【日経ビジネス リポート】 「東大生の電気電子離れ加速、企業の求む人材と乖離」 | 日本のお姉さん

【日経ビジネス リポート】 「東大生の電気電子離れ加速、企業の求む人材と乖離」

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▼【日経ビジネス リポート】 「東大生の電気電子離れ加速、企業の求む人材と乖離」~さらば工学部(2)東京大学・保立和夫工学部長に聞く (日経)


東大生の電気電子離れが止まらない。企業が求める学生と、実際の学生との乖離も生まれている・・・  東大生の電気電子離れが止まらない。企業が求める学生と、実際の学生との乖離も生まれ、どう対処していけばよいのか。日経ビジネス誌8月18日号特集「さらば工学部 6・3・3・4年制を突き破れ」の連動インタビューシリーズの第2回では、学生の工学部離れに直面しながらも工学部改革を進める東京大学の保立和夫工学部長に、危機意識と課題解決のためになすべきことを聞いた。 理科離れが大きな問題となっています。18歳人口の減少よりも大きな割合で、工学部の学生が減っているのです。これは工学の危機だと思います。 片や、東京大学工学部の定員は945人で、年ごとの増減はあるものの、ほぼ定員を満たしてきました。東大で工学離れが起きているか、それは単純には言えません。ただし、細かく見ていくと、東大にも問題があることは分かります。


電気学科で学生が集まらない

東大工学部は学部学生2053人、研究生32人から構成され、土木、機械、電気、化学などの17学科から構成されています。東大の入学生は文理合わせて約3200人に上り、主に工学部に進学する理科I類は約1200人の最大勢力を占めています。 全国の国立大が1990年代に教養学部を廃止する中で、東大だけは教養学部を維持し続けました。東大生は1~2年の教養課程を経て、2年の夏に10学部約50学科の中から3年次に進学する専門学科を決めます。これは進学振り分け=通称「進振り」と呼ばれ、7月に第1次の志望集計、8月下旬に第2次の志望集計があって、9月に7割が決まります。残り3割を10月までに同じようにして決めます。 学生にとっては、「ここに行きたい」「あっちに行きたい」という希望があり、学生の人気、不人気が出てきます。私が教授を務める電気系工学科の人気がこのところ低迷しています。電気電子が5年連続で「底割れ」しているのです。


・トヨタ自動車、三菱重工業も電気の学生を欲しがるが…

東大工学部は再編の歴史を経てきました。学科再編のトリガーになってきたのが、学科の人気不人気でした。 例えば、材料金属工学科(旧冶金)は改組しました。99年、材料金属工学科には定員61人に対して11人しか来ませんでした。冶金学科はマテリアル工学科に替わって、IT(情報技術)やバイオの材料も手がけるようになりました。そうして人気を回復させたのです。 船舶海洋工学科、システム量子工学科(旧原子力)、地球システム工学科(旧資源開発)も、長らく学生の人気が落ちていました。産業が成熟したということです。これらの学科は2000年度に技術を経済にどう生かすかを学んでいくシステム創成学科として再出発しました。今や、1学年で130人を集める人気学科となり、工学部の最大勢力となっています。 学生は専門分野の将来性を見ながら、学科を選びます。進振りの結果に連動して、学科は変わらざるを得ません。社会の要請に学科の形も合わせていくのです。 問題なのは、社会的に重要な分野、需要の多い分野であっても、学生を取り込むことが難しくなりかねないということです。 電気系の工学部を卒業した学生は需要が高い。日立製作所や東芝といった電気関連産業だけではなく、トヨタ自動車、ホンダ、富士重工業などの自動車産業からも、三菱重工業という重工業産業からも、「電気の学生をもっと出してくれ」と要請されています。 ところが、昨年度の進振りでは、電気電子系のAコース(エネルギー・グローバルシステム=電力など重電系)、Bコース(情報・通信・メディア=情報通信、ソフトウエア系)、Cコース(ナノ物理・情報エレクトロニクス=デバイス系)の3コースのうち、Bコースは定員を満たしたものの、AコースとCコースは定員に達しませんでした。 進学の基準となる最低点も、前年に比べて落ちていました。進振りのダイナミズムの1つとして、進学者の最低点があります。進学に必要な成績がどれほどの水準なのかに、学生は敏感です。学生は進学基準の点数が低いところには行きたくないという心理があります。一度、この最低点が下がってしまうと、もう一度上がることが本当に大変です。 今年の秋も、電気の学生の動向は変化してくるでしょう。3年前から比べると、やや上向いていると思いますけれども、ダメかもしれません。


