頂門の一針 | 日本のお姉さん

頂門の一針

メイル・マガジン「頂門の一針」 9月9日(火)
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「負けるが勝ち」とは
━━━━━━━━━━渡部亮次郎

「負けるが勝ち」とは「一時は相手に勝ちを譲り、強(し)いて争わないのが、結局は自分に勝利をもたらすということ」(「大辞泉」)「強いて争わず、相手に勝ちを譲るのが結局は勝利となる」(広辞苑)連合国に敗戦を体験した世代はこの諺を叩き込まれた。しかし体験せず、生まれ落ちた瞬間から自由と民主主義と自己主張の大切さを教え込まれた団塊の世代以降の人たちは、負ける事が最後には勝者になることの真意が理解できない人が多い。ところがインターネットを逍遥していたら、多分、アメリカからの留学生が、自己主張の国育ちの青年が、京都のおばあさんからこの諺を教わり、納得した事を弁論大会で語っていた。

・日本で得た知識や経験:「負けるが勝ち」 ジョシュワ・ウィークス(Joshua Weeks)
http://kyotowestlions.jp/benron01/t01-06.html
この間、お世話になっているホストファミリーのおばあさんからおもしろい話を聞きました。日本では「負けるが勝ち」という慣用句がある、という話でした。僕はその日、ホストのお母さんと小さなケンカをしていたので、おばあさんはその解決法をアドバイスしようとしたのです。「負けるが勝ち」というのはつまり、自分が賛成していなくても周りの人の意志に流されたり、自分が悪くないと思っても謝ったり、自分のプライドを犠牲にすることで結局自分が得をする、ということです。「私はずっとこうして生きてきて、今は友達がいっぱいいて、楽しいのや。お兄ちゃん(僕のこと)もね、日本語上手やけど、日本人の心がまだわからへんやろ?」とおばあさんは言ってくれました。この話を聞いて、僕はいろいろ考えさせられました。アメリカ人と日本人の心理の違いとか、集団主義と個人主義とか、両国の子供の育て方とか。そして僕は、アメリカ人は、これで何が学べるのかということも考えました。僕のホストファミリーには2歳と5歳の子供がいて、ホストのお母さんとよく子供の育て方やケンカの解決のし方について話をしています。日本では、ケンカなどをする時、お互いの行動を読み、自分の行動をそれに合わせて大ゲンカを避けることが好ましいと、お母さんが言いました。これを「以心伝心」と呼びます。しかし子供達は小さい頃にまだこういったことができなくて、自分が考えたことをそのまま口に出してしまいます。歳をとって行くにつれ、だんだん他人と調和して接することができるようになると、お母さんが続けました。僕の考えでは、このような社交性はおばあさんが言っていた「負けるが勝ち」にとても似ていると思います。日本ではこのように、周りを見て、自分から合わせようとする行動が社会化と見られているようです。さらに一生を通して、このことが人間の成長と思われているようです。

