マンガ「カムイ外伝」で知った非人の悲しみ。 | 日本のお姉さん

マンガ「カムイ外伝」で知った非人の悲しみ。

マンガ「カムイ外伝」で知った非人の悲しみ。

カムイは、男前で姿かたちの美しい非人で、忍者です。

どういうわけか、抜忍(ぬけにん)となって、他の忍者に

命を狙われている。忍者は、抜けることができないのです。

カムイは日本中を逃げ歩いています。

そして迫りくる追っ手を殺しながら生きている。

可愛がっている猫を殺された悲しみと怒り、

好きになった九の一(女忍者)の死を控えめに悲しむ様子に

好感を持ちました。

カムイ外伝は、だれかが映画にしてほしいマンガです。

白土三平(しらとさんぺい)という漫画家が書いています。

今は、エタ・非人のことなんて、調べないと

なんのことか分からない時代なのです。

江戸時代の話です。今は、華族や武家やエタ・非人など

家柄や出身はもう関係ないのだ。

昨日、DVDで、「ヒットマン」という題名の映画を観たけど、

見終わってから「カムイ外伝」に少し似ていると思った。

ヒットマンも、優秀な殺し屋でも、奴隷みたいなもので

抜けられないのだ。

でも西洋人の作る映画は、あっけらかんとしている。

アジア人の作るマンガや映画は、見終わった後の余韻が違う。

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非人 ひにん

アジア 日本 AD  http://www.tabiken.com/history/doc/P/P143L100.HTM

 日本中世・近世の賤民の一種。語源は822年(弘仁13)ごろの成立とされる『日本霊異記』や『続日本後紀』の842年(承和9)の条にみえる。後者は承和の変に謀反人とされた橘逸勢が本姓を除かれて非人姓にされ,伊豆に流罪になったと記すところからみると,元来,被差別民をさす用語ではない。11世紀になると,京都清水坂に住んでいた賤民を清水坂非人と呼び,また,祇園社の犬神人も非人と呼ばれるにいたった。13世紀後半成立の『沙石集』には大内裏の垣の外に,非人・乞丐・病者がいたと記しているから,非人は社会の下層民をさしていて,必ずしも固定化した賤民層の称号ではない。しかし一般集落とは疎外されたところに住み,貧窮な生活をしていて,世人から蔑視され差別された。室町期に入って商品経済が進み,商工業者が増した。武士の社会的地位が上昇する反面,農民・職人・商人といった身分的序列が定着化し,ことに底辺の商・工業者は賤しい者とされ,多くは非人とか河原者(川原者)とか漠然な呼称で言われた。大きな川の河原などの荒地に住み,社寺の清掃や土木・手工業品・城郭建築・造園・演劇・刑吏,そのほか雑業に従事した。ことに造園・築城・染色・演劇などの面で文化史上,重要な役割を果たした。近世初期になると,乞食・非人とならび称されて最下層の賤民身分とされ,しだいに封建的身分体制に組み入れられた。関東筋では江戸浅草の穢多頭弾左衛門が関東からその周辺地方の「えた」(長吏という)を支配する頭目となり,江戸の非人頭を配下にした。上方筋では京都の穢多頭下村家が非人頭の悲田院村年寄を支配していたか否かは定かではないが,悲田村年寄の与次郎が山城・丹波の全域と近江・河内・美作・遠江・駿河・甲斐の一部の非人を支配した。大坂では道頓堀・飛田・天王寺・天満に居住していた四カ所の非人頭(四長吏ともいい,四カとも総称した)が,摂津・河内,一時播磨の一部の非人を総べた。堺では七堂浜・悲田寺・北坊・湊村の四カ所非人頭(長吏)がそれぞれの地域の非人を支配した。大坂の非人は犯罪人の探索・逮捕・処罰などを行ったが,その配下を「手先」または「目明し」などと言った。また大坂周辺の村では村役人の指揮の下に,村の防犯・防火・行刑などの役務をもつ番非人が置かれ,大坂町奉行に隷属し四長吏の統制下にあった。大坂の非人には,長吏・小頭・弟子(抱え)という階層序列があった。四長吏は非人の元締めで計4人,世襲であった。小頭は長吏の下,6~7人で,長吏を助けた。播磨の村々にも非人番(番非人)が非人小頭を通じて数カ村に一人の割で置かれた。その仕事は,大坂周辺の番非人と同様,防火・防犯の取り締りなどの村番と入会山を監視する山番とがあった。その非人番給は,その村から米や麦の収穫時に現物で支給された。非人の住居は,町中や村内の片隅にあったが,大坂の非人は墓場や寺の境内などにあることが多かった。非人頭としては,江戸では弾左衛門の支配下にあった車善七で襲名・世襲し,19世紀初めには浅草非人頭手下が368軒,品川非人頭松右衛門手下が236軒,深川非人頭善三郎手下が73軒,代々木非人頭久左衛門手下が50軒,木下川非人頭久兵衛手下が7軒あった。京都の非人頭は悲田院村年寄与次郎という。年寄は5人で五人衆と総称され,在方の非人番を支配,必要に応じて,彼らを役人足として徴用,洛中洛外の下級警察の仕事に当てた。非人には,2種あった。各地の非人頭に隷属し,非人人別帳に登録される非人素性の抱え非人と,当人の犯した犯罪によって非人手下にされた野非人とである。非人は,身分的には穢多より下位とされたが,野非人の場合には,脱賤できる道があり,世襲の穢多とは異なっていたので,身分をめぐり両者で論争したことがあった。幕府は1722年(享保7)非人の結髪を禁じた。また非人が欠落したときには入墨の刑に処した。明治初年の全人口3,009万人のうち,非人は7万7,358人(0.257%)を数えた。1871年(明治4)8月,いわゆる「解放令」によって穢多などとともに法的に身分・職業とも平民同様となり,いつしか平民階級となった。

〔参考文献〕小林茂『近世被差別部落関係法令集』1981,明石書店

岡本良一『乱・一揆・非人』1983,柏書房

高柳金芳『江戸時代非人の生活』1981,雄山閣