≪ WEB 熱線 第1063号 ≫ 軍事情報 (行政のリテラシーと情報の生産性)
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▼▽ わたしの主張 ▽▼
☆ 嫌な事でも言わなくてはならないこと ― やせ我慢さん
子供が難病で移植が必要だが、アメリカでの施術や治療に莫大な費用が掛かるので、募金を集めるという話がよく話題になります。ネットでは、批判や応援などが入り乱れた論争になったりしているようですが私は、親の負担がどうとか会計が不明朗だとかいう問題を書きたいのではありません。そんなことよりも、ずっと気になっていることがありました。以下のニュースが、そのことを端的に示しているので取り上げてみます。「そうたろう君を救え」募金再開
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生まれつき胃や腸が働かない難病で、今年3月にアメリカで移植手術を受けた
名古屋の小学生・各務宗太郎くん(8歳)の術後の経過がよくなく、入院が長引
いているため、支援団体が募金活動を再開させることになりました。
今後も、入院1日につきおよそ100万円が必要ですが、前回集めた1億5千万円は間もなく底をつきます。今後、数ヶ月分の治療費として5千万円の支援を求めていく方針です。
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そうたろう君の命を救うためには、一日に100万円の費用が必要なのだそうです――――。
親にしてみれば金額の問題ではなく、ただただ子供の命を永らえたい、救いたいという思いでしょう。私も子供を育ててきた親として、まったく同じ気持ちです。他人に何と言われようと、どんな事でもして子供を救いたいでしょう。ですから、こうしたご両親のことを何か言うつもりはありません。ーーーただ、それでも気に掛かるのです。
一日に100万円で生き続けられる命、そして一日に100円の金が無くて死んでいく世界の子供たち。なにも外国の例を挙げるまでもなく、日本国内でも、オニギリが食べたいと言いながら餓死する人や、数万・数十万の金に困って犯罪に走ったり自殺したりする人たちがいます。そうした現実から見比べて、一日に100万、一ヶ月で3千万という金額に、どうしても大きな違和感を感じるのです。先にも書いたように、親の気持ちとしては充分に分かります。ーーーただ、周りの人までそれを当たり前のことのように考えていいのでしょうか。酷なようですが、物事には限度というものがあります。地震で絶対に壊れない橋を作る事は、不可能ではないのかも知れませんが莫大な費用がかかります。車や電車・飛行機の事故なども、コストを度外視すれば、今よりも遥かに安全になるかもしれません。しかし、実際にはそんな事をする社会はありません。いろいろな要素を考えて、ある程度の限度以上は諦めるのが社会の知恵です。諦めることは、決して悪いことではなく、知恵ではないでしょうか。なにか、そうした社会の知恵が忘れ去られ、子供を救うという錦の御旗の前では誰も何も言えなくなっている気がします。この件だけでなく、そうした現実的な知恵が忘れられ、正義の言葉が限度なく振舞っているようで、危機感さえ感じるのです。もちろん、ご両親は子供を救いたい一心でしょう。しかし、周りの人間こそ、嫌な役目でしょうがそうしたアドバイスをする必要があるのではないかと考えてしまいました――――。= おわり =
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│●│ お寄せいただきましたご意見や感想。
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┌──────────「あ~さん」
非武装で助ける術があるのか? 武装して、家族に指一本触れさせないという
ことが第一で、万が一の時には徹底して死を省みず戦う、という姿勢が必要だと思います。
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┌──────────「Jan さん」
安保さん、よくぞ言ってくれた、拍手喝采です、まさしくその通りです!敗戦後の日本は、米国と米国に浸透していた共産主義者達の作戦にまんまと乗せられ、それに迎合する文化人と称する売国奴どものおかげで芯から骨抜きにされてしまいました。しかも、国賊朝日、毎日などのマスコミには、今だ朝鮮人や支那人をはじめとする反日第三国人が潜んで活動を続け、日教組も相変わらず幼い児童を蝕んでいます。現代の腑抜けな若者達は、正にその教育の成果といえるのではないでしょうか。今、南朝鮮では、竹島問題から、日韓戦えばというシュミレーションを行なった刊行物がベストセラーになっているとのことです。そしてそこでは、軍事力では南朝鮮が負けるとされていて、軍拡を急がなくてはならないといっています。しかし、ここでは今の日本人を朝鮮人並みとしていて、今の若者が腑抜けとはしていません。σ(^^);は、今の国賊日教組の教育を受けたヘタレ若者と無能な政治屋で構成された日本は、ひとたまりもなく負けると思います。この状況をちゃんと喝破しておられる方がいることに拍手を送りますが、なんとσ(^^);と同年輩の方と知って少しガッカリしています。若者たちは、自分が死ぬまで目覚めることはないのでしょうか。残念ですね。
