「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成20年(2008年)8月21日(木曜日)
通巻第2297号
華国鋒元主席が病逝、まっとうな共産主義者はこれで皆無になった
共産党主流派は、キャピタリスト的商売人と利権取り次ぎ業者ばかり。
*************************
華国鋒が死去した。87歳だった。
これで平等な社会主義実現をうたった共産党のなかに、まっとうな共産主義者は居なくなり、中国共産党主流派は、キャピタリスト的商売人と利権取り次ぎ業者ばかり。非主流派に毛沢東礼賛を標榜して、予算獲得にはしる守旧派やポストを死守するだけの「大分県教育委員会的」なムラ社会があるだけである。華国鋒死去のニュースを聴いたとき、小生は或る中国人精神科医が語った衝撃的な談話を思い出していた。
1986年に『中国の悲劇』(山手書房)という本を上梓した(その後、89年に天山文庫に収録されたが、いずれも絶版)。北京礼賛本が書店に羅列された環境下で、この本はおおいに注目されたが意外に批判も多かった。中国を正面から批判した嚆矢であるこの拙著のなかに一章を割いて、中国から亡命してきた精神科医のインタビューを掲載している。記憶が正しければ84年初秋に、『月刊現代』の元木昌彦・副編集長(当時)と台湾へ行ったおりに、大陸から亡命してきた精神科医にインタビューした記録を再録したもの。
その医師の名は張文和(北京医学院精神衛生研究所副主任から81年に学者交換プログラムで渡米、研修後、台湾へ亡命)と言い、当時の中国の精神医学で最高権威の一人とされた。私は二日間に亘って、この精神科医にインタビューを続けた。
要点はー
(1)中国はそのものが巨大な精神病棟である。
(2)政治犯の多くはロシアのように精神病棟に送るのではなく労働改造所へ送り込み、重労働に耐えられない知識人らはそこで死期をはやめるという遣り方をとる。ロシアと比べて中国の方がはるかに残酷だ。
(3)中国には精神病医がすくなく、多くの精神病棟というのは隔離だけが目的。
(4)共産党幹部が入院した場合は「別格」で「外人賓客」病棟に収容される(文革中、外人が居なかったのに「外人賓客」と標榜したのも不思議だが)。
張医師は、このおりに華国鋒が自殺を図ったという内部情報を知った。自殺をはかるというのは精神病理学的言えば精神のどこかを間違いなく病んでいるからだ。しかし同医師は華国鋒が入院したという話は聞かなかったと言った。
さて長く失脚したと信じられた華国鋒が六年前の第十六回党大会にふらりと会議場に現れ、一言も発言はなかったものの、国家の幹部として最高の扱いをうけていたことが分かった。
昨秋の第十七大会には「特別ゲスト」、人民服であらわれた。博訊新聞網などによれば最晩年は揮毫を求められると雄渾な書をものにしたと言い、また毎朝、毛沢東の写真に三度、深くお辞儀をするのが日課だったそうな。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
樋泉克夫のコラム
【知道中国 181回】 〇八・八・念二
――無私無欲な中国の執事か、毛沢東専任総務部長か
『長兄 周恩来の生涯』(ハン・スーイン 新潮社 1996年)
この評伝は、香港を舞台にした名作映画として知られる「慕情」の原作者であり、中国人を父にベルギー人を母にインド人を夫に持った女流作家のハン・スーインが、ロシア革命、五・四運動、ヨーロッパ留学運動、中国共産党創設、第一次国共合作、台頭する蒋介石による共産党掃討、長征、延安時代、整風運動による毛沢東の指導権確立、第二次国共合作、中華人民共和国成立、新国家建設、朝鮮戦争、百花斉放・百家争鳴、反右派闘争、大躍進、核実験成功と国際社会への復帰、文化大革命、林彪による反毛沢東の動き、米中国交回復、政権奪取を目指した四人組の専横――このような中国の近現代の歩みに周の生涯を、いや周の人生に歴史的出来事を重ね合わせて書き上げたものである。
