済州島を返せ!(ネットゲリラ) | 日本のお姉さん

済州島を返せ!(ネットゲリラ)

ようちゃん、おすすめ記事。↓済州島を返せ!(ネットゲリラ)

韓国とか朝鮮というと条件反射で叩くヤツも多いんだが、おいらは公正な人間なので、歴史的経緯を踏まえて冷静に話をするんだが、とりあえず
済州島を返してください。アレは半島のものじゃないです。まぁ、済州島出身のオザワンや管直人が首相になったら取り返してくれるかも知れないんだが、
韓国人以下、日本人未満ということを貴方の記事で初めて知り、悲しくなりました。
大阪の生野区というのか在日が多い地域なんだが、その多くが済州島出身者だ。済州島の歴史については以前にも何度か書いたんだが、耽羅という国があり、日本に何度も朝貢している。韓国の大陸系民族と違って、海洋系民族が住んでいて、倭人と呼ばれていた。在日のかたのうち、大阪の生野を中心に、済州島を出自とされる人々が多いですね。歴史的には済州島の人々は朝鮮人ではありません。確か6世紀までだったでしょうか、異なる民族による独自言語による独立国だったのですが、半島の朝鮮人に取られてしまいました。で,その後そこに朝鮮人が大挙移住したというのではありません。そこは半島での政治犯をおくって幽閉する場所だったのです。基本的に民族がことなるため、陸続きで極寒となる半島と違い、また海洋性気候であるため、雰囲気としてはハワイのような感じでたいへんおおらかな性格の人々で(たいへん美しい島で,九州大学の地理学の某帝大教授が併合後測量し,データベースをつくりましたが、彼はこの島の美しさのとりこになったといいます),半島は男性が強く短気な朝鮮人文化ですが,この島はどちらかというと女性優位でゆったりとし儒教の影響は少なくシャーマニックな地母神を祭るようなところで,いろいろな儀式をもっています(海女さん文化)。また,北九州とすぐ近いため,日本が鎖国体制に入る17世紀まで船での交通も非常に頻繁で,当然日本人も大挙あちらに行っていたはずです。鎖国化でも密航は絶えかなったといいます。また、明治維新後にも、多くの済州島漁民が日本に来ている。あまり知られてないが、伊豆や紀伊半島の漁村に住みついた海女がたくさんいて、朝鮮海女と呼ばれてます。つげ義春の「李さん一家」に出てくるグラマーな海女さん(日本語しゃべれない)というのがソレだな。まぁ、大陸とはまったく異なった海洋文化の土地だったんだが、朝鮮人に侵略されて虐殺されたわけだ。で、逃げてきた連中が生野区に住みついて在日になったという経緯がある。この島の歴史を研究すればするほど、済州島が韓国領土ではなく日本の一部だという感を強くするんだが、韓国なんて国はもうすぐ破綻して北朝鮮と合併救済されるようなので、ドサクサに紛れて済州島は貰っちゃってもいいんじゃないですか?
