天皇陛下はなぜ「靖国神社」に参拝されないのか?(じじ放談)
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▼天皇陛下はなぜ「靖国神社」に参拝されないのか?我が国最大のタブー「昭和天皇の敗戦指導責任」を考える。 (じじ放談)
有史以来2000年。我が国土が初めて異民族に占領され統治されてから63年が経過した。だが、「開戦の詔勅を発布された昭和天皇を初め、我が国に敗戦をもたらした第二次世界大戦の指導者が誰一人として「敗戦の指導責任」をとっていないという驚くべき現実が63年間続いた。「不可解」というほかはない。筆者は東京軍事裁判を初めとする連合国側の軍事裁判を容認するものではない。「戦争犯罪」というのは、勝者が敗者を断罪する報復以外の何物でもないのであって、逆の立場であれば、連合国側の指導者が「戦争犯罪者として断罪された」類のものだと考えている。だから「東京軍事裁判は違法だ」というつもりはない。いつの時代においても勝者は敗者を断罪するのが常識であって、連合国側の報復行為は「法律的な装いを施した演出に過ぎない」と考えている。
第1の疑問(連合国側はなぜ、昭和天皇を報復の対象から除外したのか?)
旧大日本帝国憲法(欽定憲法)において天皇は陸海軍の最高指揮官であった。天皇は「開戦の決定者」であり、我が帝国陸海軍兵士は「天皇陛下万歳」と叫び突撃し死んだ。法律的に見ても、精神的にも「天皇の指揮・命令によってなされた戦争であった」ことを疑うものはいない。我が国が連合国側に無条件降伏して占領された後、連合国の一部から「天皇の戦争責任を問う」声が上がったというが、日本を敗戦に追い込んだ最大の功労者である米国の意思で「天皇の戦争責任を問わない」ことになったとされる。我が国を軍事占領した米国は「天皇は陸軍50個師団に相当する」と評価したというから、米国が「日本の軍事占領を円滑に行うため、「象徴天皇制」を温存することを優先したと見ることができる。米国は「神風特攻隊」や硫黄島での玉砕戦術、万歳突撃などで「日本人の命知らずの自爆攻撃」を恐れていたから、米軍が「天皇を活用して効果的な占領政策を行いたい」と考えたとしても不思議ではない。合理的判断であったといえる。「天皇陛下を現人神と仰ぎ奉る日本人を慰撫するには、天皇を活用するのが最も有効である」という合理的計算であった。米国は「毒(天皇)を以て、毒(兇暴な日本人)を制する」計画を立て見事成功したというべきである。戦後の「日本統治」を総括して米国は「思惑通り、否、想定以上の成果が上がった」と考えているはずだ。
第2の疑問(なぜ、我が国民は、昭和天皇を初めとする戦争指導者の敗戦指導責任を追及せず免罪に付したのか?)
(1)米国の情報統制
米国の対日占領政策に反する情報の流布は、連合国側から厳しくチェックされ禁止されていたから「昭和天皇の敗戦責任を問う声があった」としても、これが公表されることはなかった。連合国側は東京裁判を演出して、すべての責任を「東条英機以下のA・B・C戦犯」に背負わせ、大日本帝国陸海軍の最高司令官であった昭和天皇を免罪に付した。開戦の詔勅を発布された昭和天皇が免罪され、2番手以下が断罪されるという誠に不可解な事態が発生した。
(2)保守勢力の抵抗による「国体護持」運動
米国が「天皇制を存続させた」背景として、我が国の保守勢力が連合国側に「天皇制存続を強力に働きかけた」といわれている。吉田茂や白洲次郎ほかの功績であると喧伝されている。だが、「天皇制存続」という問題と、昭和天皇を免責に付する問題とは分けて考えるべきであろう。「天皇制存続」が目的であれば、昭和天皇には最高司令官として「敗戦の責任を退位という形式」でとっていただくべきではなかったであろうか。弱冠12歳ではあったが、今上天皇に即位していただいても不思議ではなかった。幼少天皇の即位については明治天皇の前例もある。
我が国2000年の歴史を概観すると「国政を混乱に陥れた天皇」も相当数おられた訳で、その都度「退位してもらう」事例も少なくなかった。戦乱を煽動し主導したした理由で「流罪処分を受けた後醍醐天皇や崇徳上皇」の例もある。藤原摂関家や徳川将軍家が皇位継承問題に介入したことは周知のとおりだ。彼らも天皇制は尊重したが無原則的に天皇個人を尊崇し擁護した訳ではない。だが、我が真正保守(又は右翼)に位置する各位は「天皇に対する個人崇拝の観念が強い」から、「天皇を批判するなぞとんでもない。畏れ多い」という態度である。事の善悪を超えた「神」として天皇個人を仰ぎ見る傾向が強い。
(3)国民から現人神に祭り上げられた昭和天皇
明治から大正、大正から昭和と時代が進むにつれ、天皇制を政治的に悪用する勢力が勢いを増し、天皇の神格化が進んだ。幼児期から「神格化した天皇を敬い尊ぶ教育を施す」という洗脳教育が徹底された。臣民たる国民大衆は天皇陛下に対し「畏れ多い」とかしこまる態度を身につけた。中国風にいうと「血の底まで天皇尊崇の心」が沁み渡った。このような国民は、一度や二度の敗戦位で信念が揺らぐことはない。敗戦後も天皇尊崇の心はあまねく日本人一般が共有するところであった。「天皇陛下の戦争(敗戦)責任を問う」等とは考えもしなかった。我が国が建国以来初めて「異民族から支配された」件に関しても、「天皇の部下(側近)の補佐が悪い」ということで、昭和天皇を禁治産者扱いにして免罪した。
(4)共産主義者や社会主義者はなぜ「完黙(かんもく)」するのか?
