宮崎正弘の国際ニュース・早読み
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平成20年(2008年)9月8日(月曜日)
通巻第2311号
トルコ大統領が唐突にアルメニアを訪問
憎悪が消え、強調が産まれる試金石となるか?
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トルコといえば近東で最大の親日国家。
そのトルコのギュル大統領がアルメニアを訪問するという国際政治上の珍事が起きた。ギュル大統領は、この六月にも日本を公式訪問したばかり、元首相、外相経験で政治力豊かな人物である。サッカー試合の観戦を名目にギュル大統領は9月6日、アルメニアの首都、エレバンを訪問し、サルキシャン大統領と会談した。両国は91年以来、国交を断絶してきた。最大の争点は第一次大戦中、トルコがまだオスマントルコの時代、アルメニア人の「大虐殺」をめぐって、お互いが批判合戦を展開してきたからで、アルメニアは30万から50万人が虐殺されたと主張し、トルコは「大げさすぎる」と反論してきた。アルメニアとトルコは冷戦終了後のナゴルノカラボフ紛争でも対立し、トルコ側の国境を閉じていた。もちろんトルコ大統領のアルメニア訪問は初めてのことである。ここへきて突然の氷解ムードは、お互いが国内政治事情を抱えており、4月に就任したばかりのアルメニアのサルキシャン大統領はサッカーを大儀に掲げてギュル大統領を招待したのだ。「サッカー試合そのもの2対1でトルコの勝利に終わったが、会場では、防弾ガラスの特別室でギュル大統領が試合を観戦し、幾多のボディガードが囲んでいた。試合の最中にはアルメニア・ファンから激しいブーイングにあった。またギュル大統領がとおる沿道には数百の抗議デモがアルメニア国旗を振ってトルコを非難した」(AFP、時事)。
ギュル大統領は記者会見で、「この訪問が両国関係の進展につながることを期待する」と表明。サルキシャン大統領も「2国間の問題が次の世代に持ち越されないよう、政治的な意思が大切である」とした。しかし握手する両人の写真をみても、なんだかぎこちない。トルコ側は十月14日にアンカラで開催予定のサッカー試合に返礼としてサルキシャン大統領を招待したが、返事はなかった。 トルコの与党「公正発展党(AKP、イスラム教)のエルドアン首相は、最近、シリアとイスラエルの和平仲介に乗り出している。同党はトルコが国是とする世俗宗教に懐疑的で、ややイスラム原理主義に近いが、国際協調路線の堅持には変わりがない。トルコが希望するEU加盟交渉の最大の障害であるキプロス問題、ならびにアルメニアとの確執をすこしでもステップダウンできれば、EU加盟への大きな前提が開けるため、国際協調に必死なのである。
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((((((((( 樋泉克夫のコラム ))))))))))
【知道中国 185回】 ――郭晶晶にとっての政治
中国人と政治の関係について考えていた時、格好の一例が浮かんだ。今回の五輪の水泳飛び込みで金メダルを獲得した美女の誉れ高い選手、そう郭晶晶のことである。五輪を前に「妊娠。五輪出場辞退」の噂が流れたことを覚えているだろうか。当時、相手として名指しされたのがオックスフォード大学に学んだ香港の青年実業家・霍啓剛(ケネス・ホック)。父親は実業家の霍震霆(ティモニー・ホック)。体育協会とオリンピック委員会で会長を兼務する香港スポーツ界の重鎮だ。香港の議会に当たる立法議会議員を務めると同時に中国で参議院的権能の全国政協に香港地区代表委員の議席を持つ。なにはともあれ香港では超有名な大富豪なのだ。世界的飛び込み選手と息子との関係をメディアから問われ、霍震霆は「微笑ましいことだ」と応えていた。北京五輪の表彰式で郭晶晶の首に金メダルを掛けたのは、“未来の義父”だった。出来レースと首を傾げたくなるが、なにはともあれ超富豪の御曹司である霍啓剛と結婚した場合、郭晶晶は黙っていても香港の超富豪家庭何不自由のない生活を送ることになるはず。目出度しメデタシ、玉の輿。さて、ここからが政治ということになるだろうか。