アメリカ人はこれで何が学べるのでしょうか。アメリカでは、争いをどう解決しているのかと質問されても、答えは不明です。自分が「素直に生きている」と思い、争いが続いても謝らないでいられる人が多いと思います。日本では、平和そのものが好ましい目的として考えられているからこそ、人は簡単にうなずいたり、謝ったりすることができます。アメリカ人も平和を自分のプライドより優先したら、ケンカや問題の解決や、平和の達成に役に立つはずです。僕はその日、ホストのお母さんとケンカしてしまった時、早くこれに気付き、早く謝ったとしたら、絶対に問題が解決され、進んで行けるようになったはずです。アメリカには、日本人、またはアジア人の「集団主義」を「自我の抑圧」として非難する人がたくさんいると思います。僕も、日本人の行動の中で個人の意志がなくされているのではないかと思ったことがあります。しかしおばあさんの話を聞いて、彼女の生活を見て、感覚的に、「集団主義」を通じて幸せになっている人がいる、と分かりました。毎日何時間も色々な地元に散らばっている友達と嬉しそうに話して、こう生きてきたことを誇り、そして自分の人生に満足感を持っている人だと強く感じました。ずっと自分の意見をしつこく言って、後悔ばかりの人生よりこの方が遙かにいいと思いました。そしておばあさんが主体的に生きているということにも注目しなければなりません。
「負けるが勝ち」という事は「自分の意志がない事だ」ともしアメリカ人が批判したとすれば、これは明らかに違うと思います。おばあさんが選んだ「負けるが勝ち」の生き方は、仕方がないから集団に屈服するといった気持ちより、自分がそうすれば得をする、そして周りのみんなも得をする、という気持ちの方が強いです。おばあさんが選んだ哲学は平和を尊重する哲学です。しかも平和を高く評価することは誰でも尊敬するべきことです。結局これは多様性を重視することに繋がります。僕は、留学生として来日し、ここで日々を過ごし、自分と違った考えを持つ人と前より接する機会があり、もっと尊敬できるようになったと思います。世界にはそれぞれの文化があり、それぞれの生活方法もあり、そして僕らはこの多様性を考慮しながら生きて行くべきです。これは、何よりも、僕の日本での体験から学んだことです。そして自分と違った考え方、例えばアメリカ人なら「集団主義」をよく見て、よく分析したら、自分が学べるものを発見するかも知れません。僕もこれからケンカした時はおばあさんの話を思い出すと思います。なぜ平和よりも自分のプライドを守ろうとするのでしょうか?いい答えが出ないかも知れません。逆に「負けるが勝ち」のやり方は全ての場合に有効じゃないかも知れません。「調和」より大切なことがあるかも知れません。誰でも、たまに自分のプライドを犠牲にしても、たまに自分の考え方を少し変えても、それは自分にとっても、周りのみんなにとっても、いいことだと思います。(了)

2001年 外国人による日本語弁論大会 2001年11月25日(日)
(2001年度で15回目を迎えたこの大会は、京都市が「世界文化自由都市宣言」によって掲げた理想実現のための具体的施策の一つで、1987年度から毎年開催されている。毎年10ヶ国以上の外国人の方々30~50人の応募があり、その中から選ばれた十数人が出場)。前田正晶氏の意見:先週末のテレ朝の早朝番組に興味深い現象があった。何とか言う(八代?)弁護士がロシア人力士が大麻検査の結果を認めないことについて「外国人は自ら私がやりました-と認めることはしない」と発言した。面白かったのは、これに対する鳥越俊太郎の反応で「そういうことを言ってはいけない」と気色ばんで制止した。ところが弁護士は同じ主張を繰り返した。鳥越は発言を再度否定することを言ったのには、驚きを禁じ得なかった。鳥越がその発言が不穏当であるとか、誤りであるとも言わず、ただ否定するだけだったのは何故だろう?彼は何が政治的な背景でもあって、ロシア人をそのように言うことを「不味い」と感じたのかとすら思いながら聴いていた。だが、この遣り取りはこれだけで終わり、他の出席者は何も言わなかった。私はテレ朝が瞬間に何らかの指示を出したのかなと思ったのだが。何れにせよ、私はこの弁護士の発言は誤りではないと思っている。自らの過ちを潔く認めて謝罪するのは、我が国独特の美風であり文化であると固く信じている。諸外国にはそういう潔い文化も習慣も美風もない。鳥越ともあろうものがそれを知らないとは思いたくない。そこで、背景を疑いたくなった次第である。もしも本当に知らないならば、そのような人物をコメンテーターに起用しているテレ朝の見識を疑いたくなる。

