日本の進路  西村眞悟の時事通信   太田述正コラム | 日本のお姉さん

日本の進路  西村眞悟の時事通信   太田述正コラム

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日本の進路★0446★080906★トップ権能失墜・景気後退、日本は?
★ 表題: 日米のトップ権能失墜もあって大幅な景気後退が必至、国防総省下の自衛隊・外務省・情報省の統合発想が肝要
                  水戸昭幸 f9mdd@yahoo.co.jp
◇ 2008年9月5日の東京株式市場は、前日の米国ダウ急落を受けて、日経平均株価が、345.43円安と12,500円を割り込む大幅な下げとなりました。日米のトップが共に、実質権能の喪失(ブッシュから09年の新大統領へ・福田辞任に伴う新首相誕生への移動時期に当たり、対応策不在)を、大きな要因としています。
◇ かかる現象は、「選挙民主主義の弱点」をさらけ出したものと言わざるを得ません。世界のマネーを蔭で操る「国際金融資本」は、株式市場において大々的な「空売り」攻勢を仕掛け、漁夫の利(選挙闘争の合間に利得をする)~火事場泥棒(騒ぎに付け込んで盗み)をしようとしております。
◇ 福田康夫氏をタイミング良く切り捨てた自民党は、本命・麻生太郎氏に対抗馬をぶつけ、論争を活発にしてメディアの報道を極大にし、選挙民の関心を民主党から奪い取り、自民党へ移行させようとの戦略を採用しました。
◇ しかしながら、前項のメディアを利用する自民党の選挙作戦が、大幅な景気後退を目前に控えて、日本の多くの選挙民に通用し、自民党が公明党と共に、衆院の過半数を確保出来るかは、不透明になって来つつあります。
◇ 「国際金融資本」・「闇の勢力」等は、一旦世界経済を壊滅的に不況のどん底に追い込み、株価低迷→→暴落をチャンスとして、各国の企業買収を狙っていると考えて置く必要があります。
◇ 日本の農業壊滅を狙う「海外勢力」は、農水省の官僚や関連する分野から、秘密(裏)情報を入手し、松岡利勝元農水大臣を死に至らしめ、太田誠一農水大臣その他の幹部について「あら探し」を始め、更に食品の不正表示問題を各地で暴き立てて、農政・食糧関連の混乱と機能不全を意図しています。
◇ 日本の首脳連中が、社会保障や景気浮揚に右往左往している間に、China が沖縄を・South Korea が対馬を標的にして、実効支配に近づいた場合、自衛隊が、血を流しても抵抗(戦闘)する心構えは、出来ておりますか?。
◇ 日本のエネルギー問題を、サドンデス風に困窮(例・石油シーレーンを突如としてストップ)させ、密かに日本の実効支配(日本の降伏→→奴隷化)の時機を窺っている「勢力」を忘れてはなりません。
◇ 外国の場合、外交とは、背広を着た軍隊による「策謀謀略」と考えて置くべきです。従って、日本の場合も「国防総省」のもとに「武の自衛隊」・「文の外務省」・「知の情報省」(情報・諜報・謀略)として統合する必要があります。こうでなければ、悪魔との国際関係に対抗出来ません。
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西村眞悟の時事通信

西村勇三の帰天・・・果たし尽くした生涯
                No.371 平成20年 9月 7日(日)
                    西 村 眞 悟

