【地上げ屋の道徳教育】 【第8話】バブル末期に踊ったツケで自分のことを知ったんや | 日本のお姉さん

【地上げ屋の道徳教育】 【第8話】バブル末期に踊ったツケで自分のことを知ったんや

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【地上げ屋の道徳教育】 【第8話】バブル末期に踊ったツケで自分のことを知ったんや
十数年、立ち退きに応じなかった借家人の説得に成功した小川宇満雄。相手の立場に立ち、相手の道理を理解することが重要という。水が高いところから低いところに流れるように、物事には道理がある。それは、立ち退き交渉だけでなく、あらゆる場面に当てはまるだろう。

自分のことを知る」
前に、バブル崩壊で手痛い目に遭うた話をしたやんか(第3話参照)。不動産バブルの恩恵で稼いだカネを自分の実力と過信したが、結局、バブル経済の崩壊とともに、稼いだカネは泡のように消え去ってもうた。今回は、その後の話をしようと思う。
小川:おい、お前ら。自分のことってわかってるか。
サクラ:何それ?
小川:要するに、自分のことや。じゃあ、お前は誰や。
サクラ:サクラ
リュウジ:リュウジ
小川:そうやな。でも、それだけで自分が特定できてると思うか。「小川サクラ」「小川リュウジ」という名前はほかに結構、いてるかもわからんで。そやろ。
サクラ:うん?
小川:そやから、お前らを特定するためには、もっと説明せなアカンねん。例えば、サクラのお父さんは誰か、サクラの身長はどのくらいか、体重はいくらか。好きな食べ物は何か、とか。
サクラ:納豆。
リュウジ:カレー。
小川:そやそや。そんな風にして、自分を特定することをいっぱい書き出してみ。どれくらい自分を説明することができるかな。
「小川サクラ、144センチ、35キロ、女、学校に行っている、バスケ好き、CD好き、ソロバン習ってる、牛乳嫌い、チーズ嫌い、唐揚げ大好き、駄菓子屋行く、パン好き、10歳、体育が一番好き・・・・・・」
小川:30個くらい簡単に出てくるやろ。ほんだら、お前らをもっと特定するために、嬉しかったことや悲しかったこと、腹が立ったことなど、今日まで自分が感じたことを書いてみ。
「楽しかったこと・・・学校に行ってる時、友達と遊んだこと、運動会したこと、体育、生駒の登山、田舎で花火、北海道、遠足、ドラマ、プロレス、ディズニーランドに行ったこと・・・」
「嬉しかったこと・・・バスケクラブに入れた、友達ができた、妹ユウキが生まれた、プレゼントもらった、友達と遊んだ、一輪車に乗れた・・・」
「悲しかったこと・・・転校した時」
「ぶちぎれたこと・・・友達とケンカ、弟とケンカ」
「嫌だったこと・・・おなかが痛くなったこと、友達に悪口を言われた、ケンカした」
小川:ほら、今書いたやつを見てみいや。お前らの嬉しかったことや悲しかったことには人が絡んでいることが多いやろ。
サクラ:うん。
リュウジ:あっ、ほんまや。
小川:自分が1人で生きていないということがわかるやろ。
サクラ:うん、わかる。
リュウジ:そんなん、当たり前やん。
小川:そうそう、そやな。ほんだら聞くぞ。お父ちゃんが死んだら悲しいか。
サクラ:めっちゃ悲しい。
リュウジ:うん。
小川:そやな、悲しいな。逆も一緒やぞ。お父ちゃんがお前らより先に死ぬのは当たり前の順番やけど、お前らが先に死んでもうたら、父ちゃんや母さんがどれだけ辛いかわかるか。
サクラ:うん、わかる。
リュウジ:うん。
小川:そやから言うとくぞ。万一、学校とかでいじめにあっても、自分1人で生きてるんと違うんやから、1人で悩んだりしたらアカンぞ。父ちゃんや母さんはいつもお前らの味方やから、ちゃんと相談して、絶対に死ぬとか考えたらアカンねんぞ。そのために、“心の強さ”とか“克己心”とか勉強してんねんからな。
