宮崎正弘の国際ニュース・早読み | 日本のお姉さん

宮崎正弘の国際ニュース・早読み

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    平成20年(2008年)9月6日(土曜日)
通巻第2310号 

中国、海外投資の基本方針を転換か
   独ドレスナー銀行への100億ドル出資に「待った」
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二兆ドルの外貨準備高を、騎虎の勢いで中国は費消してきた。海外企業買収から、石油、ガス鉱区の買収、銅鉱山などレアメタル、鉄鉱石鉱山の買収。国富ファンドは米国ヘッジファンドの「ブラックストーン」にも出資したし、四大銀行はメリル、シティバンクなどに出資してきた。
突然、方針が変わった。中国発展銀行が当局に申請していた独ドレスナー銀行への100億ドル出資に[NO]のサインがでた(フィナンシャルタイムズ、9月5日付け)。理由は(1)過去の出資はほぼ失敗に終わり、(2)加えてドル安により資産目減りがあまりにもひどい結果になっているからではないかと英紙は結論している。
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♪石原藤夫『国際通信の日本史』(栄光出版社)
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通信主権という概念が希薄だった時代に、日本の通信を牛耳る海底ケーブルの利権を持っていたのは外国企業だった。治外法権と関税自主権は五十年かかってようやく回復したが、通信の主権はなおざりのままだった。 日本は科学技術に決定的に遅れをとったという珍説は嘘で、外国がアジアで勝手な侵略と植民地化を繰り返していた頃、日本は鎖国していたために技術が後れを取ったのではない。からくり人形、ゼンマイなどを見ても、メカニズムにはひけを取らず、また電信実験はペリー来航まえに佐久間象山が実験していた。薩摩藩にも寺島宗則という発明家がいた。榎本武揚は西欧から電信機を持ち帰った。日本の弱みはこれらをシステムとして、商業的に運用するノウハウに欠けていたきらいがある。明治から大正、昭和前半の、技術者たちの苦悩の歴史をコンパクトにまとめた労作だが、読んでいて思ったのは、人物と発明の苦労を淡々と除したいくつかのエピソードのうち、何編かの小説のモデルになりうる人ばかりではないか、ということだった。 石原藤夫氏にはほかに『発明特許の日本史』などの力作がある。

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♪(読者の声1)《第7回9・29反中共デー東京大会》のお知らせです。 北京オリンピックは閉幕しました。中華人民共和国(中共)におけるオリンピックが、平和や健康とは全く無縁の政治大集会であったことは明白です。侵略と圧制の凶国である中共の犠牲者は多々います。
満州、南モンゴル、東トルキスタン、チベット…に対する侵略・圧制・虐殺。また台湾に対する侵略の野望。中共は、アジアの全ての民族の敵と断言できます。アジアの中でも、特に我が国は中共による危機に直面しています。昭和47年9月29日、我が国は中華人民共和国との国交を樹立しました。しかし我が国と中共との関係が正常かつ友好的であった事はありません。昨今話題になった毒入り食品なぞ可愛いものです。
靖国神社に対する冒涜、歴史教科書への介入、尖閣諸島への侵犯、東シナ海における海底資源の盗掘、沖ノ鳥島の存在の否定、外交官に対する性的謀略工作…など、数えきることが不可能なほどです。「反日」「共産」「中華」の3悪国家である中共は、我が国にとって明確かつ危険な敵国です。我々は草莽の有志として祖国の危機を坐視する事は断じて出来ません。平成14年9月29日、所謂「日中国交正常化」30年の秋、我々は中共との国交断絶を勝ち取る為、第1回9・29反中共デーを開催いたしました。第7回の本年も「9・29反中共デー」の旗の下、「打倒中国共産党」「日中国交断絶」「中華覇権主義排撃」「まもれ!尖閣諸島」を声高らかに叫び、勝利を目指して、同志同憂各位が共に起ち上がり、共に闘う事を熱望いたします。
  記
☆日時  9月29日(月)雨天決行
午前11時~集会開始
正午~徒歩行進出発
☆場所 三河台公園(東京都港区六本木4の2の27。六本木通り沿い/俳優座の横)
☆合意事項(超党派の運動のため、会旗など団体の旗の掲揚は禁止します。また、車輛での参加および徒歩行進に適さない服装での参加はご遠慮ください)。 9・29反中共デー東京大会共闘委員会
事務局03-3918-9524(三澤浩一)


♪(読者の声2)貴誌4日付け「(宮崎正弘のコメント)外務省職員全員を六ヶ月前後、自衛隊に順次体験入隊させ、国防とは何かを体得して、それから外交をやっていただきたいモノです」。とあります。今は知らず、昔のヨーロッパの外交官は貴族の出身が多かったので、軍人ならずともフェンシングの名手や決闘の体験者が少なくなかったそうです。これは駆け引きの勘や度胸をつけるのに役立ったはずです。日本の外交官は御公家さんの系統が多かったせいか、迎合的。外交官研修科目に剣道を入れたらよいのではないかと思い、剣道師範資格を持っていた橋本龍太郎元総理に、あるパーティーで進言しようとしましたがその機会を得ませんでした。(YT生)