先の時事通信№364信で、私の日常を紹介したときに、兄のことに触れた。それ故、その後のこともご報告すべきと思い以下の通り筆を執る次第です。兄西村勇三は、昭和二十年八月二十六日に疎開先の奈良県二階堂で生まれ、平成二十年九月二日、安らかに帰天しました。
私は、昭和二十三年七月の生まれですから三歳年上の兄です。兄は早産で、その時脳性小児麻痺による四肢麻痺という障害を背負いました。私のはじめの記憶は、郷里の上野芝の坂道を母に支えられながら歩く兄の姿です。兄の障害は、その時の医学水準から見て最も重いものだと母から聞きました。つまり、兄以上に重い障害では生きることができなかったのです。従って、兄は同世代で最も重い障害を持って生きることになりました。母の励ましと歩行訓練により、少年時代の兄は支えがなくとも歩くことができるようになり、かけっこもしました。しかし、青年期を過ぎて成長が止まり加齢と共に徐々に歩けなくなりました。そして、三十代半ばから車椅子の生活に入り、五十代には足が全く動かなくなったのに続いて、首から下が完全に麻痺し、動くのはアゴだけになりました。このように書くと、兄の生活は暗いように思われるかも知れませんが、兄は明るい性格で、ユーモアに富み、おしゃれで、おいしい店をよく知っているグルメで、ヘビースモーカーで飲んべいでした。兄は高校時代の後半から、足の指に絵筆を挟んで絵を描き始め、その頃二上山の風景を描いた油絵が公募展に入選しました。高校卒業後、兄は本格的に絵を描き始め、尼谷良先生に師事し、主に太平洋美術展に出品するようになりました。そして、太平洋美術会展奨励賞を受賞し、太平洋美術会と大阪美術家協会に所属しました。その頃から二十年間ほどは、年に一度か二度、主に大阪で、時に東京で個展をして作品を世に問い励みとしていました。兄の描いた絵は、太い線で明るい色彩です。バラ、椿、ひまわり、あじさい、アネモネなどを描きました。バラやひまわりを描かせれば、兄は第一人者だと、母も思い、私も思いました。 その頃の兄は、自分で描くだけではなく、絵を教えることも始めました。子供や絵を描くのが好きな人達が兄から絵を習いました。
また兄は、ベルギーに本部のある「口と足で描く芸術家協会」にも所属し、世界の七十数カ国にいる障害を乗り越えて創作活動に励む方達と仲間になりました。同協会は次のように兄の絵を紹介しました。「力強い構図と、美しく勢いのある筆使いが特徴」と。兄は、「口で描こうが足で描こうが手で描こうが、そんなことはどうでもいい。出来上がった絵だけを見てくれ」、と言っていました。首から下が麻痺した兄は、詩集などを読み、アゴを動かすだけで入力できるパソコンで友人にメールを送り詩を作り随想を書きました。通常の人が千文字入力する時間に兄は五文字入力しました。その間にも兄は、障害と闘い続けました。昨年五月には足に血液が通いにくくなり両足の切断か、動脈の付け替え手術かを選ばなければなりませんでした。兄は、切断ではなく血管手術を選びました。この手術の時、私は兄の手を握り、「俺ら兄弟は、いつも一緒や、がんばってくれや」と声をかけると兄は涙を流しました。それから私は東京に向かいました。手術は長時間に及び、静岡付近を通過して富士山が見えたとき、私は父母が拝んだ富士山に一心に兄の無事を祈りました。幸い手術は成功し足切断の危機は回避されましたが、兄の足は冷たいままでした。足に血液が通いにくくなる時の痛みは耐え難いものがあるようです。従って、兄にはここ数年、熟睡はなかったようです。しかし、兄は私にも会う人にも、いつも、「からだ大事にしてや」、「無理したらあかんで」と声をかけました。八月十日の夕方、兄は食べ物を気管に詰め窒息状態になり呼吸と心拍が停止して救急車で病院に運ばれました。以後、二十四日間、昏昏と眠り続けました。ここ十年、兄のこのような楽な寝顔を見たことがありませんでした。そして、どんどん兄の顔が若返っていきました。まるで、「今まで眠れんかった分、ぐっすり眠って一挙に取り戻すで」といっているような心地よい寝顔でした。
八月二十五日には、兄の左の目の横の毛穴に、ニキビの元のような油がたまっているのが見えたので、「おい、兄貴若いやんか」といってつまむと油がぽろりと出ました。その頃、主治医や看護婦さんに、「流動食の変わりに酒を入れてやってよろしいか。彼は、酒を飲むと筋肉の緊張がゆるみ楽になるんです。そして、よくしゃべるんです」と本気で頼んだが、断られました。九月二日、午前、いつものように安らかな表情で寝ている兄を見てから堺市内を走っていると、午後三時過ぎ頃、私から五十メートルほどの所に雷が落ちて強い雨が降り出しました。すると、病院からすぐきてくれと入電。直ちに病院のある西の方に向かうと、そこの空は明るかった。 病院で兄の手を握り、その時、兄が天に帰るのを感じた。充実した一日が、安らかな眠りをもたらすように、充実した人生も安らかな死を恵んでくれる。兄の歩みは、このようにして天に帰るための果たし尽くしではなかったかと思う。私は、毎日、兄の耳元で声をかけた。それは、「ありがとう、ありがとう」という言葉である。私は兄に感謝している。兄が私に人生のエネルギーを与えてくれてきたとしみじみ感じるからである。これからの政界での私の歩みに関し、日本の将来に関し、兄は大きな励ましを与えてくれている。そして、今、兄を産んだ母も本当にほっとしていることだろう。やっと勇三ちゃんが障害から自由になったと。最後に、兄が意識のある最後の日まで、毎日本を読み、メールを打ち、随想を書き、時に酒を飲んで談笑できたのは、二十四時間、兄の介護をしてくれた、堺市草部の福泉療護園の皆さんのおかげです。ありがとうございます。そして、兄勇三の生涯において、兄に接し兄を助け支援し、また兄の作品を愛してくれたすべての皆様に感謝申し上げます。   (了)
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太田述正コラム#2693
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<FTによる五輪後の中共の展望(その2)>