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石原慎太郎を断罪する
━━━━━━━━━━平井 修一

戦争犯罪人を靖国神社に合祀したのは愚挙だと、石原慎太郎が8日の産経新聞に寄稿している。この男は「女系天皇を認めよ」とも言っていたから、根本的なところで小生のような日本民族原理主義とは異なっている。占領軍が来たらすぐに尻尾を振って迎合するご都合主義者で、小生のような「撃ちてし止まん」のゲリラ・テロリストとは異質である。票を貰わないと都知事という地位を保てないから、どうしてもご都合主義になるのだろうか。支那人民は有権者ではないから強い発言をしていたと思ったら、東京五輪を誘致するために北京に詣でたから、やっぱりご都合主義なのだろう。さて、連合国は対日戦争に勝ったのをいいことに、勝手に「極東軍事裁判」を開いて、わが国の指導者を数百人も死刑にした。「人道に対する罪」というものを急きょでっち上げて、勝者が敗者を断罪したのだ。(米軍の原爆や空襲は一切おとがめなしの詭弁!)その結果、戦争犯罪人、戦犯というものが「捏造」された。でっち上げられた。戦争は勝ったり負けたりで、負けたら大将とその補佐役が切腹し、後は条約を結んで賠償して終わりというのがルールで、勝者が敗者を裁くなんぞ、それこそ人道にもとることである。野球でボロ負けしたからといって、監督、選手を死刑にしたり労働強制所へ送ったりするのは北朝鮮とフセイン治世下のイラクぐらいで、まともな国はそんなことはしない。戦争は正義と正義の戦いで、そのやり方が民族浄化とか虐殺といった場合は罪に問われても、ルールに則って普通のドンパチをやっただけなのに「戦犯とはこれいかに」。高級幹部とそれ以下の兵卒を分離し、幹部は犯罪者、兵卒は幹部に強制されて被害者だ、国民に罪はない、と日本の分断を図ったのである。同じ戦争を必死の思いで戦ったともに戦友なのに、幹部は靖国神社から放逐せよ、と石原は言っているのだ。このおよそ○○な論理がまかり通るのならば、小生は「東京民事裁判」を勝手に開き、売国罪という罪を勝手にでっち上げ、慎太郎に絞首刑、一族も連座制を適用して同罪に処す。イスラム原理主義者は反イスラムと勝手に断罪して死刑宣告をするから、小生も石原を断罪する。連合国がやったように、茶番裁判を必要ならやろう。米国はベトナム戦争に負けたのだから、日本のように国際軍事法廷でその罪を問われるべきなのに、そんな話は全然ない。要は東京裁判は、勝者が敗者を法的根拠もなく私刑(リンチ)を加えたのであり、それを○○の一つ覚えのように「戦犯」と後生大事に守っている石原や保坂正康に代表されるインテリ○○には260万英霊に代わって死刑判決、極刑をもって望むしかない。情状酌量の余地なしである。(伏字はバ カ もしくは馬 鹿)
話 の 福 袋
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◎来年元日、日本大使館を開設=グルジアで外交活動本格化へ
【トビリシ7日時事】ロシアとの軍事衝突を受けた混乱にもかかわらず、日本政府がグルジアの首都トビリシに来年1月1日付で予定通り大使館を新設する方針であることが7日、分かった。外交筋が時事通信に明らかにした。グルジア紛争をめぐり米ロ関係が緊張する中、日本も現地での外交活動を本格化させる。日本はグルジアに大使館を置かず、隣国アゼルバイジャンにある大使館でグルジア関係業務を担当してきた。主要8カ国(G8)でグルジアに大使館がないのは、日本とカナダだけだった。9月8日2時33分配信 時事通信

◎ <事故米転売>芋焼酎「薩摩宝山」30万本回収
米卸加工会社「三笠フーズ」(大阪市)による事故米の転売問題で、鹿児島県日置市の焼酎メーカー「西酒造」(西陽一郎社長)が醸造する芋焼酎「薩摩宝山」の原料に事故米が使われていたことが分かった。同社は8日、6月13日~8月22日に瓶詰めした約30万本の自主回収を始めた。損失額は少なくとも3億円にのぼるという。同社は「今後は、卸売業者を厳格に選ぶなどの対策を取りたい」と話した。同社によると、今年3月に大阪府内の米卸業者から仕入れた原料米数百トンの中に事故米が混ざっていた。すべて「薩摩宝山」の原料として使い、「吉兆宝山」など他の8銘柄には使用していないという。工場内に残った原酒約30万本分の出荷は8日に停止した。県内外の取引先に対し、経緯を説明する文書を配布した。同社は「私たちもある意味被害者。三笠フーズには憤りの思いでいっぱい。事故米の流通を把握していなかった農水省にも抗議したい」と話した。9月8日12時3分配信 毎日新聞

