【毎日1冊!日刊新書レビュー】 無法な使用者には法で立ち向かえ~『人が壊れてゆく職場』
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【毎日1冊!日刊新書レビュー】 無法な使用者には法で立ち向かえ~『人が壊れてゆく職場』
笹山尚人著(評:荻野進介) 光文社新書、760円(税別)2時間05分
面妖なこともあるものだ。一時期、プロレタリア作家、小林多喜二の代表作、『蟹工船』が、20代の、いわゆるワーキングプアの若者を中心に読まれていたという。ソビエト領であるカムチャッカの海に侵入して蟹を取り、加工して缶詰にするボロ船を舞台に、人間的な権利も尊厳も根こそぎ奪われ、命を落とすほどの過酷な労働を強いられる乗組員の姿が描かれる。その姿が、低賃金で働かされいつ解雇されるか分からない、自分たちの姿と重なる、というのだ。何を寝ぼけたことを言っているのだろう。この作品の発表は1929年。今から約80年前のことだが、過酷な労働状況という点は認めるにしても、当時と今とでは決定的な違いがある。労働者の保護立法が戦前と戦後では竹槍と鉄砲ほどの差があった。当時は労働基準法も最低賃金法もなかった。組合の合法化を目指した労働組合法制定の試みは関係者の粘り強い努力にもかかわらず、1931年に頓挫。非合法下の共産党に入党した多喜二が拷問死させられたのがその2年後だった。過去の、それもフィクションに現実を投影する暇があったら、いざとなれば、自分たちの身を守る最大の武器となる労働法規をしっかり学んでみたらどうだろう、とでも言いたくなる。手ごろなテキストがある。こむずかしい理屈は前面に出さず、法律が無視され労働者の人格や生活がないがしろにされている職場の実態を紹介する一方、法律を武器に、そうした職場を放置している企業と戦う方法を指南する本書がそれである。
取り上げられている事例は弁護士である著者が何らかの形で解決に関わったものばかりだ。判例をなぞっただけの無味乾燥な記述は皆無で、ある意味、弱い者に味方する正義の弁護士が快刀乱麻を断つノンフィクションのようにも読める。本書が最も力を入れて説くのが「労働契約とは何か」ということである。労働者が社員として雇用されたということは、企業側と労働に関する契約を結んだことを意味する。ここまではいいが、以下をきちんと認識している人が少ない、と著者は強調する。契約とは約束である。つまり、「契約は他方当事者の了解なく変更できない」という契約法の大原則は、労働契約にも当てはまるというのである。
・就業規則の制定・改定は使用者の権限だが…
その際に重要なのが就業規則である。読者のみなさんも一度は目にしたことがあるだろう。職場の規律や労働条件について記載された文書のことだ。この就業規則は労働契約の内容そのものとなることが多い。ある日、不動産会社を退職した島崎さんという男性が「退職金の額が少なすぎるんですが…」と著者に相談にやってきた。彼の基本給は35万円。就業規則の一部である退職金規定によれば、基本給に応じて退職金は支払われるというが、実際の支給額はそれより遥かに少ない額で、支給額から逆算すると、基本給が26万円に下げられて計算された、としか思えなかった。思い当たることがあった。辞める数カ月前、総務担当係長だった島崎さんに、ある役員が「お前はこれから(係長格より下の)店長格だからな」という不可解な言葉をかけていたのだ。著者は、彼が起こした差額退職金の返還を求める裁判で担当弁護士を務めた。結果、原告側に有利な形で和解が成立したが、これは著者の尽力によるもの、というよりは、会社側の措置がいい加減だから勝てた事例、と振り返る。すなわち、会社側が実際に島崎さんを店長に配置転換させ、それに伴い基本給を減額する、もしくは就業規則を変更し、係長の基本給を26万円に下げていたら有利な和解は困難だった、というのだ。なぜなら、就業規則は労働契約の基礎ではあるが、その制定および改定の権限は使用者のみに与えられているからだ。使用者は、従業員代表の意見を聞く義務はあるが、それに拘束されることなく、規則を作り、適宜、内容を変えることができる。多数の労働者を一定の規律のもとに就労させることで、会社組織は統一され、それにより生産性も向上する。それぞれの労働者と一々、内容を確認し、労働契約(=就業規則)を取り交わしていたら、企業活動は立ち行かなくなるというわけである。問題は、島崎さんの場合も起こりえたかもしれない、基本給の減額(ひいては退職金の減額)という、労働者に明らかな不利益を強いる就業規則の変更が許されるのか、ということだ。
これに関しては、最高裁の判例を敷衍しつつ、著者はこう述べる。
