国際戦略コラム ・ 西村 眞悟時事通信
ようちゃん、おすすめ記事。↓
国際戦略コラム NO.3022
[米金融危機を戦争経済で切り返す]
*******************
ロシアに対する米国の弱腰は、なんなのか検討する。 Fより
グルシアのサ-カシビリ大統領は南オセチア自治州攻撃に際して、米国に相談している。このとき、米国は軍事衛星で北オセチアに、多数のロシア戦車隊が来ていることを知っていたはず。しかし、米国はGOをサーカシビリ大統領に伝えた。これは、ロシア軍が南オセチアに入ることが分かっていたか、ロシア軍の思う壺にして引き入れたように思う。米国の金融機関は不良債権の山できっちもさっちもいかない状態であり、金融関連のサービス産業を含めると米GDPの45%にもなるセクターが泥沼の状態であり、この泥沼から這い上がるには、もう1つの米国の柱である軍事力をフル活用するしかないのだ。このため、米首脳はロシア軍の動向を知っていながら、グルシアに冒険をさせたのだ。そうでないと、ロシア軍がグルシアに侵攻してからの弱腰が説明できない。ロシアは米国の弱腰をグルシア支配権の承認と受け取り、停戦協定を守る気がなくなる。この証拠にロシア軍は今も撤退しようとしない。米国はロシア軍を引き入れて、戦争状態に持っていくことを考えているように感じる。イランがイスラエルの核施設空爆を恐れているが、これは、イランとロシアの同盟関係が出来ていて、ロシアはイラン攻撃に即、対応することが協定で決まっているからである。米国もロシアを悪者にした後、イスラエルのイラン攻撃を許可するような感じがする。しかし、イスラエルはロシア戦闘機のレーダを大量に納入している関係で、グルシアにはほとんど兵器を輸出していない。そのロシアがイランと同盟関係にあるため、ロシアとイスラエルは敵対関係になる。米国は、911や真珠湾を見ても分かるとおり、相手の一撃を受けてからしか反撃できないし、米国民の理解も得られない。今回の一撃は何かと考えると、在イラク米軍に襲い掛かるロシア重戦車隊ではないかと見ている。軽装備の米軍は敗退する。これで米国内の統一ができて、ロシアとの戦争になる可能性がある。ロシアと米国の指導者はホットラインで、全面核戦争だけは止めると思うが、戦術核兵器は使うことになる可能性が高い。そうすると、中東地域全体が核で汚染されることになる。そして、イスラム教原理主義者は全員死ぬことになる。これはロシアと米国にとって、邪魔者が消えることになる。とヨハネは見たのでしょうね。
日本の出る幕はなさそうである。さあ、どうなりますか??
=======================
ロシア軍、グルジアからの撤退確認されず 各地で駐留続く
【モスクワ=坂井光】グルジアに侵攻したロシア軍は、撤退開始日としていた18日が過ぎても撤退が確認されず、各地に軍を駐留させた。現地からの報道によると、19日未明(日本時間同午前)現在、ロシア軍は中部のゴリ周辺や西部セナキなどに依然とどまっている。和平「六原則」に合意したにもかかわらず速やかに軍を撤退しないロシアの強硬姿勢に、国際的な非難が一段と高まるのは必至の情勢だ。ロイター通信によると、ロシア軍は19日未明現在、首都トビリシからゴリに通じる幹線道路の途中に依然として検問所を設け、事実上往来を遮断している。ゴリ周辺には戦車や装甲車が駐留を続けたままで撤退の兆しはないという。一方、グルジアのサーカシビリ大統領は18日夜、「ロシアは我が国から出て行かねばならない。最悪なのは世界が妥協し、弱みを見せることだ」などと述べ、国際社会にロシアに圧力をかけるよう訴えた。北大西洋条約機構(NATO)は19日、外相理事会を開き、対ロシア政策などを協議する見通し。 (11:02)
