【日本の「IT自給率」を考える】 定着しない40代の即戦力人材 (日経) | 日本のお姉さん

【日本の「IT自給率」を考える】 定着しない40代の即戦力人材 (日経)

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▼【日本の「IT自給率」を考える】 定着しない40代の即戦力人材 (日経)
もちろん、暗黙知や忠誠心を全否定するつもりはない。それらが会社の独自の強さを生んでいる側面は確実にある・・・ “自主流通小麦”、世にはばかる
・40代の転職、5割が勤続年数2年未満
企業の中核を担う40代前半。厚生労働省の雇用動向調査(2006年)によると、40~44歳の離職者のうち、53.9%が勤続年数2年未満。2004年よりも1.9ポイント高まった。45~49歳を見ても、同期間で2.9ポイント上昇した。全体では2.4ポイント減だけに、40代の勤続年数の短期化が目立つ。この問題の根は、実はIT(情報技術)の抱える悩みと同じかもしれない。 少し前、知人の経営者から電話をもらった。沈んだ調子で、「今晩、酒に付き合ってほしい」とポツリ。彼の会社は小規模ながら順調に成長を続けており、その知人自身も普段は明るい御仁なのだが、その日に限ってはいつもと違う。もしや資金繰りの悪化でもあったのかと心配になり、居酒屋で話を聞くことにした。その内容とは…。 事業は順調だが、人手が足りない。中途採用でまかなおうと、時間をかけて丁寧に候補者と話し合った。吟味に吟味を重ねて、1人を選んだ。その彼が入社して3日目の朝。頼れる人材を得て、胸躍らせつつ出勤した自分の机の上に、彼の退職願が置いてあった――。 ひ実際、市場環境が急速に変化する中、「会社の色」は競争力には必ずしもなりえない。むしろ競争力でない要素を守ろうとすればするほど、市場とのギャップが生まれ、競争力は失われていく危険性すらある。実際、その会社固有の仕事の進め方に固執するあまり、新たな市場機会を逸失し、市場のルール変更に耐えられずに内部崩壊している会社は、特に最近の日本企業において、残念ながら枚挙に暇がない。 もう1つの「チームとしての意識や結束力を高める」ということも、場合によっては疑ってかかる必要がある。もちろん、人間が1人でできることには限界があり、それを超えるための組織なのだから、チーム意識の向上が組織内の調整にかかる手間やコストを減らすという効果は否定すべきでない。しかし過剰なチーム意識が市場(顧客や取引先)との関係性を歪めているとしたら、そのチームの存在理由は希薄だと言わざるを得ない。

・暗黙知で済ませるな
もちろん、暗黙知や忠誠心を全否定するつもりはない。それらが会社の独自の強さを生んでいる側面は確実にある。ただ、その企業の中だけで通用する暗黙知やローカルルールを過信するあまり、それだけで業務をこなそうとしていないだろうか。 摘したように、業務にIT(情報技術)を利用するとは、業務の内容や手順を情報化することにほかならない。だとすると、暗黙知やローカルルールがデジタル表現との親和性をよほど備えていない限り、その業務のIT化は相当複雑なもの、限定的なものになっているはずだ。実際、日本の企業情報システムは、IT化以前のローカルルールを過度に作り込んでしまい、結果として紙ベースのワークフローより面倒なものになっている、という現象は現場のあちこちで見られる。 また、暗黙知やローカルルールを温存しているということは、裏返せば、業務プロセスや経験が形式化して(形式知として)共有されていないというである。ならば業務ごとの重要度の評価が相対化されているとは思えず、結果として「その会社にとって何が重要な業務なのか」という企業の根幹すらも明確になっていないはずだ。こうなると問題はもはやIT云々ではなく、業務そのものの妥当性という根幹にあることになる。 こうした傾向は、日本の情報セキュリティの分野でもよく指摘されている。要は守るべき資産が定義されていないために、何でも守ろうと社内外のあちこちにやたらと高いファイアウォールが乱立し、業務そのものや情報の流れに支障を来しているという。またそうして得られた一時的な安心が、かえってモラルハザード(安心による慢心で生じる新たな障害)や、細かい事故の多発を招いているとも聞く。 また資産の未定義によるファイアウォールの無意味な高さが、社内での柔軟な協調や外部リソースの活用を困難にし、業務効率を悪化させてもいる。かつてP&Gが世界規模で業務を全面的に見直し、Gmailなどグーグルのサービスなども含めた世界的なアウトソーシングの利用を通じて、コスト削減と効率化を両立させたというような話は、今の日本の企業社会ではとてもリアリティのあるものとは考えにくい。 暗黙知やローカルルールに固執し、その中で会社への忠誠心を要求される。目の前の業務はIT化されていないか、されていてもワケが分からない。ファイアウォールも高いので外部に助けを求めることもままならず、しかも頼りとなるはずの内部の人が、最悪の場合は既得権者として、本来不要となるはずの無意味な業務を死守しているかもしれない…。こうなると「辞めるな」という方が酷かもしれない。 ひとまず経営危機は杞憂だったことに胸をなでおろし、「残念だけど、こればかりは仕方ないし、よくあることと割り切りましょう」と励ましたのだが、話はさらに続く。 この会社、すでに数年の事業経験があり、経営も極めて堅実である。その割りに、人の出入りが活発だったのは前から気になっていたが、定着する人は定着し、それなりに満足している様子だったので、私も「労働市場の流動性が高まった結果」という程度の認識だった。しかし知人曰く、今回のようなケースが、ここ数年で増加しているというのだ。 何が問題なのだろうか。知人によれば、特に変わったことはしておらず、時間をかけて徐々に会社の色に馴染み、チームとしての意識や結束力を高めてもらいたい、ということを終始一貫して伝えただけだという。確かにそれだけを聞くと、組織人としてごく当たり前のことを伝えているだけのように思える。当初は私も返答に窮してしまった。

