回想(1)(2)(国民年金の花柳な生活)自民党は麻生・小泉コンビで総選挙を戦うべし。(じじ放談) | 日本のお姉さん

回想(1)(2)(国民年金の花柳な生活)自民党は麻生・小泉コンビで総選挙を戦うべし。(じじ放談)

ようちゃん、おすすめ記事。↓

▼回想(1)(国民年金の花柳な生活)
10年余り前になるが、母の「談話」がある新聞に載った。「おばあちゃんの思い出話」というタイトルの囲み記事で、戦争中から戦後にかけての体験談である。その記事が載った新聞を送って来たので読んでみたのだが、一寸おかしい部分があった。母の記憶の通りだとすると戦死した叔父が戦後も生きていた事になるのだ。母の話はつじつまが合わないのだが、インタビューする記者はその時分の事を全然知らないから母の言葉をそのまま記事にしたのである。戦没者慰霊の日に靖国神社や武道館に出席する遺族の数は年々減っている。実際に戦争を経験し、体験談を語る事が出来る人の年齢も80才代になった。一方、取材する側は皆戦争を知らない。 戦前生まれといっても「敗戦の日」を記憶しているのは今年70才になる人から上の年令だ。体験者の方も記憶が薄れる上に、後から見たり聞いたりした知識が混じっている事に自分でも気づいていない。こういう錯覚はしばしば見られる。この頃の新聞などに載る「回想記」には時々首を傾げたくなるものがある。しかし、当時を知らない人は体験者の言葉として受け取るから誤解される危険性がある。先日も軍隊生活を送ったという人の体験談が新聞に載っていたが、年令が不自然だった。現在の年令がミスプリントでなければ有り得ない話なのである。戦没者追悼式典で式辞を述べた衆参両院議長の発言にも多分にこの弊害が見られる。2人とも戦前の生まれだが、河野議長は小学3年生で敗戦となり、江田氏は完全に戦後の入学だ。どちらも徹底的にGHQの管理する学校教育で日本の「侵略行為」を刷り込まれて育っている。それにしても一国を代表する地位にある者が、よくもまあヌケヌケと無責任な事が言えたものだ。『わが国の侵略行為と植民地支配で、アジア諸国をはじめ広い地域の人々にも多大な苦しみと悲しみを与えた』『未だに歴史に背景を持つ未解決の問題がトゲとなり・・』どちらの言葉も評論家的で、少なくとも為政者の言葉ではない。両者とも慰霊すべき人の前で「貴方達は侵略者で、人々に苦しみや悲しみを与えた張本人だ」と詰っているのである。国を守った英霊に対して失礼な話だ。仮に、万一、それが正しかったとしても、慰霊式で英霊に向かって持ち出す問題ではない。時と場所を弁えない人間が揃って議会の最高地位にあるという事は日本の不幸である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
▼回想(2)(国民年金の花柳な生活)
経験のない者が過去を思う時は、その時代の考証と共に正確な想像力を必要とする。誤った想像や好い加減な知識で過去を見ると、物事が事実に反して歪んだ形のまま恰も真実の様に映し出されてしまう。自分自身をその時代の中に置きその出来事の当事者として考え抜いた時に始めて真実が見えて来るものだ。

 天皇、皇后両陛下が硫黄島に行幸(啓)された時の御製(歌)がある。
 ○精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき  
 ○慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲りけむ

2首目は皇后の御歌だが、その深い洞察力と感性には胸が震える思いだ。現在と当時の島の様子を比較して瞬時に往時に返り、兵士達の悲惨な終焉を思いやる心情が溢れている。

硫黄島には水源がなく、雨水だけが頼りである。今でこそ巨大な雨水貯水池が作られ、海水からの造水装置も設置されているが、戦前は何もなかった。其処に立て篭もった2万1千の将兵が、我に数倍する米軍を迎えて、孤立無援、1ヶ月以上に亘って勇敢に戦い、我が軍以上の損害を米軍に与えたのである。守備隊員の多くは予備役や応召した兵士であったというが、彼らは故郷の肉親を守る為に生命を捨てて戦ったのだ。その霊は今靖国に宿る。それを考えただけで靖国論議は消えてしまうのではないか。この勇士達に侵略者の汚名を着せる事は出来ない。硫黄島は火の島である。地下壕の温度は最低でも40度を越すという。灼熱地獄の中で兵士達はどれほど水を飲みたかったであろうか。その様子が想像出来なければ戦争を語る資格はない。余談だが、美智子皇后は皇族方の中で唯一人、ホンモノの短歌を作られる方だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

