【連載】日本よ、こんな中国とつきあえるか(20) ◎クライン孝子の日記 | 日本のお姉さん

【連載】日本よ、こんな中国とつきあえるか(20) ◎クライン孝子の日記

ようちゃん、おすすめ記事。↓ 「台湾の声」
【連載】日本よ、こんな中国とつきあえるか(20)
      台湾人医師の直言   (林 建良)
第3章 台湾から見た台湾および台湾人 
5、台湾の大和魂・高砂義勇隊

●歴史の捏造に怒る台湾の老世代
高金素梅は、日本の戦争を「侵略戦争」だと簡単に決めつけるが、その是非を問う前に明らかなことは、台湾の戦後世代はあの戦争の実態をほとんど知らないことである。それは、国民党政権の中国人化教育で、「野蛮な日本人は侵略した」としか教わっていないからだ。
あの戦争を体験している台湾の老世代は、ある意味では日本の老世代以上に、日本の過去に肯定的だ。それは、東京裁判史観の洗礼を受けなかったことや、戦後の中国人支配者への反撥もあったからであろう。だから、彼らの歴史を見る目は比較的冷静なのである。「過去に肯定的」というのは、単に「親日」というだけでなく、「反日」を目的とした歴史捏造にも与しないということでもある。だから、彼女の行動に憤る老世代が多いのだ。まず最初にいきり立ったのは、原住民の老世代である。とくに高砂義勇隊員だった者の怒りは凄まじかった。元義勇隊員たちが、いかに「過去」を誇りにしているかについては、すでに多くの出版物が明らかにしている通りであり、また直接彼らと出会って、そのような話を聞かされた日本人も大勢いると思う。四、五年前、反日的な台湾の日刊紙「中国時報」が、日本の被害者としての原住民(高砂義勇隊のこと)をテーマに特集を組んだことがある。しかし、取材に応じた生還者や遺族は、誰一人日本の悪口を言わず、強制ではなく志願しての出征だったと強調した。そのために、日本をおとしめる意図はあったようだが果たせず、それを訝るだけで記事は終っている。

私の知人の数名の原住民老世代は、一様に高金素梅について憤りを隠さない。「日本は山の人間(原住民)に悪いことをしなかった。しかし、原告として二〇〇人が名を列ねた。だから私たち山の者は、それを批判する三〇〇名の署名を集めているところだ」「日本からお金(補償金)をもらったら、あなたたちにあげると言って、(協力者として)名前を書かせている」「あんな若い奴に歴史なんかわかるものか」と、日本語で息巻いていた。原住民ではないが、ある元日本軍属の台湾人は興奮気味にこう語った。 「日本時代、台湾人は確かに差別を受けた。しかし、従軍してヨーロッパの植民地だったマレー、ベトナム、ビルマの悲惨な状況を目の当たりにして、台湾人がいかに幸福であるかがよくわかった。日本が戦わなかったら、今でもアジアは植民地だ。私たちは日本に感謝しなければならないのに、靖国神社を訴えるとは許せない。必要なら法廷に出て、本当の歴史を話しても構わない」と。この人たちの実名はあえて明かさないが、原住民を含む老世代(ことに従軍経験者)の多くはこのような気持ちでいる、と私ははっきり断言できる。彼女は日本人だけでなく、大勢の台湾人の感情をも傷つけているのだ。

