続き | 日本のお姉さん

続き

前に、「立ち退き交渉のコツは相手になりきること」と話したわな(第1回参照)。交渉ごとにも道理があると思うとる。道理に沿って話をすれば、相手はこちらの話を聞いてくれる。逆もまたしかりや。この道理、相手の立場に立たなければ理解できん。つまり、相手の道理をまず知ることや。オレの場合、相手の主張はすべて聞く。向こうの主張を聞き入れて、立場を理解して、その後にオレの話も聞いてや、と持っていく。「あんたの言うこともよく分かるけど、借りたモンはいつか返さなアカンわな。そやろ。それが今と違うか」ってな具合や。まあ、具体例を示そうか。1990年代前半。バブル経済が崩壊した大阪では不動産取引が急速に縮小した。それとともに、立ち退き交渉に失敗した虫食い不動産があちこちで目につくようになった。ある時、小川は地上げに頓挫して不良債権になったアパートの立ち退き依頼を受けた。大阪市城東区にある2階建ての長屋である。話をするため立ち退きを拒否していた借家人の家に訪れると、門の前で3人の男が待ち構えていた。この案件、借家人の立ち退きがうまくいかずに10年以上もしこっていた。借家人はシベリア帰りの元軍人さん。性根が据わった爺さんや。バブルの最盛期、前の所有者がヤクザを送り込んでも頑として動かなかった。立ち退きの依頼は受けたものの、「これは大変やろうなあ」。そう感じたオレは、まず軍人さんの弁護士に電話した。
小川:「先生、あそこの立ち退きはどうでしょうか」
弁護士:「あそこは無理やで」
小川:「ほんなら先生。30分だけでいいですから、話す時間を取ってもらえないでしょうか。オレに立ち退きを依頼した人への義理もある。一度行ってダメならあきらめもつきますがな」
弁護士:「ほな、そう言うとくわ」
家の前に待ち構えていた用心棒余談だけど、15分でも30分でも直接会って、話をする時間をもらう。これはオレがよく使う手。地上げ屋が突然、押し掛けて会ってくれることは少ない。この時は弁護士が30分の時間を取ってくれた。そして、約束の12時半。家の前に行くと、門の前に3人のオッサンが待ち構えていた。
小川:「約束した小川ですけど」
軍人さん:「なんや、1人で来たんか」
小川:「当たり前やないか」
軍人さん:「なんや、地上げ屋が来る、言うから怖い兄ちゃんが何人も来ると思うとったわ。だから助っ人を用意しておいたんやが」
小川:「そんなん、私だけですわ。家の話をすんのに、何で大勢で来なあきませんのや」
軍人さん:「そうか。なら、お前ら帰ってもいいわ」
そう言うと、軍人さんは用心棒2人を家に帰した。今まで、軍人さんのところには嫌がらせでいろんなヤツが来たんやろう。初めの会話で察したオレは、挨拶を済ますと、勝手に玄関を開けて中に入った。
軍人さん:「お前、ここはオレの家やぞ。何を勝手に入っとんねん」
小川:「アホ抜かせ。ここはオレの家や。オレは家主の代理やぞ
玄関を上がると、たまたま目の前に仏壇があった。
「オレのオヤジもこの間、死んだんや。ちょっと仏壇を拝ませてもらってもいいか」。軍人さんにこう言うと、オレは正座をし、手を合わせた。それも長めに。1分以上、手を合わせたんとちゃう。 これは、はっきり言って演出や。それでも、今回の地上げ屋は今までに来た連中とは明らかに違う、と軍人さんは感じているわな。この時点でペースはこっちのモンになっとる。ここからが交渉の始まりや。
「オレは『どけ』と言うために来たのと違う」
軍人さん:「・・・で、どない話やねん」
小川:「今日は『出る』『出ない』の話をしに来たのとちゃうで。アンタのために何が一番いいことか。それを考えるために来たんや」
軍人さん:「どういうことや」
小川:「オレは『どけ』と言うために来たのと違う。ただな、動かんことがいいことか。それを一回、考えてみた方がいいんと違うか。アンタ、借家人やろ。この家、永遠にアンタの物にはならん。それは、分かるやろ」
軍人さん:「そんなん分かっとるわ」
小川:「今回はオレが来たけど、家主が代われば別の地上げ屋がここに来るで。その時に、またあの2人を呼んで、待ち構えるんか。アンタ、そんなに毎日、神経を張り続けて仕事になんのんか」
軍人さん:「・・・・・」
小川:「初めにアンタのことを考えるために来た、と言うたけど、もちろんオレにできることとできないことはあるで。法外な立ち退き料をよこせ、と言われてもそれは無理や。ここに住み続けるというのも悪いけどナシやで。ただな、オレも覚悟してきた。オレは家主にはこう言うてある。『ここの借家人は半端やない。厳しいことになるで』と。この意味、分かるやろ」