◎元バチカン大使夫妻を送検 次女殺人容疑、自殺と否認
【ローマ8日共同】谷田正躬・元駐バチカン大使(77)の次女アンフィセアジャニヌ美名さん(35)がアテネ近郊の元大使の自宅で変死体で発見された事件で、ギリシャの警察当局は7日、殺人容疑で谷田元大使とギリシャ人の妻(67)の身柄を拘束、送検した。同国国営テレビが伝えた。容疑が事実とすれば、日本の大使経験者による親族殺人という極めてまれな事態に発展しそうだ。夫妻は「次女は自殺した」と主張、容疑を否認している。地元メディアによると、警察当局は、夫妻が美名さんの子供(3)の養育をめぐって美名さんと口論となり、枕に押し付け窒息死させたとの疑いで送検した。妻が「娘を殺してしまった」との電話をかけてきたとする知人の証言も得ているという。美名さんの遺体は5日、トイレ兼浴室でシーツにくるまれた状態で見つかった。大きな外傷はなく、司法解剖で窒息死と判明した。元大使は退官後、ギリシャに移住した。2008/09/08 09:32 【共同通信】
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反     響
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 2)先号の内田様に異論あり
小池百合子議員のような刺客として利用された議員は、排除すべしとのご意見は、確かに首肯される面はあるような感じに誘われますが、一寸待ってください。時の、総理大臣、小泉首相が自らの政権の存在価値を懸けて郵政選挙をした時、小林議員は、正面から批判し、自民公認を見送られた人。つまり、体制反逆者だったわけであり、小泉氏からすれば、小泉体制を揺るがしかねない獅子身中の虫、内部からの暗殺者に等しい議員だったでありましょう。小林議員の方が、実質は刺客だったわけであり、殿危うしと役目を引き受けた小池氏は、刺客の汚名を負いながら、誰もがやりたがらない役目を引き受けた点で、評価されるべきだと思います。私は、小泉氏の郵政改革にすべて賛同しているわけではありませんが、必要な改革であり、小泉氏が身命を賭してやらなければならないとした構造改革に、小泉氏の気持ちを無視して、堂々と反旗を翻した小林議員の方こそ、いち早く自民党を離党して選挙に臨むべきだったのであり、そうすれば、小池議員は刺客呼ばわりされなくてもよかったのです。その意味で、むしろ、小林興起議員の責任こそ問われるべきだったでしょう。要するに、トップのもっとも大切な気持ちを踏み躙る部下は、部下として認めないという小泉総理の気持ちを読めなかった小林議員がKY(空気が読めない)だったのであり、小池百合子氏が、刺客呼ばわりされるという形で、小林議員の落ち度をいつまでも背負って生きていくというのなら、これは大変気の毒でありましょう。刺客という言葉も、無責任な辛辣さを売り物にするジャーナリズム文化の生んだ、それ自体、毒のある言葉です。このような言葉に踊らされないようにしたいものです。それから、小池議員は総理大臣になるための実力は未知数ですが、さわやかな風貌、大臣や補佐官としての落ち着いた対応は、東洋の魔女ならぬ、名前の如く東洋の百合(lily)にも喩えられるようになるかもしれません。小池氏自身の力を云々するのではなく、周囲がいかに彼女を盛り上げていけるか、でありましょう。少なくとも、田中真紀子氏が周囲に幻滅を与えたような真似は小池氏はしないはずです。田中真紀子氏で思い出されますが、麻生氏が、小池氏を外務大臣に指名すれば、麻生内閣の華になるかもしれません。そうすれば、来る総選挙で強敵小沢民主党に勝てる確率も上がるかもしれません。小沢民主党は、魅力ありますが、小沢氏の国連中心の防衛論議や民主党の憲法改正案を読むと、新しい理想主義は分かりますが、まだ時期尚早のように感じます。大体、U.N.はユナイテド・ネーションズ(連合国)であり、日本人が国連と呼ぶものは、連合国本部というべき代物なのです。だから、現状、野党としては十分魅力があるのですが、与党になると、厳しい国際状況の中で魅力が失われ、第2の社会党の運命を辿る危険なしとしないのです。だから、民主党は、当面、野党として自民党に積極的に助言や協力をすることで、その存在感を高める方が、得策だと思うのですが。日本は英米とは歴史が違います。少なくとも、二大政党政治は、まだ早いでしょう。 鳴くまで待とうホトトギスです。天の時を待つのです。当面は、政権への野心は棚上げして、政治の本道を民主党は歩んだ方がいいかも知れません。政権を取らない政党は意味がない?そんなことはない。民主政治の王道は、与党だけのものではない。野党の存在あっての与党だと思えるなら、政権奪取を急ぐことはないのです。 急がば回れ、民主党。忍の一字に花が咲く。 埼玉在住  N男
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