1898年に生まれ1976年に亡くなった周恩来は、近現代中国の波乱と激動の真っ只中に在り続けた。であればこそ著者がいみじくも語っているように、周恩来は「中国の執事」として、人生のすべてを中国に捧げたといえなくもない。「死後もなお変わらぬ敬愛、賛美の対象となる人物の伝記を書くことは難しい」と語る著者は、正確で公正な記述を心がけ、「何百人もの中国の学者、教師、労働者、また各国駐在の大使・公使など、多年にわたり周恩来の薫陶を受けた何十人もの方々のお世話」になり、「さらに中国内外から、周恩来に会ったときの回想録を」送ってもらい、「周恩来の失敗、短所を探し、それらを書き記した」のである。「だが、中国では、そのような些細な欠点は、彼の気配り、他人の意見に喜んで耳を傾け、他人を信頼する性格の証とされてしまう」と、「中国史上でもっとも誠実でひたむきな無私無欲の人物」とされる周恩来の“偉大さ”を改めて強調する。
「不倒翁」のあだ名に象徴されるように、創設以来続く共産党の血腥い激烈な権力闘争の中枢に在りながら、周恩来は一貫して権力を失うことはなかった。そうであったのは、著者が主張するように「中国史上でもっとも誠実でひたむきな無私無欲の人物」だったからだろうか。
いや、そうではあるまい。じつは革命家・政治家として彼が極めて冷徹で酷薄で激越で、さらに計算高く用心深い言動を執り続けてきたからこそ、いや、そうでなければ「不倒翁」ではありえなかったはずだ。毛沢東を筆頭にドロ臭い風体の農村出身者が多くを占める共産党幹部のなかにあって、没落したとはいえ江蘇省淮南の名望家の長男として生まれた家庭環境、少年の頃から「愛らしい面立ちだった」といわれる容貌が「中国史上でもっとも誠実でひたむきな無私無欲の人物」というイメージ作りに奏功しただろう。
だが若き日の周恩来は命令を下し、党を裏切った某党員一族の「十二歳の少年を除く十七人」を「全員処刑」にしたうえに、死体をその家の庭に埋めてもいる。長征の途中までは毛沢東より高い党内序列に在ったにもかかわらず、やがて毛沢東の権力が確立して以降は、著者も指摘しているように彼は毛沢東に対して終始一貫して「主君の身を気遣う忠臣ぶりを発揮し」続けた。それゆえに「毛沢東選任の総務部長」だとの酷評すらあるほどだ。はたして周恩来は「無私無欲な」「中国の執事」なのか。
それとも毛沢東という「主君の身を気遣う忠臣」だったのか・・・いずれが正しいかは、一人ひとりの読後感のなかにある。因みに評者は後者だと、強く思う。《QED》
~~~~~~~~~~~~~~
♪(読者の声1)貴著新刊『北京五輪後、中国はどうなる』(並木書房)の書評が下記のサイトにあります。ご参考までに。
http://
(TF子、小平)
(宮崎正弘のコメント)情報有り難う御座います。新刊は書店に並んではいるのですが、なかなか書評が出揃いません。
♪(読者の声2)パキスタンのムシャラフ大統領辞任といい、グルジア問題でロシアの狙いはBTCパイプラインだといい、こんどは華国鋒危篤説(その後死去)と、貴誌はまことに大手マスコミよりも情報が早い。いっそのこと『早読み』を『早すぎ』と改名したら如何でしょう。
冗談はさておいて、ロシアは撤兵を約束しながら、グルジアからまったく撤退しないのに、欧米は口先だけの非難です。この同じパターンで将来、中国が台湾を攻め入ったら、アメリカは批判声明を繰り返すだけでは??