軍人さん:「・・・・・・」
小川:「アンタが出れば、ここはサラ地になって戸建てが建つ。アンタ、それを買いや。安くするよう家主にオレが言う。これまで、きっちり働いてきたんやから蓄えもあるやろ。それで借り物でない、アンタの家になるやろ。これが一番いいんと違うか」最終的に、軍人さんは立ち退きに応じた。立ち退いた後は同じ場所の戸建てに住んでたわ。きっかけを作ったオレにも感謝をしてくれた。ちなみに、家主に言った「厳しいことになるで」という言葉。これは、立ち退き料を積み増せということや。この言葉を聞いた瞬間、緊張していた軍人さんの顔が緩んだのをオレは見逃さなかったで。綺麗事ではなしに、軍人さんのことを考えると、本当に立ち退いた方がいいと思うた。 この軍人さんも、いつまでもこの家に住んでいられるとは思うてなかった。地上げ屋が来るたびに、仲間を集めて待ち構えるのもシンドイことや。いいきっかけがあれば、出てもいいと考えていたはず。これが、オレの考えた道理や。ただ、人には意地がある。ヤクザのような連中が頭ごなしに来れば、そりゃ反発もするわな。もちろん、立ち退き料の問題もあったやろ。オレが仏壇を拝んだのは、あくまでもペースを掴むためのアドリブ。大した意味はあらへん。ただ、事前に根性の据わったシベリア帰りの軍人さんというのは頭に叩き込んであった。「ここの借家人は半端やない。厳しいことになるで」。交渉の途中で軍人さんに話したのは、「数々の地上げ屋を追い返したアンタの性根を認めている。そして、オレが軍人さんの味方でもある」というシグナルを伝えるため。しかも、立ち退いた後の提案もしている。向こうにすれば、断る道理はないわな。この軍人さんもそうやけど、オレは厄介な案件ほど「出てくれ」とは言わへんのや。
・十数年、地上げ屋と闘った店主を1時間で説得
バブル崩壊後、大阪市内のある商店街の立ち退き交渉を手伝ったことがあった。商店街の大半の立ち退きは終わっていたが、1軒の古着屋だけ頑として出なかった。ヤクザに街宣車を出されても一切、応じない。十数年間、地上げ屋と闘い続けた凄い店主や。ここの立ち退きを金融機関から頼まれたわけや。この時は事前のアポが取れなかったから、1230分にぶらっと古着屋に行ってみた。すると、ヤンキーの息子が出てきて「オヤジはおらんで」。いつ帰ってくるのか、時間を聞くと午後1時と言う。時間を潰さなしゃあないから近所のパチンコ屋に入った。 ほんだら、すぐにフィーバー。たったの30分で500円が16500円や。この瞬間、立ち退き交渉も成功する、と確信した。まあ、大した理由はないけど、自信満々で古着屋に戻った。時には、こんな思いこみが必要な時もある。約束の午後1時。古着屋に行くと、店主はのっけからこう言いよった。「出えへんぞ」。「おう、いきなりかいな」。内心そう思いながらも、こう返した。「今日は出てもらおうと思って来たわけと違うで。まあ、こんなところで立ち話も何やから、喫茶店にでも行こか」。それで、店主の馴染みの喫茶店に行くやろ。そしたら、店主はオレにこう言うねん。「ワシな、地上げ屋と喫茶店に来たんは初めてや」。なら、何でオレと来たのか。当然、聞くわな。すると、「『出ろ、言うのと違う』というところが気になったんや」。これで、もう負けはない、と思うた。後は軍人さんとまったく同じ展開。 オレは「出ろ」でなく、「どうしたいか」を聞きに来た。もちろん、金額などできることとできないことがある。だが、未来永劫、ここに住めるわけではない。それは分かっているはずや。バブルが崩壊した今、不動産価格は下がり続ける。オレが来たのも何かの縁やろ。地上げ屋と初めてコーヒー飲んだのも何かの縁やろ。オレが最後のチャンスや――。 結局、喫茶店の1時間で話がまとまった。10年以上も動かなかったのにな。 年齢や家族構成、経済状況、経歴、思想。交渉に行く前に、基礎的な情報は頭に入れる。こういう情報を基に、相手がどう考え、何を望むか。水が上から下に流れるように、相手の思考を読んでいくわけや。交渉にマニュアルはあらへん。あるとすれば、「相手のことを考える」ということだけやと思う。
小川:お父ちゃん、司馬遼太郎の小説が好きやんか。「この場面で、コイツがこういう行動を取るわけないやろ」。司馬遼太郎の小説にはこの手の苛つきがない。登場人物の思考と行動がストンと腹に落ちる。つまりは、道理に合っているんやな。
今回は立ち退き交渉をテーマに道理を話したけど、あらゆることに道理はあるから、道理を理解し、逆らわんようにせなアカンで。じゃあ、次は「自分のこと」。人間はひとりで生きているのと違うからな