(宮崎正弘のコメント)あの「剣豪」政治家も下半身の防御が弱かった。

♪(読者の声3)貴誌の投書欄を見ていて、最近、女性読者が増えつつある事を嬉しく思います。読みたい本が増えるばかりで悲鳴を上げていますが、いつの時代でも、女性がしっかりしないと国は滅びるのかもしれませんね。その意味においても、宮崎先生のメルマガ読者が今の男性の数だけ女性も読むようになったら「日本沈没」も先延ばしできるかも?(FF子、東京都)

(宮崎正弘のコメント)日本で、いま活気があるのは文壇も論壇も女性。小説界で80歳代の売僧(まいす)もいれば、不倫騒ぎをもろともしない某(OUTを書いた人)、タヒチに住んでミステリー伝奇小説に挑戦する板東女史とか。保守論断も上坂、曾野、櫻井の御三家に幾多の若手女性ライターの登場。男性のルポライターよりフットワークのよい人が随分と出てきました。永田町も、真贋とりまぜて女性が政治の一翼をリードし始めましたね。聖子に百合子に、姫とか、ゆかりたんとか。勘違い組が目立つのは気になるところですが。とくに双子を生んだという理由で少子化担当大臣になった元大学教授とか。ですが、米国副大統領になりそうなペィリン女史(アラスカ州知事)を見ていると、あれくらいのファイト、肝っ玉母さんぶり。結婚もしない、子供はいらないという日本人女性は、ちょっと見習って欲しいですね。
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【都会育ちの田舎暮らし】
『ごっくん馬路村の村おこし』大歳昌彦著
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ごっくんしゆうかえ?
高知県民なら絶対に耳にしたことがあるであろう、このフレーズ。高知市から車で2時間、安田川という清流の上流域に位置する、人口1072人の山間の村。馬路村(うまじむら)が開発した清涼飲料水『ごっくん馬路村』のキャッチコピーです。馬路村。電車は無し。バスは、村内どこでも自由に乗り降り可能。中学校は2つ。うち一つは全校生徒が7名。その名のとおり、馬でしか通えないのではないかというような山奥にある、高知県でも一二を争うほどの小さな村。しかし同時に、高知県でも一二を争うほど有名な市町村でもあります。その源は、特産品のユズ。特産のユズを原料にしたポン酢や清涼飲料水のヒットがあり、人口1072人の村ながら、33億円の売上をほこる農協があるのです。逆に言えば、この村にはユズしかなかったんです。高齢化により、担い手をなくして、しかたなく「無農薬」になっていったボロボロのユズ畑。手元にあるのは、そんな無農薬のユズ畑だけだったんですね。それだけを武器に、小さな村が商品開発をし、営業し、宣伝し、全国的な商品に育て上げるまでの過程が書かれたのが、きょうご紹介する『ごっくん馬路村の村おこし』です。馬路村のすごいところは「商品」を売るのではなく、「村」を売っているところ。「ごっくん馬路村」や「ポン酢」が商品なのではない。「馬路村」自体の商品価値を高めているところです。四万十川よりも美味しい鮎の泳ぐ川があり。日本有数の美しいスギ林があり。無農薬で育つユズがあり。村をまるごとプロデュースしているようなところなんです。
平成7年には「農業界のノーベル賞」とも呼ばれる「朝日農業賞」を、馬路村農協が受賞。一躍、全国的に名を知られるようになりました。しかし、成功物語の裏に、その何倍もの失敗物語があるのは、世の常。馬路村の成功の裏にも、数々の失敗がありました。ユズドリンクをつくるのに、間違えてポン酢用の「塩ユズ」を使ってしまい、何万本ものドリンクが塩辛くなってしまったり。日付を間違えて印刷してしまい、これまた何万本ものドリンクを回収するハメになったり。農業の物語というより、起業の物語に近いです。小さな資本(ボロボロのユズ畑)をもとに、商品開発し、売っていく。村おこしや町おこしの成功談というのは、そのまま、会社の起業物語になり得るようなもの。ビジネスの視点からも、非常に役立つエピソードが多く書かれています。「馬路村」という、村ごとの商品価値を高めようとしたのは、まるで「ソニー」や「任天堂」というブランドをつくるのと、同じようなもの。村まるごとのブランド化は成功し、今では、東京のスーパーでも「馬路村の○○」という商品を見ることができます。(ポン酢コーナーに行ったら、きっと馬路村商品があるはず)
さて。馬路村のユズ製品がヒットした後。ご紹介する本には書かれていませんが、後日談を少し書いておきましょうか。実は、ユズが足りなくなりました。そりゃ当然。人口1000人の町なんですから。そこから全国レベルの商品が出たとなれば、自然と原材料が足りなくなってしまいます。そこで、馬路村は、近隣の市町村からユズを買い集めることにしました。(高知県山間部は、だいたい、どこでもユズは栽培している)中には、ユズの需要が増えたから(馬路村が買ってくれるから)ということで、大量のユズの苗木を植えた方もいるそうです。ところが、ユズというのは一人前に育つまで、かなりの時間がかかるものなんですね。「桃栗3年、柿8年、柚子の大馬鹿18年」と言われるほど。収穫までに、20年ほどの歳月を待たなければなりません。今は、植えるだけ植えて、まだ収穫ができていない時期なんですね。・・・ということは。あと数年後、高知県山間部では、かなりの量のユズが一気に採れだし、一種の「ユズバブル」、そして「ユズデフレ」が起きるのではないか。高知の山奥では、そんな噂もチラホラ聞かれております。
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『馬路村のHP』 
http://www.inforyoma.or.jp/umaji/index.html
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