本来「無階級社会」を志向する共産主義者にとって天皇制は「廃止すべき対象」となるはずである。世界中で王政が廃止され「共和国」となっている。敗戦直後の左翼は「日本人民共和国建設」を志向したようであるが、尻切れトンボに終わった。「天皇制廃止」という政治路線は国民大衆の感覚に反するから「アメリカ帝国主義とこれに従属する日本独占資本」を打倒して、日本の赤色革命を成就するためには「天皇の戦争責任(敗戦指導責任)には触れない方がよい」というご都合主義的路線を採用したのであろう。左翼は現在でも「完黙(かんもく)を続けている。昨今の日本共産党や社会民主党などの左翼勢力は「天皇制廃止」を唱えるのではなく「護憲」を主張している。「象徴天皇制」を承認しているのだろう。つまり、天皇制国家日本を容認しているから「天皇批判」となる言説を謹んでいるといってよい。
(5)共産党独裁の中国も「天皇制」を認容している
北京五輪への天皇陛下又は皇太子殿下の出席が云々されたことがある。結果としては不参加となったが、中国側から内々の打診があったのだろう。「日中両国人民の友好」を演出したいと考える中国共産党胡錦涛指導部としては、「天皇陛下または皇太子殿下の訪中を実現させたい」との願望を持っていたはずである。中国人は「日中戦争で数えることのできないほどの苦痛と被害を受けた。日本人を血の底から憎んでいる」ということであるから、胡錦涛の天皇陛下又は皇太子殿下招請も「政治的思惑」といってよい。パンダや卓球の愛ちゃんと同様、天皇陛下や皇太子殿下も「友好を演出する手駒になる」と考えているのだろう。米国は「昭和天皇は第二次世界大戦時の敵の大将」という認識であるから、当然ながら「天皇の米国招請」に熱心ではない。米国にとっての天皇は「日本統治の手駒であった」とみなしているはずだ。現在のところ日本は、極東における米国の最大の同盟国であるから「それなりに敬意を表しておく」というレベルではなかろうか。
第3(昭和天皇はなぜ靖国神社への参拝を拒まれたのか?)
