人が関与した大規模な反政府グループ事件で、外部の情報組織と連携して活動してきたが、摘発された」と語った。この第6軍団事件以後、軍の将校に対する監視活動が強化されたことが分かっている。師団長級以上の将官ついては、内部情報機関から金正日総書記に対し10分単位で居所が報告されるシステムを備えたという。金正日総書記は軍隊と銃隊を最も愛したが、人民軍の忠誠度は地に落ちている。元軍人のある脱北者は、「現在服務中の人民軍兵士の大部分は、1990年代後半の食糧難で親兄弟を葬った痛みを抱えている」と語った。
今でも大部分の兵士から聞こえる声は「親兄弟がひもじい思いをしている」というものばかりで、若い軍人の体制不満は想像以上に深刻な水準にある。
この脱北者は、「軍人が体制に対する希望を持たず、大多数は外部の情報に飢えており、軍隊内で韓国の映画を見たりラジオを聴いたりすることも1度や2度ではない」と語った。経済難で発生する軍隊内での暴力や慢性的な飢えは、軍隊組織を瓦解させかねないレベルに至っている。盗みは人民軍の兵士たちにとって、生存に欠かせない条件のようになったという。最近韓国入りしたある脱北者は、「最近の人民軍で最も深刻なのは脱走だ」と語った。以前ならば脱走は銃殺刑だが、脱走兵があまりに多いため、軍官(将校)が逃亡兵をなだめて連れ戻す、という事態にまで至っているという。数カ月間準備した閲兵式が突然中止されたことで、そうでなくとも不満だらけだった軍隊全体の士気の状態がさらに悪化した可能性が高まっている。(朝鮮日報)>
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猪飼野に通った頃
━━━━━━━━渡部亮次郎
猪飼野(いかいの)は、大阪市東成区・生野区にまたがる、鶴橋から桃谷にかけてのJR大阪環状線東側と平野川に挟まる地域とその周辺の地域の総称。住居表示制度施行(1973年)前の地名である。新住居表示では東成区の「玉津」「東小橋」、生野区の「鶴橋」「桃谷」「中川」「中川西」「勝山北」「勝山南」「舎利寺」「田島」辺りに当たる。私が大阪暮らしをしたのは1973年夏から3年間。町名整理中だったのだろうが、私の歓迎会をしてくれた連中の誰もが、そんな事は口にせず、安いが高級な牛肉とホルモン焼きをおごってくれた。秋田と大阪は離れているようで、関係が深く、住み着いている秋田県人の子孫も多い。謎は江戸期に北日本と大阪の物資流通を担っていた「北前船」。それに乗ってきた秋田人の水夫が大阪に留まった。大阪女にいかれたのも多かったろう。初めて目にする韓国・朝鮮人集落は私にとっては珍しく、宴会といえば猪飼野という時期もあったぐらい。出て来る牛肉に紫色のスタンプが押されてそのまま出て来ることもあった。内臓を「ホルモン」と呼んでいたが、これは以前は肥料に加工していたものだが、よく洗って「身体に力が付くホルモン(放るもん)」として出せば絶対売れるとか韓国・朝鮮人の知恵の勝利と言う説明も聞いた。しかし、日韓併合時代、日本人は、自分たちは焼肉を食べていたが現地人には絶対、食べさせなかったらしく、1973年6月に初訪韓した我々日本人記者団に朴政権の閣僚は「大和(やまと)焼き」と言って出してくれたのが「焼肉」。漬けた肉を裁ちばさみで切った。だから「焼肉こそは韓国が発祥の地」という韓国人の言は正しいが、但し、韓国人は戦前は目にはしても食べさせてもらえなかった料理である。戦後、大阪から帰郷した韓国人が始めたのが韓国式焼肉なのである。古代・仁徳天皇の時代(5世紀前半)に、多くの「渡来人」がこの地にやってきた。特にこの地域は百済(くだら)からの渡来人が多く古くは「百済郡」と呼ばれていた。その渡来人たちがブタ(猪)を飼う技術を持っていたことからこの地域を「猪飼野(いかいの)」と呼ぶようになる。さらに、渡来人のもたらした優れた技術により、文献上の日本最古の橋がここを流れる「百済川」(現在の平野川)に架けられ、通称「つるのはし」と呼ばれたことから現在の「鶴橋」の地名の元となる。近代以前は、この地は大阪有数の農村であり、大阪中心部への野菜の供給地であった。第1次世界大戦時の好景気を反映してこの地に工場の立地が相次いだ。
さらに、これまでくねくねと曲がって流れていた平野川をまっすぐに付け替える改修工事が行われ、労働者として朝鮮民族を中心に集められ、人口が急増する。太平洋戦争を経て、この地に根ざした在日韓国・朝鮮人によってコリアタウンが形成されていった。出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「猪飼野(いかいの)」大阪の町から、この町名が消えたのは1973年2月1日。
当時、大阪市は町名変更で猪飼野地区(猪飼野東、猪飼野中、猪飼野西)は7つに分断され、隣接地域と統合。合併され「猪飼野」という町名は姿を消した。「猪飼野界隈の歴史」では当時の百済人との交流から千年以上もの時を経た現代まで、猪飼野の歴史として紹介していきます。
http://www.ikuno-koreatown.com/design/rekisi.html

