最近、考えていること
オリンピック選手の地元の人や出身校や、選手を送り出した
スポーツクラブや会社の人にとっては、彼らはヒーローだし、
日本にとってもオリンピックに出た選手というのは国の代表で
世界の国々の人と戦っているわけだから、大切な人々だ。
学校では、学級委員になって、リーダーシップを発揮するような
学生が尊敬されるし、芸能界では、おもしろいかかっこいいか
で評価される。女の子だったら、かわいいかとかよく気がつくか
とか、男の子だったら、会社で仕事がよくできるか、儲かる
仕事についているかなど違う基準で評価される。
ひとりの人でも、あちこちに、いろんな基準があって、
いろんな評価をされる。わたしは、学校では絵がうまいから
ほかの子供に評価されていた。家ではオヤジに女の子
らしくないからと言って低く評価されていた。会社では、ちょっと
変わった人だけど仕事はできると思われている。たぶん。
留学先では、キュートな日本人の女の子として評価されていた。
友達のB子には、「お姉さんって、サイテー。それでも大人?」と
言われて、すごく低く評価されている。ほかの友達には
何かあったら頼りになるステキな友達だと思われている。
わたしは、いろんな評価を受けつつ、変に威張ったりも、変に
いじけたりもしないでいようと思っている。
いろんな人の評価は、その時々で正しいのだと思うが、
わたしには、いろんな多面性があるのだし、これから
変わっていく可能性もあるのだし死ぬまで成長の過程にある
人間なんだから、誰かに知識がないと思われていたとしても、
これから知識をつけていけばいいのだし、ほかの誰かさんよりは
知識のある人間かもしれないではないか。
ほかの人と比べるのは、上を見るとキリがないし、下を見ても
キリがないから、あんまり他人にほめられたりけなされたりしても
動揺しないでいようと思う。だけど、わたしは、神さまの基準と
言うものを受け入れて生きようと決めている。
クリスチャンだからだ。クリスチャンは、日曜日に礼拝ができない
ような会社など辞めるべきだと思っている。
クリスチャンは、世の中にある基準には縛られない。
でも、神さまが喜ばれることを選んでしようとしているので、
自然といいことをすることになる。別に無理によいことをしている
わけではなく、神さまのことを第一にしているだけだ。
今の日本人が、すぐに自分の評価を低く見て、自殺したり
関係のない他人を「誰でもよかった。」「誰かを殺したかった。」
などと、理由にもならない理由で殺したりするのは、
たったひとつだけの価値を受け入れて、それで自分を
負け組みだとか、不細工で恋人もいないだとか、いっそのこと
自分を負け組みだと断定する、この世の中の仕組みに復習して
勝ち組を殺してやるだとかいうようになるのだ。
日本人の男性に自殺が多いのは、男性は仕事について金をもうけて
家族を養わねば男じゃないと思っているから、疲れてしまうのだと
わたしは思っている。金持ちでなくても、雨をしのげる場所があり、
食べるものがあれば、それで生きていけるし、親戚や家族を
頼ったり、市役所を頼ったりすれば、何とかなる場合が多いのだ。
朝起きて、今日も一日生きていることに感謝して生きるという
基本ができていない。生きることは、疲れることだと思うから
死にたくなるのだ。日本の会社が社員を疲れて死にたくなるほど
こき使うのが悪いのだが、過労死するまで会社に抵抗しないで
働く日本人も悪いと思う。会社よりも、家族が大切な場合だって
あると思う。いろんな価値観があるのだということを受け入れて、
他人をバカにせず、自分のこともバカにせず、
生きているだけで偉いのだと考えないと、日本人は不幸になるの
ではないかと思う。日本人が孤独でさびしくて死にそうなのは
神さまを忘れているからであって、人間の心自体が頼るべき神さまを
求めているという事実を無視するからだ。
天皇が大好きなある人のは、ブログに日本人は天皇を天から
与えられた神として受け取るフリすらもしなくなったので