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済州島出身のオザワンや管直人これ ホント?済州島は そもそも コリアではなく、日本人に 近い別民族。コリアに 侵略され、ずっと 差別されてきた。・・・初耳でした。コリアなら やりかねないと 納得。Re: 在日のなかでルーツが朝鮮人でない人もたくさんいます。http://www.asyura2.com/2002/bd19/msg/647.html
やはり政治的法的には一級市民と2級市民に分かれていたとおもいます。ただKimさんは、当座2級市民でもとりあえず,日本統治のほうが良い訓練になった,そのあと自覚がめざめて、1級と二級の差をなくす歴史的段階に進んだ可能性もある,とおっしゃる可能性もあるかもしれませんね。話はずいぶん違うのですが。在日のかたのうち、大阪の生野を中心に、済州島を出自とされる人々が多いですね。歴史的には済州島の人々は朝鮮人ではありません。確か6世紀までだったでしょうか、異なる民族による独自言語による独立国だったのですが、半島の朝鮮人に取られてしまいました。で,その後そこに朝鮮人が大挙移住したというのではありません。そこは半島での政治犯をおくって幽閉する場所だったのです。基本的に民族がことなるため、陸続きで極寒となる半島と違い、また海洋性気候であるため、雰囲気としてはハワイのような感じでたいへんおおらかな性格の人々で(たいへん美しい島で,九州大学の地理学の某帝大教授が併合後測量し,データベースをつくりましたが、彼はこの島の美しさのとりこになったといいます),半島は男性が強く短気な朝鮮人文化ですが,この島はどちらかというと女性優位でゆったりとし儒教の影響は少なくシャーマニックな地母神を祭るようなところで,いろいろな儀式をもっています(海女さん文化)。また,北九州とすぐ近いため,日本が鎖国体制に入る17世紀まで船での交通も非常に頻繁で,当然日本人も大挙あちらに行っていたはずです。鎖国化でも密航は絶えかなったといいます。食生活も半島系のものとまるで違っていたようです。九州人をはじめ、日本人にむしろ非常に近い人々なのです。半島の政治犯が島流しにされていた関係で,そこに在住する朝鮮人といえば代表するようなインテリがほとんどで、食い詰めた犯罪者の朝鮮人が島流しになっていたわけではありません。その関係で済州島の人々は教育への志向が非常に高いのです。韓国を併合してから、済州島は法的にはもちろん日本の正式な行政地区となり,日本の通常の行政権のおよぶ一部となったわけですが、島の人々はみかん農業中心の島では食えず,大阪を中心に大規模なかたちで出稼ぎにきていました。済州島と大阪を結ぶ商船ラインは週に何便もでるようなそれはそれは活発でした。ほとんど合法的に大阪入りしており,強制連行という状況はほとんどありませんでした。で,大阪で経済的に成功し大金を作った人々もすくなくありませんでした。日本敗戦後,半島出身の韓国政府軍は済州島に乗り込み、7万から10万人の人々を虐殺しました。このとき、日本にいた済州島出身の人々は,島に帰ることができなくなり、日いわば政治難民化しました。それが,大阪生野を中心としたいわゆる在日韓国人と呼ばれる人々の経緯です。実はこの虐殺事件,現在でも韓国政府がタブーにしているアキレス権の問題で最も触れられたくない問題なのです。罪悪感があるため,その後済州島はリゾート開発をして島の経済力を高めました。現在では東洋のハワイと呼ばれるほど開発されており、韓国大統領とアメリカ大統領の会談などはかならず、この美しい島でおこなうこととなっています。朝鮮人にとっては,ハネムーンで最も人気があるところ名で,彼らは半島には見られないおっとりした人情あふれるこの島が本当に好きなのです。で,実は済州島の人々は現在でも半島朝鮮人から見下され、差別・蔑視を受けています。実際は2級市民の扱いなのです。半島朝鮮人と済州島の人々との間の結婚はまずありえないそうです。島の人が大学進学で半島にいっても,自分が済州島の出身であるということを必死で隠さなければなりません。言葉も純然たる朝鮮語とずれているため,いわばなまりを押し隠すのがたいへんなのだそうです。済州島出身で日本で現在評論家として大活躍する呉善花女史の著書に,彼女自身の半島進学時の苦労が披瀝されています(自分が済州島出身であることを初期の本ではぼかしてひたすら隠していたといいます)。在日韓国人といっても朝鮮半島系の人々2つのグループ(北朝鮮系と南朝鮮系)と、済州島系の人々といわば3グループがあります。