醜い日本人(安保さん)
ようちゃん、おすすめ記事。↓《 アジアの街角から》
▼▽ わたしの主張 ▽▼
☆ 醜い日本人 ――――――――――――――― 安保さん(58歳男性)
「国とは、安保さんにとってなんですか?」と、ファミレスでアイスを食いながら雑談中、唐突に年下の友人に聞かれた。
ーーーそのとき深く考えず咄嗟にでた言葉は、
「国とは自分の全てだ、国があっての自分であり、国があっての家族の幸福だと思っている」国とは自分にとって何なのか?真剣に考えたことがあるような..ないような。そんな質問を、面と向ってされたことも有りや無しや? でも咄嗟に出た言葉は、後から自分自身で再確認したが、私の本意である。もし次に聞かれた時は迷うことなくそう答えることができる。人間は誰しも一人では生きていけない。無人島で一人生涯を終えるのもまことに虚しい。無国籍で生きるのも難しい。結局、日本の国籍を捨てても何処かの国の国籍が欲しくなる。ーーーそれが普通の人間だと思う。偉そうに国に楯突き地球市民を気取っても、実際に日本国籍を放棄して他国で流浪の民として生きていけるのか。地球市民を標榜するなら、まず日本国籍を放棄してみろ。「自分にとって全てである国が、拉致された同胞を放置し、多くの国民も座視している」「自分にとって全てである国がつまらぬ国であることは、紛れもなく自分もつまらぬ人間なのだ」「即ち家族が暴力団に誘拐され、何処に誘拐され監禁されているのか分かっているのに、自分を含めて残された家族の安全と日々の平穏が壊されるのをただ恐れ、遠巻きにブツブツ声を上げるだけで、拉致された身内が死ぬのを待っている」
ーーーそんな家族が今の日本国民だ。
日本の有史以来、ここまで落ちぶれて恥知らずな日本人もいないのではないのか?ーーーそんな気がしてならない。今の日本人は、みんな地獄に落ちるだろう。若しくは因果応報、子々孫々にそのツケを負わすのだろう――――。私は、軍事力を以って取り返すのが、当然国家国民のすべきことだと確信している。それ以外にはない。58歳になった私を、国は銃を持たせて兵隊として朝鮮半島に上陸させることができるか。自己保存は、本能として命ある生き物すべてが有する。しかし人間にとっての至上の価値である自己犠牲の精神は、戦後生まれの日本人にとっては言葉や意味としては理解できても、一般的にはあるのか?ないのか?いざとなったらどうなのか?ーーーホンマによく分からない。
物心ついた時から「国を守る為、家族を守るために戦い死ぬことは男としての当たり前のことである」ということを学び教えられ、国も社会もそれが当然のことだという風潮があってこそ身に付くことなのかも知れない。戦前まではそれが当たり前の社会であり、男としても人間としても、日本人としても幸福な時代だった。戦後は、男にとっても、人間としても、日本人としても不幸な時代になった。卑怯者が卑怯者と呼ばれず、弱虫が認められ、勇気や自己犠牲は愚かだという・・・まこと不幸な時代になった。
私は志願はしない。だが、徴兵なら行く。58歳以上を徴兵し、北朝鮮の悪魔の独裁体制を倒し、同胞を救いに行くなら赤紙一枚に何ら文句は言わない。軍服を着て遺影にする写真一枚を撮ってもらい、ボロ船に乗って出征するだけで本望だ。海峡を渡れずして海の藻屑と消えようが、北朝鮮の海岸にたどり着き、砂浜に上陸して後に味方の流れ弾で死のうが、北朝鮮軍のヘナチョコ銃弾に撃たれて死のうが本望だ。
無論、死ぬまで戦う、日頃は軟弱そのものの私だが、一人十殺の気概は十二分にある。素手で敵の目の玉を平気で抉り出せる。北朝鮮兵士の喉を自分の口で噛み切ることも平気だ。今の日本と日本人、こんなつまらぬ国に偉人も英雄も国民栄誉賞もない。家族を放置して何が栄誉賞だ!恥を知れ!街を歩いていてもテレビを見ていても、今の日本人の顔は醜いだけだ。
イチローだって誰だって、所詮は同じ穴のムジナだ。俺も醜い。勇気も無い。徴兵なら行く。志願はしない..できない。このままなら、老醜をさらし醜い日本人として死ぬしかない。生き残った元皇軍兵士も、昔、命懸けで戦った分は差し引くが、差し引いた分以外は、今では同じ穴のムジナだ。一部、運動し戦っている方々には万感の敬意を払い、感謝の思いで見守っている。この方々だけは特別だ。かろうじて日本人の気概を継承してくれている。ーーー私には....真似ができない――――。
= おわり =
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▼▽ 心が元気になる話 ▽▼
☆ 若き土木技術者 ――――――――― hideおじさん
昭和7年から昭和20年までの13年間、朝鮮の多くのインフラ建設に携わった日本人がいた。
ーーー松尾茂である。
彼もまた、英雄でもなければ偉人でもない。インフラ建設というと仰々しいが要は現場監督、「土方の大将」である。彼は中村組という土木会社を率いて、朝鮮各地の道路、鉄道、橋梁そして水利工事にと、地元朝鮮人とともに心血を注いだのである。「朝鮮における土木工事は、日本軍国主義の強制した手前勝手な行動である」これが今の日本・韓国における一般的な評価である。しかし、松尾の部下のほとんどは地元朝鮮人であり、松尾は「彼らと彼らの家族を飢えさせないようにする為の仕事だった」と言い切る。今も昔も「公共工事」というのは失業対策という意味合いもあるが、特に朝鮮の場合は窮民共済という意義が大きいといわれるゆえんである。松尾は、ひとつの工事が終わると、竣工式に出ることなく次の工事現場へと向かい、またそこで朝鮮人労働者を雇い入れ新しい工事へと取り掛かる生活を、終戦まで続けた。その間には、九死に一生を得るような事故に遭ったり、足の指を潰してしまうという大怪我にも見舞われたが、そんな彼をいつもサポートし救ったのが地元朝鮮人であった。
それは、「将来片腕になって働いてもらいたい」と、貧しくとも優秀な若者を土木の専門学校である「京城昭和工科学校」に入学させたことも松尾への信頼を高めたのかもしれない。特に昭和19年秋以降、朝鮮でも徴兵制が敷かれ、労働力不足を補うため囚人を働かせることになったが、逃亡する者がひとりもいなかったということからも、松尾への信頼が高かったことをうかがわせる。決して「日本軍国主義の手前勝手な行動」ということでは理解できない。後に松尾は、「30余年かかって半島に金と手を加えてきた成果が、ようやく実を結びはじめていた。これからいよいよ花開くというときに終戦になってしまった。 あのまま工事が続いていたら北朝鮮の食糧事情はずいぶん違うものになっていた」と悔しがっていたそうだが、彼が手塩にかけて教えてきた朝鮮人技術者は、朝鮮戦争で荒廃した故国復興の中心となり、世界トップクラスの建築技術を持つ韓国建設業界の草分けとして活躍していくのである。= おわり =