今年1月、霍啓剛ら若手実業家が中国の貧困層に対する各種職業教育支援を掲げ百仁基金会なる慈善団体を結成したが、中国側カウンターパートは中共中央統戦部だ。中核メンバーの父親や祖父は北京ペースの香港返還に積極的に協力し、その見返りとして大々的に中国ビジネスを展開してきた香港の大企業集団の総帥。ギブ・アンド・テイク。いわば「一国両制」の勝ち組ということになる。しかも例外なく親族に全国政協委員を持つわけだから、北京との政治的結びつきは磐石。いわば百仁基金会を手土産に、霍啓剛ら香港の「太子党」も父親・祖父世代に倣って、「今後とも宜しく」と北京とパイプを繋いだのだ。これからも北京と友好関係を維持し一国両制の勝ち組であり続けようという魂胆は明白だろう。ここで注目は霍啓剛の祖父に当たり、06年10月に北京で亡くなった霍英東(ヘンリー・ホック/1923年生まれ)である。彼は全国政協常務委員、全人大代表、香港基本法起草委員、港事顧問、全国政協副主席などの政治ポストを歴任する一方、香港で不動産開発を中核にした霍英東集団を創業し、晩年は生まれ故郷である広東省の珠江デルタに広がる南沙地区を、北京の全面的支持を背景に総合開発し経済開発拠点に大変貌させようと執念を燃やしていた。一貫して「愛国商人」だったからこそ可能な大プロジェクトである。彼が「愛国商人」のお墨付きをえたキッカケは朝鮮戦争だった。北朝鮮に加担したことで欧米から経済制裁を受け建国直後に窮地に陥った共産党政権を、国家建設のための資材や戦略物資を香港から密輸することで救った。つまり「井戸を掘った」のだ。60年代には裏社会の大親分らと手を結びマカオでカジノ経営をはじめ、そのアガリを香港での不動産投資に回した。なにせ彼は「愛国商人」である。背後には北京、ということは人民解放軍が控えている。裏社会であっても、彼に歯向かえるはずがない。香港とマカオの返還に際しては早くから有力企業家を束ね、北京の返還作業を積極的に支援した。長い間、癌に悩まされ続けた彼の日常生活は、北京が用意した中国最高の医療スタッフによって守られていたのである。ここからも、彼と北京との深い関係が見て取れるはずだ。霍啓剛に備わった莫大な“政治的資産”を、郭晶晶が見逃すわけがないだろう。《QED》
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♪(読者の声1)貴誌通巻第2310号にでた石原藤夫氏著『国際通信の日本史(栄光出版社)の書評で「日本は科学技術に決定的に遅れをとったという珍説は嘘で、外国がアジアで勝手な侵略と植民地化を繰り返していた頃、日本は鎖国していたために技術が後れを取ったのではない。からくり人形、ゼンマイなどを見ても、メカニズムにはひけを取らず、また電信実験はペリー来航まえに佐久間象山が実験していた」
と書かれています。石油の蒸留も日本の方が欧米より早く嘉永5年、皇紀2512年、西暦1852年に柏崎郊外の半田村に石油蒸留工場が日本独自技術で建設されました。まだ英米が油を求めて鯨を乱獲していた頃です。この当時、既に天然ガスが利用され、竹で作ったパイプラインもありました。 (ST生、神奈川)
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成20年(2008年)9月9日(火曜日)
通巻第2312号 (9月8日発行)
速報
オバマ候補が劣勢に、マケイン候補は10ポイントのリード
「ハリケーン」=ペイリンが状況を変えた
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USAトゥディとギャロップの世論調査(7日)は、一般では、50vs46でマケインのリードを示したが、一番重要なのは、「あなたは、ところで投票に行きますか?」の設問で「行く」と答えた人の、54%がマケインに44%がオバマ支持だった。民主党支持層のヒラリー支持派が棄権する可能性を露骨に示した数字である。「指名受諾演説はどちらがすばらしかったか」という愚問への回答は、35%がオバマ、15%がマケインだった。誰もマケインの演説を聴いていなかったが、ペィリン副大統領候補の演説だけはちゃんと聴いたようだ。共和党に計算外の順風が吹いている。
