国際運動会と愛国心(清谷信一) | 日本のお姉さん

国際運動会と愛国心(清谷信一)

ようちゃん、おすすめ記事。↓

▼国際運動会と愛国心(清谷信一)
物心が付いて以来初めてのオリンピックは札幌オリンピックでした。ですが、当時からオリンピックには無関心で、たいしてテレビの中継も見なかったし、日本人選手がメダルを取れるの取れないので大騒ぎをしたこともありませんでした。もっともいまだにそうですが。メダルを取ったのが自分の甥っ子や姪っ子ならともかく、別に赤の他人だし。そういう意味ではからっきし愛国心の無い人間です。その意味では非国民ですね。
ですが、祭日に日の丸も掲揚しないような人達がオリンピックのときだけTVに向かって日本選手を応援するのはなんだかなとも思います。普段仏壇に線香もあげないのに、初詣にいくのと同じようなものですか。まだ貧しかった60年代ならまだしも、今更国威発揚の必要もないでしょうに、などとも思ったりします。しかし、以下のような意見もどうかと思います。これまた極端というか平和原理主義です。

スポーツジャーナリスト、谷口源太郎氏の『 星野ジャパン人気に見る「偏狭ナショナリズム」という脅威 侵略戦争の反省無く、「日の丸」に支配された北京五輪』http://diamond.jp/series/sports_bubble/10004/

「63年目の8月15日を北京で迎える576人の日本選手団のなかで、かつて日本が植民地支配や侵略戦争で中国民衆に甚大な被害を与えたことを、反省を込めて想起するものがどれだけいるであろうか」だから日の丸はケシカランということらしいですです。

過去悪さをした国の国旗を使うなというならばまず、殆どの国の国旗はつかえないでしょうね。スイスだってナチスから迫害されて逃げてきたユダヤ人を門前払いにしたり、スウェーデンも枢軸、連合国の両方に兵器を売りまくって儲けていたし。まあ過去戦争したことのない国なんはまずないわけです。それじゃあ、国旗が変わったロシアがソ連とうって変わった善人国家になったのでしょうか。それよりも「正義のスポーツジャーナリスト」なら現在進行形で人権を抑圧し、少数民族を弾圧し、世界に無差別に兵器を売りまくっているような国でオリンピックが行われることに異議を申し立てるべきでしょうが。そもそもオリッンピックは国威発揚と金儲け、プロパガンダ、政治的駆け引きに塗れてきてきたわけです。こんなものはやめろというべきじゃないでしょうか。また北朝鮮、ロシア、ジンバブエ、イラン、UAEなど非民主国家の国際大会参加は認めない。それらの国が出るなら平和国家日本は出場をボイコットしろ、ぐらい言って欲しいものです。国際競技大会すべてを禁止して、くじ引きでチームや選手を決めてはどうでしょうか。国家という枠組みでスポーツで競うことを禁止にしてもいいのではないかと思います。そこれそ平和的じゃないでしょうか。もっともスポーツジャーナリストは失業でしょうけど。率直に申し上げれば国際的なスポーツイベントとナショナリズムは不可分であり、大なり小なり、スポーツジャーナリストは「ナショナリズム」でメシを喰っているわけです。この人は否定するでしょうけどね。
