我慢してはダメ (外交と安全保障をクロフネが・・)重要です。 | 日本のお姉さん

我慢してはダメ (外交と安全保障をクロフネが・・)重要です。

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▼我慢してはダメ (外交と安全保障をクロフネが・・)
北京五輪の野球競技で韓国が日本に勝ったことで、生物としての原始的な激情にかられた韓国マスコミが「これで竹島問題を解決しました!」と絶叫したそうである。2002年に開催されたサッカーワールドカップで「4位になった」韓国ではその直後、「これで我が国は世界4強国家となった。もはやアメリカ・日本なにするものぞ!」という非常に傲慢かつ攻撃的な自民族優越主義が充満した。こうした社会のムードが反米反日・親北朝鮮のノムヒョン政権登場へとつながっていったわけだが、韓国は、相変わらずスポーツの強弱と政治・経済・外交といった国家の総合的な実力との区別がつけられないという意味で正常運転中だなと思う。その狂犬・韓国が、北京五輪の閉会式で登場した地図に”日本海”と表記されていたことに噛みつき、中国外務省は「日本海は国際的に広範囲に通用している名称」として一蹴した。これについて、8月30日づけ産経新聞朝刊のコラム”緯度経度”において黒田勝弘氏が取り上げ、韓国の自己中心的な一方的思い込みを批判している。それについては全面的に賛成なのだが、つづく竹島問題の話題についての結論がいただけない。最近、韓国側が催した竹島問題に関する国際セミナーに参加した東海大学准教授・山田良彦氏が、今年5月に、シンガポールとマレーシアの間に存在していた領土問題を国際司法裁判所に持ち込んで解決した例を紹介した上で、竹島問題の解決も国際司法裁判所に委ねてはどうかと主張した事を取り上げていた。

そして、シンガポールとマレーシアが争っていた領土を二分割して分け合う”ケンカ両成敗”的な裁判の判決を受け入れたことは、地域的な成熟を示すものと両国では高く評価されているとし、黒田氏は「地域的な成熟に向け(二つの島から成る)竹島を日韓両国で分割してはどうか」とコラムを結んでいる。私はシンガポールとマレーシアの間に存在していた領土問題がどういう経緯で発生してどちらの主張に理があったのかまったく知らないが、少なくともそれを竹島問題解決のお手本として適用しようというのならば無茶苦茶な話である。竹島問題というのは、仮に日韓併合が間違いだったとしても「日韓併合への報復」を大義名分とする韓国による過剰防衛・逆侵略というのが問題の本質だ。丸腰の市民が警察官に口ゲンカをふっかけ、警察官がそれに対し問答無用で銃を抜き、丸腰の市民をいきなり射殺したようなものだ。日本の”市民”なら間違い無くヒステリーを起こすであろう暴挙が、竹島問題の本質なのである。日韓併合以前にも、李朝朝鮮もしくは大韓帝国が近代国家として国際的に常識とされる手続きにしたがって、竹島を韓国領土に編入するチャンスはいくらでもあった。それをしなかったのは日本の責任ではない。日韓併合前の韓国は、1900年に勅令を発し鬱陵島を江原道に編入するが、その時一緒に竹島を編入することができたはずであるがしなかった。(鬱陵島と一緒に編入された石島は韓国語の発音から観音島を指すと見られる。少なくとも石島を竹島とする明確な根拠はない)明治以前の話についても、韓国側は当初”独島(竹島)はわれらの土地”という歌までつくって于山=竹島というウソをデッチ上げ、韓国側が先に持ち出した三国史記に「于山またの名を鬱陵という」という記述があることがバレると、古文書・古地図の鬱陵島以外の島についての記述はすべて竹島の事という風にすり替えを図った。