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♪(読者の声1)本日の産経新聞一面トップで、石原慎太郎東京都知事は、標題の訴えを示唆する論考を提示している。昭和殉難者は、戦争期間中である占領下で、茶番劇ともいうべき「東京裁判」で戦争犯罪人として処刑された。「日本よ」と題するコラムで石原慎太郎都知事は、まず古賀誠氏のTV発言(おそらく下記の私のメールにある発言であろう)を絶賛する。曰く「先日家内が同席した婦人たちの集まりで、自民党の古賀誠氏の靖国神社に関するテレビでの発言が大層話題になったそうな。集まりの中に家内を含めて何人かの戦争遺児がいたという。古賀氏の発言に強く共感した彼女たちからの要望で、古賀氏にそれを伝えて欲しいということで私もその発言のヴィデオを取り寄せて見たが、私も、靖国についての日頃の思いからして共感させられ、早速彼女たちのメッセイジを氏にとりついだ。 それは彼女たちの、そして戦争での戦死者を身近に持つ者たちの、あの戦争の意味とか価値を超えた死者に対する情念の問題だ。そうした個人の情念は決してたかがセンチメントとしてはくくれぬ、人間にとっては絶対なもので、誰もそれを、何をかざしても否定できるものではない。古賀氏は言葉少なではあるがそれをいい切っていた。そしてそれを全うする戦争犯罪人の分祀という術についても。」
石原慎太郎氏は、「そうした個人の情念は決してたかがセンチメントとしてはくくれぬ、人間にとっては絶対なもので、誰もそれを、何をかざしても否定できるものではない。」と語る。そのことを私は否定しない。石原氏は、個人的には、靖国神社に参拝する折は、昭和殉難者は除外して、参拝しているというようなことを以前に語っておられた。 それは内心の自由というものもあろうから、私は否定しない。どうぞ石原氏の心のままにお参りされますように。だがしかし、政治的に、いわゆる「A級戦犯」(私どもは、「昭和殉難者」と呼ばせて頂いておりますが・・・)の靖国分祀を支持していこうという意図で、標題の訴えをしておられるのであれば、それは私も断固反対の立場を示さねばなりませぬ。 なぜなら、私も、「あの戦争の意味とか価値を超えた死者に対する情念の問題だ。そうした個人の情念は決してたかがセンチメントとしてはくくれぬ、人間にとっては絶対なもので、誰もそれを、何をかざしても否定できるものではない。」と石原氏が力説する立場を、私は私の立場で持っているからである。
私が懸念するのは、石原慎太郎氏のような考え方の「保守派」も相当数いらっしゃるのだろうなっということである。中曽根大勲位殿をはじめ自民党にも大勢いそうである。石原氏は、「戦後の総決算」も、このコラムで主張されている。曰く「敗戦後に行われた裁判はパル判事の発言や、結果として削除されてしまったイギリス人オーストラリア人将校の弁護士たちの冒頭陳述にも見られるように極めて非合法性の高いものだったが、しからばあの裁判で断罪された者たちのすべてに戦争に関する責任がなかったとは絶対にいえはしまい。」そう言って、東條英機陸軍大将の「戦陣訓」を挙げ、その影響を「アメリカ軍が撮った、あの激戦地サイパンで米軍の捕虜になるのを恐れてバンザイ・クリフから身をなげて死んだ民間の女性の映像一つ見てもいえることだ。」と述べている。さらに辻政信をその論拠として挙げ、持論の正当性を訴えている。石原氏は、こう訴える。「あの東京裁判に異議があるならば、その批判をも含めて日本人は国民が正当に選んだ者たちによる、あの戦争の真の責任者たちの糾明を行ってこなかったのだろうか。」「そうした怠慢が今日、靖国の存在の意味を悪化させ、戦争という過酷な時代に、力ない者たちが肩よせあって生きて死んだ悲惨で美しい心の歴史をも否定し、対外的にも日本人の心象を誤解に導き、日本人としての最も深いところにある情念までも否定させつつある。」そして結論はこうだ。「天皇陛下も含めてせめてすべて遺族、親族が晴れ晴れ参拝が出来るためにも、遺族を代表して行われた古賀氏の発言はすみやか果断に実現されるべきに違いない。」そのようなことは、断固として阻止せなばならない。
君民一体で戦った大東亜戦争。 東條英機首相(陸軍大将)をはじめ国家指導者も、国民も、「開戦の詔書」を受けて、あの「聖戦」を戦った。 「戦争責任」というようなことを、軽々しく受け入れてはいけない。それでは、「戦争の犯罪者は国家指導者で、国民はその犠牲者だった」という東京裁判やシナなど連合国の主張そのままを受け入れることになる。 我が国の国体の否定でもある。 それに、その議論の延長には、「政治指導者のみに、ほんとうに戦争責任を被せていいのか、ほんとうの戦争責任者は天皇である」とするような議論の火種に、逆に油を注ぐことにもなるからである。東條英機宣誓供述書が、「大東亜戦争の真実」として、東條由布子編、渡部昇一解説 で、WACより出版されている。