「天皇陛下万歳」といって死んだ幾百万の英霊を祀っている靖国神社への参拝を天皇陛下が参拝されないのは異常な事態である。「親は親の役割を果たさなくとも、子供は子供の役割を果たすべし」という考えなのだろうか?不可解ではある。仄聞するところ、昭和天皇が靖国神社への参拝を中断されたのは、東条英機らA級戦犯とみなされた者を靖国神社に合祀した以降だという。日独伊三国軍事同盟を画策し我が国を米英との戦争に誘導した松岡洋介元外相に対し昭和天皇は「個人的遺恨を抱いておられた」というメモ帳が開示された(昨年夏、日本経済新聞が報道)。日独伊三国軍事同盟の締結に向けて奔走、対米英戦争に舵を切ったのが松岡洋介元外相であったとして、さらに真珠湾攻撃を仕掛けて対米戦争を開始したのが東条英機元首相であったとしても、最終判断者(最高司令官)は昭和天皇御自身であった。部下が「適切な補佐をしなかったから判断を誤った」と言い逃れできる立場ではない。まして、気に食わない部下が若干名合祀されたからという理由で靖国神社を参拝されないのはいかなる存念なのか理解に苦しむ。「天皇陛下の命令で戦地に赴き死んだ数百万の英霊」はどのように感じるであろうか。「昭和天皇は個人的恨みを優先して、数百万人の英霊を見捨てる方だったのか」と感じ愕然とするのではあるまいか。そして、自分が「祖国のため一命を賭して戦ったことに」「天皇陛下万歳といって自爆攻撃を敢行して死んだことに」忸怩たる思いを致すのではあるまいか。繰り返すが、昭和天皇が個人的怨念で「あるべき天皇の職務を怠る」というのはいかなる了見なのか理解に苦しむ。昭和天皇の御世、我が国の歴史で初めて「異民族支配」を被った。後世の歴史家は昭和天皇を「英明な天皇」とみなすであろうか。おそらく「最高責任者としての判断を誤った天皇」と評価するのではなかろうか。昭和天皇の遺言があるのかどうかは不明であるが、今上天皇も靖国神社への参拝をなされていない。日本国統合の象徴として、日本国民統合の象徴として「由々しき事態」といわねばならぬ。
日本国憲法第1条は「天皇は、日本国の統合の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定している。日本国民の総意で天皇の地位を保障すると明記している。国民が天皇を尊崇する心を失った場合、天皇の地位は保障されないと考えるべきである。憲法改正は第9条だけが争点になるとは限らない。国民にとって「天皇陛下の行為又は不作為が耐えがたいものなった場合」、国民は日本国憲法第1章(第1-第8条)の全面削除を求めるのではあるまいか。憲法第96条は「憲法改正の手続」を定めている。両院議員の3分の2の賛成で発議し、国民の過半数の賛成があれば憲法改正できる。安倍内閣時代「憲法改正国民投票法」が可決成立した。昭和天皇に続いて今上天皇も、日夜「国民の安寧を念じて御苦労いただいている」とは感じている。今上天皇が現存する国民大衆への思いやりだけではなく、「国のため尊い生命を捧げた戦没者の英霊」に思いを致していただきたいと念じるものである。国のために命を捧げた英霊に対する参拝を忌避続けられる天皇であれば、国民大衆の心はいずれ天皇から離反するのではなかろうか。
第4(従軍慰安婦・沖縄集団自決問題について)
第二次世界大戦は欧米列強間における「世界的規模」での勢力圏争いであったから、戦場となった中国や東南アジア諸国の多くの民衆に甚大な被害を与えたことは事実である。これについては、歴代総理大臣が何度も謝罪し、昭和天皇御自ら「謝罪のお言葉」を語られている。我が国には我が国なりの都合があった訳だが、戦場となり被害を受けた国で「反日感情」が色濃く残っているのは当然である。特に、中国人が「血の底まで日本人を憎んでいる」というのも自然だろう。「反日感情」は一朝一夕に改善されることはないというべきであるから、我々日本人は先達の罪を背負って生きるほかはない。欧米やロシアなどの軍隊は、占領地の婦女子を姦淫して性的欲求を満たす。孫子の兵法でも「現地調達を旨とすべし」と述べているから、古来、戦争では占領地で財物を強奪したり、婦女子を姦淫するのが当為であったのだろう。我が帝国陸軍は「手間暇をかけて慰安婦を募集し帯同した」から後で問題となった。従軍慰安婦を是認する訳ではないが、占領地の婦女子を姦淫することと比較すれば「若干まし」とはいえるかもしれぬが、弁解の理由にはならない。沖縄における集団自決を陸軍が命令したか否かは本質的な問題ではない。沖縄は硫黄島と同じく「本土防衛の盾」と位置づけられた。沖縄県民全員が火の玉になって侵攻してくる米軍と戦い玉砕すべしという位置づけであった。だから、集団自決の存否を問うても仕方がない。全員突撃して玉砕した女子挺身隊もいた。沖縄の悲劇は「本土の防波堤」という役割を担わされ「玉砕覚悟で戦う」ことを期待されたことにある。集団自決や突撃玉砕は「捨て石」とされた沖縄戦の一部に過ぎない。戦後63年後の現在も、沖縄には米軍基地が密集している。現在でも「本土の身代わり」という役割を背負わされている。我々本土で安穏と暮らしている日本人は、沖縄の窮状に思いを寄せ、沖縄が本土の身代わりとなって重すぎる荷物を背負っていることを理解すべきである。そして、本土にできる精一杯の支援を沖縄に注ぐべきである。「せめてもの償い」を躊躇すべきではない。これが、本土の盾として沖縄を利用し、甚大な犠牲を背負わせた結果に対するせめてもの償いであろう。沖縄の米軍基地を減らす作業も急ぐべきだ。
