日本国の研究  「絶対的貧困はまずい。」「希望のない貧困というレベルじゃないかな。」 | 日本のお姉さん

日本国の研究  「絶対的貧困はまずい。」「希望のない貧困というレベルじゃないかな。」

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「いまこそ『日本の信義』を取り戻せ」
続出する猟奇事件、広がる経済格差。国際的なプレゼンスは決して高いとはいえないままだ。日本を覆う「喪失感」は時とともに大きくなっているかのように見える。東京都副知事として行政の最前線に立つ作家・猪瀬直樹氏と、言論界を縦横無尽に駆ける異能の外交官・佐藤優氏が正面から語り合った。
            
【緊急対論】
  佐藤 優(作家・外務官僚)
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  猪瀬直樹(作家・東京都副知事)
■アメリカにどう向き合うか
○佐藤○ 東京都副知事に就任されてから1年あまり。なかなか大変なことも多いようですね。

●猪瀬● 都議会から批判されたりね。参院議員宿舎の移転反対や調布飛行場の有効活用等の政策をめぐる僕の発言が、都議いわく「都民に無用な不安や誤解を与え、都政への信頼を揺るがしかねない」らしい。

○佐藤○ 副知事というのは批判されるためにいるものですからね。各国を見ても、インテリジェンスの統括というのは副総理や副大統領の仕事。成果があった時はリーダーの見事な指導、となるけれど、失敗した場合は彼らが泥をかぶる。損な役回りです。ただ、実態を全部裏側から見ることができる。

●猪瀬● ここも一つのミニ国家だから。都議は都職員と利益共同体みたいなところがあって、よくわからない部分もある。ただ、今後も都民の立場に立っての発言や提言は、臆することなく続けていくつもりです。

○佐藤○ 普通、作家や評論家は恰好つけるので、現実にまみれることをしないじゃないですか。でも猪瀬さんにはキリスト教でいう受肉の思想がある。書いているだけではダメで、肉にならないと、現実のなかで形にならないと意味がないという信念がある。道路公団民営化の時もそうですね。ギリギリの歩留まりのようなところまでいく。卓袱台をひっくり返し、現実を否定するのは簡単なんです。だから僕は、猪瀬さんが副知事をやっていることと作家としての考え方、そのつながりに強い関心がある。

●猪瀬● 僕にとっては道路も都政も「作品」なんです。だから人がいうほどギャップはない。先月、『日本の信義』(小学館)という対談集を出しました。20年くらい前に、知の巨星と称される先輩方と、『週刊ポスト』誌上でさせてもらった話が中心になっている。国際的にはベルリンの壁崩壊から、湾岸戦争。国内では昭和天皇崩御とバブル景気。昭和から平成へ、高度成長と予定調和の世界が終わる頃です。改めて俯瞰して見ると、日本が抱える問題はほとんど変わっていないな、という気がする。

○佐藤○ そうですね。猪瀬さんが当時抱いていた問題意識がクリアになっていたら、今の日本を覆う喪失感のようなものはなかった。当時は、グローバリゼーションや新自由主義の萌芽が窺えた時代ですね。江藤淳さんが国際社会のなかで生きる国家の信義について、看破していた。

●猪瀬● 「友人であるということは、後ろを向いたときに刀で刺さないというだけの意味だ。国と国の関係であればお互いに非難されることにも裏切られることにも耐えなければいけない。だが、自分は決して後ろを向いたときに刺さない、という点において裏切らない」という至言ですね。江藤さんはそういう姿勢を30年間堅持できれば日本は国際的に評価される、といったのだけれど、平成に入ってからの日本がかくも気高くあったかというと残念ながらそうとはいえない。

○佐藤○ アメリカ帝国にどう向き合うか、という課題にはいまだに答えを見つけられていませんからね。アメリカの帝国主義というのは、切磋琢磨するものではなく、覇権主義を伴う普遍的な原理で世界を覆ってしまおうとするもの。奇しくもソ連と同じだった。