 人間は生きているうちに、楽しいことがいっぱいある。たとえ辛いことがあっても、世の中にはお前らよりももっと辛くて悲しい人たちがいる。それも忘れるな。わかったな。
サクラ:ハイっ。
リュウジ:うん。
小川:ようし、覚えとけよ。1人で生きてるのと違う、というのはほんまに大切なことや。1人で生きているようでも、実はまわりの人に生かされている。そのことを忘れたらアカンで。お父ちゃんな、バブル期に不動産投資で失敗して苦労したんや。それでも今、こうしていられるのは多くの人に助けられたからや。
独立後、2年で6億円を稼いだ話は前にしたわな(第3話参照)。“オッサン”のところで修業していた頃の月給は30万円や。バブルの恩恵でカネ儲けができたとはいえ、30歳そこそこのガキが億単位のカネを掴めば、やっぱりどこかが狂うわね。木津信の渉外担当者が来たのは、ちょうどそんな頃やった。
小川の言う「木津信」とは、関西を地盤とした木津信用組合のことだ。1980年代後半、不動産融資に傾斜し、融資残高を積み上げた。だが、バブル崩壊によって不動産融資の多くが不良債権化。1995年8月に経営破綻した。バブル崩壊を象徴する金融機関の1つである。 木津信の担当、オレのところに来てこう言った。「小川社長、融資枠が50億円あります。いくらでも融資しますから、不動産をどんどん買って下さい」と。オレの会社、まだ決算を1回しただけやで。それなのに、「50億円の枠があります」って言うから驚いた。 実はオレ、地上げ屋として独立した時、フィービジネスで行くと決めていた。地上げの師匠であるオッサン、立ち退き交渉を手がける前に必ず底地を買うていた。それが、オッサンのポリシー。でも、底地を買うためにいつも街金から高利のカネを借りとんねん。それで、いつも資金繰りに追われとるんやで。 何が楽しくて金融屋においしい思いをさせなイカンの。それに、今は不動産が上がっているからいいけど、もし下がったらエライ目に遭う。ほんだら、デベロッパーに底地を買ってもらい、オレは立ち退きを代行してフィーを取る――。オッサンを横目で見ながら、この方が確実やと思うた。 フィー専門でいく。そう決めていたのに、「50億円の融資枠」と言われたらアッサリ底地を買い始めたんやから始末に負えん。
・バブル崩壊で20億円の借金を抱えることに
それまでのオレは銀行の人間とつき合えるような男ではなかった。ただのチンピラやしな。なのに、スーツを着た銀行員が「小川社長、小川社長」と熱心に来る。正直、舞い上がるわな。それに、自分で底地を取得して立ち退きをする方が儲かる。勧められるがままに、10件近くの不動産を買うてもうた。欲に目が眩んだんやな。 その直後にバブル崩壊。20億円の借金が残った。 バブル崩壊で不動産業者は軒並み大ダメージを負った。新規の開発はすべてストップ。立ち退きの仕事もガタ減りや。当時の融資は年利10%。オレの貯金もみるみる減っていく。「返済は無理です」。オレは覚悟を決めて、支店長のところに頭を下げに行った。すると、支店長はこう言うた。
支店長:「金利分だけでも払えないかな」
オレ:「もう無理です」
支店長:「担保にはまだ余裕があります。その分をお貸ししますから、それで金利を払って下さい」
オレ:「・・・・・・」
・追い貸しで膨らんだ借金
担保不動産に設定していた根抵当権。木津信は実際の不動産価値よりも20%ほど高い極度額をつけていた。既に不動産価格は下落していたが、融資枠は20%分の余裕がある。その分で追い貸しし、金利を毎月返済してくれ、という話やった。金利さえ払い続ければ、貸出債権は正常先に分類されるからなぁ。 そんなことをしても焼け石に水。これ以上、一銭も借金を増やしたくなかった。でも、木津信はオレへの貸し出しを不良債権に分類し、引当金を積むのは避けたい。天下の支店長が頭を下げて言うのなら、とその話に乗ってしまった。今なら間違いなく断るで。若かったということなんやろう。