日本のお姉さんの余談。↓

美智子皇后は結婚式の前に、天皇のお嫁さんになる訓練と

いうものをうけさせられたそうだ。その中に結婚までに100句

短歌を作れという宿題があったらしい。ちゃんと100句作った

そうです。その成果が出ているのでは?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼彷徨する福田内閣の総辞職は9月か?。自民党は麻生・小泉コンビで総選挙を戦うべし。(じじ放談)
福田内閣の生みの親で、福田首相の後見人を自認する森喜朗元首相はこれまで「福田首相は内閣改造して自前の内閣をつくるべき」と主張してきた。人気の出ない福田内閣を蘇生させるためには「内閣改造が必要」という見解であった。森喜朗の思惑どおり福田首相は「内閣改造」に踏み切ったが人気は低迷したままである。自民党衆議院議員は選挙が近づくにつれ「戦々恐々」であろう。「派閥の会長でも落選する可能性が高い」と喧伝されているから、生きた心地ではないであろう。国会議員たるもの「当選してナンボ」の世界で生きている。落選すれば「天獄から地獄へ」真っ逆さまに転がり落ちる。最近の国政選挙は組織力の勝負から「風頼み」に転換した。国民の人気を博する党首を担いでいる方が勝つ確率が高くなった。自民党も民主党も基礎体力が落ちているから「気分で投票行動を変える浮動票」を当てにせざるをえない。という訳で、自民・公明の与党には「支持率が5%の福田首相を辞めさせ、人気抜群の麻生太郎を党首に担いで総選挙を戦うべし」という声が充満しているのではないか。福田内閣の生みの親で、かつ後見人である森喜朗さえも「もはやこれまで」と観念したのではあるまいか。18日付け日本経済新聞は、自民党の森喜朗元首相が17日のテレビ朝日の番組で、同党の麻生太郎幹事長について、「党としても、次は麻生さんにという気持ち(の人は)多いと思う。」と述べ、ポスト福田の最有力候補との認識を示したとの記事を掲載した。なお、他紙によると森喜朗自身も「選挙の顔としては演説のうまい麻生太郎総理が望ましいと感じている」と発言した旨の報道があった。
(森喜朗がテレビ番組で私見を公表した心理を読み解く)

(1)内閣改造しても福田内閣並びに自民党の支持率が向上しなかった。「福田首相では選挙は戦えない」という雰囲気が自民・公明の両党で充満している。

(2)福田首相で選挙を戦うならば「自民・公明両党の大敗北は必至」と想定される。自民・公明両党の国会議員の多数が討ち死する。屍累々となる。福田康夫を守って政権を失なうのは本末転倒である。ここは「福田康夫に泣いてもらう」以外に方法はない。

(3)いずれ、福田首相には印籠を渡すべきではあるが、テレビ番組で国民に公表することで「福田首相に覚悟させる」必要がある。福田首相が「最大派閥の清和会が支えてくれる」と勘違いしては困る。

(4)麻生太郎を「清和会の総裁・総理候補」とするのは、安倍前首相を清和会の相談役に就任させた時からの筋書きである。また「麻生太郎は総裁・総理の適任者だ」と宣言しておくことは、キングメーカー閥清和会の存在価値を高める。麻生内閣誕生の流れをつくれば、麻生太郎に「貸しをつくる」ことができる。代表世話人同士で喧嘩が絶えない中川秀直と町村信孝を閣僚・党役員に送り出し、清和会分裂の芽を摘み取ることもできる。清和会(安倍派)への代変わりを円滑に進めることができる。

(5)次の内閣は「選挙管理内閣」であるから、閣僚や党役員は各派閥の均衡に配慮する必要はない。「明るく楽しい国民受けする人材」を配置すればよい。麻生総理、小泉副総理、小池百合子官房長官など著名人をきら星の如く並べるとよい。どちらにしても「選挙後の政界再編は必至」であるから第一次麻生内閣は短命となる。衆議院選挙に勝利してから本格的な内閣を立ち上げればよい。

(臨時国会の召集日について)・・・以下1,2,3,4は18日付け産経ニュースより抜粋

1.町村官房長官は記者会見の席上「19日昼、政府・与党連絡会が開催される予定であるから、そのへんではっきりさせる必要がある。臨時国会の会期については首相が決める。」と語った。

2.自民・公明両党幹事長非公式会談では大型補正(予算を組むこと)で合意、だが(臨時国会の)召集時期の溝は埋まらず。自民は8月下旬から9月上旬へと譲歩したが、公明は9月下旬召集で譲らず。(西インド洋における給油・給水を行う)テロ特措法の延長問題は(民主党ほか野党が参議院で否決するから)、憲法第59条の60日ルールに基づく再議決を視野に入れるほかはない。(公明党の主張する)9月下旬の召集では「再議決の日程を確保するのが困難」というのが自民党側の意向。

3.これに対し公明党は年内解散を念頭に「野党から批判される衆議院での再議決」に慎重な姿勢を崩していない。加えて、民主党が矢野元公明党委員長の国会招致を画策していることに強い危機意識を持っており「できるだけ会期を短縮したい」(公明党筋)との思いがある。自公両党がどのような条件で折り合うのかにより、臨時国会は大きく左右される。