【猪飼野界隈の歴史-序章】
百済門(くだらもん)をくぐるとそこはもう「小さな韓国」です。キムチを売る店、チマチョゴリの色鮮やかな民族衣装の店。焼肉の匂い。あちらこちらで、韓国語が飛び交います。生野区は、住人の4分の1が、韓国・朝鮮籍だといいますが、このコリアタウン界隈は、明らかにそれより、もっと多くの、朝鮮半島出身者が住んでいます。まだ日本語のたどたどしいニューカマーもいます。では、どうしてこんなに多くの韓国・朝鮮人が、この地に住んでいるのか。
日韓併合(にっかんへいごう)
明治以来、富国強兵政策をとってきた日本は、日清日露の戦争に勝利した勢いで1910年、朝鮮を併合しました。「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」と、石川啄木はこれを憂(うれ)いました。鮮という国がなくなったのです。日本列島から、朝鮮半島に、沢山の人が入植しました。列島ではうだつがあがらない人も半島では有利な経済活動をして、メイドを何人も雇えるほど、裕福な生活ができました。逆に、半島から列島へ働きに来る人もいました。厳しい仕事を、劣悪な条件で働きました。1923年に、済州島(チェジュド)と大阪をつなぐ直行船「第1君が代丸」が就航してからは、済州島からも働きに来ました。当時、在阪朝鮮人の人口が、毎年1万人ずつ増えたということです。大阪の生野・東成区辺りには、大阪城近くにあった砲兵工廠(ほうへいこうしよう)や、町工場(ゴム・ガラス・鋳物(いもの)・金属・鍍金(めっき)・染色などの製造工場)の仕事をする人が定住するようになりました。半島から渡ってきた人たちの中には、身体的にはきついけれど、収入のいい土木作業に従事した人たちも多くいました。平野川の改修工事に携わった人たちの中にも、こうした朝鮮人が多くいたようです。1945年、日本の敗戦は朝鮮の「光復」(クァンボク)です。大喜びで故郷へ帰りました。しかし全員が帰るには、船の段取りにも時問が掛ります。そうこうするうちに、朝鮮(韓国)へ帰っても仕事がない、とか、政情が不安定、などの理由で、逆流が始まりました。帰り損ねた人、帰ったけれど、ふるさとに仕事がなくてUターンした人が、再び日本で住むことになりました。大阪には、そのようにして在日韓国・朝鮮人が、たくさん住むようになりました。なかでも、生野区には一番多く在日コリアンが住んでいます。