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
西村 眞悟時事通信
「千島・樺太を忘れるな」 No.363 平成20年 8月18日(月)
西村 眞悟
八月十五日が「終戦の日」として過ぎていった。八月十五日までは、六十三年後の今も体験談が報道される。その報道の内容には、八月十五日で戦争が終わったんだという実感が多い。「八月十五日の昼、天皇の玉音放送に聞き入る大人達は泣いていた。しかし、翌日から燈火を遮蔽する覆いがはずされて明るい夜になった。嗚呼、戦争が終わったのだという開放感のもとで青空が広ろがっていた。こんなに空が青いとは思わなかった。」そして、この報道に接した我々も八月十五日の後、お盆帰りの交通混雑の報道とともに、戦争のことは終わったのだと忘れ、千島と樺太のことに思いをいたす人は希である。しかし、千島と樺太では、八月十五日以降に、ソビエト軍との戦闘が始まったのだ。樺太の真岡郵便局の九名の若き女性が自決したのは八月二十日である。そして、千島列島最北端の占守島(しゅむしゅ島)の戦闘はその時も続いていた。
「樺太に 命をすてし たをやめの こころ思へば むねせまりくる」 (昭和四十三年、御製)
千島も樺太も、ソビエト軍との戦闘が停止されたのは、日本軍が負けたからではない。天皇陛下の停戦命令に日本軍が従ったから戦闘が止んだのだ。樺太と千島の守備隊指揮官と兵は、八月十五日以降に侵攻してくるソビエト軍に対して抗戦を決意した。
これは、新たに発生した「祖国防衛の為の戦闘である」と、指揮官は判断した。これは当然のことである。今の自衛隊もこういう事態になれば戦闘行動を実施することになる。千島列島最北端のカムチャッカ半島の南の海上に位置する占守島においては、突如艦砲射撃の後で上陸してきた一個師団のソビエト軍を、日本軍は指揮官の命令があれば一挙に殲滅するところまで追い詰めたのである。しかし、我が日本軍の指揮官は、ソビエト軍を殲滅する寸前で天皇陛下の命令に従って軍使を派遣して停戦を提案した。つまり、勝った日本軍が敗者のソビエト軍に停戦を申し出て戦闘が止んだ。スターリンは、この小さな占守島一島におけるソビエト軍の人的損害が、八月九日から八月十五日までの全満州と朝鮮北部における全損害を遙かに上回ることを知って愕然として、北海道侵攻を断念したのである。
当時も現在も忘れ去られたような八月十五日以降の千島・樺太の戦闘が、日本本土を救ったことを、改めて想起すべきである。しかし、この戦闘を体験し語り継ぐ人々は多くはない。何故なら、ソビエト軍は、捕虜となった自らの命の恩人をシベリアの極寒地に送って過酷な労働によりほぼ絶滅させたからである。このようなことは、八月十五日以前は、許せないもののまだ腑に落ちる。しかし、八月十五日以降の戦闘を自ら停止して粛々と武装を解除した日本軍人に対するソビエトのこの諸行、許せるものではない。無念である。我々は、八月十五日以降の日本軍の戦闘と戦死者のことを忘れてはならない。これこそ、日本本土を救ったのであるから。さて、北京五輪が始まってから、日本の報道は、五輪一色である。しかし、この間にロシア軍は、グルジア侵攻を開始した。そして、ロシアとグルジアの停戦の合意がなっても、現在グルジアの首都まで四十キロの地点にロシア軍が撤退せずに居座っている。中国の奥地では、テロ現場を取材していた日本人記者やカメラマンが連行され暴行を受けたとの報道があった以降、何が起こっているのか判らない。ここで戦前のある格言を思い出す。「ロシア人は、約束は破るものだと思っている。中国人は、そもそも約束は守るものだとは思っていない」この格言と同じ事態が、現在も日本海のむこうの大陸で展開されている。 (了)