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┌──────────「onestoさん」
北朝鮮の拉致問題はなかなかラチがあかない。政府は対話と圧力と言っているが、日本は彼らに圧力をかけているのであろうか。軍事力で金正日を脅すぐらいでないと、あの国には圧力の効果がない。
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▼▽ 心が元気になる話 ▽▼
☆ インドネシアに学校を! ――――――――――――― hideおじさん
大東亜戦争中、日本は占領地に民生部を置き統治を行ったのだが、他国と一番異なる点は、そこに「文教課」を設けたところといわれている。ーーー字のごとく教育に携わる部署である。「教育」とはいうものの「占領地を日本化するための教育機関」という批判がありそうだが、そう単純なものではない。昭和17年7月、インドネシアに一人の男が降り立った。民生部文教課長「鈴木政平」である。海軍の司政官である鈴木は、昭和19年12月までの2年半、インドネシアの教育改革にあたる。最初にインドネシアの教育事情を聞かされた鈴木は驚いた。学校と呼べるものがほとんどない。本屋すらない。さらには共通語がない。学校の授業内容を見ても、歴史教育がない。――――神話、民話、童謡すらほとんど教えられない教育。バリ島においては、歌の「ドレミファソラシド」の使用は許されなかった、現地の音階のみである。要は歌うことさえままならなかった。ーーー唯一の例外は「オランダ国歌」。絵画もバリ風の伝統的手法のみ許され、風景画、遠近法、図案などなど、一般的な絵の手法を用いたものは焼却処分となった。入学式、卒業式、運動会、学芸会、遠足なども禁止であった。「読み書き算盤」以下の教育がインドネシアの実情、「土人は常に土人であるべし」ーーーそれが数百年に渡るオランダ統治の現実であった。鈴木を一番驚かしたのは、卒業証書、官吏・教員の辞令までの税金であった。印紙を購入しなければ紙一枚手に入れられなかったのである。ーーーこの風習(?)は今でも一部残っている。鈴木は最初に授業料の廃止を手がけ、6年間の男女平等の初等教育を目指したのだが、余りにも学校の数が少なく、またインドネシア人教員も少なかった。そこで、学校建築を進めるとともに師範学校を設立し教職員の充実を計った。即製では限界があるものの、インドネシア各地に学校が建てられ、昭和19年4月には、バリ島だけで500に及ぶ小学校が設けられた。校庭を作り体育を教科に採り入れ、運動を通して体力と連携の大切さを学ばせた。女子児童数も、昭和17年4月では僅か数パーセントだったのが、19年には42パーセントと激増している。さらに鈴木は、将来国家を担う人材育成の為、農業・漁業・造船・工業・医学などの専門、または訓練学校を創り、教師として多くの日本人を投入、統治初期、約600人程度だったといわれるインドネシア知識層が、終戦直前には約10万人程度まで増えたという記録もある。ーーー独立後国家建設の中心となった人材は、ほとんど日本の学校で学んだ人であった。
鈴木は教育改革をスタートさせるにあたり、数少ないインドネシア教師に次のように語った。
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教育とは、知識を授けたり技術をみがいたりするだけのものじゃあない。読み書き算盤などは、教育のほんの一部分でしかない。教育とは人間をつくるものである。
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そこから、当時共通語となりつつあったムラユ語(現インドネシア語)を教育用語として採用、その次に高度な知識を理解させるため日本語教育へとつなげていった。多民族国家であるインドネシアに、言葉を通じてアイデンティティーを持たせその後の独立戦争への足がかりとなっていったのである。「日本語教育をした」ということで朝鮮・台湾と同じように批判する人がいるが、それまで共通語さえ持たされなかったインドネシアで、初めて国語を手に入れることができた事実は、インドネシアでも高く評価されている。終戦後、インドネシア人に「日本がした良いこと・悪いこと」を聞いたところ現地の人は口を揃えて次のように答えたという。「悪いことは、私たちを無理やり学校に行かせたこと。そして良いことは、それでも無償で私たちに教育の大切さを教えてくれたこと」戦前日本は、どの地に行っても国家建設の基本である「教育」を重視した。
戦前戦後を通じ、所謂占領地で学校教育を施政の中心としたのは日本以外にはないのだ。= おわり =
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軍事情報 (行政のリテラシーと情報の生産性)
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◎◎ 行政のリテラシーと情報の生産性
~移行期の道程コンセンサスはあるか~(高橋光男)◎◎