就業規則の変更が、賃金、退職金といった労働者にとって重要な権利に関わる事項に関係する場合、「高度の必要性に基づく合理性」が必要だ。労働者本人が被る「不利益の程度や内容の勘案」に焦点を合わせ、そこまでせざるを得なかったのか否か、が討議されなければならない。この原則に即して考えると、就業規則の変更による月9万円の減額という島崎さんの例が「仕方ない」と認められるためには、会社倒産の危機といった「高度の必要性」を伴わなければならない、ということである。実は今年3月から施行されている労働契約法にも、〈使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない(後略)〉(第9条)という条項が盛り込まれた。労働者にとって心強いことだ。本書には労働基準法や労働組合法と並び、今後の労働現場における基礎法令となる、この労働契約法が度々登場する。条文の解説というより、前記のような具体的事例に即してその意義が説かれるため、理解しやすい。この労働契約法制定のもうひとつの意義が安全配慮義務の明文化だ、と著者はいう。具体的には、労働契約法第5条〈労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする〉を指す。著者は、この「生命、身体等の安全を確保」の「等」には労働者の「人格権」が含まれると解釈している。例えば使用者が、いじめやパワハラが起こっている環境を知りながらそれを放置している場合、人格権の侵害を見て見ぬふりをしていることと同義だから、責任を追及できるというわけである。本書で紹介される、あるデザイン会社でのいじめ、パワハラはすさまじい。いや、それ以前に、連日にわたる徹夜、長時間労働が常態化し、会社は社員一人ひとりに職場で寝泊りするための寝袋を支給していた。残業代はもちろんゼロである。しかも、社員は会社が指定した住居に相部屋で住まわされ、おまけに賭け麻雀にも強制的に参加させられていた。
・パワハラには労働契約法が盾になる
こんな職場だから、上司による部下への暴力も日常茶飯事。そんななか事件が起きた。長時間労働による疲労でうたた寝していた社員に対し、上司の一人が「なに寝てるんだよ!」という怒声とともにいきなり殴りかかった。その男性はあごに穴が開くほどの重症を負ったが、謝罪もまったくなく、「病院にも警察にも行くなよ」と念を押されたという。著者はこの事件に民事と刑事の双方で対処し、暴力をふるった上司から、巨額の謝罪・賠償金を支払ってもらうことで和解が成立した。これだけひどい暴力は刑事事件で立件すべきだろうが、著者の論に従えば、もっと軽微なパワハラの場合、労働契約法が労働者の楯となる可能性が高い。著者は、たとえ一人ででも、そして、どんな雇用形態でも加入できる首都圏青年ユニオンという労働組合の顧問を務めており、本書後半は、労働組合の果たす役割と可能性を訴えた内容になっている。労働組合に関する誤解でも最も大きいのは、正社員のみが対象で、アルバイトやパート、派遣といった非正規社員は組合に入れないということだろう。牛丼屋チェーン「すき家」が「店舗をリニューアルするから」という理由で、ある店で働いていたアルバイトを全員解雇した事件があった。リニューアル期間はたったの1週間。勤続年数に比例して時給が高くなったアルバイトを、この際だからお払い箱にしよう、という経営側の勝手な判断、という疑いが濃厚だった。そこで著者が行った助言は、解雇されたアルバイトらを労働組合に加入させよ、というものだった。解雇の違法性を巡って裁判を起こした場合、たとえ勝てたとしても、企業側に請求できるのは賠償金の支払いまで。「復職させろ」とは言えないからだ。早速、解雇されたアルバイト6名が首都圏青年ユニオンに参加。解雇の撤回と復職を目指して団体交渉に臨んだところ、ついに会社側が折れ、復職にこぎつけたというのだ。
本書を読みながら思ったことがある。自分が企業に雇用され、働くということが法的にどんな意味があるのか、何をすると罰せられて、逆にどんな権利が自分にあるのか、わかっていない社会人が多すぎるのではないか。もちろんこれは、自戒を込めて、の言葉である。例えば、いずれも本書で意を尽くして説明されているが、「会社に入るということは労働契約を交わすことである」「出退勤の自由があり、部下の人事に関与でき、経営の重要事項の決定に関与し、地位にふさわしい十分な手当てを支給されていなければ管理職とはいえず、残業代を請求できる」「企業は勝手に従業員を整理解雇することはできず、満たすべき条件がある」といったことを頭に入れて社会に出る若者がどれだけいるか。一般市民のリーガルセンス、それも労働法の基礎知識を社会に出る前にしっかり教える必要がある。「人件費抑制を目的とした大企業の政策と、それを後押ししてきた政府の無策に、現代の労働者が困窮にあえぐ根本原因がある」といった、いささか図式的な見解は適当に読み流すにしても、最初に法律ありき、ではなく、あくまで現場の事例から議論を積み上げていく本書の価値は揺らぐものではない。(文/荻野進介、企画・編集/須藤輝&連結社)
