「すべての拉致被害者救出、国民運動実践の秋」 西村眞悟「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」  | 日本のお姉さん

「すべての拉致被害者救出、国民運動実践の秋」 西村眞悟「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

ようちゃん、おすすめ記事。↓西村眞悟事務所
「すべての拉致被害者救出、国民運動実践の秋」
                   No.367 平成20年 8月28日(木)
二十七日午後三時から、拉致議連役員と被害者家族会役員そして救う会役員は、外務省の斎木アジア大洋州局長を呼んで説明を受けるとともに、今後の方針を協議した。まず、先の時事通信で提起した六月と八月の日朝実務者協議における「再調査」とは何かということに関し、実務者協議の当事者である斎木アジア大洋州局長が明言した外務省の見解をまず記しておく。「調査の対象には、政府が認定した被害者やその他に提起された行方不明者が含まれ、すなわち、すべての拉致被害者が対象となる」次に、平成十四年九月に訪朝した小泉総理に対して、金正日が説明した拉致被害者の内「八名死亡」を白紙に戻した上での再調査なのか、それともそれを前提にした上での再調査なのか、という質問が出た。これに対する斎木局長の回答は、「八名を含むすべての拉致被害者が対象となる」であり、八名も調査対象になることを認めたものの、その八名が「死亡」したとする金正日の発言を白紙に戻したのか否かについては明言しなかった。思うに、実務者協議において「金正日発言は白紙に戻す」との言質はとれていない。次に、制裁の一部解除を何時するのかということに関しては、
「北朝鮮側が調査を開始すると同時に、日本側も、
①人的往来の規制解除、及び、②航空チャーター便の規制解除を実施する用意がある旨表明した」ということである。
これに対して、議連側から、北朝鮮は過去4回も「調査」を捏造してきたではないか。信用できないではないか。にもかかわらず、「調査開始」とともに制裁を一部解除するとは何事かという反論が為された。議連や家族会が協議に入る前に、外務省は退出したが、その前に私は、斎木局長に次のように要望した。「すべての拉致被害者が調査の対象となるという。では、局長は、すべての被害者とは一体総勢何人であるのか、把握して協議に出ているのか」「総数何人か知らない」「では、北朝鮮に反論できず、いいなりになるではないか。」「・・・」「貴方は、武器も与えられず政府から協議の場に出されているに等しい。従って、貴方からも政府に対して、実務者協議を続けるならば、拉致被害者は総数何人なのか全力を挙げて調査するように訴えるべきである。」要するに、福田内閣は、被害者総数が何人なのか全力を挙げて調査もせずに、「実務者」を協議に派遣して「すべての被害者が調査の対象となる」との合意をさせているのである。実務者協議を「戦術の場」とするならば、「戦略の場」は福田総理の首相官邸である。そして、現在、この「戦略の場」が空洞なのである。これでは、如何に「戦術の場」で奮闘しようとも拉致被害者救出という目的は達成されない。福田総理は、「すべての被害者を調査する」との段階に入っている今、国民救出のために「スパイ防止法」の制定が必要であるとの問題意識を持ち、まさにそれを実現すべき地位にいることを自覚されたい。

議連側として出席した安倍前総理は、北朝鮮に対して、「日本のいうことを受け入れなければ國が危ない、崩壊するという思いをもたせるまで制裁を強めるべきである」と発言した。これは、「戦略的思考」である。この戦略のもとに、実務者が協議に派遣されて始めて事態が動くのである。私の隣に座っていた安倍氏の発言を聞いて、この点に思いをいたし、無念であった。さて、次に、我々の協議に入り、声明をまとめ発表した。その考えの骨子は、次の通り。
①対北朝鮮制裁は効いており、拉致被害者救出のために極めて有効である。
②従って、調査結果を確認するまえに、制裁の一部解除を行うことは絶対にあってはならない。
③さらに、調査結果次第で、追加制裁を躊躇してはならない。