不合理な美辞麗句に興ざめ?
しかし知人の言葉を私の中で反芻するうちに、「もしかすると、その姿勢にこそ、原因が隠されているのではないか」ということに気づいた。採用された側の立場で知人の言葉を今一度とらえなおしてみると、実はその言葉には合理性が乏しく、ゆえに仕事のモチベーションや忠誠心をむしろ低下させる要因が含まれているように感じたからだ。大きく2つのポイントがある。 1つは「会社の色に染まっていく」ということ。一見、当たり前のように思える言葉だが、新参者としては、なぜそうした暗黙知やローカルルールに染まる必要があるのかが分からない。その会社が圧倒的なグローバルトップ企業ならさておき、そうでないなら、会社の色に染まることとその会社がしっかり稼ぐことの間に、一義的には相関性はないはずである。そこで色がどうこう言われても困る、というのが正直な気持ちかもしれない。

“近そうで遠い”隣の部署
変わるためにやるべきことはシンプルだ。要は、役割定義を明確して、暗黙知の形式知化とその共有を進め、外部リソースも活用して無駄なことはやめましょう、ということの徹底となる。その際にITを最大限に活用すればいいし、反対にITの潜在能力を引き出すには、「これまでに絡みついた様々な内部の事情や都合」をバッサリと斬り捨てる必要があろう。 現実には難しい、と言うなかれ。すでにこうした意識を持つ企業は登場している。実際、大企業を中心に、諸々の調整や稟議等の手間を考えると、隣の部署と組むよりも、明確な役割分担と契約の下で社外のパートナーと組んだ方が、よほど仕事がラクで早い、という声は少なくない。なにしろそうした気配こそが私を独立に至らせた背景であり、パソコンとネットを武器にそれを生業にできている以上、最近はもはや確信に近い。 それでも、内部リソースによる企業のローカルルール中心で仕事を進めたいというのであれば、方法はただ1つ。その会社が属する産業全体を世界規模で支配するパワーを持つことである。無茶な話に思えるかもしれないが、例えば数年前に欧米を中心に展開された大規模M&A(合併・買収)は、自分たちでコントロールできる商圏を世界規模で作り上げるための動きそのものである。また今日、世界市場で広く認知されている日本企業は、多くがそうしたパワーを備えているはずだ。 そこまでやりきる腕前と自信と覚悟があるならば、我が道を進むのも一興だろう。しかしそうでないなら、もっと社員が外部の人間との接点を前提に業務遂行できるガバナンスの構築や、あるいはIT統制の再検討を試みてはどうだろうか。酔った勢いでそんな生意気を冒頭の知人の経営者に言ってみた。すると、またしても頭を抱えてしまった。そんな姿から、多くの日本企業の苦悩が垣間見えたように思えた。
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時間をかけて徐々に会社の色に馴染み、チームとしての意識や結束力を高めてもらいたい、ということ
だけをしつこく繰り返して言い聞かせたから、うっとしくなったのかな?ITに詳しい中途採用の中年男性を面接で選んでやっと採用できたのに、直ぐに辞められたからがっかりした人の話でした。
中途採用した人が、IT部門の無駄な仕事や無駄な部門を指摘してきたら、
「まあまあ、経営が悪化しているわけではないということがわかったのだから、よかった、よかった。無駄をはぶくというのはいまさら難しいからなあ。そこは会社の色に染まってもらって、チームとして和気あいあいとやっていきましょう!」などと、何度も繰り返したのかな。
中途採用者が自分の意見を聞いてくれない会社だと見限ったか?
でも、中途採用者の中には、自分の適職を探して会社を放浪している人もいる。自分さがしの旅を一生続ける気なのか。仕事というのは、どんな仕事も辛い部分もあるので、自分の年齢や能力を考えてどこかで妥協しないと。30歳を過ぎたら、自分の能力がどの程度か、ボチボチわかるはずです。
