新 脱亜論 ・ ヨーロッパ的普遍主義 ・ 平成の徳政令(池田信夫) | 日本のお姉さん

新 脱亜論 ・ ヨーロッパ的普遍主義 ・ 平成の徳政令(池田信夫)

ようちゃん、おすすめ記事。↓▼新 脱亜論(池田信夫)
ウォーラーステインのいう近代世界システムに対する反抗は、何度も試みられ、すべて失敗した。日本の近代も、その一例だろう。特にありがちなのは、「ヨーロッパ的普遍主義」に対して「アジア的特殊性」を対置し、後者によって前者を「超克」しようというパターンだ。これは戦前の「近代の超克」から最近の「東アジア共同体」論まで同じだ。そこでは「過去の戦争犯罪を清算し、アジアの中心になる」ことが日本のとるべき国家戦略とされる。著者は、これに対して福沢諭吉の「脱亜論」を再評価する。「脱亜入欧」というのは福沢の言葉ではないが、『時事新報』の社説で彼が「脱亜論」を主張したことは間違いないとされる。福沢の発想は、金玉均などの改革派を支援することによって李氏朝鮮を倒し、朝鮮を(明治の日本のように)近代化することだった。しかし朝鮮の改革は挫折し、福沢の「国権論」は対外膨張主義に利用され、中国への侵略戦争に脱線していった。ひるがえって考えると、近代日本が間違えた最大の要因は――石原莞爾から岸信介に至るまで――アジアという統一体が存在すると考えたことだったのかもしれない。これに対して、著者の依拠する梅棹忠夫氏の『文明の生態史観』によれば、アジアとかユーラシアなどという地域は生態学的には存在しない。
文明の生態史観 (中公文庫) (文庫) 梅棹 忠夫 (著) ¥ 780
B図のように、アジアの中心部には広大な乾燥地帯があり、それを支配するのは遊牧民族で、古代文明の多くはこの地帯とその周辺に成立した。彼らはつねに移動しながら、暴力によって動物や他民族を支配する。これに対して農耕文明を守るために中国(Ⅰ)、インド(Ⅱ)、ロシア(Ⅲ)、イスラム(Ⅳ)では軍事的な専制国家が発達したが、その東西の周縁に位置する日本や西欧などの農耕地域に住む民族は、こうした専制国家の直接支配をまぬがれ、自発的な遷移(succession)によって農業文明から工業文明に進化した。朝鮮は逆に、中国の完全な属国になった。この生態史観でみると日本は、中央集権国家を中心とする中国圏より、同じように遊牧民族の暴力の影響をあまり受けないで自生的な遷移をとげた西欧圏に似ているということになる。だから非西欧地域で、日本だけが近代化=西欧化を遂げることができたのは偶然ではない。そして福沢の「脱亜(入欧)」論も戦略的には正しく、日本が日英同盟を守っていればあのバカな戦争はしなくてすんだはずだ。だからEUのまねをして東アジア共同体をつくろうなどというのは永遠の幻想で、中国との和解は不可能だ。日本はむしろ「ヨーロッパ的普遍主義」の一員として国家戦略を立てたほうがよい――というのが著者の結論だ。外交的・軍事的にはどうか知らないが、経済的にはそれしか現実的な選択肢はないような気がする。
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★大まかに略図を書く。楕円形のユーラシア大陸として、下記の地勢上の位置と、気候を図にしてる。 中心の遊牧国家の四方は農業専制国。四角(よすみ)には工業文明国が配置されてる。4角の国家は非常に地勢、気候も似ていてるし、民主主義国になってる。気質も似てくる

