縄文塾通信 <8月号-6(333号)> | 日本のお姉さん

縄文塾通信 <8月号-6(333号)>

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縄文塾通信 <8月号-6(333号)>
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◎八方睨みスポーツ考──北京五輪と日本    中村 忠之
──北京五輪と日本
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はじめは「薮睨み」としていたが、書き進めている途中で──この方が内容に向いていると思って──「八方睨み」に鞍替えした。といっても多少人とは切り口が違うくらいで、まあスポーツ音痴の書くことだから本当はやっぱり「薮睨み」、内容はそんな大層なものではない
ことを最初にお断りしておく。

★☆ 遊牧民VS農耕民
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これは私の持論だが、民族には「遊牧民(ただし騎馬遊牧民は除く)と農耕民」がある。これは今『西洋史観の欺瞞を突く』でも触れる予定だが、それぞれの生活様式から、ごくラフに言えば、前者=足の文化/肉食文化、後者=手の文化/穀物食文化と呼べるだろう。こうした視点でスポーツを見れば、前者が陸上=駆けっこ文化であり、後者は体操・格闘技などあまり動かないスポーツが得意し、体重別でなんとか拠り処を見つけられることがわかる。それと前者は瞬発・短距離型。後者は持続型だから、マラソンなどに向いている。食生活から見て、体格の優れた前者は、体重別のない競技に向き、あった場合は大きいクラス向きである。たとえば球技にしても、卓球やバドミントンなどは後者に分があるようだ。スポーツは「心・体・技」というが、何分第一条件が「体=身体」という素材である。陸上競技に出場した日本人選手の身体を見るだけで結果は火を見るよりも明らか。最初から「こりゃあダメだ!」となる。白人はなぜか平泳ぎが苦手のようだが、100mの選手など大きくて逞しいこと! なにしろ金メダル独り占めの超人フェルプスなど、1日の摂取カロリー12000kcalと、常人の5~6倍だから、我々から見ると「人間じゃあねえ~!」

★☆ 「オリンピックの華」は陸上
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西洋で生まれた競技会だから、遊牧民である西洋人の得意分野が、当然「オリンピックの華」になる。それこそ「足の文化」のシンボル「陸上競技」である。もっとも最近は同じ遊牧民でも黒人に中心が移ってきた感があるが。特に短距離(これは水泳でも一緒だが)まず身体が違う。出来ればここにも「体重別」制度を持ち込んで欲しいものだ。日本人選手の活躍がまず見られないから放送も少ない。だから日本人は、日本人が出る、日本人が活躍するスポーツを中心的スポーツだと錯覚してしまうのだ。昔聞いた話だが、その陸上競技の最大の花形は「十種競技」だそうだ。この優勝者が「超人」としてもっとも尊敬に値するのだという。さて選手はもちろんだが、日本のテレビにこの「十種競技」など出てくるのだろうか。

 ★☆ ニッチで稼いできた日本スポーツ界
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戦後日本もようやく落ち着き、ようやくスポーツでもという機運が生じたのだが、敗戦でひしがれた気持ちを大いに奮い立たせたのが、古橋・橋爪という水泳選手であった。日本人は「フジヤマのトビウオ」と熱狂したものだった。彼らの活躍が戦後日本の復興の原動力になったといっても過言ではない。 ところがそうした競技に世界中が参入するに及んで、いずれも時を経ずして栄光の夢ははかなく消えていったのである。ニッチを見つけて参入、そして追い越される、まさに世界経済と同じパターンが展開してきた。水泳に次いで卓球そして女子バレーそして体操競技、いずれも当初はマイナーな競技であった。女子バレーも一時「東洋の魔女」と言われた(あるいは勝手にマスコミが付けたか)が、確かに顔は可愛くなったが技は切れても体力・体格でついていけない。最近いわば第3世代、「卓球・バドミントン・体操」などようやく練習と技術開発などで、それぞれカムバックの様相を示してきた。さてその成果はどのように上がっていくことだろう。

★☆ はしゃぎ過ぎ日本のテレビ
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なんでオリンピックとなるとこうもはしゃぐのか。とにかく日本のテレビはやかましい。しかも選手やチームをタレントあるいはスター扱いで、いかにも優勝するみたいな取上げ方・言い方をするものだから、視聴者は期待するは、選手は責任に押しつぶされるは、碌なことはない。もっともこれは戦前の「前畑頑張れ!」、戦後の「古橋頑張れ!」以来の伝統のようだ。各テレビがそれぞれ現地にコメンテーターを送って、メダル受賞者の「ヒーロー・インタビュー」を行なっている。これはもう「発展途上国」というよりも、「後進国」そのものの有り様だ。グルジアでは戦争が起きたのに、日本でも不動産屋の大型倒産があったというのに。チャネルを替えても、いずこも似たり寄ったり、しまいには面倒くさくなって、アニメやドラマなどほかの番組をみることにる。いい歳してアニメとはと笑うなかれ。なにしろJ・アニメはイマジネーションの宝庫なのだ!新聞にしても、第一面で大きく取上げたり,スポーツ欄を倍増したりするのは、おそらく先進国では日本くらいだろう。