(さいごに)
雑誌Voice9月号で、ばりばりの真正保守(又は右翼)の鶴見俊輔と上坂冬子が「爽やかだった大東亜戦争」と題する対談を行っている。その中で、上坂冬子は天皇の靖国神社参拝問題に関して以下の発言をしている。(164ページ上段)「でも、たしかに戦時体制下では天皇制を悪用しましたねえ。天皇陛下のためなら命もいらないなんて。靖国神社への天皇の御親拝を切望する人がいるけど、私は首相だけでいいと思います。」上坂冬子もまた「天皇は側近に踊らされた禁治産者であった。だから天皇の戦争責任(又は敗戦指導責任)を問うべきではない」という見解のようである。だから、天皇陛下万歳といって死んだ幾百万の英霊が祀られている靖国神社に天皇は「参拝する必要がない」と主張するのだ。さらに上坂冬子は、「事実上の君主で、軍の最高指揮官であった昭和天皇」が下された対米英開戦の詔勅」は無効であったとでも強弁するつもりであろうか。昭和天皇は全国民向けのラジオ放送で「朕、汝ら臣民に告ぐ・・・」と「敗戦による戦争終結」を宣言された。昭和天皇は意思能力が欠けた禁治産者ではない。開戦意思も、無条件降伏もすべて、昭和天皇御自身が最終判断され決断されたものである。誤解すべきではない。「日本民族の伝統」を喧伝し名前を売り込んでいる上坂冬子は、果たして「日本民族の伝統や天皇制の存続」を真剣に願っているのか?はなはだ疑問といわねばならぬ。世界に対し、さらに我が国土、国民、兵士に多くの犠牲者を出した「大東亜戦争」を冷静かつ厳粛に総括せず、「その場しのぎの粉飾」で責任逃れをするような人物が、果たして本物の「民族主義者」「愛国者」といえるであろうか。はなはだ疑問である。21世紀は新帝国主義時代である。我々は「誰が本物の愛国者か?」「日本民族と国家並びに天皇制の健全な存続を願う真の民族主義者は誰か?」を見分けることができるよう透徹した目の冴えを鍛える必要がある。上坂冬子で思い出したが「平沼赳夫が民主党小沢一郎と談合して、反自民の姿勢を示唆している」ことは気になる。「真正保守」を唱える平沼赳夫らしくない変貌ぶりではある。用心して「経過観察に付す」ことにしよう。
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日本のお姉さんの意見。↓
天皇は、軍の決定を聞かされていただけだという記録を
読んだことがあります。アメリカも、すべての日本の通信を
読んでいたことから、そういうことは分かっていたはずですが、
マッカーサーはアメリカ議会から天皇を処刑にすることを
命令されて日本に来たのです。日本に来てから、いろいろな
ことから天皇には責任がないと分かり、天皇を殺すと日本人が
怒ってテロリストになると考えて、アメリカ議会を説得したの
です。マッカーサーは、話せば分かる人だったのです。彼の
アメリカ人の秘書も日本人のクリスチャン女性とともに、
天皇を殺させまいと頑張ったのです。何人もの日本人が
天皇を処刑にさせまいと一生懸命にマッカーサーを説得
したのです。
A級戦犯にされてアメリカに殺された7名の日本人も、
自分たちが戦争の責任を負って死ぬことで天皇が殺されずに
済むと考えて、おとなしく死を受け入れたのだと思うのです。
天皇は、東条英機の娘さんによれば、毎年お届け物を贈って
くださっていたそうです。
東条英機を嫌っているどころか、ちゃんと残された家族に、
やさしい言葉もかけてくれていたそうです。
ただ、そのことと靖国神社に参拝をしないと決めたこととは
関係がないでしょう。立場上、参拝はまずいと思われたの
だと思います。アメリカに参拝するなと人を介して言われたの
かもしれない。あんまり天皇を悪く言わないでほしいです。
天皇は、アジアが白人たちの植民地になって奴隷になって
いることに心を痛めておられたというのは、本当だと思います。
マッカーサーに会った時、天皇は自分はいのちを捨てても
かまわないから、日本国民を大切に扱ってほしい
というようなことを言われましたそうです。
マッカーサーは、天皇の真摯なお気持ちに触れて感動し、
一気にファンになったらしい。
わたしの周りのおばあちゃんたちは、「日本はアメリカに
負けて良かった。」と言っているので、そうなのかなと
思っています。白人たちは、当時はアジアの支配者で
日本とタイを除くアジア人たちは奴隷だったのだから
いずれ、白人たちは、日本も支配下に置きたがったはず。
戦争になるのは、避けられなかったでしょう。
だったら、一番マシなアメリカと戦って負けたのが良かった
のかもしれないと思っています。ロシアに負けたら、今頃
みんなモンゴル人のようにロシア語をしゃべっていて、
日本語など忘れているでしょう。