(宮!)正弘のコメント)ロシアはサアカシビリ(グルジア大統領)をCIAの傀儡とみており、この政権とは話し合わないと強硬姿勢です。
グルジアはこのままではロシアに融和的な大統領と交替せざるを得ないし、それがプーチンの当面も目標であり、選挙を急がせるためにグルジアへいたる道路と港湾を封鎖している。あの遣り方を見ていると、まさしくグルジア版『ベルリンの壁』です。NATO外相会議はグルジア問題で緊急会合をもち、結局は軍事的に「なにもしない」ことを決めました。米軍は戦闘艦を近くの洋上へ派遣し、ライス国務長官は北京五輪最終日の閉会式出席を断念して事態の推移をウォッチするようではありますが。。。ところで、日本のマスコミの一部にサアカシビリのほうが(先に手を出したのだから)悪いと論評する人がいますが、嘗てKGBの世論工作が華やかだった頃の、日本のマスコミに於ける代理人工作を思い出しました。偽情報をまずミニコミ紙にでも書かせ、それを外国の新聞に転載させる遣り方や、「影響力のある代理人」「自覚のない代理人」を駆使して相手国世論を誤導するというKGBの特殊技能です。攻撃は最大の防御なり、というのは戦いの基本ではありませんか。ブッシュのプリエンプティブって、予防的攻撃と訳すから訳が分からなくなるのであって、あれは「先制攻撃」で適訳ですよ。
♪(読者の声3)先生のメールは始めから購読していましたがこの度、小生のシステムの損傷のためfileがなくなりました。今はシステムを直し動いていますが今までfileが全部なくなりました。また先生の毎日送られるmailも来なくなりました。是非もう一度mailをおくっていただけますようお願いいたします。 (TD生)
(編集部より)畏れ入りますが、当方としては手の打ちようがありません。拙HPから登録バックナンバーへ繋がりますので、そこで閲覧していただくのが当面の対応策だろうと存じます。
♪(読者の声4)なんか毎日中国でテロが起こっているので「テロリンピック」になってると思うのは私だけでしょうか?(X生)
(宮崎正弘のコメント)欧米ではNOLYMPICと言っていたのですが。。。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
♪関西方面の読者にお知らせ
@@@@@@@@@@@@
■トルコと日本の「友情」を考える
8月24日「エルトゥールル号遭難」テーマにシンポ(午後二時から)
会場は大阪市中央区「エル・おおさか」大ホール
明治23(1890)年、和歌山県串本町沖で遭難したトルコ軍艦の乗組員約70人を地元住民が救ったエピソードを題材にしたシンポジウム「トルコ軍艦『エルトゥールル号』遭難と日本人」(新しい歴史教科書をつくる会主催)が24日午後2時から、大阪市中央区の「エル・おおさか」(府立労働センター)で開かれる。トルコのセルメット・アタジャンル駐日大使も出席する。エルトゥールル号は、明治天皇への特派使節団650人を乗せて来日。横浜港から母国に戻る際に台風に巻き込まれ、沈没。600人近くが犠牲となったが、69人が住民の手で救出され、日本政府によってトルコに送り帰された。この出来事は、トルコでは教科書にも記載されるなど広く知られ、同国民が日本に友好感情をもつきっかけになった。イラン・イラク戦争の最中の1985年3月、テヘランに取り残された日本人216人をトルコ航空機が救出したのも、エ号乗組員救助への「恩返し」だったとされる。串本町でも乗組員の追悼式が継続的に開かれ、今年6月の式にはアブドラ・ギュル大統領が初めて参加。遺品の引き上げ作業も行われている。シンポジウムでは、事故とその後の日本とトルコとの友好関係を子供たちに伝える活動を行ってきた元自治体首長らがパネルディスカッション。先人の生き方の継承と国家同士の「友情」を考える。横山久義・元福岡県篠栗町長は子供向けの本を作成して小学5年生全員に配布。串本町の田嶋勝正・元町長は教科書への掲載を求めてきた。
パネリストは、ほかに山谷えり子・首相補佐官(教育再生担当)と外交評論家の田久保忠衛氏でそれぞれ「名もなき偉人伝」「日露戦争とトルコ国の物語」と題した基調講演も行う。入場希望者は電話かファックス(名前、住所、電話番号を明記)で、つくる会(電話03・5800・8552、FAX03・5804・8682)に申し込む。入場料1000円。
(8/20産経新聞大阪本社版掲載記事)