「古文書などに言う于山・石島・三峯島はみんな日本人のいう竹島のことである」という具合にである。しかし日本海内の島が鬱陵島と竹島だけであるならばそうした理論が成り立つかもしれないが、事実はそうではない。鬱陵島の近くには観音島(石島)やそのものずばり竹島(チュクド 竹嶼とも)と呼ばれる島が浮かんでいる。日本海に存在する島は、鬱陵島と竹島の二島だけではない。よって「日韓の古文書・古地図にある鬱陵島以外の記述は自動的に竹島の事である」という論理ははじめから成立しない。実際、19世紀以前の韓国人は日本海の地理的知識に欠けていて、鬱陵島が一つの島なのかそれとも付近に別の島が存在するのかさえも良くわかっていなかった。いわんや竹島についてはまったく眼中になかったといって差し支えない。古代には同じ島を指していたはずの鬱陵島と于山を別の島の名称とするような混乱も起こっていた。鬱陵島の近くに浮かぶ竹島(チュクド)を于山とする古地図も韓国に存在している。1899年(明治32年)発行の大韓全図がそれであるが、この地図によって于山=日本で言う竹島という韓国側の根拠は崩壊する。
17世紀の朝鮮人密航漁民である安竜福が、「于山は日本人のいう竹島でありそれは朝鮮のものである」と主張したこともあったが、彼の鬱陵島や竹島についての地理的知識もはなはだ不正確であり、1696年に安が二度目の密航をはかって日本人漁民と遭遇した時も、日本人漁民の「自分たちは松島(当時の竹島の呼び名)に帰るところだ」という発言に対し、安は「松島は于山であり、于山は朝鮮のものだ」と決めつけたとされているが(安から先に松島と言う名称が出たわけではないことに注意)、松島が于山であるという根拠は何も無い。安もまた、それまでの朝鮮人と同様、日本海中に鬱陵島と于山という二つの大きな島があると誤って信じ込んでいたようで、朝鮮側資料である”辺例集要”でも、安は鬱陵島よりもすこぶる大きな島を目撃しそれを于山としているようだが、日本海中で鬱陵より大きい島といえば隠岐諸島ぐらいしかない。安は日本海中に鬱陵島と于山という二つの大きな島があると誤って信じ込んでいたために、日本人が松島といえば「それは于山」、鬱陵島とは別の大きな島・隠岐を目撃すれば「あれは于山」と口からデマカセを言っていたにすぎないと思われる。ともかく安竜福は、思いつくままデマカセを言っていた当時の一賎民(私奴婢=貴族などに所有される奴隷)にすぎず、「江戸幕府と交渉して竹島を朝鮮のものと認めさせた」なんてこともあり得ない。実際、安は朝鮮帰国後、鎖国を破った罪で流罪を言い渡される。どうして「江戸幕府と交渉して竹島を朝鮮のものと認めさせた」功労者が流罪に処せられることがあろうか。現在の韓国では安竜福を”将軍”と呼んでいるが、前述のように彼は単なる奴隷であり将軍職にあったことは一度も無い。韓国が主張する竹島領有権の根拠は、どれもこれも現代から過去に遡っての強引なこじつけ・後だしジャンケンのデッチ上げなのである。

竹島問題 http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/

安龍福 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%BE%8D%E7%A6%8F

で、産経黒田氏の主張に戻るが、そんな竹島問題を国際司法裁判所に”ケンカ両成敗”で解決されては、たまったものではないし、日本側からたとえジョークであっても「竹島を日本と韓国とで半分こして、この問題を解決しよう」などと言うべきものではない。どうして韓国によるインネンのような過剰防衛・逆侵略をたとえ半分でも認め受け入れることが”地域の成熟”になるのか意味がわからない。成熟すべきは日本ではなく、生物としての原始的な激情と偏狭な民族主義にかられるとみさかいが無くなる韓国である。北朝鮮による拉致問題もそうだが、どうして日本人は外交問題が長引くとすぐあきらめようとするのか。否、あきらめるというよりも、どんな理不尽なことでもそれを我慢しようとすると言った方が適切かもしれない。「拉致問題がなかなか解決しないから、もう経済制裁を解除しよう」「竹島問題がなかなか解決しないから、竹島を韓国と半分こしよう」こんな事を言う人が次から次へと出てくるのが、同じ日本人ながら私には信じられない。ステレオタイプの日本人=農耕民族論を引っ張り出すと、しろかきをし、苗を育て、水を引いて、田植えをして、肥料をやり、雀や害虫がくれば追っ払い雑草が生えれば引っこ抜き、あと1週間我慢すれば待望の稲刈りというところで台風が来て稲が全滅という極めて理不尽なことが起こるのが農耕というものである。理不尽極まりないことでも、怒ったところでお天道さまが相手、それを我慢しなければ農耕民族なんてやってられない。だから日本人は我慢を美徳とし、どんな理不尽なことが起こっても耐え忍ぼうとするのかもしれない。しかし物事には、我慢して良いことと我慢してはいけないことがある。

竹島問題や拉致問題は、当然後者だ。 「上に政策あれば下に対策あり」と言われる中国人は、30年ごしで尖閣諸島を奪いにかかっている。30年前は通常戦力に関する限り日本の方が上であった。そこですぐに解決しないからといって尖閣諸島をあきらめるのではなく、30年計画で経済力や科学力・軍事力を強化し台湾を仲間に引き入れ、日本国内に親中派を浸透させ、着々と外堀を埋めにかかっている。たとえ理不尽であっても、お上のやることは我慢してしまう傾向のある日本人は、そのしつこさ・執念深さだけは見習っても良いと思う。拉致問題が解決しないなら、金正日それがダメなら息子の金正哲あるいは正雲に逮捕状を出し、何十年かけても彼らを逮捕して日本で裁きにかける。竹島を取り戻すまで、50年あるいは100年スパンで戦略を立て、執念をもってそのチャンスをうかがう。産経の黒田記者が、長年良質の記事を日本に送り続けてくれたことは私も良く知っているし、”ソウルからヨボセヨ”のコーナーも楽しみにしていた。だが、今回の記事はいただけない。日本国民全体の財産である竹島を、一個人が軽々しく外国に半分譲ったらどうかなどとは言って欲しくなかった。もしどんなにデタラメであっても「あそこは昔から私の土地だった」と主張しさえすれば、黒田一族所有の地所を半分わけてもらえるなら、”地域社会の成熟”のため、私に一枚かませてもらえませんかね?