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【昭和モダン建築巡礼 ビジネスマン必見編】 戦前の建築が残り、戦後の建築が消えていく、という不条理
戦後の名建築、特に高度経済成長期につくられて活躍してきた名建築が、人知れず猛スピードで解体されている・・・ 。
「昭和モダン建築巡礼」というコラム名を見て、「戦前の洋館を訪ね歩く話かな?」と思った人がいるかもしれない。残念ながらそれはちょっと違う。いや、むしろそれとは正反対かもしれない。ここで「昭和モダン建築」と呼んでいるのは、戦後につくられたモダニズム建築のこと。レンガ積みのノスタルジックな建物ではなくて、コンクリート打ち放しだったり、総ガラス張りだったり、金属板で覆われていたりするような建物のことである。 そんなの興味ないと言わず、せめて今回だけでも読んでみてほしい。実は近年、戦後のモダニズム建築、特に高度経済成長期につくられたものが猛烈な勢いで取り壊されているのである。“モダニズム建築危機の時代”なのだ。 例えば、建築家・磯崎新の出世作である「大分県医師会館」は1999年に解体。村野藤吾設計の「名古屋都ホテル」は2000年に閉館後、解体。沖縄海洋博の会場となった「アクアポリス」(設計は菊竹清訓)は2000年に解体。いずれも建築の世界では、歴史の1ページに刻まれる名作だが、社会的にはほとんど話題にならないまま取り壊された。 「戦前の建物は大切にされるのに、戦後の建物はいつの間にか壊されてしまう」──ある時、筆者は気づいた。申し遅れたが、筆者は「日経アーキテクチュア」という建築専門雑誌の編集者である。
例えば最近、戦前につくられた建物が改修されるという話をよく耳にしないだろうか。その一例が東京駅・赤レンガ駅舎の改修工事だ。空襲で焼失した3階部分を復元する工事が現在、進行中だ。
その一方で、東京駅からさほど遠くない八重洲1丁目にあった「旧日本相互銀行本店」は今年に入ってひっそりと取り壊された。この建物は戦後の日本建築界をリードした前川國男が設計したもので、1952年度の日本建築学会賞も受賞している。 赤レンガ駅舎は、明治の建築家・辰野金吾の設計で1914年に完成した。辰野は教科書にも登場するような有名な建築家だし、何といっても赤レンガ駅舎は“東京・丸の内”のシンボルだ。老朽化したから、これを改修して命を延ばそうというのは正しい決断だ。 しかし、1952年に完成した旧日本相互銀行本店も建築的な意義ではこれに負けてはいない。この建物はアルミサッシやプレキャストコンクリートパネルといった、現代のオフィスビルに使われている技術を先駆的に取り入れた“戦後オフィスのシンボル”なのだ。にもかかわらず、その解体はほとんど話題にならなかった。 旧日本相互銀行本店の場合はそれでも50年以上使われたのだから、「寿命だったのだ」とあきらめもつく。しかし、今、猛スピードで解体されているのは築30年前後の「まだ使える」モダニズム建築だ。
ではなぜ、戦後の建物はまだまだ使える状態なのに壊されるのか。 物理的にはまだ使えたとしても、経済的な意味での寿命が終わったのだ、という答えもあるだろう。しかし、筆者はそれだけではないように思う。経済的な寿命が終わると壊されるならば、戦前の建物だって同じように壊されるはずだ。戦前と戦後の建物の大きな違いは、一般の人がそれを愛(め)でる意識を持っているか、いないか、の差なのではないだろうか。 保存される戦前の建物の多くは、いわゆる「様式建築」と呼ばれるものだ。これは歴史的な装飾手法を内外に取り入れた建築スタイルで、ギリシャの神殿を思わせる柱が付いていたり、ドーム屋根が架かっていたり、全体が石やレンガで覆われていたりする。一方、モダニズム建築は、そうした「様式」を否定するところから出発しているので、装飾的要素が少ない。全体的にツルっとしていて、一般の人に伝わりにくい。そもそも関心を持つ人が少ないので、経済的価値が薄れてくると、「残そう」と言い出す人がいない。
一般の人に伝わりにくいのは認める。しかし、モダニズム建築も気にして見るようになれば、絶対に面白いのだ。かくいう筆者も実は文系出身。 NBonlineの読者の多くの方々と同じく、学生時代は建築の「ケ」の字も考えたことがなかった。それが日経アーキテクチュアに配属されてから、モダニズム建築の面白さに目覚めた。それが見たいがために「昭和モダン建築巡礼」という連載企画を立ち上げ、全国57件のモダニズム建築を巡り、2冊の単行本を出すに至った。ちなみに筆者は、この連載では記事担当ではなく、イラスト担当だ(記事と写真は建築ライターの磯達雄氏が担当)。 次回から、その中のいくつかを取り上げ、モダニズム建築を愛でるポイントを素人目線で解説したいと思う。しばらくの間、よろしくおつき合いください。
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