【養老孟司×隈研吾 「ともだおれ」思想が日本を救う】 石油が支えた「郊外一戸建て」のアメリカ | 日本のお姉さん

【養老孟司×隈研吾 「ともだおれ」思想が日本を救う】 石油が支えた「郊外一戸建て」のアメリカ

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環境問題に代表されるいまの社会のさまざまな課題は、「生き物」としての私たちが、合理性、均質化、分業による効率の追及に耐えきれなくなってきた、その現れなのではないか? 偏ったバランスを、カラダの方ににちょっと戻すためにはどうしたらいいのか。養老孟司氏と隈研吾氏が、次のパラダイムを求めてゆったりと語り合います。

――養老先生のご自宅に、隈さんをお招きしています。お二人は初対面ではない、とうかがっていますが。

隈 はい。でもちゃんとお話するのは初めてです。養老先生、いい色に日焼けしておられますね。

養老 僕はラオス焼けで。ラオスに3週間以上行っていたからね。去年からもう4回も行って。隈さんも焼けておられますね。

隈 僕はヴェネチア焼けです。ナポリの南のカバという町のショッピング・プラザの設計打ち合わせがあって、その後、ヴェネチアの家具屋さんで家具の打ち合わせをしてきたんです。

養老 ところで、ここに来る途中、猫、見ました?

隈 猫には会わなかったです。

養老 そうですか。どこに行ったんだろう。さっきまでふてくされて、そこに(養老宅の居間)いたんですけどね。

隈 先生のお宅はすごいロケーションにありますね。お寺がある山の裾野。石畳の細い坂道に、きれいな水が流れていて、森の緑が濃くて空気もきれい。駅からそれほど遠くないところに、こんな桃源郷があるなんて。鎌倉は友達が何人か住んでいるんですけど、こんないいロケーションに住んでいるやつはいなくて、びっくりしました。

養老 ここは鎌倉の典型的な谷戸なんですね。昔は梅ヶ谷といいました。僕は昔、鎌倉の駅前に住んでいたんだけど、子供のころは、この辺でもよく遊んでいましたよ。

隈 こちらにはいつからお住まいなんですか。

養老 25年前から。ここは市街化調整地域で、隣に家がないんですよ。隣はお墓で、裏は国有地の崖で、前が道路で、法務局に行くとこの道路はありませんよ。

隈 建築基準法上は、建築が建てられないはずですね。

養老 そうです。既得権ですので。家も、もともとおばあちゃんが1人住んでいた小屋で。

隈 そういう、本来、物を建てちゃいけないところが一番、恵まれているんですよ。法規制の一番賢いところって何かというと、法規制の外側が一番守られているという部分なんです。

養老 隈さん、竹村って知らないかな。旧・建設省で河川局長をやっていた。

隈 竹村公太郎さんですか。

養老 そう。

隈 僕にとっては栄光(注・栄光学園=二人の出身校)の先輩ですが。竹村さんは先生より何歳ぐらい下ですか。

養老 隈さんと私のちょうど間ぐらいだね。以前、福井で虫捕りをしていたときに、日野川の堤防の中にいっぱい田んぼと畑があったんですよ。あんなところに田んぼを作っているのは違反じゃないのかねって、その竹村に聞いたら、いや、あれは国が悪いんです、ということで。もともと人の畑があった外側に堤防を作ったんだって。

隈 ああ、逆に。

養老 民が田んぼを勝手に作っているわけじゃなくて、国が堤防を勝手に作ったんですよ。

隈 僕らの仕事も面白い建物を建てられるのは、そういう既得権でしか物が建たないような、変な場所の方なんです。阿武隈川の川沿いにそば屋を作っているときも、そうでした。そのそば屋は自分の縁側から一級河川の川に飛び込めるところなんですよ。そんなこと、今の法律だったら、絶対に許されないことでしょう。でも、堤防の内側にもともとあった小屋をきれいにして、それをそば屋に変えたら、そば屋から川に飛び込める。そういう物件の持ち主から声が掛かるのが、やった! と一番思うときですね。