最後に、家族会の増元事務局長から、我々拉致議連の役員に、もっともな発言があった。「拉致議連に加入している議員のなかには、新しくできた日朝国交正常化を目指す議員連盟にも入っている議員がいる。こういう人は何とかならないものか」確かに、平成十四年の小泉訪朝によって拉致被害者救出問題は国民的課題になり世論が盛り上がった。その時、多くの議員が拉致議連に加入してきた。そのなかには、拉致議連役員を務めた人もいる。そして、今日朝国交正常化議員連盟にも加入している。これが、我が政界の実情だと説明しても詮ないことであるが、この政界の実情が拉致被害者と家族に如何なる悲哀を与えているかを思うと、情けなく、また、すまないと思う。振り返れば、平成九年に発足した最初の拉致被害者救出議員連盟の時代にも同じことが起こった。新しくできた日朝友好議員連盟の幹部に拉致議連幹部が就任して、拉致議連は活動休止を余儀なくされた。これでは困ると、最初の拉致議連を解散して旧役員を一掃して平成十四年に、新しい拉致議連を造ったのだった。そしてこの新しい拉致議連は、現在、平沼赳夫会長のもとで最強の議連として活動できている。さて、大挙して北朝鮮を訪問したいという日朝国交正常化議員連盟のことであるが、この動きに対しては、この議連の盟主に対して安倍晋三前総理が言った次の言葉ほど適切なものはない。 「百害あって利権あり」

なお、二十七日に協議した家族会、議連、救う会の三団体は、次の通り、緊急国民集会を開くことになった。ご参集を!
 日時 平成二十年九月十五日(月、祝日)
    午後六時から八時
 場所 星陵会館大ホール(03-3581-5650)
    国会議事堂駅5番出口から徒歩5分
 司会 櫻井よしこ
---------------------------------------------
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
     平成20年(2008年)8月28日(木曜日)
通巻第2299号  

やはり密約は三月にあった
  ベアスターンズ救済直前、日米欧はドル暴落を食い止める介入を密約していた
***********************

やはりそうだったのか。理論的に言えば日本円は一ドル=90円か、95円の実力がある。それなのに下落する米ドルに引きずられたかたちで、ズルズルと日本円までが下落を始めたのが三月だった。現在、一ドル=110円前後と「円安」のまま、推移している。不思議だった。通関統計をみても、輸出額は輸入額を遙かに超え、くわえてソフト料金(特許料金)などが海外から入っている。経常収支は圧倒的に日本が黒字なのだ。それなのに日本円が弱含みだった理由は、理論的に言えば金利安が原因である。世界最悪最低の日本の金利は「円キャリ・トレード」をもたらした。すなわち海外の機関投資家や投機筋がやすい金利の日本円を借りて海外で運用するのである。

日米欧の通貨当局は三月に密約を結んでいたことが判明した(日本経済新聞、28日一面トップ)。
昨年8月9日にフランスのパリバ銀行がファンドを凍結したことに端を発したサブプライム危機は当初、24兆円ほどの損害ですむはずだった。
ところがウォール街大手から英国シティの老舗までがサブプライムで大穴をあけており、産油国と中国から緊急の出資を仰いだ。200兆円ほどの規模で収束すると言われたが、サブプライム危機は収まらないばかりか、ついにはファニーメイの危機へ至り、依然として収まる気配がない。外貨準備高世界一の中国が、じつはファニーメイ関連で3300億ドルの「債権」を抱えている。中国元がいきなり「元安」方向に転じた理由は七月末の金利通貨金融政策の変更と言うより、これが原因ではないか。

さて基軸通貨=米ドルの暴落を懸念した日米欧三極は「協調介入」の準備に入ることで合意して、3月15,16日の二日間にわたり、三極の担当者が徹夜の電話協議をつづけていたのだった。
       
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(((((((((( 樋泉克夫のコラム ))))))))
【知道中国 182回】                      
      ――社会主義ではメシが食えない
            『現代中国を見る眼』(姜克實 丸善ライブラリー 平成9年)