●猪瀬● かつての日本の文化人というのは結局、アメリカナイゼーションかマルクス主義に走った。そして自分自身のビジョンや国家としての指針が持てなくなった。歴史を持った国であるはずの日本で、歴史を否定するような戦後社会ができあがってしまったわけです。

■昭和天皇崩御で物語が消えた
○佐藤○ 僕には今、このままだと新興の金持ちは海外に逃げ出してしまうんじゃないか、という危機感があります。木村剛さん(金融コンサルタント)などと話すと、実際にそういう動きもあるという。日本は規制緩和が十分ではないから資本も集まらないし、雇用をつくり出す経営者も寄ってこない。政府は貧困の問題を放置したまま。カネを持っていると恨まれる。秋葉原の通り魔事件が象徴的でしたが、もはや安心して外を歩けなくなっているでしょう。経済的に余裕のある人だったら、香港やシンガポールに移住するというのがより現実的な選択肢になってきている。秋葉原の犯人の観念には皇居も国会議事堂も首相官邸も、それから東京都庁の存在もないわけです。恋人や友達をつくることもできず、たった一人で孤立し、何かに対して怒っている。
 
●猪瀬● 確かにあの容疑者にはよりしろがないように見えるね。猟奇的な事件が続発して、一方では20~40代という働き盛りの世代でさえ精神を病む人が増えている。僕は昭和天皇崩御も関係しているんじゃないかと思う。森鴎外に『かのやうに』という小説があります。洋行帰りの学者が、日本の神話が歴史でないことをどう説明するべきか苦悩する姿を描いたものです。鴎外はここで、日本人は結局、万世一系を始めとする神話がある「かのように」振る舞うことで心の安定を得ている、という現実を浮き彫りにして見せたわけだけれど、90年代の日本ではその「かのように」さえなくなった。

○佐藤○ 核家族が完全に標準的なモデルになった時期ですね。

●猪瀬● 仏壇に向かって手を合わせるとか親戚の法事に出るとか、様々な儀式がどんどん簡略化されたりなくなったりしていった。かつて日本人の家族の家には御真影が飾られていて、皇居とつながっているという感覚、みんな同じだという幻想があったけれど、昭和天皇崩御でそれも消えてしまった。日本人から大きな物語が消えてしまった。仮に少しくらい貧乏だとしても、国家とか社会とか伝統、歴史の系図に自分の居場所があれば、自分なりの世界が描ける。それができない人が出てきた。

○佐藤○ 格差を否定すべきではないと思います。共産主義社会ではないですから。努力や運による差はあっていい。ただ、絶対的貧困はまずい。昨年の国税庁の統計によると、年収200万円以下の人たちが1000万人を超えるという。そういう状況は社会を壊しかねない。

●猪瀬● とはいえ、中国の現状などと比較すると、今の日本にあるのは、絶対的貧困というより、新しい貧困層、希望のない貧困というレベルじゃないかな。

○佐藤○ 着目すべきは名誉と尊厳です。手段を選ばなければ1日2500キロカロリーを摂取することは可能でも、大学院を出たのに就職先がないなんていうのはやはりおかしいわけです。彼らは親にパラサイトしながら経歴を偽ってコンビニでバイトしたりする。名誉と尊厳はいたく傷つけられている。

●猪瀬● 平成になって、急速に状況が悪化しているのは事実だね。

○佐藤○ 東京の道を安心して歩けるかというのは、都にとってすごく重要な安全保障問題ですよ。だから、猪瀬さんをヘッドにして、都が心理学や犯罪学、労務管理の専門家、経済学者や社会学者、そういう人たちを集めて、あの青年がなぜ凶行に至ったのか、調べて発表すればいいと僕は思うんです。もちろんあの種の事件には個人の資質が関係しているだろうけれど、環境要因も大きい。イスラエルのインテリジェンス担当者などは、なぜテロが起こるのか、テロリスト側に立った研究を常に行なっている。やはり社会構造が生む部分が少なくないんです。猪瀬さんは作家だから、想像力があって極端な世界を理解できる。そういう動きがあれば、東京都はやるな、ということになるのでは?