神さまが不在になった心のすきまからもろくなっていると
いうようなことを書いていた。だから神道を信じなさい。日本の
ために死んだ英霊に手をあわせなさいと、さりげなく勧めるブログも
ある。昔、日本人は、みんなが天皇を現人神(あらひとがみ)だと
信じて皇居に向かって朝晩、頭を下げていたそうだ。
日本人は、いつか日本を助ける神風が吹いて、日本は戦争に
勝つと真剣に信じていた。戦争に負けてから、すべてを戦勝国に
取り上げられて、日本人の心は空になったのだ。
でも、戦勝国に与えられた自由と平等の精神もあったのでは
ないか。経済的に豊かになって、車やテレビや冷蔵庫や
エアコンを買う夢もかなったのではないか。
ただ、西洋人には神さまの概念があったが、日本人には何も
なかったので、物質で人の心は満たされることはなく、
今度は天皇を敬う気持ちで一丸となって日本のために
戦うという勇ましい意気込みの代わりに、金持ちが一番偉いと
言う別の価値観を受け入れたのだ。
会社の業績を粉飾して株価を吊り上げてクルーザーや
ジェット機で遊ぶ人が、民間人の宇宙旅行の夢を実現できるほど
金持ちが偉いのだと日本人は信じた。
まるで、信仰のように信じたので、金を稼ぐ望みが薄い人は、
自分は負け組みで価値がない人間だから、そのように自分を
評価した世の中の人間を、ナイフという武器で破壊して
復習しようとしたし、自分の事業がうまくいかないからという
理由で、自分が育てていた子供まで道連れに死のうとするのだ。
子供たちには別の道があるし、どんな可能性だってあるという
ことを認めないのだ。自分を評価する仕方で、自分の子供を
評価するから、ダメなお父さんのダメな子供たちを
このままダメなまま置いていけないから、責任を持って
抹殺するのだという恐ろしい考えを持ってしまうのだ。
たった、ひとつだけの価値観しか持たないで自分を評価する
ことは、危険だ。ひとつだけ、もってもいい価値観は、
世界を作られた神さまを信じて、正しく生きることなのだと、
わたしは信じる。わたしは、神さまによって創られた世界で
ただひとりの人間であり、神さまは、わたしを愛しておられる。
その証拠に、神さまは、ひとり子の救い主を人間の世界に
送りこみ、人間が罪の罰を受けて死後に罪の捌きを受ける
場所にいかないように、人間のすべての罪をひとり子が
背負って身代わりに死なれて、三日目によみがえってくださった。
その神さまの愛を信じてうけいれるなら、どんな罪びとも
罪が赦されて天の神さまの元に帰ることができる。
死後に地獄に行かずに天国に行けるということです。
神さまの存在を認めるだけではなく、自分の罪を認め
神さまの愛と赦しを受け入れるなら、神さまと生きている間も
祈りや聖書の言葉によって力をもらうことができる。
そんな風に、生きていけるクリスチャンはほんとうに幸せです。
さびしそうな日本人がたくさんいるのが、かわいそう。
神さまを認めて、神さまに頼りながら生きるのが、本当に
人間らしい生き方だと思うのです。
何か金をはらったり、供え物をしないといけない偶像の「神」では
なく、自分と世界の創造主である神さまを信じて
祈りながら生き、死後は天国に行くのが最高の生き方です。
そして、世の中の評価は、ほどほどに受け入れて、
直すべきところは直し、気にしないで受け流すべきところは
受け流す。世の中のいろんな価値観で自分を評価しない。
神さまが自分をどう思っているかが一番大事なのです。
わたしは、いろんな人に好かれたり嫌われたりしているし、
悪く評価されたり、よく評価されたりもする。でも、それだけで
わたしは自分の価値を決めない。
神さまは、聖書に「あなたは、わたしの目には高価で尊(たっと)い。」
と、書いてくれている。罪びとの罪を赦し、天国に入れてくださる
ほど、愛されているので、生きている間もこの神さまを信じて
この時代を走りぬこうと思う。生きているのは一瞬。死後は永遠。
生きている間に、神さまに出会わないと、天国にいけません。
byクリスチャンの日本のお姉さん