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公務員改革というと、とかく制度、特に天下り禁止や独法廃止を中心とした、人事制度ばかりが話題に上るが、これは言わば川下の話である。前時代的な大きな官川の川下の幅が狭くなれば、堤防から溢れた魚は干上がって仕舞う。当然、魚達は抵抗する。この揺りかごの様な川から出たくはないと。しかし川は官川だけではない。民川はかなり流れが激しいが、能力さえあれば!寧ろ活き活きと泳いで生きていけるはずだ。しかし彼らは殆ど溺れてしまうと自覚している。ここが問題の本質だ。日本は中央・地方共に行政後進国になってしまった。最も大きな原因は、電子化に成功していないからである。電子政府の中心は、手続き電子化という「窓口電子化」に遠ざけ、自らの情報の生産性向上に電子化を活かす試みは、民間同様、大規模なリストラを伴うと正確に!理解し、それから逃げてきた。こんな中で、公文書管理の在り方等に関する有識者会議が開催されている。
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・公文書管理の在り方等に関する有識者会議
中間報告が纏められた段階である。正直、公文書管理に関する議論は、保存を中心とした「出口論」に留まると思っていたが、中間段階で、ここまで作成=「入口論」に言及した事は評価出来る。今後は、政府イットラネット構築との整合性をどう保たせるかだ。使い勝手の良い政府イントラネットを構築出来るか否かが、現在、集合政府となっている中央政府が、総合政府として復活出来るか否かの、分岐点になる。場合によっては、更に時間をかけ、行政文書管理電子一元化法とする事も検討すべきだ。現在、日本はちょっとしたインテリジェンス・ブームだ。そして情報活動に関する新機関も当然必要という識者も多い。しかし新機関設立となっても所詮それは、「官」だ。鳶が鷹を生むだろうか。現行でも情報機関の名に値する組織は、外交・防衛・治安関連の省庁に複数存在する。それらの機関が他先進国の該当部署と同等程度の活動を行い、結果を残せているのかといえば、答えはノーだ。この点についての問題点の洗い出しと、解決無しに「新機関」を設立というのは、順番が違うのではないか。道具が悪いからよいプレーが出来ないと言ったはよいが、よい道具を使いこなすプレーヤーが、果たして「官内」に存在するのだろうか。あるいは「官内」によいプレーヤーを養成するだけの能力を持ったコーチは、存在するのだろうか。日本人は孫子が好きだ。所謂インテリジェンス本にも必ずと言ってよい位、「百戦危うからず」への言及がある。であるのだが、「敵を知り、己を知れば」についてのバランスがあまりにも無邪気ではなかろうか。「己についての無知」への感化がブームの中でも殆ど無い。あの「竹槍で飛行機を落とす」戦時中でも、国は、日本の戦争遂行能力を冷静緻密に分析出来ていたというのに、この平和な時代になって、官は、統計的に推量できる日本の10年後の未来図さえも、描けていないのである。原因の最も大きなものは、官が戦時中の様に民間の知恵を導入出来ていない事にあるが、最も情けないものは、省庁の利権予定調和サークル:官川での安住と惰眠であろう。この様な官川の状況で、新卒だろうが中途であろうが、優秀な人材、自由闊達な発想を持った人材、冷戦崩壊でグローバル化した、過去の延長線上にない国家の未来図を描き、「己を知る」事で戦略を描ける人材は、飛び込んでこない。このままの遅滞を引きずった遅官では、官川には稚魚は生まれず、魚の住まない川になるという事だろう。この様な状況の中で、民間が行った様な業務内容の再構築は、果たして行えるのだろうか。魔法の様な解決策はない。恐らくは地道な日々の作業のペーパーレスの努力と、ITリーダーの様な、出来る人間が出来ない人間に、世代と立場を越えて、指導するしかないであろう。「読み書きそろばん」という民度神話は、最早過去だ。今、日本は官川だけでなく、義務教育の現場でさえも、デジタル・デバイド(*)の敗者が泰然としている。この敗者支配の遅滞放置が、日本の閉塞感の根本原因である。新たなリテラシー民度の獲得が、日本の命運を握っている。この10年以上続く喝破の声を、小さくすべき時は未だに来ない。(高橋 光男)
(*)デジタル・デバイド
パソコンやインターネットなどの情報技術(IT)を使いこなせる者と使いこなせない者の間に生じる、待遇や貧富、機会の格差。個人間の格差の他に、国家間、地域間の格差を指す場合もある。若者や高学歴者、高所得者などが情報技術を活用してますます高収入や雇用を手にする一方、コンピュータを使いこなせない高齢者や貧困のため情報機器を入手できない人々は、より一層困難な状況に追い込まれる。いわば、情報技術が社会的な格差を拡大、固定化する現象がデジタルデバイドである。また、先進工業国が情報技術によりますますの発展をとげる一方で、アフリカなどの途上国が資金難や人材不足、インフラの未整備などで情報技術を活用できず「置き去り」にされ、経済格差が拡大するのは、国家間、地域間のデジタルデバイドと言える。デジタルデバイドは、もともと貧富や機会の差が激しかったアメリカで問題となった現象で、2000年夏の沖縄サミットでは議題として取り上げられるなど、地球規模の新たな問題として注目されている。
【出典:IT用語辞典 e-words】
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