続き | 日本のお姉さん

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養老 都市と自然を語れ、というお題なんだけど、その辺は僕、どう語っていいか、ちょっと分からない。その前に、中国人ってどうしてああいうふうに「連たん」するんですかね。

隈 「連帯」ですか?

養老 いえ、建築用語の連たん。“連たん戸数”とかいうときに使うでしょう。要するに軒を並べることですが、中国人って、べたーっと軒を並べちゃうんですよね。建物の間に一切隙間を置かない。チャイナタウンって全部そうでしょう。僕、愕然としたのはトロントですよ。カナダは悠々としていて、トロントだって広ーい都市なんですよ。なのに、チャイナタウンに足を踏み入れた瞬間に、軒が全部つながっていて、道の上は人でいっぱいだよ。

隈 軒を全部つなげるのは、中国の南の方の都市で一般的な、ショップハウスという都市住宅の伝統なんですね。中国でも北の方は四合院という中庭スタイルで、南が京都の町家にも似ているショップハウス。

養老 この間行ってきたラオスもそうなんですよ。新しい建物でも2階建てでだっーと建っていて、下が店で上が住居という感じ。長屋になっている。

隈 一説によると間口で課税されたから、狭い間口で建てていくと税金が安くなるという理由があると。まさに京都の町家みたいな感じですよね。ただ、そういう制度が原点にあるといっても、税金だけで町並みは決まらないから、何かいろいろ染み付いた空間感覚とか、精神性もあるんだろうなと思いますけどね。

養老 いくら広くても彼らはぎゅっと詰めることが習い性になっちゃっていて。

隈 快適な空間感覚とか、人との距離感というのが民族によって違うということは、絶対にあるんですね。

養老 中国人の空間認識ってちょっと変わっているよ。僕、客家(はっか)の家を紹介してもらったこともあるんだけど。

隈 長屋が円く連なっているやつですね。

養老 そうそう。で、円の中心が共同空間なの。エドワード・ホール(注・アメリカの文化人類学者)という人が『かくれた次元』という本を書いたでしょう。あれ、文化によって空間の感覚がどのぐらい違うかをまともに議論した本の1つだよね。

隈 ああ、そうでしたね。アングロサクソンって、やっぱり土とくっ付いてないといけないから、ラテン系とずいぶん住み方が違うんです。ローマ時代にすでに「インスラ」という名前の立体型の集合住宅があって、人の上にまた人が平気で住めたんだけど、あれはラテン系の文化だから可能な住み方ですね。アングロサクソンは地面との近さが重要だという感覚だから、そういう住み方に馴染めない。イギリスなんかでも一時、高層マンションブームがありましたが、高層マンションはスラム化することが多くて問題になりました。要するに土地から離れちゃうと、彼らはだめなんですね。

――アメリカ型の郊外住宅はどうなのでしょうか。

隈 まさにアングロサクソンの住み方の延長です。ただ、アメリカの郊外住宅が本当に土地と密着した、自然と一体になった住居かどうか、というあたりが、アメリカ文明の最大の問題点だと僕自身も思っています。養老先生がご著書で、石油というものがアメリカ文明の基本にあって、それが20世紀をアメリカの時代にした、つまり諸悪の根源が石油にある、という話をされていますが、僕もすごく同感です。 石油を僕の言葉で翻訳すると「アメリカ型郊外住宅」というものになるんです。アメリカ型郊外住宅は、要するに、石油で走る車で郊外と都市を行ったり来たりできるというシステムです。都市からどんどんと郊外に広がっていけば、自分たちの理想の土地、理想の生活が手に入るという、アメリカ中に広がったドリーム、というか錯覚を、石油が可能にしたんです。あの芝生の上の真っ白なアメリカの郊外は、実は真っ黒な石油と一体だったんですよね。

――アメリカ人自身、実は郊外とはけっこう怖い場所だと思っているきらいもありますよね。

隈 それはアメリカン・ドリームを果たしてから気付いたわけですね。

――ホラー映画とスティーヴン・キングの小説は郊外の街が舞台になっています。

隈 アメリカでは第1次大戦後に住宅ローンという制度を発明して、それを使い切って郊外をばんばん開発して、そこに家を建てれば幸せになるよ、という夢を売ったわけですよね。だけどそれがある意味で、うまく行き過ぎちゃって、アメリカ経済はヨーロッパを追い越した。そして、郊外に住んで住宅ローンにしばられた人は保守化して、政治的にも安定を手に入れたわけですが、ある時、そのドリームが集約された場所こそが一番怖い、ということに気付いたんです。ドリームが反転するときほど、怖いことはない(笑)。

――それでも懲りずにサブプライム・ローンを開発して、必要のない庶民まで50年代のアメリカン・ドリームに乗せようとしました。そういう物語がまだマーケットにあるんですね。

隈 サブプライムの問題は、そういう意味で20世紀の終わりを象徴するものですね。日本では阪神大震災によって住宅ローンで買った家がつぶされたときに、アメリカではサブプライム・ローンが破綻したときに、20世紀に終止符が打たれたんだと思います。

養老 隈さんはアメリカの郊外を体験したことはありますか。

隈 僕のアメリカ体験は、1985年にニューヨークのコロンビア大学に留学していたときなんですが、マンハッタンにある学校のアパートに住んで、郊外を避けました。

養老 日本での郊外体験というものはある?