4.民主党山岡国対委員長は17日のグループの会合で「臨時国会は9月12日開会し9月末に補正予算案を提出するのではないか」と述べた。
5.自民党山崎拓元幹事長は17日午後の派閥研修会で、インド洋での給油継続法案について「臨時国会を早期に召集し、11月中旬に成立させるべきだ」と強調した。衆議院再可決を巡っては「できなければ政治的破局を招く。福田政権としてもどう責任を取るかということになる」と指摘した。(18日付け日本経済新聞)

第1の問題(臨時国会召集日で対立する自民党と公明党)
福田首相は「国際社会への義務を果たすために、衆議院で再議決してもテロ特措法延長法案を可決する」との姿勢を打ち出している。山崎拓がこれを側面支援している構図である。公明党は「衆議院での再議決は選挙にマイナス」という理由をつけて、衆議院での再議決に消極的である。「再議決を見越した臨時国会の早期召集」には絶対反対という立場だ。公明党は新テロ特措法を衆議院で再議決することに賛成した。だから同法案が再議決できた。「二度目は嫌だ」という論理には説得力がない。公明党が臨時国会の早期召集に反対する狙いは別にあると見るべきだろう。民主党小沢代表が仕掛けた「創価学会への揺さぶり」、つまり矢野元公明党委員長喚問で池田大作創価学会名誉会長の悪事が露見するのを恐れているのだ。だから、創価学会政治部である公明党は「党の存立を賭けて」矢野元公明党委員長喚問を阻止する行動に出たのだ。それが、公明党が描く「9月下旬召集、10月解散」というシナリオである。矢野元公明党委員長を喚問するであろう参議院に時間的余裕を与えない戦術である。自民党の「早期召集案」を飲めば、時間はたっぷりできる。矢野元公明党委員長を喚問する時間も確保される。矢野元公明党委員長の証言次第では、公明党の選挙にマイナスの影響が出るだけではない。何よりも「神とも仏とも仰ぐ池田大作先生に傷がつく」から、創価学会にとって最大の危機と意識されている。神や仏は奥の院に鎮座するから有難いのであって、関係者が国会で喚問され「池田大作の悪事」がテレビで全国に放映されたならば、池田大作に対する創価学会員の個人崇拝が揺らぐ。「矢野元公明党委員長に対する喚問阻止」は、創価学会の存亡にかかわる重大事であるから、公明党が「早期召集」を了解する可能性は低い。後は、福田首相が「公明党の反対を押し切って9月上旬の召集を決断できるかどうか」にかかっている。福田康夫にとっては「進むも地獄、退くも地獄」ということになった。早期召集を決断すれば「公明党が与党から離脱する」恐れもある。自公の選挙協力が解消されるかもしれぬ。さらに、衆議院での再議決を行う3分の2の議席を確保することができない。また、公明党の「9月末召集、10月解散」という要求を丸のみすれば、米国を初めとする国際社会との信義を貫くことができない。

第2の問題(福田首相は孤立無援か?)
森喜朗元首相が「麻生太郎」に乗り換えた。補正予算の規模を巡り、麻生太郎、古賀誠、森喜朗並びに公明党は「大規模でいこう」ということで合意している。福田首相を支えるのは無役の加藤紘一と山崎拓である。中川秀直元幹事長は親分の意向に逆らってまで福田首相を支えることはあるまい。「上げ潮派」といっても、落選したらゼロである。主義・主張にこだわっている場合ではない。沈みゆく船と運命を共にする馬鹿はいない。その他大勢は「風見鶏」である。風向きを見て「行動」を選択する。麻生・安倍軍団に加え、最大派閥の清和会、第3派閥の古賀派が福田内閣から離反しつつある。他の派閥も「右にナラエ」となるのではないか。もともと「派閥の談合で成立した福田内閣」であるから一斉に逃げだす。

(まとめ)
臨時国会の召集日を決定するのも容易ではない。自民・公明両党の国会議員の大半は新しい指導者を求め動きだしている。「殿が命令しても誰も動かない」という状態になりつつある。早ければ9月の臨時国会冒頭の「内閣総辞職」となる可能性がある。その場合、麻生新首相が2・3兆円という大規模な補正予算を通過させ「関が原」に向かうことになろう。小泉元首相を「副総理」に据え、小池百合子等賑やかなメンバーを網羅する内閣をつくるはずだ。民主党の小沢一郎、岡田克也、鳩山由紀生、管直人らは「明るい性格」ではない。国民大衆は不景気の物価高で悲鳴を上げている。暗い政治家は見るだけでも「気が滅入る」という感じだ。「暗い時代」を明るくするには、演者は「喜劇的要素」がなければならぬ。国民大衆は日頃の労苦を忘れさせ、未来に希望を抱かせてくれる指導者を求めている。麻生太郎と小泉純一郎が国民大衆の支持率第1位と第2位を維持している所以である。自民党が「衆議院選挙で勝利する」つもりであれば、麻生・小泉コンビで戦争を行うべきである。それ以外、自民党が勝てる可能性はない。