●「被害者」扱いは高砂義勇隊への許しがたい侮辱
日本統治下で「抑圧」を受け、あるいは「侵略戦争」に駆り出された、と彼らが言う直接の「被害者」である台湾の老世代は、高金素梅の行動をどう見ているのか?それを語る前に、まず史実を確認してみたい。高金素梅が非難する「日本軍による一九一〇年~一九一五年の原住民大量虐殺」とは、日本の台湾総督府による原住民の平定を指しているようだ。外来政権への帰順を拒み、徹底抗戦に出た勇猛な原住民は、清国時代以来、統治当局や平地住民にとっては治安、開発における大脅威だった。山は彼らの天下である。清国軍は歯が立たず、討伐を諦めたが、日本軍は五年にわたる戦闘の末、ようやく彼らを平定した。もちろん原住民にとって外来政権に帰順する筋合いはまったくなかったが、日本の台湾近代化政策の流れのなかで、起こるべくして起きた悲劇であった。
大東亜戦争勃発の翌一九四二(昭和一七)年一月、まだ台湾では徴兵制度はおろか志願兵制度すらなかったが、フィリピンでの密林戦で苦戦していた日本軍は、山岳民族である台湾の原住民に着目し、台湾総督府を通じて従軍志願者を募った。すると五〇〇〇人もの原住民(当時の原住民人口は約一五万人)が志願に殺到したのである。そこから五〇〇人が選抜され、高砂義勇隊(この第一回に限り「高砂挺身報国隊」と命名された)が編成された。このとき選抜されなかった者の多くは怒り、悔しがり、涙を流し、血判を捺した嘆願書を提出するなど、大騒ぎをしたことが語り草になっている。この時代、「兵隊になってこその一人前の国民」「戦に行けないようでは男でない」というのが原住民の一般的意識であったことは、当時を知る人に聞けばすぐわかる。高砂義勇隊は軍属ではあったものの、その戦闘ぶりは特筆に値する。「人間業とは思えない敏捷さ、獣のような視聴覚と方向感覚、……軍紀の厳正さは正規軍を凌ぐとまでいわれ、しかも純真無垢な心と自己犠牲の精神は、戦友の胸を強く打った。……かくして、瞬く間に信頼と友情、そして尊敬の念をかちえてしまった」(許國雄監修、名越二荒之助・草開省三編『台湾と日本・交流秘話』)

よく取り上げられるのが、米五〇キロを背負ったまま餓死した義勇隊員の感動的なエピソードだ。彼は前線で飢餓に苦しむ日本人の戦友のため、山を越えて米を取りに行った。そして、前線に戻る途上で力尽きたのである。自らは一粒も手をつけることなく……。義勇隊の記録は少なく、その実態はあまりわかっていない。ただし、フィリピン、ニューギニア、モロタイなどの激戦地で過酷な戦いを強いられたことは確かである。林えいだい氏が戦後に調査してまとめた『台湾の大和魂』によると、義勇隊の派遣は七回あり、総員四〇〇〇人以上にのぼったらしい。
ある遺族は「三〇〇〇人が帰国していない」と言っていたから、悲惨な限りだ。だが、私は台湾人として、このような義勇隊を心から誇りに思う。これを「抑圧」された結果と言うなら、これほど彼らに対する侮辱はないだろう。なぜなら、当時の台湾人は日本国民だったのである。その彼らが国民としての義務と使命を、命を顧みずにここまで立派に遂行していたことは称賛に値する。それを戦後の後知恵で「被害者」と見なしたら、勇者たちの魂は「犬死扱いされた」と怒り、悔しがるに違いない。自己の利益の追求を至上とする中国人的思考からは、国に殉ずる戦士の心など理解できないのであろう。もちろん私は、台湾人は日本国民であるべきだと言っているのではない。当時の時代的環境から見れば、台湾人は外来政権に支配される存在であったということだ。それでも、この歴史過程で台湾人は、日本の統治を通じて今日につながる近代的国民の資質を体得したのである。それを「植民地下の抑圧」と恨むだけでどうするのだ。台湾人は、その歴史経験をバネにして、未来の台湾人の国造りに邁進すればよいのである。それを考えることなく、台湾は中国の一部との観点から、日本への復仇心に燃える中国人的な発想を、台湾人である私は断じてとるわけにはいかない。