1953年に生まれた著者は、当時の若者の大部分がそうであったように「単純な頭脳、高い情熱、革命の大事業を成し遂げたいという希望」を胸に文化大革命を経験する。やがて権力闘争の帰趨がみえてくるや、表向きは「再教育」を掲げながら、その実は「用済みの者たちの厄介払い、都市人口の分散化、中ソ戦争への備えなどの隠れた意図」のままに「零下四〇度をこえる不毛の辺境地の村で三ヶ月の思想改造を体験させられ」る。「党への忠誠の証に親や親類を裏切ったり、同僚、同志を『反革命分子』として密告し、不利な証言をしたり、あるいは『反革命分子』に暴力を振るったりするような人々は、被害者より多かったのではないか。本心から毛沢東・共産党を信じ、文化大革命を支持し、社会主義革命の成功を確信した」だろう「一般民衆の思想・意識とその変遷の過程を把握」してこそ、「『大躍進』、『文化大革命』のような大衆的イデオロギーにあふれる事件、事象を認識でき、また、社会主義衰退の原因、及び、これからの中国の行方を正しく把握できると思」いながら、著者は1949年の建国から80年代半ばまでの中国における社会主義社会の変遷を「民衆意識の変遷史」「中国民衆全体の壮大なドラマ」として捉え直そうとする。「民衆からみた社会主義」という副題を持つこの本は、49年以降の半世紀ほどを「『新中国』旗下の結束」「社会主義改造への困惑」「『反右派』と『大躍進』」「現実と理想の確執――調整時期」「『無私』の世界を目指して」「十億人の意識転換」と区分し、その時々の民衆の振る舞い、激動する社会の姿を、彼らのありのままの心の動きやナマの声で再構成する。

「平たく言えば、飯が食えなくなったため、民衆は社会主義のシステムを見捨てたわけであ」り、「現代中国社会の最大の矛盾は、なんといっても、空洞化・形骸化した社会主義イデオロギーと、生身の存在である民衆の意識との乖離であろう。この矛盾を解決しないかぎり、ポスト社会主義中国の飛躍が期待できず、『改革・開放』も最終的な成功を収められないだろう」という著者の指摘は確かに重い。「アカデミーにおける理論研究、国の指導者の言動への注目、政府の政策方針の分析など」、「日本における中国研究、報道は、戦後以来、一貫して『上から』の方法が採られていた」。この種の手法は冷戦時代はやむをえなかったし、「毛沢東が絶対的な政治権力を振るい、共産党の指導、政策方針が滞りなく下部の末端へ貫徹」できた時代は有効だった。

だが共産党への求心力が減衰し、民衆の価値観・意識が転換してしまった開放後、「国の政策方針や上層部の言動を、中国、あるいは中国人の意識のバロメーターとする価値観は減少してしまった」。「にもかかわらず、このような変化を無視するかのように、日本の学者、マスコミの大半は『上から』の研究方法に固執し続けた」とは著者の主張だが、民衆の動向に無頓着という姿勢は戦前も同じ。だからこそ大陸政策に関する大戦略構築に失敗した。著者は、天安門事件に際してみられた日本の学者やメディアの「『(天安門)広場にいた百万』市民の熱に浮かされ、農民を含む『十億』の存在に背を向け」た悪弊を鋭く指摘する。現在の中国を巡る大情況への大局観を欠き、オリンピックという小情況での中国官民の傍若無人な振る舞いを冷笑酷評し或は弁解擁護するだけのメディアの姿に象徴される日本のノー天気な中国認識は、著者が指摘した天安門事件当時と大同小異ではないか。《QED》     

(ひいずみ・かつお氏は愛知県立大学教授。このコラムは暫時小誌に独占掲載されます)。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
♪(読者の声1)貴誌2298号の読者の声にありました、トルコ、そうだったのですか・・・。好きだったのが、ますます大好きになりました。彼国の親日な様子は、『トルコで私も考えた』(高橋由佳利・著)というマンガに非常に詳しく描かれております。海外旅行にはほとんど出かけたことがありませんが、一度は必ずトルコへ!!と?(A生)

