頂門の一針
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不滅?大阪市の「裏金」
━━━━━━━━━━━毛馬 一三
大阪市で今回発覚した「裏金」は、際まで堕ちて仕舞った市職員の綱紀感覚や倫理観の欠如の実態をまたまた露呈したものだ。というのはこともあろうか、業務委託費の残金を使い切ったように工作して捻出した「裏金」を、職員らが風俗店やスナックの支払いに充てていたのだ。開いた口が塞がらない。平松大阪市長は、18日から刑事告訴を含めた「裏金」問題の最終対応の検討に入るという。
確かに平松市長に対しては、一連の「裏金」問題は、大阪市が抱えてきた過去の悪慣習であり、就任仕立ての市長にまでその責任を課すのは酷だとの意見が支配的だった。が、ここへきて状況が一変した。市長は、同「裏金」問題が発覚すると、市政改革の重要課題として早期
解決を図り、平松新体制の威令を示したいとして、全職員に全ての「裏金」の申告に応じるよう厳命すると共に、市民にもその意向を約束していた。ところが市長の意思に反し、数次にわたる全庁調査でも「裏金」が組織ぐるみで隠蔽され、かつ申告も無視するという事案が続出。今回発覚した悪質な不祥事に到っては、4回目の調査でやっと突き止められたものだった。となれば、現市長の職員に対する対応の手ぬるさ・甘さが、職員のモラル違反を容認する雰囲気を継続させ、結局市長が納税者である市民と向かい合う姿勢を見せていないという、市長に対する批判へと市民の声が変わってきたのである。そこで今回発覚した「裏金」だが、下記のようなことだ。
<大阪市の浪速区役所が外郭団体人権啓発推進協議会などへの委託料(年間約750万円)の一部を使いきったように工作して申告せず「裏金」にしたものだ。実はこの新「裏金」は、元担当係長(懲戒免職)による668万円の着服が7月末に判明したため、その事実関係を市が支出伝票を1枚ずつ調べていて、偶然にも今回の「裏金」の存在と「流用」を発見したのだ。そこで問題のふざけた「流用」は、同区役所に残されていた伝票などによると、職員ら11人は2002年9月、「反省会」と称して焼き肉店で飲食。ラウンジでの2次会の後、うち6人で風俗店へ。6月にスナックで開いた会合などを含め、費用の一部を「打ち合わせ」などとして支出し、02~03年度で15万3500円を流用した。同区役所ではこのほかにも「裏金」から、市の事業に協力した町会長への贈答品として茶葉やノリを購入したり、市の外郭団体にビール券を贈ったりしていた。
一方此花区役所では、統計調査員の研修事業などを巡り、世話役の町会役員延べ20人に高級茶葉(計11万7000円)を贈っていた。これも「裏金」として自主申告しておらず、担当者は「汗をかいてくれたお礼だった。裏金に当たらないと思ったが、認識が甘かった」と言い訳をしている>。(読売新聞)
また、西区役所では高齢者の健康診断事業の委託料の中から、関係団体に配る3万4500円分のビール券を購入。淀川区役所では統計調査のための委託料で、町会長らに贈るのり27万円分を購入していた。<アサヒコム>
大阪市の「裏金」は、遂に7億円超に上ることになった。7月15日段階の本欄で「公務員として信じられないほど質が悪い」と、筆者は大阪市の「裏金」問題で暗躍する市職員の倫理観の欠落を厳しく指摘した心算だった。だが、巧妙に仕組んだ「裏金」を使って風俗店のお遊びするなどとは、思いもつかなかった。昔からの慣習だから、分からなければ何をやっても構わないというのは、大阪市役所にだけ蔓延する「公金不感症」なのだろうか。それにしても平松市長は、この際ここは鬼と化して厳しさの売り物にする「市民代表」の奉仕者に変身して貰いたいものだが、どうだろう。そうでないと、大阪市の「裏金」は不滅だ。(了)20008.08.17
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息子をドイツの徴兵に送って(1)
━━━━━━━━━━━━━━━永冶(ナガヤ)ベックマン啓子
私は南ドイツ バイエルン州の主都ミュンヘン市(人口135万人)在住で、現役の通訳・視察手配・フリーのコラムニスト等をしています。英国とドイツで在欧33年近くになります。パートナーは、グラフィック・デザイナーで会社経営のドイツ人ですが、今回私達の1人息子が自らの意志で、兵役を選択し経験しました。1人息子だからとはいえ、兵役免除にはドイツではなりません。ドイツでは基本法に従い、満18歳以上のドイツ人男子に、現在でも9ヶ月間の兵役義務がある事を、日本の方で知らない人が案外多いのに気が付きました。ミュンヘンでの国際児で兵役に行った男子を探しましたが、良心的兵役拒否で他の施設で奉仕活動をした男子はいましたが、他には見付かりませんでした。
そういう私でさえ、息子の体験を通して、今更ながら認識や自らの行動を新たにする事柄が多々ありました。息子 茂ベンジャミンは、昨年の7月1日から本年の3月31日まで、義務の兵役9ヶ月間を、ドイツで第1次、第2次世界大戦を通して優秀な将校を送り出し一番厳しいと評判の、南ドイツのバードライヘンハルの山岳隊で行いました。日本の昔の赤紙ならず、ミュンヘン市は全て再生紙を使う事になっていますから、グレーの封筒で徴兵の手紙を受け取りました。ドイツでも、昔は赤い封筒で徴兵の連絡が来たそうです。その召集された9ヶ月間の間には、1ヶ月休暇がありますから、実質8ヶ月間の勤務ですが、大抵の週末は自宅に戻れました。勤務後は、携帯で話もする事ができ、息子の経験を聞いたり見たりしましたが、短期間で息子が急速に変化していくその様子に目を見張るほど驚き、感じる所が多々ありましてメモをしなら、原稿にまとめました。その未熟な原稿は、知人の教授の紹介にて、某出版社の編集長の手許にこの夏届いていますが、多忙な方で、秋までには読みますと、返事を頂きました。またこの知人の教授から、「頂門の一針」を紹介され、春から毎回楽しく読んでいますが、渡部亮次郎さんの感性や文章は、どこか父と似ている所がありファンになり読んできました。よく笑ったり感心したしたりと親しみを感じています。