★☆ ではなぜ日本人はオリンピックに熱中するか?
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日本人は、かくもオリンピックに熱中するか? それは日本人がマツリ・ハレの民族だからである。日本人にとってオリンピックは、4年ごとの最大級のお祭りだからなのである。ほとんどの競技には、それぞれ「世界選手権」が開催されている。公平に考えれば、そちらの方が価値があり値打ちがあると思うのだが、選手たちだけでなく、多くの日本人そしてマスコミも「やはりオリンピック!」なのだ。発展途上国に場合は、国の名誉と共に、成績次第では、選手個人にとって富と名誉が重なってくる。日本の場合は、まず富、お金にはそんなに恵まれたものではなく、人気競技以外ではむしろ持出しに近いケースも多い。それでも日本人は国を挙げてオリンピックというお祭りに狂奔する、ある意味「摩訶不思議な民族」だと言えるだろう。

 ★☆ 白人のアンフェアで陰湿な日本イジメ
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こいつには2通りあって、1つは「ルールの改定」、もう1つは「アンフェアなジャッジ」である。今まで彼ら白人が安住の地としていたゲームに、日本人が割り込んでくるとか、日本人が技術的開発で優位に立つと、決まって「ルールの改定」という悪辣な手段を取ってくる。水泳での平泳ぎの潜水泳法、同じく背泳における潜水=バサロ泳法がそうだし、冬季オリンピックでのジャンプでの、スキー板の身長に応じた長さ制限、柔道でのルール改正やなどである。おとなしい日本人はいつも泣く泣く不当な改訂に従ってきた。
一方「アンフェアなジャッジ」だが、それはく
1.「日本憎し!」の感情
2.相手国・あるいは主催国による買収(ハニートラップ・マネーとラップ?)
3.ジャッジの未熟さ などがない交ぜになって日本選手に襲いかかる。
今この「縄文塾通信」に連載中の『西洋史論の欺瞞を衝く!』でも指摘したが、これらもある意味(「強いモンゴロイド」に対する歪んだ「黄禍論」と言えるのだろうか。 かくして日本のお得意分野が、次々と消滅していくことになった。

★☆ 「柔道」VS「JUDO」
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いままでもこうした傾向が強まっていたが、ここに来てきれいに「柔道からJUDO」へ変質してしまった。「礼に始まり 礼に終る」という、「道」としての「やわら」は完全に消滅したのである。だから「やわらちゃん」も(不可解なジャッジも加わって)消え去る運命だったのだ。問題は、日本人にとってまったく面白くないJUDOがこのまま通用するのかが見物である。柔道人口がすでに日本を凌駕しているフランスの超100kg級優勝候補が、予選で敗退するというハプニングが起きた。日本とは違った意味でフランスの出方が注目される。私が日本柔道連盟の実力者だったら、かつての「日本型柔道」復活を目指して、新しい団体を創設したい。もっとも唯我独尊は避けるべきだが、「見た目豪快・華麗」な柔道を望む声は、おそらく見る人の側からも澎湃としてわきおこるものだと期待している。それは別として、だらしない男性陣にあって唯一人、野獣の如くJUDOに挑んだ若者が居た。100kg超級の石井 慧(さとし)21才である。歳に似合わぬふてぶてしい風貌と、太った相手の息のあがりを見て襲いかかる知的な作戦。いまのJUDOに順応しようと思ったら、過去をすべて捨て去って、下手でどうしようもないジャッジさえ味方にするという、彼の採ってきたイバラ道を歩む必要がある。
  
★☆ 強い女性VS弱い男性 
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それにしても全体的にだらしない男性陣に較べて、女性陣は強かった! あの柔道でも大活躍したし、レスリングも素晴らしかった。1つも勝てない男子サッカーに較べ、ナデシコジャパームも大活躍である。だらしないのは星野ジャパンだが、プレッシャーに弱くて見てはおれない。相手は日本を研究し尽くしているのに、日本の相手研究が甘すぎる。これでは韓国に負けても不思議はない。女子ソフトボールは金。彼女らの爪の垢でも煎じて飲むんだな。星野さん!