済州島系の人々と朝鮮系の人々とは、ですから、微妙に距離感や温度差があるようです。少なくとも大阪の在日のひとたちは、ほとんどが済州島系の人々だったと理解しています。私が先日まで付き合っていた女性は生野出身の在日韓国人でした。東京出身の私は彼女と海外で出会いまして、まったく普通の日本人と思っていましたが,あとで告白されたのです。彼女は20歳を超えてから日本に帰化したそうです。両親とも済州島出身で母親はまったく話すことができませんでした。日本語しかできないのです。見た目にも日本の気品のある女性としかみえませんでした。早くになくなった父親は戦前に10代できたそうで、非常に高齢になってこの娘を生んだそうですが,彼も家庭内で朝鮮語を話すことはまったくなかったそうです。もちろん彼女も韓国語はまったくできません。こんな彼女を韓国人だと思えというほうが土台無理で、どこからどうみても日本人で,まったく違和感ありませんでした民族ルーツ的に朝鮮人ではなく,はるか昔から日本と海洋交通で接していた場所ですから、朝鮮より、どちらかというと日本域圏内に入る人々です。大阪・阪神の俗にいう在日韓国の人々は朝鮮半島ににルーツがない,ということを良く理解したほうがいいでしょう。ただ彼女を含め上記のようなことを済州島自身の人々があまり知らないということも驚きでした。彼女も上記の大虐殺事件について、あるいは済州島が独立国で,独自の言語を持っていたことなど,ちんぷんかんぷんでしりませんでした。私自身も在日問題についてまったく知識がなく(東京だと在日・部落問題ともにまったくリアリティーがないのです)、彼女を理解したいために集中的にあわてて勉強した次第です。現在の韓国内で2等市民扱いされる済州島の人々。日本国内の済州島系の在日韓国人は韓国市民からも疎外されています。彼女は帰化してから一度ソウルに旅行に出かけましたが,その際先方で迎えてくれた韓国人男性に自分が帰化した立場にあることを告げず,日本人でとおしたそうです。微妙なところがあるようです。韓国からみると半島出身の在日は一段低く見ていますが、済州島系の人々はさらに一段低く見る傾向があるようです。半島系でも特に北系の人々は韓国籍への愛着が強く朝鮮人としてのアイデンティティーを強く保持しようとする傾向がありますが、済州島系の人々が日本に帰化することは非常に自然な流れです。話がそれましたがご参考のために。民族ルーツの異なる済州島の人々が戦後朝鮮人(韓国政府)による虐殺の対象だったことは忘れないでください。かつての私を含め,在日問題のこのような背景について無知なまま議論を展開している可能性があります。

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大阪の生野を中心に、済州島を出自とされる人々が多いですね。歴史的には済州島の人々は朝鮮人ではありません。確か6世紀までだったでしょうか、異なる民族による独自言語による独立国だったのですが、半島の朝鮮人に取られてしまいました。・・・済州島出身で日本で現在評論家として大活躍する呉善花女史の著書に,彼女自身の半島進学時の苦労が披瀝されています(自分が済州島出身であることを初期の本ではぼかしてひたすら隠していたといいます。コリアに 侵略され ずっと 差別されてきた!
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歴史的経緯・・・・酸っぱい蜜柑やるから済州島をよこせ(ネットゲリラ)

蜜柑という果物がある。おいらの近所でも作っている。たいてい海に面した山で作るんだが、日本では愛媛とか静岡とか熊本とか、そこら辺で作られているわけだ。で、静岡では蜜柑農家というのは、儲からない商売の典型であって、もっとも、あまり働かないという話もある。一年間に14日くらいしか仕事がないとか、そんな感じ。もちろんそんなモンで食えるわけもなく、昔は漁師をやっていたというのが通例だ。で、おいらの大学時代の友人に小田原近郊の蜜柑農家がいてね。コイツが高校時代、山から夏蜜柑を取ってきて渋滞している車に売って歩くわけだ。夏蜜柑なんてモノは酸っぱくてとても売れるものではないんだが、木を切り倒すのも面倒なので、そのまま植えてあったらしい。で、夏蜜柑というと売れないので甘夏だと騙して売る。買った人が食ってみて酸っぱくて文句を言おうとしても、渋滞しているので追いかけられない。まぁ、ガキの悪さだな。