大体スポーツなんか身体に悪いんです。過度に身体を酷使すれば故障するのは当たり前です。アスリートの多くは故障を抱えている潜在的けが人に病人ばかりです。ぼくがお世話になっている整体の先生は元空手家ですが「スポーツや武道なんか身体に悪い」と断言しています。身体に悪いけど強くなりたいから皆やっていると。スポーツジャーナリスト含め関係者は「スポーツは身体にいい」といいますが、それは詭弁です。確かに勝ち負けにこだわらずレジャー程度にやる分には身体にいいでしょう。ですが世界の頂点に立つたつような努力をするなら確実に身体に悪いにきまっています。スポーツは酒やタバコと同じで身体に悪いけど、楽しいしスリルがあるから面白い、というなら話はわかるのですが。しかもスポーツジャーナリズムは故障で使い捨てにされた選手達を報道することは殆どありません。そのときの勝者を追いかけるだけ。まさに一将成って万骨枯れるのがスポーツ業界です。まあ選手には少なからず金と名声(あるいは性欲)のためにスポーツをやっている人もいるわけです。あたしゃそれを否定はしませんが、スポーツジャーナリズムはスポーツマンが皆純真な求道者であるかのようなイリュージョンを垂れ流すのはやめて欲しいものです。谷口源太郎氏はフェリス女学院大学非常勤講師だそうですが、このような聡明さに欠ける現実を直視ししない平和原理主義者が大学で何を教えているのでしょうか。大学の見識を疑います。いっそのこと日本の学校の運動会みたいに参加者全員に金メダルをあげればいいじゃないですか。大体「参加することに意義がある」ってのがオリンピックのモットーでしょうが。谷口氏がそのような主張をするなら多少は評価してもいいと思いますが。オリンピック開催や選手の運動にかける金があればそれこそ世界の飢え、あるいは健康を損なった多くの子供達を救うことが出来ると思います。日本は今後胡乱なオリンピックなる国際運動会は出場辞退し、五輪にかかる相応の金額を途上国の福祉に寄付する、というのは谷口さん、いかがでしょうか。
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★谷口源太郎(スポーツジャーナリスト)1938年鳥取市生まれ。講談社、文芸春秋の週刊誌記者を経て、フリーランスのスポーツジャーナリスト。スポーツを社会的視点からとらえた批評をてがける。市民の立場からメディアを研究する「メディア総合研究所」会員。フェリス女学院大学非常勤講師。著書「スポーツを殺すもの」(花伝社)、「巨人帝国崩壊」(花伝社)、「日の丸とオリンピック」(文芸春秋)など。
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偏った見方しかできない爺さんの記事なので読み辛いです。