■「先進国のモデル」をつくる
●猪瀬● 僕の印象では、大きな物語がないが故に、人々が目の前の受験とか単一の価値観でしか物事を捉えられなくなってきている気がする。子供の頃は神童でも20歳過ぎたらタダの人、っていうのは昔からよくいたわけです。それがいったんレールを外れると、とんでもないことをやりかねない雰囲気になってきている。

○佐藤○ 国家エリートというのは意識的につくらなければいけない。ただ、それとは違う道も用意されているべきです。

●猪瀬● 先日、ジェラルド・カーティス(コロンビア大学教授で日本政治研究の第一人者)と会う機会がありました。彼は若い頃、貧乏していて、ジャズ・ピアニストとしてナイトクラブでバイトしながら大学に通ていた。そこでいい教授にめぐり合ってコロンビアに推薦してもらい、現在への道が拓けた。「アメリカにはいろいろ問題があるけれど、遅咲きを認めてくれる社会で、自分は救われた」と語っていた。回り道をしていけるような社会にならないとね。僕なんかもいろいろ回り道しているから。

○佐藤○ 多面的な価値観が求められますね。

●猪瀬● 例えば、農業に従事するなら200万円で優に1年暮らせます。日本の農業は国際的な競争力を持てる有望な産業の一つです。そういう感覚を育てることも求められるのではないか。地方分権にもつながる。

○佐藤○ 僕は中間団体が重要だと思う。国家ではないコミュニティみたいなものです。モンテスキューは『法の精神』で、「中間団体こそが民主主義の基本である」といっている。地方の町でもいい、会社の組合でもいい。誤解を怖れずにいえば、宗教団体でもいいんです。国に依存しなくとも、飯を食べさせていく組織がないと多面的な価値観は生まれない。昔は地元の名士が優秀な子供を書生にして教育を受けさせたものですが、今は皆無になってしまった。ヨーロッパやアメリカにはそういう人たちがちゃんといる。

●猪瀬● ビル・ゲイツだってマイクロソフトを引退して慈善団体に行くわけでね。日本はどうしても一本レールなんだな。

○佐藤○ 産労総合研究所の調査によると、日本の社長の年収は3200万円。一部上場の大企業の社長でも5000万~1億数千万円です。外資なら10億~20億円がザラですから、それだけ会社に内部留保しているということでしょう。やっぱり会社主義なんです。だったら、会社がバラ撒けばいい。下請け、孫請けの面倒まできちんとみて、地域や国家にご奉公する。

●猪瀬● 松下幸之助はかつてそうだった。

○佐藤○ 今後、ますます経営者の良識が問われます。儲かっているのだからその分は再分配する。そういう意識がないと、組織の末端で事件は頻発して、結果的に日本企業のイメージは低下し、自分で自分のクビを絞めることになる。

●猪瀬● 僕は先進国のモデルを早くつくらなければいけない、という立場です。世界に対してどういう物語を提示するか。例えば環境。航空用語に「ポイント・オブ・ノー・リターン」(帰還不能地点)というものがある。地球温暖化のそれは、あと10年ぐらいで訪れるといわれている。環境と都市の共生は、人類が近いうちに必ず解決しなければならないテーマです。東京都では、2016年のオリンピックでそれを発信すべく招致、準備を進めている。東京がそれを示し、日本全体をリードできれば、新しい物語になりうる。
 
○佐藤○ そういえば、『日本の信義』のなかで、梅原猛さんは、「エコロジーは伝統的に日本文化の骨格のなかに入っている。それをいまは生産の論理ばかりだ」と嘆かれていた。

●猪瀬● 日本のナショナリズムというのは中韓とは違う、戦争をやり尽くしたがゆえに成熟したナショナリズムです。ただ、時々乱調がある。現在はそういう状態なのかもしれない。けれど、物語ができれば安定する。日本の信義は取り戻せる。僕はそういう風に考えています。

      (週刊ポスト 08年8月1日号)