  東欧州     ロシア(Ⅲ)、       乾燥地帯  中国(Ⅰ)、   日本
                        乾燥地帯
                     乾燥地帯
西欧州  イスラム(Ⅳ)   乾燥地帯   インド(Ⅱ)、 東南アジア 
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▼ヨーロッパ的普遍主義(池田信夫)
本書は2004年に行なわれた講演の記録で、正味160ページの小冊子だが、長大で読みにくい著者の本を敬遠している人にとっては、彼の思想を超簡単にまとめた「寝ころんで読めるウォーラーステイン」として便利かもしれない。著者の歴史理論は、16世紀以降、近代西欧から生まれた「近代世界システム」が経済・政治・文化などのあらゆる面で世界を飲み込むプロセスとして近代の世界史を描こうとする壮大なものだ。そのシステムの特徴は、他の世界を戦争で征服するのではなく、資本主義の中に包摂(incorporate)するメカニズムである。世界各地に固有の生産システムを市場に組み込むことによって、それと一体の「ヨーロッパ的普遍主義」を広めてゆくのだ。この基本的な考え方は、市場による流通が生産を「包摂」するシステムとして資本主義をとらえた宇野弘蔵と同じだ。そして「ヨーロッパ的普遍主義」というのはサイードのオリエンタリズムの言い換えにすぎない。どんな社会システムも固有の宗教を文化的な土台にしているために普遍化できないのだが、キリスト教は宗教から中立にみえる「近代科学」に装いを変えることによって全世界の文化を包摂することができた。ただ著者は、20世紀後半以降、近代世界システムは崩壊の局面に入ったと論じている。その主要なメカニズムは、中心国家が周辺国家の生産を支配する垂直統合による分業構造だが、最近のグローバリゼーションは周辺国家の自立を促進し、近代世界システムの階層構造を脅かしている。こうしたヨーロッパ的普遍主義を知的に支えていた大学も、没落している。大学は中世に神学者の養成機関として生まれ、18世紀にほぼ消滅したが、科学技術の研究機関として19世紀以降、復活したものだ。しかし今日、科学技術の主役は企業に移り、ごく一部のエリート大学を除いて、大学は知的な生産性を失ってしまった。著者は言及していないが、近代世界システムにとってもっと根本的な脅威は、デジタル革命である。無限にコピー可能で稀少性のないデジタル情報は、原理的に資本主義に包摂できない。それを無理にやろうとすると、「知的財産権」などの人工的な概念をつくって国家権力が個別に強制しなければならない。その莫大なコストが知的生産を抑圧し、政府への反抗をまねいている。ネグリ=ハートも含めて、情報ネットワークの問題を組み込めないところが、こうしたマルクス的「危機論」の限界だろう。
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▼平成の徳政令(池田信夫)
日本のGDPの速報値が年率-2.4%と大きく落ち込んだことに、海外のメディアも注目している。例によって冷たいのはEconomist誌で、「サブプライムの影響が最小だった日本の成長率がこれだけ落ちたのは、これまで円安のおかげで輸出産業に支えられてきた経済のメッキがはげたのだ」と、日本が長期停滞に入ることを示唆している。
その底流には、大反響を呼んだ"JAPAIN"特集で彼らが指摘したように、ただでさえ景気後退期で保守的になっている人々の行動を政府が規制によってさらに保守的にしている「官製不況」がある。たとえば貸金業法の規制強化の影響で、この1年で貸金業者は30%廃業し、消費者金融の融資残高は20%(1.5兆円)も減った。不況のさなかに政府がクレジット・クランチを促進しているのだ。それよりも本質的な影響は、シティグループが日本の消費者金融から撤退するとき、いみじくも言ったように、ルールのない国でビジネスはできないということだ。債務者も同意した合法的な融資に対して、あとから「だまされた」と訴訟を起こし、「過払い金利の返還」を最高裁が命じたことは、実質的に金利を過去に遡及して減免する徳政令である。それは短期的には債務者を救済しても、長期的には(中南米やロシアをみればわかるように)金融市場を致命的に混乱させ、投資を減退させて経済に大打撃を与える。ハイエクがケインズ的な「景気対策」に反対した最大の理由は、失業者に政府の資金をばらまく裁量的な政策が経済のルールを混乱させ、「赤字になったら政治家に公共事業を頼めばよい」といった非生産的なロビイングを誘発するからだ。90年代の日本の長期不況の最大の原因も、大規模な粉飾決算とバラマキ公共事業などによって、非効率な企業は退場するという資本主義のルールが崩壊したことにある。「日雇い派遣」が問題になったら禁止し、漁師がデモをしたら燃費を税金で補填する、といったtime-inconsistentな政策は、個別にはいいことをしているようにみえても、全体としては市場のルールを破壊し、日本経済の停滞をさらに深刻化させるだろう。そして「麻生政権」は、こうした徳政令路線に舵を切ろうとしているようにみえる。