大学生協Peace Now! | 日本のお姉さん

大学生協Peace Now!

大学生協Peace Now!(無光塾)↓

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終戦記念日を前にちょっとお堅い話題。
前にもした話かもしれないが、まあいいや。

大学時代、法政大学生協学生委員会というところに所属していた。
よく共産主義者と間違われるのだが、むしろ彼らからは敵とみなされていたくらいで別物だった。

なにせ法政には、主義者たちの根城があって、よく集会を開いていたものだから一般生徒たちからはよく誤解された。
当時マルクス経済学ではトップクラスと言われた法政大学の生徒ですら、違いが理解できていなかったのだから、法政の学力とやらもしれている。

今は違いがわかるのだが、当時はいまいち理解できていなくて、悩む学生も多かった。

彼らは共産主義を日本に体現するために色々な運動を行っていた。
自らの行為を運動と称す。

我々は消費者の立場で生活を守るために活動を行っていた。
自らの行為を活動を称す。
まあ、一般生徒からはどっちゃでもええって感じやね。

消費生活協同組合の大学バージョンで、どちらもいわゆるCO-OP(コープ神戸が有名ですな)なのだが成り立ちも発展も別系統なので、普通別組織なのだが、俺が所属していた当時から、両者が協力関係を結ぶようになってきていたみたいなので、今はもっと関係が密接なのかもしれない。
ちなに大学生協はUNIV CO-OPと称し、CO-OPとは区別するのだが、一般の人にゃーわかんねえよね。


学生向けに色々な活動を展開するのだが、その中にこの時期だけに行われる全国行事Peace Nowがある。
学生からカンパを募り、広島長崎を巡って戦争の追体験を行い、戦争と平和について考える。戻ってきたらそれを大学の中で報告していく。

学生時代、この行事に参加するつもりだった。
ところが直前になって、どうにもこの行事のうさんくささが気になって参加を取りやめた。
なにがそんなに気になったのか。

今は参加しなくてよかったなあ、と思うのだが、当時はなんらかの確信があったわけじゃない。
ただなんとなく、感覚的でしかなかったのだが、「戦争を追体験することが戦争を考えることになる」というのが、漠然と矛盾を感じたからだ。

当時はかなり批判されましたよ。急に行くのを取りやめたから。
俺自身もなぜ行きたくないのかと言われてもはっきりと理由が言えなかったから余計に責められたね。

一番ひっかかってたのは、戦争の追体験をしたからって何になるんだろうってことが意見として言えるかどうかだった。

Peace Nowでは、広島長崎を巡り、被爆者から体験談を聞いたり、戦争の跡をめぐったりして、討論やセミナーに参加する。
同年代の学生たちと戦争と平和について意見を交換しぶつけ合うことはとても大切なことだと今でも思う。
それはそれでいいことだとは思うし、行事自体は否定もしない。

ただ、戦争の悲惨さを追体験したからって平和が来るってのがどうにも違和感があった。

戦争が悲惨なのはわかりきってることじゃないか。
それを追体験すれば、誰だって「戦争はいけないこと」っていうひとつの考えを持つ。
でも現実はそうじゃない。
戦争を肯定するわけじゃないけど、だからといって現実は戦争を起こす人たちがいる。こいつらが、とてつもない大悪人なのかというと国民から選ばれた政治家だったりもするわけで、結局のところ、戦争を追体験して戦争の悲惨さを訴えたところで戦争はなくならない。

なーんて感じの漠然とした違和感をどうしても払拭できなかったし、こういう行事に参加して、レポートをまとめるにしたって、どうせ優等生的なことしか書けやしないってことが分かっていたから、気乗りがしなかった。
まさか、カンパを貰って広島長崎まで行って、「戦争は必要なシステムだ」なんてレポート書けるわけないしね。
当時は戦争(この場合は日本人の平和観といったほうがいいかな)に対して異論をはさもうものなら、総攻撃されたような時代だったんですよ。今でこそネットで日本人の平和観が批判されていることを知ることができるから、異論も言っても認められるんですが、当時はそんなことしようものなら袋叩きですよ。実際そうでしたしね。

(仕事柄20歳そこそこの若い子達と仕事してるんですが、やはり戦争と平和や、自衛隊や憲法9条問題についての意見をたまに聞くと、実に凝り固まった考え方しかしていません。俺が学生時代だった十数年前となんにも変わってないんですね。この子たちが俺の周りにいたら、間違いなく責められてたでしょうね 笑)


そういう「ひとつの考え方」を全員が共有してしまうPeace Now!という行事の危うさを俺は受け入れられなかった。でも、当時はそこまではっきり言えたわけじゃなかったから、責めに責められましたよ。まあ今思えば、あそこで責められたおかげで、日本人の変な平和観から抜け出せたとも言えるんですけど。



憲法9条を金科玉条のように賛美する人たちにはまったく賛同できません。
むしろ、9条は日本の平和を脅かす。
自衛隊を違憲だから解散して、国際救助隊にするべきだといった意見ももちろん持っていません。むしろアホかと。
じゃあお前は戦争のほうがいいのか、と言われたら、もちろん平和のほうがいいと答えます。ただ、平和を考える時、戦争というのはどうしても避けて通れない。にもかかわらず、日本で平和を考える際、戦争の悲惨さだけを語る風潮はどうにもなじめない。戦争の持つ役割、というものをしっかり考えないことには平和など語れるわけがない。


もしPeace Now!に参加する学生の方がいましたら、ぜひ考えてみてほしい。
個人と戦争、個人と国家、というミクロな視点だけでなく、国家と戦争、国家と軍隊の持つ意味について。

Peace Now!ってまるで平和を象徴する行事のように思えるかもしれないけど、それだって所詮は一意見に過ぎないってことに気づいてほしいですね。

ゆとりだなんだとバカにされやすい世代ですが、それは彼らを教えてきた、育ててきた、指導してきた側の責任です。
子供だった世代に責任を転嫁しているのが「ゆとり」という言葉の本当の意味合いだと私は思います。
ただ、学生になり20歳になり、せっかくPeace Now!っていう行事に参加するんだから、ぜひともその呪縛から解き放たれるきっかけにしてほしいと願うものです。

さて、何人がこんな記事読みますかねえ。

http://blog.goo.ne.jp/mkj2/e/11dbe211520f5d4cd71a32f4c00a3377