●「靖国神社は台湾人に代わって慰霊してくれている」
しかし、戦後の台湾では長い間、高砂義勇隊の戦歿者に対する慰霊すら許されなかった。そのため、次のように話してくれた原住民の遺族もいた。 「日本人は私たちに代わって(台湾人も祀られている)靖国神社にお参りしてくれている。日本人には感謝しなければいけないのだ」
台湾では李登輝時代以前の白色テロ(恐怖政治)時代、日本軍に従軍した台湾人は、中国の敵国に協力したとされ、みな迫害を恐れて過去については口を閉ざすようになった。そのために、高砂義勇隊のことも忘却の彼方に追いやられた。しかし、日本人はそれを忘れなかった。その戦死者を慰霊しているのも、日本の靖国神社だけだった。だから、この遺族は「日本に感謝しろ」と言っているのだ。なぜ原住民たちがはるばる日本へ渡り、靖国神社を参拝するのか、今の私にはよくわかる。靖国神社のように、感謝と尊敬の真心を込めて彼らの魂を慰めてくれる施設は、台湾には今のところ存在しない。「魂を異郷で放浪させたくない」と語る高金素梅は、台湾で、一体、どのような慰霊計画を持っているのだろうか?
一般の台湾人が高砂義勇隊のことを知ったのは、二〇〇一年、小林よしのり氏の『台湾論』が台湾で翻訳出版されたことがきっかけだった。親台湾の『台湾論』に、反台湾の外省人(戦後、中国からやってきた新住民)が危機感を抱き、『台湾論』排斥運動を起こしたのである。
彼らは同書にある「高砂義勇隊は志願だった」という箇所に難クセをつけ、「志願ではない。強制だった」と大騒ぎした。それまで原住民には何の関心も持っていなかった連中が、今になって何を言っているのか、と思わせる一幕だった。日本人は高砂義勇隊に感謝をし、慰霊もおこなっているが、外省人のやることと言えば、せいぜい戦歿者を政治的に利用するだけである。彼らは戦後、台湾人を弾圧、迫害しつづけてきたが、今度は台湾人の魂まで弄んでいるのだ。では、戦後世代の台湾人は、日本の「過去」をどう考えているのかと言えば、すでに述べたように一般的には何も知らない。なぜなら近年に至るまで、日本時代のことは学校教育ではほとんど触れられておらず、総統府をはじめとする官公庁や各種の学校など、古いが立派な建物や、鉄道、道路、上下水道などのインフラも、それどころか木造の日本式家屋さえも、日本人が建てたことを知らない人が大勢いる。
それでも、一般的に台湾人は日本に好意的で、中国や韓国の対日感情とはまったく異なる。それは、親日的な親や祖父母の世代の影響、台湾人の大らかな性格、実際に接触した日本人への親近感などによるものであろう。さらに近年、台湾の歴史への関心の高まりや、若い世代による日本時代の研究が盛んになるにつれ、政治的な反日歴史教育への反撥も相俟って、日本統治に対する再評価が進行している。そのようななかでの高金素梅の反日行動を、大多数の台湾人は異様に感じているのが現実である。
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◎クライン孝子の日記
■2008/09/01 (月) ドイツ人捕虜の悲惨さは日本と比較にならなかった。
■2008/09/01 (月) 敗戦日本の偉人を若者に伝えよう
■2008/09/01 (月) 日の丸を背負った人がメダリストになった!
■2008/08/31 (日) 変えよう!若者の意識
■2008/09/01 (月) 「教育再生機構」よりお知らせです

目下日本の軍人の敗戦前後の様子を調べています。早速、東大名誉教授小堀桂一郎先生から、多くの優れた軍人を紹介していただきました。人間、窮地に追い込まれたとき、その生き方が問われます。草地貞吾氏、今村均氏など・・・資料を調べながら、感涙に咽んでしまいました。彼らに限りません。日本にはなんと多くの優れた軍人!たちがいたことか。その多くは、生死をさまよいつつ、悲惨な捕虜生活に堪え、生きて故国の土を踏んだ人たちで、生き地獄を経験された何者にも代え難い貴重な存在=宝です。日本はこういう立派な人たちを、戦後、見殺しにしてしまいましたね。実に貴重な人材だったのに・・・・彼らの力をお借りしていれば、今日の日本は、もっと違った形で甦っていたことでしょう。目を覆わんばかりの人材の欠乏、そしてモラルの低下・荒廃、その原因は、この辺にあるような気がしてならないからです。
さてもわが連載、