★☆ 幼時英才教育の成果
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フィギュアーの女子浅田真央、男子の高橋・織田両選手、古くは卓球の愛ちゃんから、最近では「はにかみ王子」の石川遼クン、女子ゴルフでは宮里藍・横峰さくら・上田桃子の三羽ガラスなどなど、幼児英才教育の成果が華々しい。今回のオリンピックでも、男子体操個人総合 銀 内村航平(19才)、男子フルーレ個人、銀メダル 太田雄貴(22才)、女子柔道52kg級 銅 中村美里(19才)、水泳 二百背泳ぎ 入江陵介(18才)、男子卓球 岸川聖也(21才))……。その他多くの若手選手が大活躍した。入江陵介が~0才からというのは論外として、いずれも3~6才で始めている。日本オリンピック連盟も、今後は組織的に幼時英才教育の奨励と援助に取り組むべきではないか。妄言多謝!!
                  
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◎戦後日本は本当に平和を願ったか?  石川  洋
今年も終戦記念日が終わりました。「戦争の体験を風化させるな! 平和を!」という合唱を聞くとなぜか、少しばかりむなしくなります。大多数の方々の反論を覚悟で、言えば、「風化は仕方がない。これが、本来の有り様。不幸なことは忘れるように、心の痛みが消えるように人間は出来ている。そうでなければ、生きて行けない。問題は、風化しても崩壊しない平和維持のためのシステムを作ること。」どうすれば、このシステムが出来るか?

・「国益」ということ。
国益最優先、が現在の政府の方針。国民もこれで納得でしょう。その結果、他国は「国損」を蒙ることになりませんか。一定の量がここにあり、一国がこれを余分に取れば、他国の取り分はその分、落ち込みます。「国益」を優先すれば、即、戦争にはならないにしても必ず、対立は生じるはず。だから、といって国益を二番目にするのも反対ですが。例外的に、奪い合いでなく、富が増える場合があります。例えば、突然日本に原油が出るときなど。この場合も、他国との格差が生じてしまうので、やはり紛争の種にはなる。

・日本は過去、63年間平和だったか。
実は疑問を感じ始めています。戦争こそしなかった、戦死者もいなかった、だから平和だった、と普通は思います。武器こそ使用しなかったが、知力、技術力、団結力、資力、休暇返上の犠牲的残業、協働精神、組織力、組織への忠誠心、これらを総動員して、経済戦争を世界中で繰り広げ、片端から撃破、現地で芽がでかかった産業を根こそぎ、叩き潰して、日本の物を売りまくった。細々と始まったアフリカの農業に対しては、食量を無償で援助して現地の生産体制を叩き潰した・・・・。勿論、部分的に現地で役にたった仕事も山ほどあることは認めますが。実は、当地の小、中学校の校長先生全部へ講演を依頼されたとき、この趣旨を話したら、皆様大変驚かれ、、質疑の時間の時、大議論になりました。何か、例を挙げてくれ、というリクエスにお答えして、「かつて、日本の繊維製品がアメリカになだれ込み、アメリカから規制を受けた事がある。輸出数量の規制だ。一旦は困ったが、そこは商社、韓国に目をつけ、最新式の繊維機械を韓国に輸出、原材料も売りつけ、製品は韓国産として日本の手でアメリカに格安で販売。それまで、こつこつと技術を磨いていた韓国の繊維産業は自分で考える力を奪われ、事業の利益の大半は日本の商社に入った・・。」

・ 15日の天皇のお言葉。
「……世界の平和と日本の一層の発展を祈念します。」「日本はこれ以上発展しないで、欲しい。世界の国々とバランスをとるべきだ。右肩上がりは終わりだ。そうすれば、世界も平和になる・・・」という趣旨であるべきと個人的に思います。
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◎多民族共生国家の幻想 その1    トラネコ