養老 建築ってロケーションが大事でしょう。

隈 それで8割ぐらい決まります。建築家がやれることなんか限られているんです。ロケーションが恵まれていたら、もうだいたい勝ったも同然です。だめな建築家が素晴らしい与条件をめちゃめちゃにすることは山ほどあるけど、プラスにできる幅はちょっとしかない。

養老 今だと、建築の話って場所と切り離されて語られがち。有機的関連がないでしょう。

隈 20世紀の建築が全部、都市化の名の下で切り離すのがテーマでしたから。コルビュジェなんていう20世紀最高といわれている建築家も、ピロティという細い柱で建築を建てて、土と建物を離した。自然との不自然なやり方で、彼は世界的に有名になったんです。 彼の代表作といわれているサヴォア邸は、パリの郊外にあるのですが、立地はもともときれいな緑に囲まれている美しい場所なんです。そこに、わざわざピロティで浮かせる建物を作って、屋上庭園を作って、自然と一体に住むとか称している。

養老 だってすでに庭園はあるんでしょう。

隈 そうです。周りの緑の方がよっぽど感じいいのに、コルビュジェは、そこは湿度が高くて、庭園を上に上げた方がいいとか理屈を言いまして。でも、行けばウソだということがよく分かるんですよ(笑)。

――コルビュジェはどうして、そういう理屈をひねくり出さなきゃいけなかったんですか。

隈 その理屈の方が世界のどこでも通用したから。だってピロティにして、大地から建築を切り離せば、どんな環境の中だって一応、同じような均質な建築空間は作れるでしょう。そのやり方は、インドでもアメリカでもどこでもいけることを彼は見抜いていて、そういう意味ではマーケティングの天才ですし、それで有名になったんです。

養老 ある種のユニバーサルデザインみたいなことだよね。

隈 まさにユニバーサルデザイン。その手法が商品として世界で一番たくさん売れると彼は考えていた。

養老 建築の商品性ということで、コンビニ、スーパー的建築だね。

隈 そうです。だから、アフリカでもニューヨークでも、どこでも同じパッケージで通用するコンビニ、スーパー的建築の原型が、もうあのときにできていたんですね。でも、彼のその家はクライアントから訴えられたんですけど。

養老 何でなの?

隈 住み心地が悪いとか、予算オーバーとかいろいろと。まあ、あんな作り方をすれば当然だと思いますが。で、一生懸命抗弁するときに、彼は友達のアインシュタインなんかも引っ張り出して、天才のアインシュタインがその家を褒めていたとか言って(笑)。今でもそういうやり方で抗弁する建築家はたくさんいますけど、住む方としては、へんなものを建てられたと、怒りたくなりますよね。

養老 それが今は名作と言われてるんでしょう。

隈 20世紀の傑作、最高の住宅といったら、だいたいサヴォア邸が選ばれるんです(笑)。それは20世紀という不自然な時代を象徴しているものなんですよね。

――養老先生は都市建築というものに、ご興味はおありですか。

養老 いや、まったくないですよ。僕が知っているのは、高山英華さんという、東大の都市工学の先生。ご存じないかもしれませんけど。

隈 都市工学の神様みたいな人ですね。もうだいぶ前にお亡くなりになりましたが。

養老 高山さんとは飲み屋で知り合ったの。酒飲みでね、あの人は。本郷の酒場で一緒にお酒を飲んじゃあ、与太話をしていました。非常に頭のいい人だったけどな、ある意味で。

隈 高山先生は日本の都市計画の父みたいな人物ですね。丹下健三と同じ時期に東大の建築科を出て、これからは都市の時代だと宣言して、日本に都市工学学科を初めて作った。まさしく新しい学問を切り開いた方ですが、僕は接点が全然なかったですね。

養老 僕が知っている建築関係の人は高山さんだろう、それは飲み屋で知っていて。それから黒川紀章だろう。絶対にあの人はヘンだよね(笑)。あと藤森照信というのも。ヘンな先生ばっかりなんです(笑)。医学方面もそうだけど、建築方面も変人が多いよね。

隈 高山先生とは面識はありませんが、あとのお二方は、すごい変です。