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話 の 福 袋
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中国製有毒粉ミルク、米国流入の可能性=米FDA
【大紀元日本9月13日】米国国家食品薬品監督管理局(FDA)は9月11日、中国の化学物質メラミンに汚染された有毒の乳児用粉ミルクが米国市場に入り、華人向けの食品スーパーで販売されている可能性があることを公表した。FDAは、中国製乳児用粉ミルクを購入・使用しないよう、消費者に注意を呼びかけている。乳児用粉ミルクについて、中国では、複数のメーカーの製品がメラミンに汚染されたことが確認されている。メラミンはプラスチック製品と化学肥料を製造するための化学品原料である。2007年、メラミンが混入した中国製ペットフードが米国などに輸出され、や猫が主に腎不全で死亡する事件があった。FDA幹部は、「私たちは、中国製乳児用食品の輸入を許可していない」説明した。情報によると、ニューヨークやサンフランシスコのような中国人移民が密集する大都市で、上記の有毒粉ミルクが華人向けの食品店で販売されている可能性が高いという。9月11日現在、米国での被害報告はない。最近、中国国内メディアが、「三鹿」銘柄の粉ミルクを摂取した乳児が腎臓結石を患ったと報道した。メーカーもその製品がメラミンに汚染されたと認めている。問題の粉ミルクは中国で11年間連続で売り上げトップにある。現時点までに、中国大陸の8県で被害の事案が多く確認された。被害者は皆1歳未満の乳児で、両方の腎臓に多発性結石が発生し、急性腎機能障害を起こし、重体のケースもある。中国国内の被害件数は公表されていない。

◎もやしに脚光 安くてヘルシー、栄養豊富
9月14日10時1分配信 産経新聞食品の値上げが止まらない中、にわかに注目を集めているのが「もやし」。安さとボリュームだけではなく、淡泊な味わいで料理を選ばず、ひ弱な見た目からは想像できないほど栄養も豊富だ。そんな魅力に目をつけ、趣向を凝らしたもやし料理を看板メニューにした店まで登場した。若者でにぎわう東京・渋谷に8月、ユニークなもやし料理が味わえるダイニングバーがオープンした。その名も「もやし家」。メニューブックをめくると、所々にもやしのマークがついており、一目でそれがもやし入りの料理と分かる。12種類ものもやし入りメニューは、だし巻き卵やゴーヤチャンプルー、春巻きなど、和洋中、エスニックとバラエティーに富んでいる。お通しのさっぱりとしたもやしのあえ物は、「おかわり」続出のひそかな人気メニューだ。阿部勝雄店長は「20代から30代前半のヘルシー志向の女性客が多いですね。飲みに来て、野菜不足も解消できるとリピーターが増えています」と話す。ボリュームがあるのにカロリーも値段も抑えめ。ヘルシーな料理を手ごろな値段で提供したいと、多くの野菜の中から、もやしに着目したのだという。

≪ビタミンCや食物繊維≫
「意外かもしれませんが、栄養もしっかり詰まっているんですよ。メタボでダイエット中の人にも、食べ盛りのお子さんにもおすすめです」と話すのは、野菜ソムリエの小林かおるさん。もやしは、緑豆や大豆などの豆を発芽させたもの。この発芽によって、ビタミンCをはじめとするさまざまな栄養素が生成され、消化、吸収もよくなる。食物繊維が豊富なのも特長だ。調理する際のアドバイスを、小林さんに聞いたところ、「加熱時間を短く。『サッと』が原則」。しゃきしゃきした食感を生かし、ビタミン類の流失を防ぐためにも、火の通しすぎは禁物。また、細長いひげ根にも食物繊維などが含まれるので、気にならなければ切らずに、そのまま食べるのがおすすめという。また、ゆでるときのコツとして、独特の青臭さが苦手な人はゴマ油を、また変色を防ぎ、食感をアップさせるためには酢を、それぞれ少量加えるとよいとか。小林さんはもやしを夜食に食べることも多いという。「ゆでもやしをめん代わりに使うんです。上にあんをかけて、やきそば風に、タラコバターであえてパスタ風に…。カロリーが抑えられ、夜遅く食べる罪悪感も軽くなるんですよ」