隈 僕は生まれ育ったのが、横浜の大倉山なんです。郊外といえば郊外かもしれませんが、当時の大倉山の僕の家は、すぐ裏に農家があって、うちの祖父がその農家の土地を分けてもらって住み始めた場所なんです。祖父は東京の大井で医者をやっていたんですが、都市が嫌いで、土日には必ず大倉山で畑仕事をやっていた。僕が昭和29年生まれで、その後にだんだん郊外になってきてしまうのですが、僕が育った時代も、その前の里山の姿が残っていました。アメリカ型の郊外に汚染される以前の原風景が生き残っていた、最後の時代ですよね。

養老 だったらヘビとかいたりしたでしょう?

隈 屋根裏や軒下にヘビが住んでいる友達は何人もいたし、裏山にはウズラがいました。

――養老先生はニュータウン体験はお持ちですか。

養老 見ただけで嫌いなの(笑)。ニュータウンって、歩いていても、自分がどこにいるか分からなくなる。ところが旧鎌倉は人力で開発してきた土地だから、道は地形に合わせて這っていて、家もそれに合わせて建てている。自然の地形のままになっているから、どう歩いても退屈しないんですよ。

隈 先生のお宅のあたりも、まさにそうですよね。

養老 歴史が古いでしょう。だからウチのそばの谷戸のトンネルなんかも、いつ、誰が掘ったのか知らないけど、あんな格好(曲がっている)になっていて。四角い方眼みたいな街をつくっちゃうのは、人間のためには絶対にならない、というのは、直感的に分かります。

隈 そういうものが古い街の中に入ってくると、完全に別な空間になってしまいますから。

養老 鎌倉でも今、そうなっているでしょう。とにかくそういうところは住みたくないな、とすぐ思う。ぐちゃぐちゃで、訳が分からず、くねくね曲がっているのが街だと僕は思っているから。

隈 でも旧鎌倉の谷戸に住める先生のようなお立場は、日本人的にも極めて幸運なのではないでしょうか。

養老 戦前、鎌倉はどこもくねくねとした街だったんですよ。それは僕も知っているからね。そんな街を一番変えちゃったのが、海岸道路ですよ。竹村と一緒にいつも悪口を言って。ほら、あいつは河川局だったから道路と仲が悪いの(笑)。道路のあいつら、あんなバカなことをしやがってとか、旧・建設省同士で言っているんだよ。 この間、西湘バイパスが台風でやられたでしょう。あんなところに道路を作るから当たり前だって、また怒っているんだよ。バイパスの開通で、鎌倉の海岸の松林がきれいに消えちゃったんですからね。

隈 あれで全部消えちゃったんですか。

養老 そう。それで砂浜がどんどん傷んで、どこからか砂を運んできて置かなきゃならないという事態になって。本当に無考えでいじったんですね、僕から言わせれば。

隈 日本で海辺にいい土地があります、と言われても、どこも道路が土地と海の間にあるから、行ってみると全然、海辺じゃないんですよ。

養老 そうなっちゃったでしょう。

隈 日本にいいリゾートができないとか何かとか言うけど、それは高度成長のときに、道路を通しちゃった時点でもうだめで、その後は、何をやっても手遅れなんですよ。

養老 街を碁盤の目にするとか、真っすぐ道路を通したくなるとか、そこに建築学としての合理性はあるんですかね。

隈 僕の考えは違いますが、一番効率よく道路面積を最小化すると、数学的にはそれになります。でもその最小化というのは、実は本当の意味での合理性じゃないわけです。土地の価値がそれで全部均一化されちゃって、結局、値段だって一緒に下がってしまいますから。

養老 近視眼的な発想だよ。

隈 不動産屋的な、最大床面積を確保しよう、という考えだったら、とりあえずそれにしますが。

養老 バブルのころに鎌倉市長に言われて、土地利用の委員会をやっていたことがあるんです。そのとき、大きな緑地が3カ所、鎌倉に残っていたんですね。僕はどうしてそこが緑地になって残っているかということを考えたんだけど、都市計画側の人たちが言った理由がちょっと面白くて。

隈 何だったんですか。

養老 主要道路の交差点から一定の大きさで円を描く。その円をだんだん大きくしていって、ほかの円と接するようにする。そうすると、その円に含まれない部分が、全部緑地で残る、と。それは建築界の常識なのかもしれないですけど、面白いなと思ったね。

隈 それはつまり、端的に言って不便だから残ったということですよね。

養老 ということだよね。では逆に、そこを開発すると、関係者は儲かるかというと、そうじゃない。主要道路に負担がかかるというんだよ。そりゃそうでしょう。そこを住宅地にして、人が住んで、車が入ってということになると、その車は必ず主要道路を通らなきゃいけないから、渋滞が生じる。行政にも住民にも負担が重くなるということが歴然と見えるんです。だから論理的に、ここは開発してもいいことは何もない、ということになったんです。

隈 もしそれを本当にやるんだったら、主要道路から直していかなきゃいけない。

養老 だから周辺住民が開発するな、と文句を言うのがよく分かった。エゴだとかいわれがちだけど、新しい開発によってみんなの間に、実はいろいろな負担が発生する。そういう大きな見方が、ひょっとしたら都市開発には欠けているなと思った。

隈 感情的な反対ではなく、いろいろな要素をバランスさせる科学的な検証ですよね(次回に続く)