この東條陸軍大将の開戦に至る世界情勢の認識は、まさに当時の国民の認識でもあり、また私の父の認識でもある。このような「日本を戦争へと追い込む」国際包囲網に、戦争責任ということを言うのであれば、それこそ「他にも戦争責任者がいるのではないか。」冗長になってしまったが、石原慎太郎東京都知事の極めて政治的な信念の吐露である 「天皇陛下も含めてせめてすべて遺族、親族が晴れ晴れ参拝が出来るためにも、遺族を代表して行われた古賀氏の発言はすみやか果断に実現されるべきに違いない。」については、断固、そのようなことを実現させてはならないことを、改めて訴えておきたい。 (藤田裕行)
(宮崎正弘のコメント)馬脚が現れ始めた知事、頭の中は北京に土下座しても東京五輪、北京になびく政治家にも近づこうという計算ですか。歴史観の信念より、目先の政治的利益が大切だったのですね。この失言をきっかけに東京五輪反対運動が起きるのではありませんか。
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太田述正コラム#2699
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<劣等感の固まりの支那?>
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1 始めに
米ニューズウィーク誌に、支那の劣等感(inferiority complex)をとりあげた記事(
2 記事のさわり
「・・・<支那の>これみよがしの(proud)苛立ち(prickliness)には、支那、欧米、そして日本にすら関わるところの、根深い歴史的ルーツがある。・・・支那の近代的アイデンティティを形成した最大の決定的要素は19世紀半ばのアヘン戦争(複数)での敗北と米国への支那人移民が米国で受けた恥ずべき扱いから始まるところの、外国人の手による支那の「屈辱」なる遺産なのだ。このプロセスは、日本が産業化に成功したことによって更に悪化せしめられた。第二次世界大戦中の日本による支那本土侵略と占領は様々な意味で欧米諸国の支那への介入よりも心理的によりひどい影響を与えた。というのは、日本はアジアの大国であって近代化に成功したのに対し、<同じくアジアの大国である>支那はそれに失敗したからだ。
この劣等感は支那人の頭の中に巣くってしまっている。20世紀初頭に支那は、かかる犠牲者意識を取り上げてテーマとし、この意識を、当時醸成されつつあった集団的アイデンティティの根本的要素とした新しい文藝(literature)が「百年国恥(bainian guochi)」という観念を巡って勃興した。1919年のベルサイユ条約がドイツの支那における利権を何と日本に与えると、「勿忘国恥(wuwang guochi)」という表現、すなわちわれわれの国家的屈辱を決して忘れまい、というのが共通のスローガンになった。支那の国家的失敗を直視しないことは非愛国的であるとみなされるに至った。その時以来、支那の歴史家や思想家(ideological overseers)は、・・・「その時代時代の政治的、イデオロギー的、修辞学的、かつ/または感情的ニーズに資するために」支那の過去の受難(sufferings)を抉り出すことを決して躊躇しなくなった。
例えば、孫逸仙(Sun Yat-sen)は1924年の支那を「何十年にもわたって外国勢力の経済的抑圧を経験した」ところの「ばらばらの砂の一塊」であると表現した。また、蒋介石は、その1947年の著書『支那の運命』の中で、「過去100年にわたって外国人に特別な「利権」を与えた不平等諸条約と治外法権の軛の下で苦しんできたところの、支那全土の市民達は、国恥の仇討ちをすることを求める点において一致している」と記した。そして、1949年に中華人民共和国が建国された時、毛沢東は、「われわれの国は、もう侮辱と屈辱の対象とされることはない」と宣言した。・・・