全員がサラリーマンになる社会もおかしい。いろんな職業の人がいていいと思う。
芸術家や芸能人や冒険家などがいていいと思う。仕事ができない病人もいるだろう。
ただ、せっかく面接に受かった会社をすぐに辞める人は、たぶん、親の家に住んでいて、寝るところも食べる物もいつでも用意されているからのんきに生きているのだと思う。ある意味うらやましい。
手元の貯えが無くなったら、住むところも食べる物も無いとなったら、仕事を選んでなんかいられないもの。
でも、聖書には「働かざる者、食うべからず。」と書いてある。
「貧しくならないよう、仕事をしなさい。」とも書いてある。病気ではないなら、自分で働いて稼いだ金で食べ物を手に入れるのは正しいことなのだ。元気なのに働かないのは、ただの怠け者じゃん。就職しようとあちこち面接を受けて頑張っている人は、ニートではなく求職中の人だと思う。面接の時に着る体にフィットしたスーツやくつは、あらかじめ用意しておかないとね。
就職できても、会社で上司に嫌なことを言われたからって、それだけで辞めていたら、誰だって10回ぐらいは、かるく会社を変えないといけなくなる。
嫌な目に会うことも給料のうち。会社の業績を上げるように頑張りつつ、ある程度、社内で嫌われないようにもしないと、ひとつの会社にずっと居続けるなんて無理。人間関係をいい感じに保てるというのも、ある種の才能だって、わたしの会社の社長が言っていた。そんな人は顧客にも愛されるんだって。わたしは、その才能には乏しいけど、他の才能があるから、いいや。
最近、友達の会社に中途採用された30代の青年が一か月で辞めてしまったので、今日の記事は現実味がある。でも、その30代の青年は、しょっちゅう会社を変わっていた人らしい。人あたりがよく、礼儀正しいので面接には、すぐ受かるが辞めるのも早いのかも。辞める理由は言わないが、社員ひとりひとりに、さようならの挨拶をきちんとしていったそうだ。ようするに、その青年は、生活に困っていないのだと思う。
10年ぐらい前に、わたしの会社に経理として採用されたがっしりタイプの男前の青年は、採用された次の日、
「母親から親友の看病のために病院に付き添いをするようにと言われたので、3か月待ってください。」なんて言いにきた。社長は怒って、「うちは、待ってられへん。」と言ってその男性の採用を断り、他の人を雇った。しかし、その男性は、きっちり3か月後に再度会社に現われて、雇ってくださいとお願いにきたそうだ。
ひとそれぞれ価値観が違うから、息子の就職より、自分の親友の看病の方をさせるが大事だと、その青年の母親は思ったのだと思うのだが、経理の女性職員は、「それは、たぶん、ウソやで。病人の看病がなんで3か月と限定できるねん。」と言っていた。会社のA子は、「わからんで。親友が余命3か月だと宣告されたのかも。」と言っていた。母親の親友の看病なら、その母親が自ら看病したらいいのに。
昨日、ネットカフェに行ったら、隣か、その隣のブースにいる女の子がずっと「ハア、、、、ハア、、、。」と溜息をつくように息をもらしながら泣いていた。最初、ブースの中で筋トレ(筋肉トレーニング)でもしているのかと思ったが、ときどき、「ブー。」とハナもかんでいる。一時間以上、ずっと悲しそうに泣いているので心配になり、ネットカフェの店長に報告にいった。
店長は、「悲しい映画を観て泣いているか、仕事が無くてやむを得ずネットカフェに泊っているかで、不安になって泣いているかでしょう。」と言われた。以前にも、そんな女の子が来ていたそうだ。仕事が無くて泣いている人もいるのに、せっかく就職できたのにすぐ辞める贅沢な人もいる。世の中、どうなっているんでしょう。
悲しくて泣いているなら、どうにかして助けてあげたい気もする。ブースに入って「どうしたん?」と聞いたら、よけいなお世話だろうか。映画を観て泣いているだけかもしれないし、、、。
by日本のお姉さん