日本の代表として出て行った日本人選手と

星野さんに文句を言うならオリンピックなど、

見なければいいし、日本人をやめて外国に出て

帰化してくれていいんですよ。日本の選手を応援して

何が悪いのか。↓by日本のお姉さん
▼『 星野ジャパン人気に見る「偏狭ナショナリズム」http://diamond.jp/series/sports_bubble/10004/ (ダイモンド・オンライン)
63年目の8月15日を北京で迎える576人の日本選手団のなかで、かつて日本が植民地支配や侵略戦争で中国民衆に甚大な被害を与えたことを、反省を込めて想起するものがどれだけいるであろうか。JOC(日本オリンピック委員会)選手強化本部長で選手団長を務める福田富昭氏は、現地での記者会見で相変わらずメダル勘定しか発言しなかった。「金メダル2けた以上、総メダル数30個以上でアテネ(37個)を超える」と。選手団のトップがメダルしか頭になく、それ以外のことには思考停止の有様で、過去の歴史認識などまったくない。おそらく、選手団全体も同様ではなかろうか。

・ナショナリズムの象徴星野仙一という存在
現地入りする前にメディアから北京オリンピックについての抱負を聞かれた選手たちの多くが、「日の丸のためにメダルを目指して頑張る」と応えたのは印象的だった。とりわけ、テレビに出演する度に日の丸を徹底して強調した野球代表監督・星野仙一氏の存在が目立った。星野氏は、プロ野球・中日ドラゴンズ監督時代、理論や論理ではなく暴力で選手を納得させる指揮官として知られた。また、日の丸の強調が象徴するように星野氏は、ナショナリズムに凝り固まった人物でもある。しかし、メディアは、そうした星野氏の本質的な資質を見ようとせず、「闘将」「熱血漢」などと偽称して持ち上げ、頼りがいのある指導者のイメージを作り上げてきた。そして、星野氏の理屈抜きで感情的に思いついたことをずばずばという語り口が、メディアによって思考力を奪われた視聴者に受けたといえよう。選手団のなかで存在感の大きい星野氏だけに、その偏狭なナショナリズムが野球ばかりでなく他の競技の選手にも影響を与えることを危惧せざるを得ない。つの詩が教えてくれる
「日の丸」に隠された真実 「原爆詩人」として知られる栗原貞子さんの「旗」という作品の一部を紹介する。
日の丸の赤は じんみんの血 白地の白は じんみんの骨 いくさのたびに  骨と血の旗を押し立てて 他国の女やこどもまで  血を流させ 骨にした。いくさが終わると 平和の旗になり オリンピックにも アジア大会にも 高く掲げられ、競技に優勝するたびに 君が代が吹奏される。千万の血を吸い、千万の骨をさらした、犯罪の旗がおくめんもなくひるがえっている。「君が代は千代に八千代に 苔のむすまで」とそのために人民は血を流し、骨をさらさねばならなかった。今もまだ還って来ない骨たちが、アジアの野や山にさらされている。ーーー略ーーーーーーーーー 日の丸の赤はじんみんの血。 白地はじんみんの骨。日本人は忘れても、アジアの人々は忘れはしない。

栗原さんは、この詩で「日の丸」を象徴とした侵略戦争によって2000万人ともいわれるアジアでの犠牲者をだしたこと、そればかりか戦後もそのことに対して謝罪も補償もしない、そうした日本のあり方を厳しく批判しているのだ。――メディアから視聴者、選手団まで「日の丸」に支配された北京五輪。日の丸を誇ったり、日の丸のために頑張る、というような単純で薄っぺらな発想がいかに愚かで誤ったことか、この詩は教えてくれる。

・国威発揚の手段にされる「メダル競争」ナショナリズムを克服するには
北京オリンピックには、205の国と地域から1万人以上の選手が参加する。そのなかには戦争や貧困、飢餓、それに宗教、人種差別などによってスポーツ活動もままならない国や地域の選手たちもいる。そうした選手たちは、メダル競争ではなく、世界から集まった選手と出会い、共に競技することにオリンピックの意義を見出すに違いない。憲章に唱われているように参加した選手たちが友情、連帯、相互理解という人間性を発揮することにこそ、オリンピックの普遍的な価値があるはずだ。 しかし、実際にはナショナリズムに基づいた国威発揚の手段としてメダル競争がオリンピックを支配してしまい、選手の人間性は歪まされ壊されている。ナショナリズムを克服するにはどうすればいいのだろうか ドイツで戦争と革命の世紀を生きた女性画家のケーテ・コルヴィッツは、第一次大戦が始まったとき、息子への手紙にこう書いている。<私たちは言いました。『国際主義の理念はしばらく後退せざるをえないだろう。しかし、あらゆるナショナルなものの背後に、インターナショナルなものが厳存する』と。ナショナルな発展の現状は、袋小路に行き着きます。民族的な生活を保持しながら、ナショナルなものどうしの衝突を不可能にするような立場を、見いださねばなりません>【「ケーテ・コルヴィッツの肖像」(績文堂出版)】ケーテ・コルヴィッツは、国際主義によってナショナリズムを克服することで戦争のない平和な世界をつくりだせると確信していた。国を超える国際主義の思想によってしか相互理解や連帯などの人間的価値は、実現できないといえるだろう。ナショナリズムに呪縛されて日の丸やメダルしか考えていない日本選手団にとって、あまりにも難しい課題だ。
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ようちゃん。↓
★酷いこじつけの左翼思想の持ち主が日本を牛耳ってる爺が大半ですね。正に「憎まれっ子(爺) 世に蔓延る」 将来は誰も貴方に日本国民は、博愛主義や人道主義を必死に大声上げようと、根っからの売国精神の爺にケアする老後は来ないと保障します!(笑