 その後のオレが浮かばれるはずはないわな。 15億~16億円だった小川の借金は追い貸しの結果、20億円近くまで膨らんだ。不動産価格は半分以下に下落しており、物件を売却しても借金は全然減らない。バブルの最盛期に5000万円あった立ち退きフィーも500万円まで縮小。小川の人生はバブル崩壊によって暗転する。独立後、2億3000万円で建てた天王寺の自宅。数年後、売りに出したら7000万円やった。もう、笑うしかないわな。最後は金利すら払えなくなった。しかも、悪いことは続く。その後、木津信は経営破綻。オレの会社に対する貸出債権はRCC(整理回収機構)に行ってもうた。 1996年に設立された整理回収機構。旧住宅金融専門会社(住専)7社から買い取った債権の回収、破綻した金融機関の債権買い取りや債権回収などを手がける専門機関である。不良債権処理を支援し、金融システムを保全するために設立されたが、強引な債権回収が社会面を賑わせたことも。 不動産を売却した後に残った残債は約9億円。その9億円の紙切れ債権がRCCのところに行った。RCCと言えば、泣く子も黙る債権回収で有名や。破産を申し立てられたりするんかいな、と思うとった。そうしたら、RCCの担当者、何と木津信の人やった。 追い貸しの経緯を知っているから、「小川君もかわいそうやな」と同情してくれた。オレの方も呼び出された時は何も言わんと、すぐに出頭したわ。とにかく真面目に対応したからやろうな。オレが言う月の返済額をそのまま飲んでくれたり、心情的に便宜を図ってくれた。これは、ホンマに助かった。 事の方もつき合いのある業者が仕事を回してくれた。自分で言うのも何やけど、オレはカネにはきれいにしてたから、取引先には信用があった。もちろん、立ち退きフィーは減ったけど、仕事が続くことの方が重要や。あの時ほど、まわりの人たちに助けられとる、と思ったことはないで。
・宴の最後はつらいもんや
あの頃は自分も辛抱した。バブル時分は毎晩のようにミナミで飲み歩いていたが、木津信に金利を払えなくなってからはミナミで飲むのを止めた。まあ、懲役に行った気分と言えばエエか。とにかく、今が正念場。500万円に減ったフィーがオレの身の丈、今の実力。差額の4500万円はバブルやった――。そう見据えてやり直すことにした。 まあ、正直に言うと、RCCに債権が移る前、新しい会社を立ち上げて、立ち退きは全部そっちでやることにした。借金まみれの元の会社には別のやつを代表にすえて、オレが個人補償してな。でないと、新しい会社で儲けた分、借金返済に全額取られてしまう。姑息な感じがしたけど、前の会社と一緒に沈むのは嫌やった。ここで会社を分離してなければ、その後の浮上のチャンスはなかった。 それでも、RCCには紙切れ債権9億円のうち1億円近く返済したのと違うかな。9億円の1億円だから全額、返してはいないから偉そうなことは言えへんけど。その後、RCCはオレの債権を民間の債権回収会社に売却した。それを、900万円で買い取って、ようやく借金がチャラになった。バブル期の不動産業者はみなそうやと思うけど、宴の後はつらかったで。 小川:お前らと普通の生活ができているのはいろんな人のおかげやと思うとる。人はまわりに生かされている。それを忘れたらアカンで。次は、「めげない、しょげない、なまけない」。あきらめなければ、道は開ける。オレもあきらめなかったから90年代後半、復活することができたんや。
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