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4 司法
「中共の法制度は大きく変化した。Tao氏が卒業した30年前は法学部の学生は<北京大学の>82人しかいなかったのが、今では600以上の法学部から30万人の卒業生が毎年出ている。・・・<しかし、>率直な北京大学の法学部教授のHe Weifengは、「欧米的な意味での法制度は中共には存在しない」と喝破している。刑事と重要な民事においては、政治的干渉だらけであり、重要ではない裁判においては判事と検察官に袖の下を渡すことが横行している。・・・<また、>政府は弁護士に対し、免許を毎年更新することを義務づけており、時々、Teng氏のような<人権派の>「トラブルメーカー」の弁護士の免許更新を拒否する。・・・「中共の法制度の最大の問題は、政治と法が分立していないということだ。」とTeng氏は言う。「法が党に奉仕する道具とみなされていることから、現行の制度の下では独立した司法は不可能だ」というのだ。すべての裁判所に、「政治的」裁判において裁判所の判断をくつがえす力を持っているところの、特別な共産党委員会が存在する。小さい町では、この委員会はしばしば地方の警察の長が委員長を勤めており、裁判所は警察署の出先と化してしまっている。
Tao氏は、彼が法学の勉強を始めた、文化大革命直後の頃に比べれば、こんな問題なんて大したことではないと主張する。彼が北京大学法学部に入学した時は、この法学部の存在自体が「国家機密」であり、適正なる「赤い」出自の青年だけが入学を許された。大部分の教授は、毛沢東による1950年代末の暴虐なる反右派闘争によって法曹という職業がほとんど壊滅していた時期に派遣されたところの、田舎または労働キャンプから戻ったばかりだった。・・・1980年代には大部分の判事は、法学を勉強したことのない元官僚か元将校だった。しかし、最新の政府公表数字が得られる2005年には、(その10年前にはわずか7%であったところの)法学学士号を持った判事が過半数を超えるに至っている。・・・(以上
http://www.ft.com/cms/s/0/abf9327c-58c9-11dd-a093-000077b07658.html (7月26日アクセス)による。)

5 終わりに代えて
何ともやっかいな「大国」を日本は隣国に持ったものですね。本日付のワシントンポストに、中共が21世紀に米国に代わって世界の覇権国に
なることなどありえないとする論説が掲載されています。 特段目新しいことが書いてあるわけではありませんが、この論説の筆者は、
第一に、中共で世界最速での老齢化の進行が避けられないこと。第二に、中共の現在の一人当たり所得はIMFによれば世界第109位であり、スワジランドとモロッコの間に過ぎませんし、中共の輸出の60%近くは外国籍の企業によって生み出されており、ハイテク製品の輸出では、それが89%にも達していること。つまり、中共はグローバル経済の下、その低コストの組み立てないし製造部門を担っているに過ぎず、一番利益をあげているのは、外国籍の企業だということ。第三に、世界の最も汚染された20都市中、中共の都市が16を占め、中共の湖と川の70%が汚染されており、人口の半分はきれいな飲料水が得られていないこと。なお、北部支那では、大気汚染が農産物の産出量を低下させるに至っていますし、2030年までには、中共は、現在の水の消費量に匹敵する量の水不足に直面すると見込まれていますし、中共北西部の工場の中には、水不足により廃業に追い込まれたものが出てきています。中共政府自身が、環境問題が毎年のGDPを10%押し下げていると推計しているほどです。 第四に、「カンフーパンダ」のような100%支那的コンテンツの映画がハリウッドで制作されて馬鹿当たりしていることに象徴されるように、中共が一党独裁の専制国家なるがゆえに情報の自由な伝達に制約があり、創造性を窒息させ、自己矯正ができないこと。を理由として挙げています。
ところで、同じワシントンポストに、中共のサッカーが、国民的人気が高いにもかかわらず、すこぶる弱いことにいかに中共の人々が苛立っているかについて、抱腹絶倒ものの論説(
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/07/24/AR2008072402162_pf.html 。7月27日アクセス)が載っていたので、最後にご紹介しておきましょう。(完)
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