祥伝社「小説ノン」6月号
http://www.shodensha.co.jp/n-non.html
第2回「日本とドイツのそれぞれの戦後」ドイツ人捕虜1100万人の運命
ですが、<<戦後、不当にもソ連によって、シベリアに抑留された60万人の悲劇を日本人はけっして忘れない。だがドイツは第二次世界大戦を通じて1100万人が捕虜となり、数百万が戦後も長くしべりあに抑留された。今回は捕虜問題への対応を通して、日独両国それぞれの国のあり方を考える。
1)勝者の掟、敗者の掟
2)「無条件降伏」をめぐる日独の違い
3)フランス「外人部隊」の主力を担った旧ドイツ軍兵士たち
4)日本とは桁違いのドイツ人捕虜の数
5)アメリカから他国に譲り渡されたドイツ人捕虜
6)復讐の対象とされたふらんすのドイツ人捕虜
7)悲惨の極み、ソ連の捕虜生活
8)9万人中、4万人が命を落とした「死の行進」
9)戦争捕虜から戦争犯罪人に「格上げ」された人たち
10)流れが変わったスターリンの死去
11)12年ぶりの歓喜の帰国
12)国のために戦った人を大事にする国 >>
でありました。

■2008/09/01 (月) 敗戦日本の偉人を若者に伝えよう
軍事情報
http://okigunnji.com/
より転載
<<高志さんのコラム 「国民年金の花柳な生活」 
http://www5.diary.ne.jp/user/514369/
<<1)抑留
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=514369&log=20080830
先日、本箱を整理していたら古い同人誌が出て来た。懐かしいのでページをめくると小杉さんの作品があった。小杉さんは満州政府の高官である。ソ連軍が攻め込んで来た時、陣頭指揮して邦人の避難を完了したが、自らは逃げ遅れて捕虜になった。戦犯としてモスクワに送られ一旦は死刑を宣告されるが後に終身刑となった。小杉さんは10年余り後に釈放され、故国に生還する事が出来た。抑留後病んだ肺結核が進行した為である。舞鶴に着いた時、柔道で鍛えた85キロの巨体は見る影もなく痩せ細り、頭髪は真っ白に変わっていた。小杉さんはその後藤沢に移り、奥さんと一緒に京染め店を開いた。「武士の商法だ」と笑っていたが、何時の間にか引っ越してしまい消息を絶った。

2)異国の丘
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=514369&log=20080829
NHKの「のど自慢」が始まったのは昭和21年頃からだったと思うが、日曜の昼の番組だからほぼ毎週聞いていた。その中で今でも忘れられない出来事がある。昭和23年夏の日曜日、丁度食事時でBGMの様に聞き流していると、若い男の人の番になった。「自分は先日シベリアから帰って参りました。今、シベリアには何十万の同胞が一日千秋の思いで帰国出来る日を待っています」という言葉で始まり、抑留されている兵士達の愛唱歌だという聴きなれない歌を歌い始めた。楽譜がないので演奏はない。しかし、青年は毅然として歌い始めた。場内は水を打った様に静まり返っている。「今日も暮れ行く異国の丘に/ 友よ辛かろ切なかろ我慢だ待ってろ/ 嵐が過ぎりゃ/ 帰る日が来る朝が来る」
鐘が鳴らないので青年は2番、3番を歌い続けた。場内から鐘を催促する様な拍手が起こり始めた時、合格を告げる鐘が乱打された。これが戦後最大のヒット曲「異国の丘」誕生の瞬間である。曲は直ちに採譜され、その夜のゴールデンタイムにはフルオーケストラに大合唱団を編成して放送された。私の記憶に間違いがなければ、この青年はその後プロの歌手になったし、作曲家が判明したのは翌年本人の吉田正氏が名乗り出てからである>>