(宮崎正弘のコメント)トルコは一回しか行ったことがないので、大きなことをいえませんが、冷戦が崩壊して東欧諸国が解放され、かなり自由になった折に東ドイツ、チェコ、ハンガリーなどをまわってユーゴスラビア(当時、まだユーゴは統一国家でした)へ入る前に、旅程の関係で四日間、トルコへ入国し、パムッカレ、エフィソスなどを見ました。とくにエフィソスはローマの残骸、繁栄した町がそのまま、遺跡として残っていて感動的でした。とくにディオニソス劇場や広大な公衆浴場など 91年の夏の終わり、イズミールの海岸で瀟洒なレストランが建ち並んでいて、ワインを飲みながら魚を食した記憶がよみがえりました。昨年、愚息夫婦がイズミールをまわったとき、この景観が著しく近代化されていたと言っておりましたが。。。

♪(読者の声2)トルコが第二次世界大戦末期に連合国からの枢軸国に宣戦布告せよという要求を拒否したために、国連の原加盟国になれなかったということを以前本で読んだことがあります。いうまでもなく、国連は昭和20年6月26日に未だに降伏していない枢軸国(実は日本だけ)が全て降伏するまで和平に応じないと連合国に属する各国が誓ったのが始まりです。そのとき連合国に属していた国が所謂国連の「原加盟国」です。この間の事情はともかく、中学校の社会科の教科書に国連の原加盟国二数カ国の名前が載っていたのがかすかに記憶に残っています。記憶が正しかったか、国連のホームページを検索してあっと驚きました。なんと原加盟国が載っていないのです。替わりに各年ごとにその年に加盟した国が載っていました。1945年には51カ国で加盟し、その中にはトルコもあるとのことです。そして各国に加盟日が書いてありました。アメリカ合衆国を見ると1945年10月24日とあるではありませんか。6月26日の国連創立の時点では既に冷戦の兆候が見えており、米国もソ連も一国でも多く自陣営の国を参加させようとしのぎを削っていました。本来集団的自衛権を不要とし、国連以外の軍事同盟を作らせないことで国際秩序を保とうとしたのが、国連の本旨です。これに反対する南米各国を参加させるために米国は集団的自衛権を認めるように国連を変質させました。おそらくこのような情況が幸いしてトルコも国連加盟が許されたのでしょう。それを、原加盟国について何も書かず、血に塗られた国連成立の経緯を伏せることで国連は歴史を改ざんしています。このことを日本の歴史教科書はしっかりと記述する必要があります。 (ST生、神奈川)

(宮崎正弘のコメント)最後は教科書に話題がいくのですが、そうですね。歴史教育を知らない世代が、なんとなくトルコへ旅行して、ああ面白かったという印象を語るくらいが落ちですからね。コンスタンチノーブルの歴史が輝いた、その面影をのこす苔むした城砦がイスタンブールに多く残っています。

♪(読者の声3)五輪がおわって各週刊誌をみると、一斉に星野ジャパンへのブーイングですね。監督がましだったら韓国ごときに野球で負けるはずがないと。政治ショートしての五輪ではありますが、野球で金を逃した日本! その国家としての弱さを見せつけられた思いでした。
  (YN生、山形)

(宮崎正弘のコメント)オリンピックを中国語は「奥運」と表現しました。「運」は運動会です。で運動会の「かけっこ」や「鞠投げ」競技そのものに、小生は興味がないので、野球が勝とうが負けようが、どうでもいいことです。ただし、全体の印象として、興隆するムードと沈没へ向かう国家との選手にみなぎるもの、みなぎらないガッツの対比を感得できました。元気がない、専門プロ化集団としての日本は純粋なスポーツを見る目からも不思議です。これで2016年東京オリンピックですか。東京開催だけは辞退してほしい。日本は運動会に興じているときではないでしょう。 石原知事はなにを血迷っているんですかね。