「欧米による屈辱の問題は、無意識的にわれわれの奥にわだかまっている」と映画制作者の陳土争(Chen Shi-Zheng)・・彼の最近制作した映画『ダークマター』はこのテーマを追求している・・が私に語った。「外国による批判や貶めに対して自動的な、そしてしばしば極端な反応を引き起こすものがわれわれのDNAの中にあると言っても決して過言ではない」と。また、支那の最も有名な随筆家にして社会批判家たる魯迅(Lu Xun)は、ほとんど75年前に、「長年にわたって支那人達は外国人達に対して一つの見方しかしてこなかった。すなわち、彼らを神として崇めるか、野獣として見下すかだ」と記している。・・・
<外国に対して批判する一方で、>過去100年の大部分の期間、支那は自らの文化と歴史に対する継続的な攻撃を行ってきた。このような累次の容赦のない自己批判は、支那の改革者達が伝統的な儒教文化を、何よりもそれが支那を欧米のテクノロジーの力の前に余りに無力に放置したように見えたことから、告発し始めた20世紀初頭に遡る。1930年代と40年代までには、このような攻撃は、中国国民党に対して向けられるようになった。東と西の諸要素を結合した新しいアイデンティティを形成し始めていたところの、蒋介石とそのウェレズリー(Wellesley)大学で学んだキリスト教徒の妻は、何よりも、過度に欧米化し過ぎているとして批判の対象となったのだ。そして、毛率いる共産党は、30年間にわたって支那の新しい革命的アイデンティティを形成しようとしたわけだが、トウ小平(Deng Xiaoping)が登場すると、またも破壊的行動がなされた。今度破壊されたのは、革命それ自体だった。このように次々に自己再発明(self-reinvention)努力が行われては失敗してきた結果、支那は、文化的、政治的方向性を見失って漂流することとなり、現在に至っている。・・・
私は、支那政府が、抗議を受けても仕方がない原因を山のようにつくりだしていることを認めるにやぶさかではない。また、激しい異議申し立てが支那当局との交渉において常に非生産的であるというわけでもない。しかし、私はこの<五輪の>時期においては<激しい異議申し立てを行うのは>いかがなものかと思ている。・・・<支那の>ある官吏が怒り狂って、あの優しいダライラマを「人間の顔をした、しかし野獣の心を持った怪物」と表現した<のは、このような文脈の中で理解すべきだろう。>」
3 終わりに代えて
支那を劣等感の固まりのいじめられっ子だとする、このニューズウィークの記事は一面の真理をついていると思います。「・・・<ドーハで開催されたWTO総会において>最後の最後の議論が先週末にかけて行われたが、米国とEUは農業支援についていくつかの譲歩を行い、WTOの事務局長のパスカル・ラミー(Pascal Lamy)が妥協案を提出すると、少なくとも参加諸国から暫定的承認くらいは得られるのではないかと期待された。ところが、まさにその時、インドと支那は、「輸入攻勢」から両国の貧しい農民達を守るための関税アップの広範な権利を求めることによって、議論に有り体に言えば魚雷をぶちこんだのだ。支那は、議論の大部分の期間中比較的静かにしていたというのに、その悪罵は、米国にブラジルを含むいくつかの発展途上国が賛意を表したというのに、米国の主張を「馬鹿げたもの」と切り捨てる激しいものだった。
ドーハ・ラウンドの失敗に果たした支那の役割には特に嘆かわしいものがある。というのは、支那は、WTOに米国の強い支持の下で加盟してからの7年間で世界貿易から巨大な利益を受けてきたからだ。支那の輸出は、大部分、米国の市場への自由なアクセスのおかげで、2002年の3,000億米ドルから2007年の1兆2,000億米ドルへと4倍にも増えた。米国内の支那のWTO加盟支持者達は、支那を多国間のギブアンドテークのシステムに引き入れれば、そのナショナリスティックな傾向が弱まるに違いないと主張したものだ。しかし、支那がそのような物の見方をしていないことがここに明らかになった。これにより、支那も、そして世界も貧しくなってしまうことは避けられまい。」(http://
このような、ドーハ・ラウンドの土壇場での支那の嘆かわしい行動もまた、支那が劣等感の固まりであることに由来しているのかもしれませんね。仮にそうだとして、いじけたいじめられっ子たる支那が大人になる日は、果たしてやって来るのでしょうか。
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