■2008/09/01 (月) 日の丸を背負った人がメダリストになった!
<<こんにちは、木曽の西尾です。
 チャンネル桜
http://www.ch-sakura.jp/hodo.html
において、週末クラインさんの笑顔を見ると、一週間の肩こりが抜けるようです。 (筆者より、お礼申し上げます)さて、ネットでも雑誌でもやれ右だ左だ、保守だ革新だと騒ぐ輩が多いのですが、そもそも日本ではこんなカテゴライズははじめから存在しないわけですし、黒い街宣車で「右翼団体」みたいに活動している胡散臭い人物がごろごろ居る現状において、何をかいわん・・・そうではなくて、もっと単純に「嘘つきかどうか」で良いと思うのです。「戦後の日本は憲法9条のおかげで平和だった」、 「戦争の悲惨さを語り継ぐことで平和が保たれる」、「同じ人間同士、話し合えば解り合える」・・・・・ちょっと考えれば判る様な嘘で、実際こうした嘘を広める人は間違ってもイラクやアフガンで平和活動はしない。そんな中、北朝鮮との国交正常化を推進する議員団とかに、なんと衆参合わせて60人もの議員が参加しているとか。彼らは、日韓基本条約を知っているのだろうか?日本は公式に「韓国政府を朝鮮半島における唯一の政権」と認定しているのです。朝鮮半島における、いわゆる「戦後賠償」もまたこの時点で完了しているため、マスコミが噂する1兆円の戦後賠償も存在しないはずなのに、彼らはそれでも1兆円を税金で払えと言うのか??こんな矛盾する主張をしていると、自分が嘘つきだと歴史に刻むことを知っているのだろうか???
蛇足として・・・五輪は良かったです。ちゃんと日の丸を背負った人がメダリストになった。何よりも女性のほうがちゃんと日の丸を背負っていることが、より明確になった。寝言が世界に通用しないということを、これほど見事に証明したことは意味があると思いました。
さて、パラリンピックはどうなるのだろう?西尾 守>>

■2008/08/31 (日) 変えよう!若者の意識
<<初めまして。吹田市議会議員の神谷と申します。先日は、HPにて私のホームページをご紹介頂き有難うございました。クライン様の日記は百人の会のメールで紹介があるたびに拝見させていただいておりました。在外ながらその情報収集力に敬服いたしております。日記にもありましたが、私の住む大阪では38歳の知事が活躍され、34歳の市長が誕生するなど、幕末の頃のように若い政治家が声をあげ始めました。
私は1期目で31歳の若輩者ですが、若いからといって、まだ勉強中ですといいわけができる時代ではなくなったわけです。私は、地盤、看板、鞄を全く持たずに、思い一つで議員となりましたが、信託を頂いた以上、人生をかけて自分の住む地域と日本のために働いていく所存です。今後とも情報交換などさせていただければ幸甚です。ご指導宜しくお願い致します。
「変えよう!若者の意識」

吹田市議会議員 神谷 宗幣
電話・FAX:06-6567-8750
携帯電話:090-6663-8330
ホームページ:
http://www.kamiyasohei.jp >>
平田 たかあき(堺市会議員)より
http://www.hirata-takaaki.jp/
民主党離党問題
http://www.hirata-takaaki.jp/office/topics.cgi?item=1

■2008/09/01 (月) 「教育再生機構」よりお知らせです
教育再生機構より
http://kyoiku-saisei.jp

1)「道徳教育をすすめる有識者の会」発足記念の集い
「子供たちに伝えよう、日本の道徳」
10月8日(水)18時30分 於)虎ノ門パストラル
=開催のお知らせ=
来る10月8日(水)夕刻、「道徳教育をすすめる有識者の会 発足記念の集い」が開催されることになりました。

★代表世話人の渡部昇一氏をはじめ、松平康隆氏、市田ひろみ氏、義家弘介氏ら、各界の著名人が登壇!
★『パイロット版 道徳教科書』の作成に向けて、「子供に伝えたい日本の道徳」について語る!
席に限りがあります(先着250名)ので、早めにご予約の上、ふるってご参加ください!
お申込み
住所、氏名、電話番号を明記の上、
「道徳記念行事申込み」と書いて
【FAX】 03(3835)2436
【E-Mail】 office@kyoiku-saisei.jp

2)教科書に載せたい道徳の話募集!
「道徳教育をすすめる有識者の会」(代表世話人:渡部昇一・上智大学名誉教授)が発足しました。当会は今日の形骸化した道徳教育を是正し、あるべき道徳の教科書を子供たちに届けようと設立された民間有識者の会です。当会では小・中学生向けの道徳の教科書(パイロット版)を作成するに当たって、全国の皆様から「教科書に載せたい道徳の話」を募集します。あなたが子供たちに語り伝えたい感動の話をお寄せください。
テーマ
  子供たちに伝えたい感動―教科書に載せたい道徳の話
募集期間
  平成20年9月1日(月)~平成21年11月30日(月)【必着】 >>