・工学の「夢」が見えなくなった

船舶海洋工学、システム量子工学、地球システム工学は学科として名前を変えました。じゃあ、電気もやめてしまうのか――。日本全体で見ると、漢字の名前をやめたところもあるようです。ナノ、バイオ、システムといったカタカナの名前にしてしまったところもあるでしょう。背景には、日本全体で進む電気系離れがあります。 「東大の電気学科も名前を変えた方がいい」とOBから言われることもありました。でも、基本となる学問は守らねばならないと踏みとどまりました。東大はそうしたくないし、しない。 「学生の知っている電気」と「社会の求めている電気」には乖離があります。乖離を埋めていかなければなりません。 学生にとっては、技術の成熟によって、「夢」が見えにくくなっています。初等、中等教育において、物理履修者が減少していることもあるでしょう。好調な自動車産業と比較して、電気産業が対照的であると見えるかもしれない。 ・確かに、電気系産業の置かれた状況は厳しい。日本の半導体や大型ディスプレーの開発製造は韓国などで盛んになりました。半導体産業から日本企業が撤退する動きもありました。電気系産業が国際的に日本の基幹産業とは見なされづらくなっています。光通信分野も、2001年のITバブル崩壊で勢いを削がれました。電力産業も成熟していると見られています。私たちは、電気という世界の新しい出口を見せてあげなければならないと考えています。電気の概念が大きく変わっていることを、まだまだ学生らにうまく伝えられていないという強い問題意識を持っています。


・「光ファイバー神経網」のような面白い技術を世に出していく

従来、電気学科は、「電力」「通信」「コンピューター」という縄張り意識を持っていました。強電と弱電というように意識し合っていた。今や電気畑の人間が電気産業に入るわけではありません。重工業産業に行くかもしれないし、カメラ産業に行くかもしれない。情報制御から、デバイスまで幅広い知識が求められます。 そうすると、基盤学問ができることが大切になります。電気系の学科であると、「回路理論」「マクスウェルの波動方程式」「シュレーディンガー方程式」「量子力学」といった基礎学問に精通する必要がある。 先回りして予測して、仮説を立てたうえで、研究を積み上げていく。仮説を立てるために幅の広い、基礎知識が必要になるのです。基礎の教育は発想の原点と言えるでしょう。 私自身は「光ファイバー神経網」という技術を構築しようとしています。光ファイバーを神経に見立てて、飛行機の内壁に組み込もうとしています。航空機の部品に組み込むことで、材料の劣化を早い段階で知ることができます。いわば、“痛みの分かる材料”の技術です。この研究の基礎となる学問の1つは、マクスウェルの波動方程式です。 教育を刷新していく必要があります。私自身も、かつて真空管について学びましたが、今は随分と変わって、トランジスターを重点的に学んで、集積回路や超LSI(大規模集積回路)を学ぶようになっています。技術が成熟して、入れ替わっていくのです。 今年、電気系学科は情報系と物理系に再編しました。研究についても、大学院は、3つに分かれていたのを、同様に2つに統合しました。柏市の新領域創成科学研究科基盤情報学専攻に、15人の教授を約10年前に送り込みましたが、基盤情報学専攻を廃止して呼び戻しました。一体化して立て直していきます。


・工学の啓蒙に力尽くしたい

東大は幸い教養学部がありますので、大学1~2年の間に、工学とはこういうものだと知る機会があります。そこで工学の啓蒙を進めることができます。

工学部は、時代に合わせて、先端技術の創成を進めていこうと思います。価値観の変化として、「深さ」から「軽さ」、「思想」から「感性」、「もの」から「こと」へという動きがあると考えています。先端デバイス、コンテンツ技術、新しいIT技術という既に手がけている新しい方向性を持った研究を、より強く前面に出していく必要があるでしょう。  「電力」「通信」「コンピューター」といった括りにとらわれない、異なる切り口でとらえた新しい技術領域を生み出すことも大切です。例えば、私自身がかかわる「光ファイバー神経網」は「セキュアライフ・エレクトロニクス」という概念の下に、既存の技術を融合させて新たな課題に取り組んでいます。安全と安心を核にした研究の一環で、関連する技術は交通、航空、情報通信、建設土木など幅広い領域にかかわります。

理学部との連携も進めていますし、医学部との医工連携を進めています。ナノテクやバイオも取り入れます。 博士課程の改革もしていきたい。大学の研究レベルは博士課程の学生の力量によって決まってくる面があります。国際企業の研究所では、日本以外では研究員の100%近くが博士号を持ちます。それに対して、日本の研究所では、博士号を持つ研究員の割合は半数に満たないことが珍しくありません。 3~5年間で新たな技術を一から立ち上げた経験を持つ若者が、産業界にもっと寄与できるように強く訴えたいと考えています。(談)