 ■物価の優等生
キッコーマンの和風おかずの素「うちのごはん」シリーズから8月に発売された「もやしのねぎ味噌炒(みそいた)め」も人気を呼んでいる。必要なのはもやしと豚ひき肉だけで、まな板も包丁も不要という手軽さと、適度なとろみが出て、水っぽくならず、食感よく仕上がると好評だ。店頭では概ね50円玉1つで1袋を買うことができ、しかも大きな価格変動を長くしていないもやし。卵と並ぶ「物価の優等生」といわれてきたが、原油高騰の影響は避けられるのだろうか。
生産者団体の全日本豆萌(まめもやし)工業組合連合会は「もやしは日光を当てず、湿度や温度、酸素量などを微細に調整をしながら育成するので動力が不可欠ですし、包装フィルムにも原油高騰の影響が出ています。また、原料の緑豆も、バイオ燃料となるトウモロコシに作付けが移り、価格が上昇しているのです」と窮状を訴えている。

◎ 麻生氏は1回目の投票で勝利 古沢襄(15日)
マスコミ各社の世論調査は自民党総裁選挙における麻生幹事長の独走的な優位を伝えているが、共同通信社が自民党の党員・党友を対象にした調査結果でも過半数が麻生支持。国会議員の調査でも麻生支持が6割。この結果、麻生氏は1回目の投票で自民党総裁に選出されるのが確実な情勢となった。これからの焦点は、次の総選挙で自民、民主両党のいずれが勝つかに移る。<自民党総裁選は14日、麻生太郎幹事長が新総裁に選出されるのが確実な情勢になった。共同通信社は13、14の両日、全国の党員・党友を対象に支持動向調査を実施。麻生氏に投票するとの回答が750・1%と過半数で、8・1%の小池百合子元防衛相ら4候補を大きくリード。14日までの党国会議員への取材で、麻生氏が387人のうち6割前後を固めており、1回目の投票で決着する勢い。(共同)>

◎ 捨て猫増加、9割以上が殺処分
青森県動物愛護センター(青森市)に引き取られたり収容された猫が2007年度は、約2000匹に及んだ。猫の場合、犬に比べて引き取り手が少ないため、毎年、その9割以上が殺処分される。07年度にセンターに引き取られた猫は前年度より約300匹増え、犬の数を初めて上回ったが、99%が処分された。増加傾向は今年も変わっておらず、同センターは「引き取る窓口は清潔できれい。殺すイメージがわかないまま持ち込む飼い主が多いが、薬やガスで殺すところまで想像してほしい」と、不幸な猫が増えないよう訴えている。東奥日報 2008年9月14日(日)

◎「農水省の対応甘い」 野田消費者相が批判 野田聖子消費者行政担当相(衆院岐阜1区)は13日、岐阜市内での会合や街頭演説で、事故米の不正転売問題について「一番の問題は農林水産省の検査の甘さにある。抜き打ち検査は1度もしたことがない」などと述べ、農水省の一連の対応を厳しく批判した。野田氏は「調べれば調べるほど、検査という名の行事をやっていたという実態が明るみに出てきた。普通の検査よりも軽くやっていた疑いがある」と同省の検査のずさんさを指摘した。さらに「公衆衛生の問題になるから厚生労働省の所管と言い逃れをする無責任さもある」とし、「一言で言えば、縦割り行政の結果としての事故米だ」と述べた。その上で、設置を目指す消費者庁について「すべての物事の最優先に消費者や国民があり、通報があったら迅速に動くことができる。抜き打ちをはじめ本来の検査をできるのが消費者庁の強みだ」と訴えた。
岐阜新聞 20080914
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