さて、兵役義務9ヶ月間の中でも、特に最初の3ヶ月間の基礎訓練は、「あれは厳しかったが、特別のいい時期であった、もう少し長く居てもよかった」 と懐かしそうに1年後に息子本人が振り返って思い出して言うのですが、今も私が何も言わなくても、生活態度が自発的に良くなり、いかに大きな体験であったかを母としても感心して再認識しています。わが祖国の、多くの若者にもこの体験は必要ではないかと、是非体験して欲しいとさえ思いますが、親や普通の教師では出来なかった、成熟した社会人になる為のドイツの基礎教育を受けた実に真剣な深い体験でした。戦後63年経過し、同じ敗戦国のドイツの若者達と日本の若者達をも考える時、この体験をしたかどうかで、国の将来まで影響してくる大切な人材育成教育でもある事に気が付きます。歴史的には、1950年初代連邦首相コンラード・アデナウアー(CSU)とテオドア・ホイス連邦大統領が、再軍備の基本構想を準備作成し、1955年NATOに加盟して、過去には決別して全く新しい連邦軍が誕生し、多くの激しい反対の国際世論があったにもかかわらず、翌年1956年、ドイツ与野党一致の決断で、“制服をきた国民の学校”として導入された。
1957年 連邦軍(Bundes wehr )が創立され、18~45 歳までの全国民に12ヵ月間の兵役義務が課せられた。この時から既に51年経過したが、ドイツ人男性は、初期ほど、ほぼ全員兵役を経験している事になる。が、時代と共に国内、国際情勢共に変化が起きて、昨年の時点では、全体の30%位の男子だけが、兵役義務を果している。それより多くの若者が、福祉関係で奉仕活動をしている。これもまたなかなか良い社会体験ができ、更にドイツ福祉を支えている。1949年から、良心的兵役拒否権が認められているが、最近では、兵役に行きたくても、軍が縮小されているので、行けない様な状況もある。息子が何を体験したか、聞いた範囲で何回かに亘り紹介していきます。「秘密もあって、全部は話せないからね」と最初から、念を押されていたのですが、なかなか口が硬い所がありまして、苦労しました。( つづく )
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変身願望なるか三越
━━━━━━━━━前田 正晶
8月16日(土)には猛暑をものともせず帝国ホテルで開催されていた三越の特別セールに行ってみた。開催時刻の10時を僅かに過ぎた頃、すでに2~3階での催し物なのに、1階のコーヒーショップの外まで入場者の長いながい行列ができていた。猛暑を顧みずに並んでおられた方には高齢者が多く、三越が往年は如何に人気がある格が高い百貨店であったことかと、あらためて痛感した。さて、午後1時半頃には行列もなく簡単に入場できたが、お客様が溢れ、勘定場の周りには長い列ができていた。ここにも朝の行列と同様に「最後尾はこちら」のプラカードを持った係員が立っている状態。流石というか何というか、私はわけもなく驚いていた。だが、もっと驚いたことがあった。それはホテルのタワーと本館の間の車寄せから出ている、本店への送迎バスの順番を待っておられるお客様の長い列ができていたこと。さらに皆があの三越の袋を持っていたことと、ここにも「列の最後尾」プラカードが出ていたことであった。それほど人気が高いのである、高齢者には。
さて、素早く売り場を回ってみて「三越も変わってきたこと」を発見した。この会には暫く来ていなかったが、今回は明らかにこれまでのような、嘗ては現在の高齢者に愛好された人気商品を割引で売るとか、所謂高級ブランドを割り引くのではなく、若者向きの商品まで並べていたのが大きな変化だった。例えば、「ポロ・ラルフ・ローレン」の明らかに若者向きのジャケットやシャツをアウトレット並の格安で出していたし、我が愛用のアメリカの高級ブランド"hartmann"の鞄類の新製品を、何と¥10,500で「今回の目玉商品」と称して推薦してきたのである。私はこういう流れを伊勢丹との経営統合の結果ではないかと考えていた。だが、相変わらず来場されたお客の大半は高齢者であり、「今日は三越、明日は帝劇」と言った三越の黄金時代を懐かしむ方々であろう。そういう客層に依存していたことが、他の新興勢力に追い抜かれた原因であろうと私は考えている。であれば、今回発見したような変化は三越が変わろうとする努力の表現であると評価すべきかと思っている。ではあっても、あの年齢層ではアメリカブランドを評価されないだろうから、もっと若年層の開拓に傾注すべきではないだろうか?
だが、印象的だったことがあった。それは宴会場ではないいわば場外でReebokのスニーカーを¥5,250といういわば格安で並べていたのに、一向に買い手がつかないのである。前回も同様に若者好みのブランドの靴を本当の「お買い得価格」で出していたが、ほとんど買い手がいなかった。試みに係員に尋ねると、「多くのお客様にはこの値段ではお買い得であるかないかよりも、このブランドそのものをご存じない方が多くて」なのだそうである。Reebokとても同じ運命であろう。狙う年齢層を誤っていては仕方がない。三越ほどの老舗が変わるということは容易ではないものだと教えてくれた、靴売り場の担当者の答えであった。三越、頑張れ。
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