で、コイツが言っていたんだが、とにかく蜜柑農家というのは暇なんだ、と。やはり昔は漁師だったんだが、西湘バイパスが出来てから車のヘッドライトのせいで魚が獲れなくなって廃業したそうだ。また、沼津の南でも蜜柑は盛んに作っている。やはり、縄文時代から魚を獲っていた地域で、蜜柑を作り始めたのはそんなに古いことではないようだ。で、実は韓国でも1カ所だけ、蜜柑が採れる土地がある。それが済州島だ。韓国というのは基本的に日本より気候も人間性も寒いのだが、済州島の南部だけは別で、ちょっとしたリゾート地になっているわけだ。で、この島の歴史というのが面白い。三国志に現れる3世紀の州胡を済州島人に比定する説がある。その後耽羅国が成立し、4世紀頃には、百済に朝貢していた。新羅の朝鮮半島統一後は、主に新羅に朝貢するようになったが、日本へも何度か朝貢するなど、独自の外交をみせた。耽羅国の。この、耽羅国というのが謎なわけだ。なんせ古い事なので詳しくは分らないんだが、日本に朝貢していたのは記録に残っている。
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8月 日本へ使者を送って来朝した。
666
1月 王子の始如らを日本に派遣して朝貢した。
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7月 佐平の椽磨らを日本に派遣して朝貢した。
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3月 王子の久麻伎らを送って日本に朝貢した。日本は耽羅王に五穀の種を賜い、その上で耽羅の王子らは帰国した。
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6月 王子の久麻藝や都羅宇麻らを送って日本に朝貢した。
で、Amazonリンクの「海と列島の中世」なんだが、
海と列島の中世 (講談社学術文庫)
価格:¥ 1,208(税込)
発売日:2003-04

この本に面白い話が出ている。霞ヶ浦に、ごく最近まで船に住んでいる住民がいたというんだが、しかし、志摩国と済州島との交流を見ると、肥前、肥後と常陸・下総を結びつけることも決して不自然なことではない。しかもこの霞ヶ浦、北浦には、いまではほとんど消滅しておりますが、いわゆる家船・・水上生活者と言われた人々が最近まで活動しており、おそらくはこの人々こそ海夫の流れをくむ人々であったと推測できます。つげ義春の自伝漫画に、家船に住む少女の話が出てくるんだが、戦後まで、そうした水上生活者は残っていた。AV女優で田口ゆかりという人がいるんだが、彼女が水上生活者の出身だそうで。彼女はおいらより若いので、昭和30年代までは確実に残っていたわけだな。で、こうした海の民というのは、黒潮に乗って、太平洋岸をあちこち移動するわけだ。で、済州島の海夫(潜水を得意とした漁民)が古くから伊豆半島あたりまで出稼ぎに来ていたとか、民族的には日本の漁民と共通しているとか、そんな話が出ている。で、高橋さんはこの論文の中で、中国や朝鮮の史書に現われる「船を以て家となす」と表現された人々に着目しています。そして、朝鮮の『李朝実録』にしばしば多様な形で現われるこのような海民の資料を蒐集されて、この論文をまとめられたわけです。それによると、十四、五世紀の頃、対馬の漁民は、対馬の支配者である宗氏の側からも、また、朝鮮の側からも「船を以て家となす」と表現されていました。で、中世の倭寇とか恒居倭人とか、水賊とか色々と出てくるんだが、少なくとも中世には、青い服を着て「倭語」をしゃべる倭人が対馬や済州島にかけて行き来していたわけだ。彼らは、いわゆる朝鮮系の住民とは言葉も違うし、暮らしの生業も違う。船を家として暮らし、魚を獲り、鰒(アワビ)を獲り、戦乱や税金を嫌って放浪しているわけだ。で、日本にも流れ着いて、志摩で海に潜ったり、伊豆で潜ったり、霞ヶ浦で佃煮作ったりして生きてきた。で、魚が獲れなくなると蜜柑を作ったりしているわけだな。で、こうやって考えてみると、済州島って、アンタ、そら、韓国じゃないでしょうがw むしろ、限りなく日本に近いというか、日本そのものなので、そろそろ済州島も日本に返して貰うとしよう。まぁ、オザワンも管も済州島出身者らしいからちょうどいいや。酸っぱい蜜柑くらいだったら、おいらが毎年送ってやるからさ、とっとと済州島を返してくれ。
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