前にも述べたが、自民党の売国奴の一人中川秀直というバカが、2050年までに日本へ移民を1000万人いれる計画を発表した。しかも殆どが中国人移民なのだ。これは日本人の少子化に伴なう人口減少で、必要な労働力が確保できないため、外国人労働者で代替する考えらしい。この単純バカ発想そのものが既に破綻しているが、このことは別の機会にのべることにする。今回「多民族共生国家」を実践したEU諸国の悲惨な例を紹介する。欧米諸国でもアメリカ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランドは別に考える必要がある。これらの国々は西洋から喰いはぐれた乞食難民の群れが各地からやって来て、或いは、犯罪者囚人を労働力として開拓移民にして政府が送り込み、もともと住んでいた先住民を皆殺しにして、移民で成立した人工国家(STATE)である。しかしドイツ、フランス、イタリア・・・・・など日本も含めた国は、元々住んでいた先住民が主となって作り上げた自然国家(NATION)である。もっともアメリカでもオーストラリアでも内側を見ると、かなり深刻な民族問題があるにはあるが、元が複数の多民族移民の国だから、国民は等しく自分の問題として向き合える。欧米では近代民主主義思想というイデオロギーが国家の基本思想である。移民受け入れ政策には二通りある。一つは移民をその国の国民や民族と同化することを前提にしたもの。つまりその国の国民になりきることが前提である。まあ国籍をとるということはそういうことだと、素直に思う。先のアメリカなどのSTATE国家はもともとが伝統も文化も一元化されたものがない国だから、アメリカ人に同化することといっても、アメリカ人という民族自体がいないので問題ない。しかし日本も含めたNATION国家はそうはいかない。国家成立以前からの民族がおり、伝統文化があり、宗教があるからだ。これらの国ににまったく異質な文化的習慣をもった民族が移民し同化することは大変に難しい。しかし近代民主主義思想の国では移民も立派な文化を持っており、それを自国民の文化に同化させるなんて、失礼であると考える。そこでもう一つの移民受け入れ政策は移民を同化させずに、移民の文化をそのまま尊重して受け入れる方法だ。移民のための専用の宗教施設や公民館、学校などを提供してあげるやり方だ。各民族の文化的特性と共存する「多文化共生国家」構想である。EU諸国はこの方式だ。そして日本もこれを取り入れようとしている。一見民主的で異民族の人権や文化を尊重しているように見える。人権屋などの左巻きが大喜びしそうな方法だ。ところが実際にどうなったか?

国家崩壊が近づくオランダ
オランダは現在イスラム教徒のモロッコ人とトルコ人に乗っ取られるつつある。オランダのイスラム系移民人口は総人口の10%、百万人に達する。彼らは、オランダ人とは融和せず、都市部に集中して群れを成して特定地域に固まって居住する。オランダ国内の別国家のような「特殊部落」を形成する。彼らが群れを成して作るゲットーにオランダ人が足を入れようとするとイスラム系住民は敵意を燃やして攻撃してくるという。戦前に上海にあった外国人租界と同じだ。自国内にある外国である。このイスラム系移民の状況を批判した映画を作った映画監督テオ・ヴァン・ゴッホは04年11月2日モロッコ青年に暗殺されたのである。そうなると、不満が爆発するのは「先住民」オランダ人である。モロッコ人やトルコ人への差別や嫌がらせ、就職差別あげくは、焼き討ちまで進み、各地で抗争が頻発し、オランダ国内で擬似内戦状況になりつつあった。
オランダ政府もついには「多文化共生政策」が誤りだったという報告書を出すに至った。そしてイスラム系租界の解体と、彼らをオランダ文化に教育し直す政策を発表した。しかし時既に遅しだろう。いったん住み着いて権利を獲得した人間を簡単に排除できない。

この状況はドイツのトルコ系移民もまったく同じ様子だ。ドイツ人の若者でネオ・ナチに走るものが増加した一因はトルコ系移民問題にある。
フランスでは若干状況が異なるが、やはりアルジェリア系移民とフランス人との対立がある。アルジェリア系移民は郊外の安い公営住宅に集中して住んでいる。そのためそこがイスラム教徒居住区みたいになり、一種の租界になっている。もちろんフランス人はそこを避けるし、近づかない。イタリア、スペインでは近年中国系移民が急増しているとか。中国系移民は経済的には成功者が多く、失業移民どころか金持ち移民なので、経済的にはホスト国に貢献しているらしい。しかしそれがかえって地元の産業に脅威を与えているらしい。中国移民の靴倉庫を焼き討ちする事件もおきている。中国系移民は華僑組織の結束のかたさと、援助で短期間に急速に増えているという。しかも彼らも世界中にあるような中華街を形成する。ただしイスラム系とちがい、商店経営者が多いのでむしろ地元人は客だから解放的だ。

まったく異なる意味で中国系移民が急増しているのが、ルーマニアだ。ルーマニアは共産主義独裁のチャウセスク政権が国民に倒され、のちにEUに加盟するやいなや、国民の1割が豊かな他のEU諸国に脱出してしまった。それで全くの労働者不足に陥り、仕方なく中国系移民を入れているという。関係者によればあと10年もしないうちに、ルーマニアの年金を支えるのは中国人になるという。もっと将来には中国人主体のルーマニアになるだろうという。ちなみに国外脱出したルーマニア人はどこへいったか?実はすぐ隣のイタリアに55万人もいるのである。ローマ市の凶悪犯罪の75%はルーマニア系移民によるものだそうだ。イタリアはルーマニア人と中国人に頭を悩ませているようだ。いずれにしろ、程度の差こそあれ、EU諸国は移民問題が頭痛の種になっていることは間違いなさそうだ。そして多文化(民族)共生政策は誤りであることも証明された。
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